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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第三章 紅が野を彩る夜は
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吸血少女への道を阻む者


 夕食後、三人で囲んだ机の上に地図を広げた。

 希凛が言う。

「この近辺はほぼほぼ探しましたよね」

「ああ。山の中も見て回ったが足跡すらなかった。……少し気になることはあったが、彩夜とは関係ないと思う」

「気になること?」

「この辺の山って緑豊かなように見えるけど、たまに枯れ木が並んでいる場所があるんだ。誰かがそういう薬でも使ったにしては動機が引っかかるし、何か不自然な気がしてさ」

「……言われてみれば、私も少し気になってました。変ですよね」

 そこで拓馬が口を開いた。

「今はそれより観鳥彩夜がどこに行ったかだ。最悪この辺りからはもう離れてしまったものとして、どの方向に逃げたかを考えるべきだろう」

「……逃げた、か」

 改めて考えてみると、その言い回しには違和感があった。

 逃げた。本当にそうだろうか。

 本気でそのつもりだったなら、昨晩希凛と遭遇するより先に遠くへ逃げることもできたはずだ。でも彩夜はそうしなかった。逃げていなかったからこそあそこにいた。

「黒宮さん、どうかしたんですか?」

「……俺は、そう遠くへは行っていないような気がする」

 悠也は考えをまとめながら言う。

「今のあいつにとって一番怖いのは人と遭遇することだ。下手に動き回ったりせずどこかに身を潜めているんじゃないかと思う。誰も近寄らない場所で。そうして自分を殺せる瞬間を待っているんだと思う」

「……自殺を目論んでいるんだったな。だが何故すぐに死なない?」

「事情がある、としか」

「既に死んでいるという可能性は?」

「ありません。それは絶対です」

 悠也が彩夜を覚えていることがその理由だ。

 跡切刀で死んだならその痕跡はどこにも残らない。

(……ん?)

 自分の思考に引っかかりを覚える。

 今、何か重要なことに気づきかけたような……

「そうか。だがだとしても状況は変わらんぞ。君の言うようにどこかに身を潜めているとして、それはどこだ。少なくともこの地図を見る限り、この辺りはもう探し尽くしたはずだ」

「そう……ですね。俺たちの認識では、そうです」

「……黒宮さん?」

 悠也の様子がおかしいことに気づいたのか、希凛が怪訝そうな顔をした。

 考える。

 跡切刀はそれが存在するという事象そのものを切り取って無かったことにする魔術道具だ。

 悠也はその跡切刀で潤を殺した。

 結果、誰もが潤を忘れた。潤はいなかったことになった。

 彩夜は跡切刀を持ったまま隠れる場所を探していた。

 悠也にはその場所が見当もつかない。

 その場所は悠也の認識から外れている。最初からなかったことになっている。

「……そういう、ことか」

 悠也は地図を再度確認し、その中の谷の一箇所に当たりをつける。

「たぶんここ、橋があったんだと思います」

「何を言っているんだ。そんなものはどこにも」

「忘れているだけ。いや、忘れさせられているだけです」

「……観鳥彩夜には記憶操作の力があるのか?」

「記憶だけじゃありません。それそのものを最初からなかったことにできます。だから地図も描き変わる」

 跡切刀で殺された潤の痕跡は世界から失われた。教室には机がなかったし、クラス名簿にも名前は残っていなかった。幸姫ですら潤を忘れた。三人で花火を見た七夕祭りは、幸姫の中では二人で行ったことになってしまった。しかしその一方、敷根邸は残った。敷根家の存在を示すあの家は潤個人だけを示すものではなかった。

 その前例を元にすれば、推測は立てられる。

 橋が跡切刀によって失われたなら、橋の存在を暗示するものへの認識も歪められてしまう。潤を忘れた幸姫が、去年の夏祭りは悠也と二人きりで行ったと思い込んでいたように。橋が消え交通手段が失われたなら、橋がなければ行けない場所には行っていないだろうと思い込む。

 だがそれは道が失われただけだ。敷根潤の痕跡が失われても敷根家の痕跡が残ったように、橋が失われてもその向こうのものはそのまま残っているはずだ。

「……学校があるな。随分前に廃校になっているが」

「それって、隠れるには好都合ってことじゃ」

 きっとそこだ。全員がそう確信した。

「問題は行き方です。彩夜が人の記憶から消すものは、実際にこの世界から消えて無くなります。橋はもうない。別の道を探さないと」

「かなりの回り道になるぞ。……今から行けば深夜だ」

「私の心配ならいらないよ」

 不安そうにする拓馬にそう言って希凛は立ち上がる。

「さあ急ぎましょう黒宮さん。今度こそ、絶対に逃しません」


    ◇


 色褪せて文字の消えた立て看板に、穴の開いたフェンス。校門を閉ざす鬱陶しいほど生い茂った雑草を踏み均して進み、砂利の敷かれたグラウンドに侵入する。

 静かに鎮座する箱。割れたまま放置された窓ガラスが哀愁を感じさせるそれが目的の校舎だった。

 悠也は『魔術師の勘』を研ぎ澄ませる。

「――見つけた」

 傍らで希凛が息を呑んだのがわかった。

 他方、背後の拓馬はあくまで落ち着いた声音で「そうか」と呟く。

「ここから先は俺が一人で行きます。あいつを説得しないことには何も始まりません」

「上手くいく見込みはあるのか」

「はい」

「なら任せよう」

「頑張ってください」

 悠也は希凛の激励に「ああ」とだけ返し、二人を置いて歩を進める。

 目の前の校舎の中に彩夜がいる。向こうからも『魔術師の勘』で悠也の接近を察知できる距離だが、今のところ移動する様子はない。悠也と話すつもりがあるのか、それとも気付けないほど余裕がなくなっているのか。

 はやる気持ちに同期して歩みの速度は上がっていく

 しかし、不意に全身から力が抜けた。

「……っ?」

 膝から倒れ、そのまま地面に手を着いた。妙に息苦しい。意識して呼吸をしないと肺に空気が入っていかない。全身から汗が噴き出して止まらない。

 いったい何がどうなっているのか。

「黒宮さん!?」

 困惑する悠也を心配する希凛の悲鳴に似た声が聞こえた。だが、その声は次の瞬間戸惑いに変わっていた。

「お父さん……?」

 悠也が背後に目をやると、そこには悠也に駆け寄ろうとする希凛を片手で制する拓馬の姿があった。

「希凛、お前は良い子に育った。他人を信頼し思いやる心を持っている。だがそれだけでは生きていけない。自分のために行動する欲を持たなければ、人生はどこかで破綻する」

「何、言ってるの……?」


「彼にはまだ我々に隠していることがある。そうだろう黒宮くん」


 拓馬は遠くに立ったまま、とうとう手をついていることもできなくなって這いつくばる悠也を見下ろして言う。

「観鳥彩夜に希凛の血を吸わせることについて君は否定的だった。不死にするのは可能だと認めながらも、魔術師に殺されることになるかもしれないなどと言って。私がそれでもと話したときは露骨に話題を変えていたな。その理由を聞かせてはもらえないだろうか」

「……」

「答えられないか。見ろ希凛、これが彼の正体だ」

「それ、どういう……」

「彼には希凛を不死にするつもりがない。観鳥彩夜を見つけるため我々を利用しただけだ。合流後は我々を置いて逃げ去るつもりかもしれない」

「そんな……っ。そんなことない。黒宮さんはそんなこと」

「なら彼自身に聞いてみればいい。どうだ黒宮くん、今の希凛の言葉を聞いて何か思うことはあるか」

 悠也は無言のままに考える。

 拓馬の言葉はほとんど正しい。希凛の血を吸うかどうかは彩夜の意思に委ねるつもりでいる。彩夜が拒めば拓馬の言う通りになる。だから申し開きの言葉は持ち合わせていない。

「……これは、あなたの魔術ですか」

 立ち上がることもできずに悠也は尋ねた。

「質問に質問で返すとは。……そうだな、あえてその通りだと答えてみようか」

 拓馬は悠也を侮蔑の目で見て続ける。

「原理が理解できているわけではないが、私はこれを命を吸い取る魔術と認識している。君が見つけた枯れた植物は私がこの命を維持するための糧としたものだ。……皮肉なものだろう。希凛の命を救いたくて魔術に手を出した結果が、自分を延命するための力とは」

 まだ、全身に力が入らない。立ち上がることもできない。

「お父さんやめて! 黒宮さんが死んじゃう!」

「それでいい。どうせ彼は希凛を見殺しにするつもりだった」

 悠也は考える。現状を打破する方法を。

 拓馬の魔術の仕組みは謎に包まれている。命を吸い取る魔術。不死身の悠也の命はいくら吸われようと果てることはないが、しかし今現実として動くことができないでいるのは、それが生きるためのエネルギーを奪うものだからだろうか。そうだったとして、発動条件や持続時間はどうだろうか。どうして悠也が歩き出してから魔術が起動するまでにラグがあったのだろうか。起動に時間がかかるのか、それともすぐには使えない理由が別にあったのか。

「ん?」

 地を這うようにのろのろと移動を始めた悠也を見て、拓馬が眉を潜めた。

「無駄な足掻きだ。この魔術の効果範囲は君を中心に設定されている。君がいくら地を這ったところで逃れることはできない」

 その言葉に確信を得る。この魔術は抜け出せる。

 悠也はさらに地を這い進んでいく。

 拓馬たちのいる方向へ向かって。

「……希凛。下がっていなさい」

「え?」

「いいから下がっていなさい。早く」

 拓馬は焦りを隠せない様子だ。

「どうして」


「彼は希凛を効果範囲に巻き込むことで私に魔術を解かせるつもりだ!」


 本当に焦っていたのだろう。拓馬は余裕なくそう叫んだ。

 それが決定的な分かれ目となった。

 拓馬の言葉を聞いた希凛は、一度大きく深呼吸してから歩を進めたのだ。

 近づいてくる悠也の方へ向けて。

 拓馬は慌てて希凛の肩を掴んで引き留める。

「……何をしている希凛! それではお前が!」

「そうなったら、お父さんは魔術を解除せざるを得ないでしょう?」

「そいつは希凛の命なんてどうとも思っていないんだぞ!? だからこうして希凛に近づいて来れる。魔術に巻き込むために!」

「違うよ」

 希凛はゆるくかぶりを振った。

「黒宮さんにはわかってる。お父さんは私の命を吸い取ったりしないって。そうじゃなきゃ、私に近づく意味がないもの」

「……っ」

 希凛の言う通りだ。

 拓馬が希凛の命を減らすことは絶対にない。それを前提に、希凛を魔術の効果範囲に巻き込むことで魔術を解かせるという作戦に出た。

「何故だ希凛。あと少しでお前を不死にしてやれる。それなのに、どうしてお前が邪魔をするんだ」

「邪魔なんてしてないよ。でもね、私は困っている人を助けられる人になりたいの」

 力強い宣言に、拓馬は愕然と目を見開いた。

「わかるでしょ。お母さんが私にそう言った。私だけが不幸なわけじゃない。私はただ助けてもらうだけじゃなくて、誰かに何かをしてあげられる優しい人でありたい」

「だがそいつは希凛のことなんて」

「それでもいい」

 希凛は穏やかに言う。

 そこに拓馬に対する敵意はない。声音に乗っているのは絶対的な信頼だけ。

「黒宮さんにとって彩夜さんがどれだけ大切か、私は聞いたの。お父さんが私を大切に思っているのと同じように。……応援したいと思った。誰かのことを大切に思って、必死になって頑張って……それって、すごくかっこいいと思う。私の目指すべき目標……憧れなの、黒宮さんも、お父さんも。だからお願い。黒宮さんを、彩夜さんのところに行かせてあげて」

 拓馬の表情には迷いがあった。

 希凛の言葉がどれだけ拓馬の心に響いたのか、悠也には知りようもない。悠也は変わらず希凛の元へと這ったまま移動を続けるだけだ。拓馬が希凛の言葉を聞いてどう思おうと関係ない。希凛が魔術の効果範囲に含まれる前に魔術を解除する以外の選択肢は拓馬にはない。

「…………………………わかった」

 拓馬が言った瞬間、悠也は少し呼吸が楽になった感じがした。必死に空気を吸い込もうとしていたところのそれだったせいで、少しむせた。

「魔術は解いた。……だが、おそらくはもう手遅れだろう」

「どういうこと……?」

「既に吸収した命が戻るわけではないということだ」

 その言葉が事実であるのは、悠也が一番良くわかっていた。

 呼吸は多少楽になった。だが体に力が入らない。立ち上がれない。

「……そん、な」

 希凛は呆然と呟き、次の瞬間拓馬の手を振り切って悠也に駆け寄った。

「黒宮さん! 黒宮さん! しっかりしてください!」

 泣きそうな声で希凛が叫ぶ。その声をどこか遠くに聞く。

 体に力が入らない。

 悠也は不死身だ。そのはずだ。だから死にはしない。ただ、大怪我の後には再生するまで時間がかかる。いつもそうだ。今回もそうに違いない。時間をかければ元に戻る。

 だが、それでは駄目なのだ。

 すぐ近くに彩夜がいる。ようやく見つけた。ならどうして倒れてなどいられるだろう。

 吸血衝動に抗う彩夜のためにも、今、悠也が行かなくてはならないのに。

 たとえ彩夜が望まなかったとしても、悠也自身のために行かなければならないのに。

 動け。立ち上がれ。

 自分の体に命令する。のろのろと這うだけで限界だった体に力を入れる。

 何が不死身だ。

 いくら肉体が不滅だろうと、肝心なときに動けなければ意味がない。

 動け。動け。動け。動け――――――――――――!

 悠也が強く念じたその時。



 トクン、と。心臓が一際大きく鼓動した。



 全身に力がみなぎってくる。

 立ち上がる。ふらつき、けれど倒れず二本の脚でしっかりと地面に立つ。

「……、馬鹿な」

 拓馬が愕然と口を開いた。

「黒宮さん、大丈夫……なんですか!?」

「ああ。問題ない」

 何が起きたのかわからないし、若干熱っぽい気もするが、大きな問題ではない。

 当然だ。彩夜のこと以上に大きな問題なんてあるはずがない。

 彩夜の元に行けるなら、自分の体なんてどうでもいい。

「……ありがとう希凛。行ってくる」

 傍らの希凛にそう告げ、悠也は歩き出す。

 今度こそ、それを阻むものは何一つとして存在しない。




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