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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第四章 消えぬ罪過に哭する怒号は
54/78

悲劇との抗争


「行け悠也! その子を正気に戻して返って来い!」

「はい!」

「させるか!」

 霧崎は悠也に刀を放つが、それは倉沼によって阻まれる。いつの間にかそこにあった空間の裂け目に飲み込まれて消失し、次の瞬間には霧崎のすぐ眼前を掠めていた。

「……やってくれたな」

 視界の端には幸姫を抱えて駐車場を出ていく悠也の姿。

 苦々しく声を漏らした霧崎に対する倉沼の声は、どこか哀愁を感じさせた。

「オレだってわかってねえわけじゃねえんだ。馬鹿なことしてるぜ、ホント」

「なら」

「それでも。……最後の悪あがきくらい、許してやってもいいんじゃねえか」

 そういう考えか。

 倉沼の気持ちがわからないとは言わない。だが、

「甘いな」

 霧崎は吐き捨てる。

 そう悠長なことを言っていられる段階は、とうに過ぎた。

「あれがあの程度の傷で終わるものか。言ったろう、もう手遅れだと。……いや、まだ手遅れで済んでいると言ってもいい。この程度の悲劇で終わるのならば」

 既に悲劇は起きた。

 だがまだそれだけだ。

 今織原幸姫を生かすということは、さらなる悲劇を許容するということ。

「トドメを刺すなら今だった。それなのにお前は」

「だったらなんでさっき殺さなかったんだ?」

「……何?」

「あれだけの刀を使って磔にして、頭も心臓も無傷のまま。まさか偶然なんて言わねえだろ。あんたはわざと外したんだ。それは」

「戯言だ」

 倉沼の言葉を遮り、背後に無数の刀を展開する。

「時間がない。お前が相手でも容赦はしない」


    ◇


「どこに行った!?」

「わからない。向こうを探してみよう!」

 そんな風に言い合って駆け回る警察を、彩夜は街灯の上から見下ろしていた。


「犯人は銀髪で紅い目の少女……か」


 ちょうど今の彩夜の姿がそれだった。

 無論彩夜は犯人ではないが、警察がそんなことを知るはずもない。結果、彩夜は勘違いから警察に追われる羽目になり悠也と別行動を取らざるを得なくなった。もっとも、警察を真犯人から遠ざけられたという意味ではこれで良かったのかもしれないが。

 何にせよ、警察の誘導はこの辺りが潮時だろう。

 彩夜は街灯を飛び降り、人目を避けながら暗い路地を駆け抜ける。

 幸姫のことが心配だった。

 そして悠也のことも。彼女のこととなれば悠也が無理をするのは目に見えている。彩夜と同じで体は不滅だが心は別だ。万が一にでもショックで正気を失いでもすれば、吸血衝動に呑まれて暴走しかねない。かつての彩夜がそうであったように。

 一刻も早く合流しなければ。

 逸る気持ちで駆け続けた彩夜の『魔術師の勘』は、やがて悠也の気配を感知した。


 そう。悠也の気配だとしか思わなかった。

 だって彼女の気配は悠也と同じなのだ。だから、悠也の腕に血塗れの少女が抱かれていることに気がついたのは、実際にその姿が視界に入ってからだった。


「霧崎さんが……っ、織原の血が止まらないんだ。今は倉沼さんが足止めを。それで」

 あえぐように呼吸しながら言う悠也は明らかに取り乱していた。

 だがそれも無理はない。幸姫の容態が悪いのは火を見るより明らかだ。何より出血が酷くて衣服は鮮血に染まり切っている。止血をしようにも四肢に腹部と体中に穴が開いていてどこから手を付けていいかわからないし、霧崎によるものなら再生も望めない。

 しかし彩夜はなんとか気を律して悠也に言う。

「落ち着いて、悠也。大丈夫だから」

「だが……ッ」

「この気配、わかるでしょ。この子が私達と同じなのだとすれば、そう簡単には死なない。希望はまだある」

 本当にそんなものがあるかはわからない。

 破荒の実験の被検体の中で不死身となったのは彩夜だけだった。術式や契約魔族との相性の問題だと霧崎は考察していたが、ともかくそれまでのすべての被検体は不死となれずに死んだのだ。幸姫がどちら側である可能性が高いかなど考えるまでもない。

 それでも今は希望が必要だった。

 そうでなければ、きっと悠也は潰れてしまう。

「……そう、だな」

 悠也はいくらか冷静になったのか、呼吸を整えながら言った。

「わかってる。今は俺にできるすべてに全力を尽くすだけだ」

 腕に抱いた少女を見つめる表情から、悠也の胸の悲痛が伝わってくる。

 そのせいで彩夜が余計なことを考えそうになった瞬間、幸姫が暴れ出した。

「やめろ織原……!」

 悠也の抵抗虚しく幸姫はその手を逃れて道路に転がり、両手をついて体を起こす。

「――、ァ――――ッ!」

 傷の痛みからか激しく喘ぐように呼吸しながら鋭い目つきで睨んでくる。


 そこにあるのは剥き出しの敵意だ。

 目の前にいるのが悠也であることに気づいてすらいない。


「織原。……大丈夫だ。絶対、助けるから。だから」

 悠也が幸姫に手を伸ばす。優しく抱き締めようとする。

 だが直後、幸姫は悠也の手首を掴んでぐい、と引き寄せた。

 悠也の体がくの字型に折れ曲がる。腹部に強烈な蹴りが叩き込まれたからだった。

 しかしそれが幸姫の隙にもなる。

 彩夜はすかさず懐に向けて飛び込もうとした。逃がすわけにはいかなかった。

 だが邪魔が入った。


 火薬の炸裂音。眼前を通り抜けたのは一発の銃弾。


 怯んだのは一瞬だが、それは幸姫を逃がすに充分過ぎる一瞬だった。

「ふう。やっぱり左手だとまっすぐ撃つのが難しいわぁ」 

 建物の陰から姿を現したのは派手な格好をした女。今邪魔をした張本人。

「でも流石は人外ってとこかしら。私がいることにも気付いていなかったくせに、拳銃をしっかり避けちゃうんだから」

 彩夜は何も言っていないというのに、女は決めつけたように言った。

 確かに彩夜は彼女の存在には気づいていなかった。『魔術師の勘』には引っかかっていないし、そもそも幸姫以外に意識を割く余裕もなかった。だが、それをこの女が知っているのは奇妙だ。

 だから彩夜は女の正体を察した。

 心の声を聞き、『勘』を逃れる道具を持った魔術師だと。

「あなたが心童葵ね」

「そ。悪いけどここで足止めされてくれるかしら。あんたたちに解決されたら困るのよ」

 そう言われて素直に従うわけにはいかない。一刻も早く幸姫を追う必要がある。

 目の前の女はあの霧崎を警戒させる魔術師だが、見たところ隻腕だ。ここで二人ともが足止めを食う必要はない。

「悠也、ここは私が」

「行ってくれ。こいつの相手は俺がする」

「……え?」

「織原を捕まえるには魔族化したお前の力がいる。俺に魔族化のコントロールはできない。だから、お前が行ってくれ」

 悠也の口調は不自然なほど冷静だった。

 確かに悠也は幸姫の蹴りに反応できなかったし、その直前には掴んだはずの手を逆に掴み返されている。あの刹那だけでも悠也の力が幸姫に及ばないのはよくわかった。

 理由は単純な膂力の差だ。

 悠也は昨夜こそ魔族化に近い暴走を見せたが、今はその力を発揮できていない。瞳の色も黒いまま。だから単純な膂力では魂の侵食が進んだ彩夜には及ばず、今の攻防を見る限りでは幸姫にも劣る。倉沼との特訓の甲斐あって理性的な動きにはだいぶ反応できるようになったようだし、昨夜は彩夜の動きを完全に見切りもしたが、獣を思わせる本能的な動きを見せる幸姫が相手ではその技術も通用しないようだ。

 総じて、悠也の判断は間違っていない。

 幸姫は彩夜が追うべきだ。その方が理に適っている。

 だが本当は悠也が一番、誰よりも自分自身で彼女を追いたいと思っているに違いないのだ。そんなのは今までの悠也を見ていればわかることだ。わざわざ確認するまでもないことだ。

 それでも悠也は彩夜を行かせると決めた。一切の迷いを見せることなく。

 悠也は諦めていないのだ。この状況で、まだ本気で幸姫を救う気でいるのだ。

 なら彩夜がすべきなのは、その気持ちが報われるよう尽くすこと。

「気を付けてね」

「ああ。織原を頼む」

「了解」

 やりとりはそれだけ。必要なことはすべて伝わっている。


    ◇


 そうして彩夜は悠也と葵をその場に残し、幸姫を追って駆け出した。葵がそれを引き留めようとしなかったのは、二体一では分が悪いと踏んだのからだろうか。

「健気ね。あなたも、あの子も。ちょっとだけ心苦しい」

 去り行く彩夜をちらりと見た葵が口にした寒々しい声。

 悠也はそれを気にも留めず、葵をじっと睨みつける。

「何故邪魔をする。まさか、お前が織原に何かしたって言うんじゃないだろうな」

「もしそうなら、どうする?」

「……」

 悠也は何も答えなかったが、心の声を聞く葵はその笑みを深くした。

「あら怖い。気を付けなくっちゃ」


    ◇


 漆黒の刀の群れが宙を舞い、一斉に倉沼へ襲いかかる。

 倉沼は車両の影に隠れながら駐車場内を駆け回りそれを避ける。

 ただそれだけ。単純な戦闘が延々と続く。

(時間稼ぎのつもりか?)

 いや、魔術師霧崎楓を相手にそんな考えは通じない。それを倉沼がわかっていないはずはない。

 だとすれば。

「そこだ」

 倉沼が大型車両の陰に入った瞬間を狙い、霧崎は宙を埋め尽くす刀を一斉に射出した。車両が視界を塞ぐせいで霧崎から倉沼の姿は見えないが、同時に倉沼が接近する刀に気づくのも遅れる。この物量なら多少の照準の甘さは関係ない。

 刀の群れは傍らのワンボックスカーを巻き込みアスファルトに突き刺さった。

 同時、霧崎の背後に倉沼の気配。

 それは空間の裂け目同士を繋ぐことで実現する空間跳躍の魔術。


「だと思ったよ」


 静かにそう告げる霧崎の手元には、背後を向いた刀が一本残っていた。

 射出する。紙一重で避けながら薙刀を振るう倉沼だが、霧崎には届かない。そしてその間にも霧崎は次の刀を用意する。倉沼の動きを読んでいた霧崎が、攻防の一歩先を行く。

 そう。すべて読めていた。

 倉沼の魔術は連結の魔術だ。手にした薙刀で引き裂いた空間の裂け目を繋ぎ、空間跳躍を駆使して戦う。駐車場内を駆け回っていたのは単なる時間稼ぎではなかった。裂け目を駐車場中に用意することで、空間跳躍できる場所を増やしていたのだ。

 そうして自身の姿が霧崎の視界から消える瞬間を狙い、霧崎の背後に跳躍した。

 悪い作戦ではない。ただ霧崎がその上を行っただけ。

 倉沼はすぐに距離を取る。と同時、霧崎の眼前に薙刀の刃が飛び出す。

 二段構えの不意打ち。

 しかし、霧崎はそれすらも新たに出現させた刀で受け止める。

「……これでも通じねえか」

「当然だ。悪い策ではなかったがな」

 今のも空間跳躍の応用だ。霧崎に接近した一瞬で振るった薙刀によって、空間には新たな裂け目が生じていた。それを別の裂け目と繋ぐことで、遠距離から薙刀の先だけを突き出し攻撃した。

 だが、そもそも倉沼には霧崎を殺すつもりがない。

 致命傷を与えない前提の刃で傷を追うほど〈切断の魔術師〉は甘くない。

「次に私が刀を射出すればこの裂け目を通して私に返ってくるんだろう?」

 霧崎は倉沼の戦術を見抜いた上で淡々と告げる。

「広い空間を自在に利用して敵をかく乱するのがお前の戦い方だ。だがそれなら裂け目の尽くを把握していればそれで済む。不意打ちが通じるのは最初の一度までだ」

「……簡単に言ってくれるなぁ、チクショウ。流石だ」

 倉沼は苦笑し、飛来する刀を回避するためまた車両の陰に身を潜めた。

 霧崎は倉沼が作った裂け目の場所に注意しながら移動する。わざわざ裂け目の近くに居続ける必要もない。

 と、そこへ倉沼が特攻してきた。

 また不意を突くつもりか。しかし霧崎には見えている。

 展開した刀を一斉に射出する。

 倉沼はそれを回避し薙刀で払い除けながら一気に駆け抜け、瞬く間に距離を詰めてくる。

(強引に突破するつもりか……?)

 いや、それができないことは倉沼自身が一番わかっているはずだ。

 だとすればまた何か策がある。

 倉沼が霧崎に迫る。薙刀を正面に向けて構える。


 次の瞬間、倉沼の気配が消失した。


(また背後か。――いや、今私の背後にやつの作った裂け目はない)

 どういうことだ。

 疑問の答えはすぐ目の前にあった。

 姿を消したかに思われた倉沼が、ほとんど同じ場所に出現していたのだ。

(裏をかいたつもりか)

 そのためだけに倉沼は、霧崎の刀を払い除けながら作ったすぐ傍らの裂け目に跳躍した。

(だが、その程度――ッ!)

 確かに少し意外だったが、対処できないほどのことでもない。

 すぐに刀を射出する。

 そして一直線に飛んだその刀は、特攻する倉沼の胸に突き刺さった。

(……避けない……だと!?)

 回避できない距離ではなかったはずだ。倉沼の反応速度なら。

 それなのに何故。

 思わず動揺し、しかし霧崎は遅れて気づいた。

(出血がない――!)

 しまった。

 気づいた時には遅かった。

 霧崎が動揺したほんの一瞬。

 刀が突き刺さったと思った倉沼から目が離せなかった刹那。


 その決定的な隙を逃すことなく、倉沼はサングラスを外していた。

 目と目が合う。蒼色の光を灯した瞳が霧崎を捉える。


 それは俗に魔眼と呼ばれる特殊な魔術。倉沼が有する対魔術師戦最強の切り札。

 霧崎の判断は迅速だった。瞬時に耐空していた刀のすべてを消したのだ。

「ま、ネタを知ってる師匠相手じゃ対処はされるわな」

「……流石に予想外だったがな。まさか〈深淵の魔眼〉まで使ってくるとは」

「使うさ。夜中にサングラスしてちゃ見えづらいだろ」

〈深淵の魔眼〉。それは人の心の奥底――深淵を乱す眼だ。

 心の深淵を乱されるのはただ動揺するのとはわけが違う。激情に駆られるのとも異なる。本来ならば自分で意識することもできない深層心理を強引に掻き乱されることになる。

 それは魔術師にとって致命的だ。

 魔術師は魔族に心を支払い、対価として魔力を引き出すことで魔術を行使する。魔力を炎とすれば心は燃料。その調節ができなくなれば、魔術は魔術師の制御を離れて暴走することになる。〈深淵の魔眼〉を前に魔術を使うのは自殺行為というわけだ。

 もっとも、そんな対魔術師戦闘において最強とも言える〈深淵の魔眼〉にも欠点はある。

 一つは相手の魔術師が〈深淵の魔眼〉をはっきりと見なければならないという発動条件。特にその魔眼を知っている霧崎に対して発動させるのは至難の業だった。そのために倉沼は自分の体に刀が突き刺さったように見せかけて霧崎の動揺を誘った。

 霧崎が倉沼に刀が突き刺さったと勘違いしたのは、刀が空間を貫通せずに止まったからだ。倉沼はこれまで裂け目を使って飛来した刀をまったく別の場所に飛ばすことで霧崎の攻撃を凌いでいた。しかしこの一瞬だけは違った。飛ばす先を自身の近くの裂け目に設定し、空間を跨いで飛来した刀を薙刀で受け止めた。結果として刀は中途半端なところで停止し、正面にいる霧崎からは倉沼の肉体に刺さって止まったように見えた。

 そこまでしてようやく作った隙を使い発動した魔眼。

 しかしその欠点はもう一つある。むしろ問題なのはそのもう一つの方。

「お前のその眼は有限だ。使用時間はもうほとんど残っていないはずだろう。それをこんなところで……」

 倉沼は二重契約者ではない。

 魔族との二重契約は一流の魔術師でもほぼ成功し得ない選ばれた人間だけの特権だ。この世界に魔術が生まれてから現代までのすべての魔術師を数えても、二重契約者は二桁いるかどうか程度と言われている。倉沼はその特別な人間にはあてはまらない。

 仕掛けは倉沼の魔術である連結にある。

 要するに他人の魔眼を自分の目として移植したのだ。その能力が失われないよう、自分の魔術を使った繊細な作業の果てに、元の持ち主の魔力を宿したままで神経を繋げた。

 魔眼の効力は元の持ち主が心を支払うことで得た魔力によるもの。

 その持ち主は既にこの世にいない。魔力は魔眼に宿ったものがすべて。

 つまり倉沼には魔眼発動のオンオフができず、その効力は移植された目に宿る魔力が尽きると同時に失われる。だから普段はサングラスで瞳を隠してその発動を抑えているのだ。

 そんな貴重な魔眼を、倉沼は今ここで使用した。

 もはや理性のない幸姫を抱えた悠也を逃がす。たったそれだけのために。

「何故あいつらのためにそこまでする」

 霧崎は尋ねずにはいられなかった。

「そんなの決まってんだろ。師匠だって大切な人が死ぬ辛さは知ってるはずだ」

「……」

「あいつを助けたいって俺に頼んできた悠也の必死さは……師匠、昔のあんたによく似てたんだ」

「私に?」

「師匠が親父さんの死を認めるまでにどれだけかかったか。認めてからどんな生き方を選んだか。俺はそれを見てきたつもりだ。それまで研究してきた自分の魔族との契約を命懸けで断ち切って、わざわざ殺人に向いた親父さんと同じ魔族と契約し直した。それ以外の生き方ができないように。……間違ってるとは言わねえ。でも、悠也に同じ思いをさせたくもねえんだ。できることなら」

 縋るような表情で、倉沼は霧崎を見た。

「師匠は……違うのか?」

 問われて過去を振り返る。

〈深淵の魔眼〉によって乱された心の中でも、当時のことははっきりと思い出せた。

 どうしようもないくらい空っぽだった。それまで自分が縋って来たものの一切が失われた気がして、残ったのは空洞だけだった。その空洞から目を逸らすための努力を続けて、その努力さえも無に帰した。

 絶望とは少し違う。空っぽ。空洞。虚無。そういう表現の方が相応しい。今だってそれは元に戻ったわけじゃなくて、別のもので埋めることでどうにか自分を保っている。

「……なるほどな」

 確かに倉沼の言う通り、あんな思いを他人にさせたいとは思わない。

 人は空っぽでは生きられない。

 なら、その虚無を知る霧崎楓という人間はどうするべきか。

 熟考の末、霧崎は決断した。

 それに応じて無数の刃が出現する。柄も鍔もない剥き出しの刃だ。大きさ形も大小様々で、色は漆黒。それが無数に出現し、一つの姿を形成していく。

 その姿はヒトの上半身の骨格を模していた。肋骨に護られるように霧崎は佇む。

 そして告げる。

 その全機能を解き放つために設定された音声。魔術道具の名を。


「〈千本骨刃鎧刀せんぼんこつじんがいとう〉」


 刃の骨で構成された四本の腕を有する髑髏の怪物にして、霧崎を守護する鎧の如き刀。

 空っぽになった霧崎楓を成り立たせている復讐心の化身。

 倉沼は驚きに目を見開いた。

「〈深淵の魔眼〉の術中で、魔術を……」

「私のは魔術じゃなくて魔術道具なんだよ、倉沼。その操作に心を用いる以上影響は受けるが、元々設定された以上の機能が発揮されることはない。なら簡単だ。繊細な制御をやめてすべての機能を解放すればいい。深層心理がどんなに乱されようと、乱れた心ごとこの鎧が喰い尽くし、正常な動作で目の前の敵を殺害する」

 倉沼は焦ったように薙刀を構えるが、遅い。

 刃で形作られた骸骨が駆動し、倉沼の全身を引き裂いた。 

「師、匠……」

 うめき声。大量の出血と共に倉沼は倒れ伏す。

「同じ思いをさせたくないと言ったな」

 霧崎は〈千本骨刃鎧刀〉を解除して告げた。

「私も気持ちは同じだよ。私は父親の死をいつまでも認められなかった。受け入れられずに見苦しい悪あがきを続けた。それに意味がないことを察しながら、延々と。いつまでも繰り返したその果てに、ようやく死人は還らないのだと知った。……どちらにせよ救うことができないのなら、諦めるのは早い方がいい」

 それが霧崎の出した結論だった。

 織原幸姫はもう救えない。それを認めまいと足掻くほど、後で襲ってくる虚無は絶大なものとなる。それを嫌になるほど知っていた。

「死ぬ前に魔術で傷口を塞げ。加減はできなかったからな」

「師、匠……、師匠……ッ!」

 地に伏せたまま掠れた声で叫ぶ倉沼を置いて、霧崎は悠也の後を追う。

 まやかしの希望を奪い、絶望によって悠也を救うために。




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