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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第三章 紅が野を彩る夜は
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吸血少女への迷い


 悠也が宿に戻ったのは夜が明けてからだった。

 本当はもっと彩夜を探していたかったが、流石に疲労が溜まっていた。彩夜を探していなければ気が済まない自分の心を、彩夜を見つけるために押し殺した。

 それともう一つ気になることがあった。希凛の容態だ。

 希凛は彩夜の足止めをしようとして元々弱かった体を酷使した。それは希凛自身のためというのもあったのだろうが、それ以上に悠也と彩夜のためでもあったはずだ。

 それはとてもありがたいことで、とても尊いことで。

 だけど。

(……俺なんかのために死ぬとか、勘弁してくれ)

 衰弱した希凛を抱きかかえていたあのとき、悠也の中にあった感情はそれだった。一言一句同じ文言を思い浮かべていたわけではないが、後で思い返してみればそういうニュアンスの感情を抱いていた。

 自分の醜さに吐き気がする。

 だがそれも宿に戻ってすぐ目に飛び込んできた光景で吹っ飛んだ。


 もっとも、悠也を驚かせたのは希凛ではなく。

 居間の障子を明けた瞬間、そこで倒れていた拓馬だったのだが。


 掻きむしるように胸を抑え、あえぐように呼吸をする。

 只事でないその様子に、悠也は慌てて駆け寄った。

「拓馬さん……っ!」

「……なんでもない。希凛の痛みに比べれば、このくらいは」 

 拓馬は片手で悠也を制し、畳に手をついてゆっくりと体を起こすと、柱に背中を預けた。

「心臓が少し悪くてな。何、安静にしていればすぐ収まる。……それより黒宮くん、希凛の様子を見て来てくれないか」

「……ですが」

「私は平気だ。希凛のためにも死ぬわけにはいかん」

 声音に滲み出た並々ならぬ気迫に悠也は怯む。

 するとふいに拓馬の表情が優しく緩んだ。

「毎朝希凛におはようと言ってもらえることが、何より幸せなんだ。だから」

 ――頼む。

 祈るように拓馬は言った。

 わかりましたと悠也は答えた。そんな風に言われては従うしかなかった。


    ◇


 悠也は二階へ上がり、希凛の部屋の前に立って声をかける。

「希凛、起きてるか」

 返事はない。嫌な予感がして喉を鳴らす。

「……入るぞ」

 静かに障子を開ける。希凛は布団で横になっていた。そっと傍に腰を下ろす。

「……良かった、寝ているだけか」

 よく見ると静かに寝息を立てているのがわかる。

 悠也がほっと安堵の息を漏らしたそのとき、希凛の目がうっすらと開いた。

「……黒宮さん?」

 寝ぼけたようなふにゃふにゃした声だった。

 思わず少し笑ってしまう。間の抜けた希凛の声が、何故かどうしようもなく救いに感じられた。

 しかし希凛の方はそれどころではなかったようだ。

 だってもう明らかにただ事じゃなかった。具体的には徐々に状況を把握するにつれ瞼を見開き頬を紅潮させ、しまいには悲鳴をあげて勢いよく布団を被り頭を隠して丸くなった。

「お、おい、どうした!?」

「……見ましたか」

「……何を」

「……」

「……」

 異様な緊張が室内を支配する。

 そんな中で、希凛は静かにそれを告げた。

「……寝顔」

「……見た。すまん」

 つい即答してしまった。

「……………………うぅ」

 きりんは布団を被ったまま恥ずかしそうに声を漏らした。

 というか恥ずかしがっていた。

「そ、そもそも、どうして黒宮さんが私の部屋に?」

「拓馬さんに頼まれたんだ。希凛の様子を見てきてほしいって」

「そうですか……それは……責められませんね。……うぅ」

 どうやら相当恥ずかしかったらしく、希凛は布団にくるまったまま出てこない。

 悠也はわざとらしく咳払いして話題を変えた。

「それで、体調はどうだ?」

「……と、とりあえずは大丈夫そうです。問題ありません」

「そうか。なら良かった」

 会話はそこで途切れる。

 こんなとき潤なら小粋なトークやらどうでもいい噂話で間を持たせるのだろうが、生憎悠也にその手の心得は一切ない。

 だから口を開いたのは希凛だった。

「黒宮さん」

「なんだ?」

「その……」

 希凛は躊躇うように言い淀んでから続ける。

「見たのって、寝顔だけですか?」

 悠也が質問の意図を測れずにいると、希凛はさらに付け足した。

「……私……普通じゃないので」

 それでようやく悠也も察した。

 昨夜拓馬が言っていたではないか。希凛の体のほとんどは鉱石人形なのだと。

 見れば、枕元には昨日希凛がつけていた長手袋が置いてある。寝るときは外しているのだろう。だから不安に思ったのだ。悠也に鉱石の腕を見られたかもしれないと。

 希凛が自分の体をどう思っているかは知らないが、隠しているならそれは見られたくないものなのだ。実のところ悠也が見たのは布団から出ていた首から上だけでで希凛の心配は杞憂なのだが、今それを正直に言っても気休めにしかならない。

「希凛、ちょっとこっちを見てくれ」

 言うと、希凛は不安そうにしながら目元から上だけを布団から出した。

 そして悠也は、希凛に見せつけるように自分の左の手首をぐにゃりと折った。

 希凛が反射的に目を背けながら悲鳴を上げる。

「きゃあ!? い、いったい何をしてるんですか!?」

「これくらいは平気なんだよ、俺の場合」

「いやいやいやいやいや、そんなわけ」

「治るんだ。ほら、胸の傷だって治ってただろ」

「……あ」

 言われて思い出したらしい。悠也が自分の体を再生する術を備えていることを。

 ただし困惑の色は消えない。

「……だからって、どうしていきなりそんなこと」

「この方が早いと思って。俺は、その、あまり話すのが上手くないんだ」

 そう前置きしながら頭の中で考えをまとめて、悠也は言う。

「体のことは拓馬さんから聞いた。俺は直接見たわけじゃないけど、そんなに怯えなくても大丈夫だ。そんなことで嫌ったりしない。ほら、お互い様だろう?」

 悠也は折れた腕を希凛に見せるように前に出す。

 希凛はまだ怯えの消えない目で悠也を見つめた。

「……本当ですか?」

「ああ。吸血鬼とだって知り合いなんだ。体が石でできてるくらいどうってことない」

「……そう、ですか」

 希凛は小さな声でそう呟き、また布団を被ってしまった。

 何か言葉を間違えただろうか。

 そう思案する悠也に希凛は言った。

「……あの、着替えたいので、一度部屋を出てもらってもいいですか」

 悠也は慌てて立ち上がり部屋を出た。

 下に戻ると拓馬の顔色は随分よくなっていたが、本当に調子が戻ったのかどうかはわからない。起きてくる希凛に備えて強がっているだけかもしれない。

「気にするな。お互い、今はそれどころじゃないだろう」

 結局は拓馬のその言葉がすべてだった。

 悠也は用意された布団で横になったが、疲労に反して睡魔は襲ってこなかった。

 

 やはり彩夜を探すしかない。


 たいして休まぬうちに彩夜の捜索を再開した。体調が万全でない希凛と拓馬が集落を見て回り、悠也は山の中を探し回った。希凛が作ってくれた食事を取る間だけが休憩時間で、残りのすべての時間を捜索に費やした。

 それでも彩夜が見つかることはなく、また日が傾き始めた。

「……くそっ」

 悠也は苛立ちから拳を木の幹に打ち付けた。

 焦燥感は募るばかりだ。

 流石に時間が経ち過ぎている。昨夜の対面で悠也が探し回っているのにも気付いているはずだから、本気で逃げようと考えたならもうずっと遠くへ行っているだろう。

 だがだとすればどこへ行く?

 吸血衝動を刺激する人のいない場所。人の来ない場所。手がかりはそれだけ。

 心当たりはない。霧崎や倉沼ならあるいはと思わないこともないが、しかし霧崎が今の彩夜の状態を知れば殺そうとするかもしれない。それでは意味がない。助けは求められない。

 何もできないまま時間が流れ、状況は刻一刻と悪化していく。

 気づけばもう夕食の時間。

 焦りから来る苛立ちでいっぱいいっぱいの悠也の前で、唐突にそれは起こった。


 宿への帰り道。

 ある民家の前で、希凛が老人に突き飛ばされていた。


「いい加減出ていってくれ目障りだ。吸血鬼なんてどこにもいやしない」

 尻もちをついた希凛にそう言い捨てると老人は家の中に入っていく。

 悠也は絶句し、けれどそんな場合ではないと思い直して駆け寄った。

「希凛、大丈夫か!?」

「……平気です。いつものことなので」

 希凛はそう言って立ち上がり、汚れた衣服を軽く叩く。

「いつものことって」

「余所者がうろつくのは邪魔なんです。特に吸血鬼目当ての人にはうんざりだって」

 希凛は苦笑しながらそう言った。あくまでも自分に非がある。そんな言い方だった。

 確かに、住人の気持ちもわからないではない。ほとんどが顔見知りであろうこの小さな集落に余所者が現れ、いるかどうかもわからない吸血鬼を探して歩き回っているのだ。突き飛ばすのはやり過ぎだが、不安や苛立ちの感情が募るのも無理はない。

 今の悠也と同じ。

 大事なものがなくなるかもしれない。だから余裕がない。

 だがそれでも、それを笑って許せる希凛はどこか異常に思える。

「お父さんには言わないでくださいね。前にそれで問題になってしまったので」

「……でも、希凛が悪いわけじゃない」

「そうでしょうか?」

 希凛は曖昧に笑った。

「私は私のために、ここの人たちの平穏な暮らしを荒らしています。私が自分の体のことを受け入れてしまえば、何も迷惑はかからないはずなのに。それでも悪くないんですか?」

 そして希凛は言う。やはり曖昧な笑顔のままで。


「自分勝手な行動で誰かに迷惑をかける。それは悪いことしょう?」


 その表情が。

 その声音が。

 その言葉が、悠也の中の何かに触れた。

「そんなこと……あるか」

「え?」

 怪訝そうな顔をする希凛。悠也は思いのままに叫ぶ。

「そんなことがあるか! あるものか……っ!」

「……」

「……あっちゃいけない。絶対に」

 自分でも何が言いたいのかわからなかったが、言わずにはいられなかった。

 唖然とする希凛の様子を認識した頃、ようやく悠也は平静を取り戻す。

「……すまん、感情的になった」

「いえ、少し驚いただけなので。……わかってます。私も、自分のしていることが間違いだとは思っていません。じゃなきゃこんなことしてませんから」

 希凛は笑顔だった。

 悠也にはわからなかった。


 だって、悠也は思ってしまった。

 希凛の言葉はまるで誰かさんの考え方そっくりで。

 だけど同時に、否定し難い事実でもあるのだと。

 そして疑念を抱いてしまった。

 人に迷惑をかけてまで生きることは、果たして正しいことなのかと。


 衝動のままに叫びはした。だがそれが間違いでないと言い切る自信はなかった。

 自分勝手が駄目だなんて幼い子供でも知っていることだ。

 それを間違っていないだなんて、どうして言い切れるだろう。

 悠也は考え――ようとして、すぐにその思考を放棄した。

 昨日からこんなことばかりだ。正しいとか、間違っているとか、そんなことばかり考えている。そうじゃない。そんなことはどうでもいい。馬鹿馬鹿しい。意味がない。

 だってそうだ。

 たとえ間違っていたとして、それで自分が彩夜を諦めるわけじゃない。


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