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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第四章 消えぬ罪過に哭する怒号は
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想いと呪いの錯綜


 それは彩夜の目の前で起きた。

 幸姫がビルとの融合を始めたのだ。

 体から伸びた帯は繋がった屋上の足元を溶かし崩し、やがてその影響はビルそのものに波及した。建物の形を保てずに崩落が始まった。すぐにその場を離れた彩夜の視界の中で、幸姫は崩落するビルの瓦礫と共に斜面を滑り河原に落ち、さらに周囲の物質を取り込み無数の触手を形成していった。

 彩夜にはどうすることもできなかった。

 触れれば彩夜も取り込まれる。だから幸姫との融合を始めた自分の腕を咄嗟に引き千切って投げ捨てた後は、離れてその様子を見守るしかできなかった。


 圧倒的な巨体で君臨する怪物の姿がそこにはあった。


 気付けばギャラリーができていた。橋の上に、河川敷に。彩夜は慌てて避難誘導を開始したが、その途中で橋の一つが崩れた。霧崎の気配を『魔術師の勘』で感じ取ったのはそれとほぼ同時だ。悠也の方には気付けなかったが、それは幸姫の魔力の圧倒的な存在感によって同一の気配である悠也の魔力が覆い隠されていたからだろう。おそらく悠也と霧崎も彩夜の気配を感じ取れていなかったに違いない。それほどまでに幸姫の存在は巨大で、感じる魔力の量も膨大なのだだ。


「一度は正気に戻ったの。でも、その後周りのものを全部取り込み始めて、手が付けられなくなって」


 蠢く触手の中にごつごつした男の腕が見えた。きっとそれだけではないのだろう。橋が崩れる前にも彩夜の救助が間に合わなかった人が何人もいた。合計どれだけの人が触手の一部になっていることか。正直考えたくもない。

 そんな彩夜に、しかし悠也ははっきりとした口調で聞いてきた。


「今の、本当か?」

「え?」

「一度は正気に戻った。そうなんだな?」


 その口調の強さに戸惑いつつも彩夜は頷いた。

 悠也に動揺する様子はない。霧崎に跡切刀を向けたまま口を開く。

「聞きましたか霧崎さん。織原は手遅れなんかじゃない。まだ正気に戻せるかもしれない」

「かもしれない。その根拠の薄い期待のために、あと何人犠牲にするんだ?」

 霧崎は背後の瓦礫を視線で示す。その下に大勢の人が埋まっているのはこの場の全員が知っている。

 正論を言っているのは霧崎の方。悠也の味方のつもりの彩夜でもそう思えた。

 しかし悠也は怯むことなく宣言した。

「それでも、俺は織原を助けます。絶対に」

「だからどうやって。ここからでは声も届かない」

「なら近くまで行って呼びかけます。届くまで、何度でも」

 荒れ狂う触手が河川敷を叩く。土砂が跳ね上がり濁流に呑まれる。

「もう感情論でどうにかなる状況じゃない。見てわからないのか」

「だとしても、織原は絶対に死なせられない。死なせちゃいけない人なんです」

 霧崎は痛ましそうに目を伏せた。

「……やはり呪いだ、それは」

「関係ありません」

「これ以上の問答は無意味だな」

 霧崎が刀を展開する。


 その瞬間彩夜は動いた。瞬時に霧崎の背後を取って回し蹴りを放った。


 無論、その程度でやられる霧崎ではない。彩夜の動きを瞬時に見切って回避する。

「悠也行って!」

 彩夜は叫んだ。

「早く! 絶対助けるんでしょ!?」

 その言葉に悠也はハッとした様子で、小さく頷き走り出す。

「おい待て!」

「行かせない!」

 彩夜は霧崎と悠也の間に立ち塞がる。

 焦りからか、霧崎は苛立ちを隠さなかった。

「馬鹿な真似はやめろ。……あれはもう助からない。お前が一番わかっているはずだ」

「私と同じならまだ希望はある。一度死ねば魔族化はリセットされる。そうすれば……」

「それはない」


 霧崎は彩夜の言葉を容赦なく否定した。


「お前の魔族化のリセットは、死亡により魂が有する心の生成機能が停止することで発生する。心を生み出さない魂を侵食するメリットは魔族にはないからな。しかし死ぬだけで何もかもがリセットできるなら、お前が吸血衝動に苦しめられることはなかっただろう。……つまりさ、血に飢えて人を襲うのと魔族化による心の喪失はそれぞれ独立しているんだ。吸血によって魂への負荷が軽くなり心を保てるのがお前の体質だが、逆はない。魔族化が解かれ心を取り戻せたとしても、それで吸血衝動が消えるわけじゃない。そしてその衝動が理性を軽く塗り潰すほどに強烈であることはお前自身が証言している」

 だから、魔族化が解けたとしても意味はない。

「……でも、吸血衝動さえ満たせれば」

 例えば彩夜が悠也の血によって渇きを潤しているように、幸姫も生きられるのではないか。

 そんな彩夜の淡い希望すら霧崎は「不可能だよ」と否定した。

「駅前で倒れていたのが何人いたかわかるか。数えてもいないが、軽く十人は超えていたよ。それだけの血を吸ってもやつの吸血衝動は沈静化しなかった。黒宮とお前の二人じゃとても賄いきれない。私や倉沼、それにいのりたち全員が協力しても足りないだろうし、お前たち二人と違って私たちは不死じゃない。単純に血が足りないんだ」


 ここで処分する以外に方法はない。霧崎はそう付け足した。


 その言葉はやはり正しい。

 彩夜が魔族化したまま理性を保っていられるのは、吸血衝動が悠也の血だけで満たされているからだ。その前提が崩れている以上、彩夜と同じように解決とはいかない。

 幸姫を救う方法は思いつかない。霧崎の言うように、そんな方法はないのかもしれない。

 それでも悠也は、幸姫を死なせてはいけない人だと言った。自分より圧倒的に格上である霧崎に歯向かってでも助けたいと思う人。自分の命よりも大切な人。悠也が死んだらその血を吸って生きている彩夜がどうなるかなんて、きっと頭から抜け落ちてしまっている。それを思うと胸に棘が刺さったみたいに痛いけれど、不思議と嫌じゃない。


 だって、悠也がそういう人じゃかったなら、彩夜はここにはいない。


 彩夜は死んだ方が楽になれたのに、悠也はそれを許してくれなかった。正論なんて通じなかった。どこまでも自分勝手に、悠也はただそれが嫌だという理由だけで行動した。

 その果てに今の彩夜がある。

 たとえ人の血を吸わなければ生きられないバケモノとしてでも、生きることを肯定できている。

 確かに霧崎の言葉は正しい。

 けど、正しいことを選ばなければならない理由もない。

 個人の自分勝手な「そうしたい」が、誰かを救うこともある。

 だから。

「それでも、私は悠也を信じてみたい」

 それが彩夜の結論だった。

「……不可能なのはわかっているだろう。気でも狂ったか」

 その言葉は罵倒以外の何でもなかったが、彩夜は酷く感心してしまった。

 なるほど。今の自分を表現するのにこれほど相応しい表現もない。間違っていると自分でもわかっていることに必死になって、それで何故か心が満たされてしまっている。

 なんだかおかしくなってしまって、思わず表情が綻んだ。

「気が狂うのも、悪くないよ」


    ◇


 それは彩夜が霧崎に見せてきたあらゆる表情の中で、もっとも綺麗な笑顔だった。

 霧崎は目を伏せる。

 彩夜の思いは伝わった。悠也の気持ちは痛いほど理解できる。

 そうだ。救えるものなら救いたいに決まっている。抗いたいに決まっている。失いたくないに決まっている。誰だって同じだ。そんなことはわかっている。


 だから、二人を諦めさせるのは不可能だと悟った。


 結局、霧崎のしようとしたことは傲慢だったのかもしれない。自分と同じ思いをさせたくないだなんて、よりい辛い現実を味わう前に諦めさせたいだなんて、無意味なお節介だったのかもしれない。人の気持ちを他人がどうこうしようだなんて、おこがましいことだったのかもしれない。

 だが、気持ちで現実は変えられない。それも事実だ。

 世界は不条理にできている。人にできるのは突き付けられた現実をどう生きていくか選択することのみで、目の前の理不尽を正す術など持ち合わせてはいない。不可能を可能にする力など人にはないのだ。結果としてできてしまったのなら、それは初めから可能だったというだけのこと。


 そう。不可能はどうあっても不可能だ。


 異形と化した織原幸姫を救うことも。

 霧崎が悠也と彩夜を諦めさせることも。

 どちらも等しく同じように、できるはずのないことだった。

「……成長しないな、私は」

 かつての自分を思い出す。

 今の悠也と同じだ。ありえない逆転劇を何度でも夢に見て、凝りもせず延々と裏切られ続けて、自分で自分の首を絞め続けなければ生きられなかった欠陥人間。誰もが目を逸らすことで守り続けている理想を真正面から見つめて、最後にはそれが虚構だったと知った愚者。

 あの頃と比べれば少しは変わった。少なくとも理想から目を逸らすことを覚えた。そうして妥協を重ね現実に順応していくことこそが理想を守る唯一の方法で、それを知ることを成長と呼ぶのだと判る程度には大人になった。


 だが、目を逸した先すらも現実ではなかった。


「いいだろう。力を貸してやる」

 霧崎は刀を展開した。

 ただしそれは幸姫を救うためではない。幸姫を救う方法など存在しない。悠也はこのまま無駄な足掻きを続けた果てに、知らなくて良かった絶望を知るだろう。

 ならせめて、少しでもその絶望を和らげようと思う。

 そのために今は悠也を援護する。すべてが終わった後に心の底から諦められるように。どれだけ手を尽くしても織原幸姫は救えなかったと思えるように。かつての霧崎のように、無意味な幻想を追い続けなくて済むように。

 刃の先には異形の怪物。

 悲痛に歪みそうな顔を無表情に保ちながら、霧崎は漆黒の刀を射出した。


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