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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第四章 消えぬ罪過に哭する怒号は
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刃は慟哭に似て

「そいつが、織原に何かしたんですね」


 声には亡霊と見間違うほど覇気がない。

 霧崎はその痛ましい姿から目を逸らさずに「そうだ」とだけ返した。

 そして場違いに口端を釣り上げたのが葵だ。

「あたしを殴りたいのかしら。でもそれってやつあたりよ。だって、キミが一番責めたいのは自分でしょ」

「……」

「自分がもっとちゃんとしていればこんなことにはならなかった。あたしを殴ったところで、そんなの気休めにもならないわ」

「……」


 その瞬間を誰も認識できなかった。霧崎すらも。


 悠也の拳が葵の横顔に叩きつけられている。

 葵は身構えることもできずに殴り飛ばされ、抜けた奥歯が泥の上に落ちた。

 悠也はそれで満足しなかった

 倒れた葵に馬乗りになると、左手で首を押さえつけ右の拳を握り掲げる。

 葵の表情に恐怖が滲んだ。

 拳が振り下ろされる。


 その寸前、彩夜が悠也を突き飛ばした。


 二人して泥の上を転がり、跳ね起きようとする悠也を彩夜が覆い被さって止めた。

「どけ彩夜! あいつのせいで織原は死んだ!」

「駄目! 悠也落ち着いて!」

「落ち着いてなんかいられるか! あいつがいなければこんなことには!」

「それでも落ち着いて! お願いだから、冷静に……っ」

「できるわけないだろう! 邪魔を……するな!」

 泣き叫ぶような言葉の応酬。


 その直後、予想外の出来事に霧崎は唖然とするしかなかった。


 霧崎は悠也の手に「それ」が握られているのを知らなかった。事実さっきまではなかった。だからおそらく「それ」は倒れた二人の傍に偶然落ちていて、そこは霧崎からは死角になっていて、悠也は「それ」を拾い上げて、ほとんど反射的にやらかした。そういうことなのだろう。


 端的に言えば、悠也が彩夜に向けて跡切刀を振り上げた。


 垂れた銀髪の一部がはらりと落ち、紅色の粒子となって闇に溶ける。


 唖然としていたのは霧崎だけではなかった。

 彩夜も、そして悠也も。信じられないという顔をして茫然自失と沈黙していた。

「……っ、どけ!」

 かろうじて先に我に返った悠也が彩夜を突き飛ばした。彩夜はまだ直前のできごとを呑み込めていなかったらしく、一切抵抗できずにただよろめいて、泥の上に手を着いた。


 悠也は葵を睨みつける。自分の行いから目を背けるように。自分を見つめる彩夜の視線には気づいていないのか、気付かないようにしているのか。


 泥に塗れた葵は、けれど悠也を嘲るように微笑を浮かべた。

 それに触発されてか、悠也が駆け出す――寸前、その行く手を漆黒の刀が阻んだ。否、阻んだだけではない。刀は次々と地面に突き刺さり、さらには組み合わさり、瞬く間に鳥かごが完成する。悠也は閉じ込められて一切の身動きを封じられた。

 言うまでもなく、霧崎がしたことだった。

「そこまでだ、黒宮」

「……止めないでください! そいつのせいで、織原は……!」

 叫び散らす悠也に、霧崎は妙なくらい落ち着いた気持ちにさせられる。

「なるほど。よくできた鏡だ」

 復讐だけに縋る人間の姿が、こんなにも哀れに見えるとは。

 それを知ったところで霧崎の気持ちは変わらない。自分には復讐しかないと確信している。故に、悠也を止める言葉は持ち合わせていない。

 だが問いかけることはできた。


「お前、自分があの小娘に何をしたのか、ちゃんと理解しているか?」


 悠也はハッとして彩夜を見た。

 彩夜はずっと悠也を見ている。ついさっき殺されかけたというのに、その瞳に恐怖や失望の色はない。ただ悠也のことだけを案じているのだ。霧崎にすら見て取れるその健気さは、悠也の目にどう映っているだろう。

「復讐を止めるつもりはない。だが一度頭を冷やしてからでも遅くはないだろう」

 無言のまま俯き肩を震わせる悠也を尻目に、霧崎は葵に向き直った。

 殴られた頬を一つしかない手で押さえる葵の服は泥だらけで、それが自分で悠也を煽った結果なのだから無様と言うほかない。あれが自尊心を保つための言葉だったとすれば憐れみさえ覚える。

「ずっと聞こうと思っていたんだが、お前右腕はどうした」

「……なんでもいいでしょ」

 葵は気まずそうに目を逸らし、頬から手を離した。

「よくはないさ。お前、次は私を負かすとか言ってただろ。戦えるのかそれで」

「もういいわ」

「そう言うなよ。構ってほしかったんじゃないのか、私に」

 愕然と。

 目を見開いたまま固まった葵は、やがて絞り出すように口を開いた。

「……わかってる、くせに」

 激情を隠すことなく霧崎を睨む。

「わかってるくせに、なんで復讐なんかに夢中になってんのよ。なんで止めてくれなかったの。あたしはそれだけだった。ずっと、本当は、楓と、また……ずっと、そのために、それなのに」

「だから勝負をしようと言っている」

「違う! そんなんじゃない!」

 叫んだ葵は泣きそうだった。


「あたしは……あたしはただ、昔みたいに……また、一緒に。そうしたかったのに」


「……悪いな」

「楓は意地になってるだけよ。復讐を手放すのが怖いだけ」

「かもしれない。でも、だからそれが結論なんだろう」

「どうして。あたしにはわかる。……あたしには、聞こえてるのに」

「……」

 葵が言うならそうなのかもしれない。霧崎楓という人間は心の内では復讐なんて望んでいないのかもしれない。でもそれがなんだというのだろう。自分の心の内なんて霧崎は知らない。感情を剥き出しにして振舞うには人は理性的すぎるのだ。余計なことを考えすぎるせいで、本当にしたいことがわからなくなる。葵もそうだった。

 だから霧崎にとってはやはり復讐がすべてだ。そうとしか考えられない。

「お願い楓、復讐なんてやめて。あたしはあの男に会った。……あんなの、勝てるわけない。殺されるわ」

「私が殺されたらまずいのか?」

「……そうに決まってるでしょ。ばか」

 拗ねたような声音に、霧崎はすっかり呆れてしまう。

「まったく。お前は昔から――」


 何を言おうとしたのだったか。

 無意識に口を出た言葉の続きは、霧崎の意識から消えてなくなった。

 切迫した緊張感のある声が背後から飛んだからだ。

「霧崎さん、後ろ!」

 彩夜の声だった。

 振り返ると、ありえないことが起きていた。


 悠也を拘束していた鳥かごが消えている。

 悠也は泥の上にただ立っている。何にも縛られることなく。

「馬鹿な、刀は。……〈骨刃〉はどこへいった」

 そうして周囲を見回し、背後の葵に視線が向いた。


 そこには愕然と目を見開いた葵が、全身をいくつもの刃で貫かれて立っていた。


「かえ……で……?」

 掠れた声。見開いた目を霧崎に向けたまま崩れ落ちる。その身が泥の上に横たわるより先に刃が動き、全身をズタズタに引き裂いてしまう。泥の上には血と肉の残骸。人の形が残っているのが奇跡といっていいほどの惨状。

 葵を引き裂いた刀は宙を飛び回って悠也の背後で停止した。その数は二十を超える。ちょうど悠也を拘束する鳥かごを構成していたのと同じくらいの数だ。

 どういうわけかは知らないが、何が起きたかは理解できた。


 悠也は今、自分を拘束していた霧崎の〈骨刃〉を自身の支配下に置いている。


 ありえないとは言わない。事実目の前でそれは起きている。だがそこにどう理屈をつけるべきか。動揺しながらも霧崎は脳内で一つの仮説を立てる。

 鍵は悠也の契約魔族だ。

 悠也とまったく同一の魔力を有した幸姫は、周囲の物質を取り込み自分の肉体の一部として操る力を発現させていた。魔術の性質は契約魔族に依存する。つまり、悠也にも同じ力を使える素養があるということになる。幸姫のときと違い肉体的な同一化こそしていないが、外部の物質を操るという部分に着目すれば共通している。無理やり感は否めないが、今はそう納得するしかない。

 問題は、その力を悠也が行使しているということ。

「黒宮……お前、いつの間に」


 その姿が変わる。

 黒髪には月光を受けて煌めく銀髪が混じり、開いた瞼の向こうには紅の光が灯る。


 二十を超える刀は紅の瞳が見つめる霧崎に照準を合わせ、直後に殺到した。

「いつの間にこんな力を使えるようになっていた!?」

 迷っている暇はなかった。

 霧崎はいくつもの刀を自分の前に出現させて即興の盾を作る。飛来した刀が音を立てて弾かれる。危険な賭けだったがうまくいった。

「……すべての支配権を奪われたわけではないらしいな」

 霧崎の制御を離れたのは、あくまでも悠也を拘束していた分の刀だけ。それ以外はまだ霧崎の意思で自由に操れる。ひとまず最悪の事態でないのは確かめられた。

 しかし状況が好転したわけではない。

 悠也が一部分でも霧崎の刀を操っているのは確かだ。霧崎の意思でそれらを消そうともしてみたができなかった。悠也が操る二十の刀は霧崎の支配を完全に離れてしまっている。そしてそのカラクリは悠也の契約魔族にある。

 そこまでが正しい現状の分析。

 はっきり言って情報が足りない。刀の支配権を奪われる条件が不明なせいで迂闊なことはできないが、かといって放置するなどありえない。そもそも向こうが霧崎に攻撃してくるのだから無視できるはずもない。

「殺したのが私なのだから当然だな。――止むを得ん」

 思考に使った時間はコンマ以下。それで霧崎は覚悟を決めた。


 黒宮悠也はここで殺す。これ以上問題が大きくなる前に。


「〈千本骨刃鎧刀〉」

 名を口にすると同時、無数の刃が出現し瞬く間に人の上半身の如き骨格を組み上げた。霧崎を守る肋骨と、悠也を狙う刀を携えた四本の腕。そのすべてが漆黒の刃でできている。

「霧崎さん!」

 何をしようとしているか悟ったのか、彩夜の声は悲鳴に似ていた。

 だがそれに構う余裕はない。

 一度は弾いた刀の群れが、再び霧崎に襲い掛かる。操っているのは悠也だ。二十の刀が夜闇の中を縦横無尽に飛び回り、変則的な起動で霧崎に迫る。しかしそのすべては刃でできた肋骨に阻まれ、その間に四本の刃の腕が悠也を狙い、それを悠也の操る刀が受け止める。


 受け止められたと、悠也は思っただろう。

 だがその瞬間、刃でできた四本の腕がバラバラに分解された。


 そもそも〈千本骨刃鎧刀〉が人の骨格を模しているのは、膨大な数の刃の複雑な動きを把握しやすくするためである。千の刃を一本一本意識して操るなど常人には不可能だ。下手をすれば自分が怪我をする。故にその動きのほとんどは自動化され、予め定められたプログラムに従って動作するようになっている。霧崎の心が〈深淵の魔眼〉で乱されても倉沼を攻撃できたのはそれが理由。

 だがその自動化された動きもこの〈千本骨刃鎧刀〉の真の力ではない。骨格を形作るのはすべてが刃。それらを自在に組み換え柔軟に操作することこそがその真髄。自動化はその補助に過ぎない。

 悠也の目が見開かれる。


 直後、大小様々無数の刃が悠也の全身を引き裂いた。


 水風船が割れたような大量の血飛沫とともに、悠也が倒れる。

「悠也!」

 泣きそうな顔で悠也に駆け寄る彩夜を、霧崎は無感動に見ていた。

 人の形をかろうじて保っただけの肉塊は、近くで倒れた葵にそっくりだ。まさか無意識の内に葵の仇討ちをしようなどと考えていたのだろうか。そんな考えがよぎったが、すぐに馬鹿らしいと思い直した。同じ武器で惨殺されたのだ。その死体の姿が似るのは自然なことだろう。


 と、そこで違和感が思考を掠める。


 同じ武器。確かにそうだ。完全開放していたか否かという差はあれ、その刃に宿る性質は変わらない。切断されたという情報を挟み込む不死殺しの刃。それで切られればたとえ悠也であっても再生はできない。

 そう、再生はできない。だが今の悠也と同種の力を使う幸姫はどうなったか。


「ッ、離れろ小娘! まだ終わっていない!」



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