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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第三章 紅が野を彩る夜は
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吸血少女を求めて



『黒宮さん、彩夜さんを見つけたかもしれません!』

「な……っ、今どこにいる!?」

 反射的に返した悠也に、トランシーバーの向こうの希凛が言う。

『地図は覚えていますか。私が二番目に行く予定だった空き家の裏の空き地です。そこに銀色の髪の女の子がいます』

 彩夜だ。間違いない。

「すぐ行く」

 悠也はそれだけ返し、迷うことなく駆け出した。

『あ、彩夜さんが立ち上がりました』

「俺の接近に気付いたんだ。……くそっ!」

 彩夜の『魔術師の勘』なら接近する悠也に気付くくらいは簡単だ。初めて出会ったときは集中力を欠いていたせいで『蜘蛛』に殺された彩夜だが、今回はそうではないらしい。前向きに考えれば、『魔術師の勘』に意識を割くだけの余裕が彩夜にはまだ残っているということにもなるのだが……

『引き留めます』

「えっ?」

 思わず声を漏らした悠也に続けて、制止する拓馬の声がトランシーバーから聞こえた。しかし希凛からの応答はない。

 息を呑む。


 いずれにせよ、今は彩夜の元に急ぐ以外ない。


 悠也は無我夢中で駆け、やがて『魔術師の勘』で彩夜の気配を捕捉した。

「こっちか……!」

 民家の裏手、一段下がったところにある空き地。

 そこで彩夜と希凛が戦っていた。

 彩夜の姿は銀色の長髪と紅の瞳。侵食の進んだ疑似魔族化状態。

 だが驚いたのは希凛の方だ。

 彩夜が身を捻りながら打ち出した拳を、希凛は右腕で受け止めた。衝撃を殺せずそのまま姿勢を崩されたが、それでも確かに彩夜の動きに反応して防御姿勢を取った。さらにそれだけでは終わらず、その場を離れようとする彩夜に掴みかかった。

 彩夜が本気でないというのもあるだろう。彩夜は何の罪のない人間に危害を加えたりはしない。だが、それでも、希凛を振り払おうとその身体能力を振るっているのは確かだ。

 その彩夜を相手に希凛は善戦している。

 思わず立ち止まってしまった悠也を、戦闘の渦中にある彩夜が一瞥した。

 彩夜が踏み込む。希凛に肉薄し、その腕を掴んで捻りあげ、軽々と遥か上空へ放り投げる。そのまま落ちれば即死を免れない高さまで。


 悠也にはわかった。

 彩夜は狙ってそれをやったのだ。

 悠也がこの場に到着したのに気付いたから。


 すかさず悠也は走った。落ちてくる希凛を受け止めるためだ。落ちれば即死の高さだが、それは耐空時間が長いという意味でもある。今の悠也なら間に合う。跳躍。全身のバネを使って可能な限り衝撃を殺しながら受け止める。

「希凛、大丈夫か!?」

「っ……黒宮、さん……彩夜さんを」

 抱きかかえられた希凛は、どこかが痛むのか顔をしかめながら言った。

 悠也は希凛を放置して駆け出したくなる自分を必死に抑えた。

 既に彩夜の姿はない。それが彩夜の狙いだった。悠也が受け止めると確信して、それが逃げるための時間稼ぎになると確信して希凛を放り投げたのだ。そして悠也はその通りにした。

 結果、既に『魔術師の勘』でも感知できない距離まで逃げられてしまった。

 追いつくのは難しいだろう。今すぐ探し回ればあるいはとも思うが、希凛を放置するわけにはいかない。だからその気持ちは押し殺した。

「無茶をしすぎだ。拓馬さんに念押しされてただろう」

 希凛は明らかに疲れ果てている。衰弱していると言ってもいい。

 それだけではない。

 抱きかかえた体から伝わる体温はどういうわけか、奇妙なほど冷たい。

「……すみません。私のせいで、逃げられてしまいましたね」

「馬鹿か。希凛がいなければとっくに逃げられていたんだ。謝る必要はない」

「……すみません」

 そう言いながらも、希凛は安心したように微笑んだ。

「どうしてこんな無茶を」

「他人を助けられる人になりなさいって、お母さんがよく言っていたんです。私にはハンデがあるけれど、何かをしてもらうだけじゃ駄目なんだって」

「……いい母親だな」

 悠也が言うと、希凛は柔らかな微笑を浮かべて返した。

「はい。尊敬できる自慢の母親でした」


    ◇


 ほどなくして拓馬が息を切らせて駆け付けた。悠也は希凛を背負った拓馬と並んでさっきまでいた宿への帰路に着いた。宿といっても空き家を拓馬が個人的に借りているだけのものなので、ほかに誰か人がいるわけではない。

 拓馬は希凛を二階にある希凛の部屋へと連れて行く間、悠也は下の階の居間で待っていた。彩夜を逃してしまったことと、希凛に無理をさせてしまったことへの無力感を噛み締めながら。

 やがて拓馬が降りてきた。

「すまなかったね、手間をかけさせた」

「いえ。……希凛さんは?」

「大丈夫だと思いたい……が、正直わからん」

 拓馬は座布団の上に腰を下ろした。その態度は落ち着いていたが、内心希凛のことが心配で仕方ないのは透けて見えた。

「希凛は病弱だ。だがそれは一般的な意味でただ体が弱いという意味じゃない。難病を患っているわけでもない。もっと質が悪いものなんだ」

「……どういう」

「存在そのものが不確か……と言っても伝わらんな。実体を持たないゴーストがいつまでも存在を保てないのと似た状態というのが、魔術師の君には想像しやすいか」

 心と魔力の集合体であるゴーストはこの世界での実体を持たない現象だ。故に、器が無ければ存在を長く保つことができない。希凛の状態がそれに近いというなら、確かに不安定というのも納得だ。希凛はゴーストと異なり肉体を有しているが、わざわざ「近い」と表現したのはそういう意味でもあるのだろう。その辺りの曖昧さも含めて「不確か」なのかもしれない。

「……どうしてそんなことに」

「魔術師の親から生まれてくる子には、魔力という異世界の因子の影響で特異な体質が発現することがあるらしい。それは例えば魔眼のような能力として発現することもあれば、髪や瞳の色として現れることもある。希凛の場合はそれが酷く裏目に出た」

 初めて聞く情報に驚く悠也だが、疑念を挟む余地はなかった。

 ちょうど知り合いに似た症状の人間がいる。彩夜だ。彼女は魔族による魂の侵食が進むことで髪や瞳の色が変わり、身体能力も劇的に向上する。原理としてはそれに近いのだろう。

「……その、俺の考えを言ってもいいでしょうか」

「なんだ?」

「実体のないゴーストを安定させる手段として、新たに器を用意するという方法があります。……すぐに再現できるものではありませんけど、試してみる価値はあるかもしれません」

「……君もその発想に行きつくか」

「え?」

 予想外の返しに声を漏らした悠也に、拓馬は淡々と説明した。

「希凛の母親も同じことを思いついた。そして試した。今の希凛の肉体の大半は、彼女が魔術で作った鉱石人形……魔術師の界隈ではゴーレムとも呼ばれるものの一種だ。希凛が手袋をしているのには気付いていただろう。あれはそれが理由だ」

 言われて悠也はハッとした。

 抱きかかえた希凛の体は冷たかった。その理由がそれだと察したからだ。

 鉱石でできていたから冷たかった。人肌の温もりを感じなかった。

 希凛が彩夜の動きに反応できていたのもそれが理由かもしれない。希凛の体もまた、常人のそれとは一線を画すものだったのだ。

「問題は、鉱石では体のすべてを代替するには至らなかったことだ。顔を石にしてしまってはまともな生活は送れないし、内臓を再現することも叶わなかった。加えて、これまで希凛の成長に合わせて調整を行っていた母親は少し前に他界した。魔術が契約魔族の性質に依存する以上、私がその役目を代替することもできない」

 悠也は魔術がいかに不平等であるかを痛感するばかりだった。

 例えば霧崎楓なら、自分の魔術を魔術道具という形で他者に使用させることができる。神代家の遺産を利用していた名守幹恵は、魂の器としての体を作って恋人を生き返らせようとした。もしもそうした才能や技術を希凛の母親が持っていれば……万事解決とまではいかないだろうが、希凛の体の状態は今より多少マシだったかもしれない。

「私は無力だ。その夜眠りに就いた娘が、翌朝まで生きているかどうかもわからない。そんな毎日をひたすらに繰り返すだけで、具体的なことは何一つとしてしてやれない。妻が他界し、迷いに迷った末に仕事を辞めた。希凛が五年しか生きられないというのなら、仕事なんかよりその命を伸ばす方法を見つけるために時間を使いたかった。それなのになんの成果も上げられず、希凛に貧しい思いをさせ、こんな場所まで来て、その結果がこれだ……っ!」

 拓馬はそれまで無感動を貫いていた表情をいっぱいに歪めて言った。

「本当に……救いようがない……っ!」

「……」

 悠也がどんな顔をしていいかわからずにいる中、和馬はゆっくりと肩の力を抜いた。

「……すまない、みっともないところを見せた」

「いえ……それは」

「希凛の命があと五年というのは妻の見立てだ。魔術で希凛の体に手を加えた本人が言うのだから、大きく外れてはいないだろう。今日は無茶をしたせいで疲れただけで、休めば元通り元気な希凛に戻っている。そう信じよう」

「……はい」

 悠也にはそれしか言えなかった。余計なことを言える空気ではなかった。

 頭の中に彩夜ならあるいは……という考えが浮かんできてかぶりを振る。彩夜がそれを望まない。期待を押し付けてはいけない。それは彩夜への裏切りだ。

 悠也はいたたまれない気持ちになって立ち上がった。

「彩夜を探しに行ってきます」

「君も少し休んだ方がいいんじゃないか」

「お気遣いなく」

 何も問題はない。心配はいらない。

 今の悠也には死んでも死なない体があるのだから。


    ◇


 真夜中の暗い山の中。彩夜を探しながら悠也は思う。

 死なない体を持っていながら死にたいと願うのは、贅沢なのだろうか。

 世界には生きたくても生きられない人がいるなんて文言は薄っぺらい定型文にすぎないと思っていたが、いざこうして当事者に出会ってみると、案外胸に突き刺さるものがある。

 もしも彩夜が自殺してしまったら、白石親子はどう思うだろうか。生きたくても生きられない希凛を救わず、死なない肉体を持っていながら死を選んでしまったら。希凛はともかく、拓馬は激怒してもおかしくない。

 死ぬことが生きるよりも辛いだなんてはずはない。生きることが死ぬことより辛い人がいるから自殺はなくならないのだ。それを責めようとは思わない。

 だが自ら死を選ぶことは、なんとなく卑怯な感じがする。

 特に、その理由が自業自得なら尚更のこと。責任を取って自決するなんて自己満足でしかない。それでは誰も救われない。その人から何か酷い目に遭わされた人がいたとしても、そいつが自分で決断して死んでしまったのでは煮え切らない思いが残るだけだろう。どうせならちゃんと司法で裁かれてほしいと思うはずだ。根拠はないが、そんな気がする。

 でもそれはもしかしたら、悠也が人殺しだからそう思うのかもしれない。

 死ねば罪の意識から解放されると知っている。だからそれを逃避だと感じるだけで、案外世間の人たちは人殺しが自殺すればそれで心が晴れるのかもしれない。悠也にはわからない感覚だが、そういう人がいてもおかしくないと思う。

 幸姫はどうだろうか。もしも彼女が潤のことを覚えていたら、潤を殺した悠也を恨んだだろうか。恨んだだろう。なら、悠也が自殺したらそれで彼女の恨みは晴れただろうか。わからない。もしかしたら幸姫は悠也を自分で殺したいと思うかもしれない。想像はしづらいが、それくらいされても不満を言えない立場なのは自覚している。

 殺されても不満を言えないのなら、それは殺人が正しいということだろうか。

 正当防衛という言葉もある。簡単に認められるものではないらしいが、正しい殺人もあるということなのだろうか。たとえば復讐は公に認められたものではないが、創作の題材としては鉄板だ。死刑はどうだろう。認めている国も認めていない国もあるが、妥当な刑罰という価値観も存在するのは確かだ。もし妥当なら、やはり人を殺した人が殺されるのは正しいのだろうか。正しいのなら、誰も傷つけないために彩夜が死を選ぶことはどうだろうか。


 悠也は彩夜を殺すべきだったのだろうか。

 卑怯な自殺ではなく、悠也の意思で殺してやるべきだったのだろうか。


 潤のときはどうだったろう。あの日、悠也には潤を殺す以外の選択肢が思いつかなかった。今でもどうすれば良かったのかはわからない。ただ、潤を殺したくなかったのは確かで、後悔しているのも本当だ。ならそれは間違っていたのだろうか。

 思考はいつまでも堂々巡り。

 それでも考えずにはいられない。考えなければならない。

 そうすることが彩夜のためになるかどうかはわからないが、それでも彩夜のためにそうしなければならないと思った。悠也はそう思ったから、考え続けた。


 その夜、悠也が彩夜と遭遇することはもうなかった。



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