吸血少女とのふたり旅
悠也が帰宅すると、意外な人物がリビングのソファに腰かけていた。
黒縁眼鏡をかけた中年の男だ。体系は痩せ型。伸ばしっぱなしの髪と似合わない無精ひげは、彼の日常にその手入れをするだけの時間がないことを意味している。
名を、黒宮和久。黒宮悠也の父親である。
「帰ってたのか」
「ああ。悠也は出かけていたんだな。友達と遊びにでも行っていたか?」
「そんなところ。明日も遊んでくるよ」
「そうか。まあ楽しくやれているなら何よりだ。どうだ、たまには二人で飲まないか」
和久は片手の缶ビールを悠也に見せながら言った。
「いや俺未成年だから」
「ジュースでいい。久しぶりに早く帰れたんだ、親子水入らずで話そうじゃないか」
そう言われると、確かにこれは貴重な機会だった。和久は日々仕事に忙殺されており、帰宅するののはいつも日付が変わる頃である。こんなに早く帰ってくるのは珍しい。
「わかったよ」
これといって話したいこともなかったが、激務に耐える父親への尊敬と感謝と同情の気持ちから付き合うことにした。コーヒーを淹れ、L字に配置されたソファの父親とは別の辺に腰を下ろす。
「で、話って?」
「それを考えるのが悠也の仕事だ」
「は?」
もう酔ってるんだろうか。
内心そんなことを思う悠也に和久は言う。
「だって父さんのブラックな職場の話とか聞きたくないだろ。現実とは思えないレベルの理不尽、からの理不尽からの理不尽。悠也の一番嫌いなタイプの話になるぞ」
「それはそうだけど」
職場のこと以外の話題はないのだろうか。
……ないのかもしれない。和久の生活はほぼ仕事と睡眠だけで構成されているのだから。
憐れまずにはいられない悠也だったが、考えてみると自分も人のことを言える立場ではなかった。この夏休みが始まって以来、学校の課題と倉沼や彩夜との訓練だけにほとんどの時間を費やしている。
「俺の話も似たようなもんだよ。父さんの愚痴の方が奇想天外で面白いかもしれない」
「はっはっはー、奇想天外と来たか。……ほんとになぁ、もっと平凡でいいんだけどなぁ」
とてつもない哀愁が滲む言葉だった。
「悠也は何を悩んでるんだ?」
「え? 俺は悩んでるわけじゃないが」
「ほーう。では俺が母さんと出会った頃に言われたことを教えてやろう。『和久さんって嘘つくの下手よね、すぐに顔に出るもの』だそうだ」
「……」
「あの頃はさっぱり自覚がなかったが、悠也を見ていてわかってきた。不便なところが似たな」
言って、和久は缶ビールを煽った。
ほとんど家にいないくせして久々に話したらこれだ。親というのは恐ろしい。
「……別に思いつめてるってわけじゃないんだ。悩みなんてないことの方が珍しいし」
「人間なんてみんなそんなもんだよ。いいから話してみろ、酒のつまみにするから」
和久は二本目のビールを開けた。
「息子の悩み相談に乗ってくれるみたいな話じゃないのか?」
「じゃないな」
「あ、そう」
それはどうなんだろうか。父親として。
そう思いつつも、その方がありがたいとも思っている悠也がいた。今の悠也には父親にも話せない事情が山ほどある。真剣に聞かれるとなるとかえって話しづらいのだ。
「そうだな、それなら……知り合いの話でもしようか」
「友達じゃなくてか?」
「微妙。あえて言うなら恩人かな」
「ほう。何してもらったんだ?」
「色々。でもそっちはどうでもよくて、今話したいのはそいつ個人こと。複雑な事情があってさ……そいつ、自分なんてどうでもいいって感じで投げやりなんだよ。本当は辛いくせに平気な顔して。……助けてもらった俺としては何かしてやりたいと思うんだけどさ。でも、してやれることなんて何もなくて」
「漠然としててよくわからん。ようは友達が悩んでることに悩んでるってことか」
「だいたいあってる。でも下手なこと言っても余計に悩ませるだけだろ、こういうのって」
「確かになぁ」
和久は考え込むように唸り、ため息をついた。
「思ったより難しいのが来て驚いている」
「難しくなければ悩まないからな」
「なるほど賢いな悠也。……ちなみにその友達は女子か?」
「女子だけど、父さんが邪推するような面白い関係ではないよ。友達って感じでもない」
「てことは織原さんの話ではないのか」
「っ……」
父親の口から出た予想外の言葉に、悠也は口に含んだコーヒーを噴き出しかけた。
「その名前どこで」
「結構前に悠香から聞いたんだ。負け戦濃厚だそうじゃないか」
「……余計なことを」
「はっはっはー」
「違うからな。そもそもそんな戦をするつもりはない。ていうか、話を逸らさないでくれ」
「そうは言ってもなぁ……そういうのって、悠也なりにその人のことを考えて探した言葉をかけてやるしかないんじゃないか?」
「それが見つかるなら苦労はない。例えば俺があいつに『自分を大切にしろ』とか言ったところで、言葉に重みがないだろ」
「なんで」
「なんでって……それは」
言われてみれば理由がわからなかった。でも、その手の説得が彩夜の心に響かないのは容易に想像できるし、たぶんその通りになる。
考え込む悠也に、和久はビールを飲みながら、
「例えば、父さんが悠也に同じことを言ったらどう思う?」
「自分を大切にって?」
「ああ」
「……父さんは仕事変えるのが先じゃないか。いつか過労死すると思う」
「なるほどもっともだ。ならそれが答えじゃないか?」
「あ」
自分のことを棚上げして言われても響かない。そういうことか。
悠也と彩夜は同じだ。自分の犯した罪の重さを背負い生き続けながら、死という罰で許されるときを待っている。自分を大切にするという考えの対極にあるといってもいい。
「父親としても悠也が自分を大切にしてくれないと困るからな、そこから始めればいい」
「……悪いんだけど、それ結構難しい」
「難しくてもやってくれ。お前の身にまで何かあったら、母さんがまた悲しむだろ」
「…………」
そう言われると何も言い返せない。
悠也の母は和久と同じく労働に忙殺されている種の人間だが、悠香の一件以来、益々仕事熱心になった。おそらくは気を紛らわすためなのだろうが、見ている方には痛々しく思える。
もしも悠也の身に何かがあったら。
それは絶対に防がなければならない事態だ。そのために悠也は生きると決めたのだ。
「……努力はしてみる」
「そうしてくれ。正直今でも俺に母さんを慰めるのは無理というか、俺が言葉を尽くすよりちょっと悠也の顔を見せた方が百万倍効果的だろ? お前がいなくなったら俺にはどうすることもできん。かなり困る」
「いやそこは人任せにせず頑張ってくれ、夫婦だろ」
「人任せでいいんだよ。人間なんてみんな人任せなもんさ」
和久はぐいっとビールを煽り、
「世の中他人に迷惑かけて当たり前、謝れば済むと思ってる連中ばかりだ。次から次へと思い付きで仕事増やしたり、途中でやっぱやめるとか言い出したり、提出書類の締め切り破って連絡もよこさなかったり、催促しても出してこなかったり、挙句の果てにこっちにしわ寄せが来ても気にするどころかやってもらって当たり前だと思って責任逃れまでしてきやがってあー畜生むかついてきた。……何の話だったっけか」
「……おい」
「まあいいや。社会に出たら身勝手なやつばかりだ。身勝手と人任せは現代社会を生き抜く必須スキルなわけだ。わかったか悠也」
「……途中までかっこいいこと言ってそうな雰囲気だったんだけどなぁ」
どうやらすっかり酔っぱらったらしく、完全に話が逸れていた。
結局、悠也は和久の奇想天外な体験談を聞きながら夜を過ごすことになるのだった。
◇
翌朝。というか昼前の公園
「はろー悠也。……待った? 待ったよね?」
悠也が口を挟む間もなく彩夜は続ける。
「いやーまさか寝坊するとは思わなくてさ、ごめんね遅くなって」
顔の前で手を合わせる彩夜。その妙に高いテンションと大仰な身振りは芝居がかって見える。まるで本当の理由を隠そうとしているかのように。
そして悠也はそれに気づかないふりをして言う。
「気にするな。慌てて忘れ物とかしてないか?」
「平気。持ち物なんてお金くらいだし」
彩夜は驚くほど身軽だ。というか身一つだ。身に纏うのは飾り気のない黒のシャツとショートパンツ。少し膨らんだポケットにはおそらく財布と跡切刀が入っていて、荷物はそれだけ。
「もっとオシャレしてきて欲しかった?」
「いや。お前、だいたいいつも同じ格好してるだろ」
「失礼な。昨日も違う格好だったはずなんですけど」
「そうだったか?」
よく覚えていないが、言われてみれば初めて会ったときの彩夜は単色のワンピースを着ていた気がするし、たまには違う服装をしていたこともあったかもしれない。悠也のジャージを貸したこともあったが、それはこの場合ノーカンだろう。
あくまでも悠也の印象だが、彩夜は自分の服装に頓着しない。自分を着飾ろうとしない。今まで特にそれを気にしたことはなかったが、改めて思えば、それもまた彩夜の彩夜自身に対する一貫したスタンスから来るものかもしれない。
悠也が考えていると、彩夜はケロリとした顔で「ま、いいや」なんてことを言った。
「そんなこと気にしてる時間ないしね。ほら早く行こ」
そうして彩夜は身を返して歩き始める。
彩夜に連れられて駅までの道を行く。真夏の炎天下を歩くのは拷問にも近かったが、彩夜はむしろ高揚しているように見えた。違和感はあったが、悠也はあえて言わないでおいた。悠也の言葉を遮った彩夜はそういう話をしたくないのだと思ったから、その意を汲んだ。
電車を乗り継いで目的地へ向かう。
昼食は移動中に食べられる駅弁にして時間を節約。その味に対する彩夜の感想は、
「んー、まずまずって感じ?」
というなんとも曖昧なものだった。旅の空気に当てられて美味しいと言わないところが彩夜らしかった。その後に飲んでいたイチゴオレの方が満足そうに見えたのもおかしくて、悠也は思わず笑ってしまった。
乗客の少ない田舎の路線のボックス席に腰かけ、緑ばかりの窓の外を見ながら揺られていく。お互い器用に核心だけを避けながら、うわべの会話を紡いでいく。
「昨日の続きでも話そっか。時間を潰すのにちょうどいい」
彩夜は微笑を浮かべると、昨夜と変わらぬ軽い調子で語り始めた。
◇
遠くへ行くことにした。行く当てなどなかったが、じっとしているのも退屈だった。
道はできるだけ人の少ないところを選んだ。森に山に川と自然の中を渡り歩き、転落したり溺れたりしながら旅を続けた。折れた骨が内臓を突き破ろうと肺が水で満たされようと死ぬことはなく、ただ苦しいだけだった。それでこの旅に終わりはないのだと悟った。
餓死すら許されないこの肉体でも腹は減った。しかし人里に出るのは恐ろしく、名前も知らない果実や魚で空腹を紛らわせる日々だった。決して美味しくはなかったが、当時の私にとっては数少ない楽しみだった。
異変が訪れたのは突然だった。
とある山奥で人に遭遇したのである。酷く絶望しきった顔をした若い女だった。白くて綺麗な恰好をしたその女は、木の枝にロープを括りつけているところだった。何をするつもりかは一目瞭然だった。
最初は止めようとしたが、そこで邪念が混じった。
これから死のうとしている人が相手なら、何をしてもいいのではないか。
そんなはずはない。そんなはずはないのだけれど、そのときの私の思考は熱に浮かされていた。欲望を抑え込む理性なんて欠片も残ってはいなくて、ただ一つの欲望に支配されていた。
それをすれば気持ちよくなれるのを知っていた。
それは私にとってはトラウマであり、思い出したくもない悪夢そのもののはずだった。頭の中が疼く。頭蓋の中を残響する母親の声が鳴り止まぬノイズとなって思考を乱す。
その疼痛から解放される方法を知っていた。
私は女に声をかけた。女は不審そうに私を見た。無理もない。人里離れた山奥で、すっかり傷みきったぼろ布を纏った半裸の女に声をかけられたのだ。妖怪でも見た気になったのかもしれない。そしてそれは特に間違っているわけでもない。
私は女の血を吸った。その美しい首筋に牙を突き立て、滲み出た血液を啜った。錆びた鉄の匂いと、仄かな甘み。疼痛は消え失せ、体は火照り、この世のものとは思えぬ快楽が脳を支配した。女はしばらくの間抵抗していたが、やがて動かなくなった。
吸血を終え、私は熱のある吐息をした。渇きは失せ、ただただ心地の良い余韻に浸った。
そうして私は快楽に溺れた。
人に遭遇する度に血を吸った。初めのうちはあった罪悪感も次第に薄れ、相手を選ぶこともなくなっていった。時には人里まで出ていくことも考えたが、流石にそれはしなかった。見つかったら警察に捕まることをしている自覚はあったからだ。
その頃の私は、血を吸った相手が死んでいるものだと思っていた。
真実を知ったのは、肉体の老化が止まっていることに気づく程度の年を経た後だった。
場所はとある田舎の竹林。よく晴れた夏の日の昼下がりに、冷ややかな刃を向けられた。
「あら、物騒」
私はそんなことを言いながらもにやけていた。こちらへ向けられたナイフを持っているのはまだ中学生くらいの少年だった。半袖のシャツに七分丈のズボンを履いた垢抜けない出で立ちだが、よく見るとなかなかに美少年だ。次の獲物はこの子にしよう。そんなことを考えていた。
少年は彩夜を睨みつけ、声変わり途中の声で言った。
「お前が元凶だな」
「何のことかしら?」
「とぼけても無駄だ。見ていたからな。さっきそこで人の血を吸っていたのを」
「……へえ」
するとこの少年は、人の血を吸うバケモノを退治しに来た正義感溢れる人物なわけだ。
殺してしまうのはかわいそうな気もした。幸か不幸か血は吸ったばかりなので、衝動にも似たあの欲求は落ち着いている。疼痛も薄れた。子供を手にかけることへの罪悪感もないことはないし、このまま見逃してもいいかもしれない。そんなことを考えていた。
そう。このときの私はまだ、血を吸われた人の末路を知らなかったのだ。
「悪いけどこれも師匠のためだ。お前には死んでもらう」
「へえ、師匠がいるんだ。すごいね。でも私を殺せるかな?」
殺してくれるというのならありがたいが、どうせこの身は不死だ。ナイフ一つで死ぬ
ことなどありえない。
痛いのは嫌だから一応注意しておこう。
そんな浅い考えは、次の瞬間消え失せる。
少年は持っていたナイフを振り払い、傍らにあった竹を横に切断した。居合い切りのように切られた竹の上半分が、滑るように倒れる。驚きはその後だ。切り落とされた部分の切り口が赤い灰のような粒子状に変わっていき、空気に溶けるように消え出したのである。
ただごとでないのは一目瞭然だった。
「跡切刀。こいつで殺せば、たとえ不死でも生き返らない」
息を呑んだ。
「……あなた、いったい」
「魔術師だよ。知ってるだろ、あの破荒墨影の手下なんだから」
その響きに、全身が緊張した。それは私の人生を決定的に狂わせた魔術師の名だ。
知らず、返す語気は荒くなった。
「ふざけたこと言わないで。手下? どちらかといえば被害者のつもりなんですけど」
「マジで言ってんのか。自分のやってきたことくらいわかってんだろ」
「確かに悪いことをはしたよ。でも、私を人殺しのバケモノにしたのはそいつでしょ」
「人殺し?」
少年は眉根を寄せた。
「……お前、まさか知らねえのか?」
「何を?」
「本気で知らねえのかよ。……無自覚? 勘弁してくれ」
質の悪い冗談だとでも言いたげに苦笑し、少年は続けた。
「お前に血を吸われた人間は、全員が不死身になってんだよ。歳を取らず、傷を負ってもすぐ元通り。望んで死ぬことすらできねえバケモノにな」
「――え」
理解するまでに少し時間がかかった。理解してからもどう反応すればわからなくて言葉が出ず、嫌な汗をかいた。
「……知らなかったんだな。ったく、ふざけてやがる」
「あ……で、でも、それっていいことじゃない?」
「あ?」
少年の鋭い視線に怯みながら、私は言った。
「だってみんな死にたくなんてないでしょう? 歳を取らなくなるのだって」
苦し紛れだった。間違ったことを言っているつもりはないのに、何故か胸が痛んだ。
少年はぽかんとした間抜け面で数秒黙り込み、深く唸った。そして、
「……あれ? 言われてみりゃその通りじゃねえか」
そんなことを言った。
「あれ。ん、おかしいな。いやでもお前のせいで色々大変なことに……」
「はぁ」
「んなー、チクショウ。とにかくお前は殺す。話はそれからだ!」
「殺されたら話せないんですけど!?」
問答無用で少年は突っ込んできた。私は易々と回避に成功する。自分の身体能力が人並み外れていることには気づいていた。だから、いくらおかしなナイフを持ち出されたところで殺されない自信があった。
しかし。
「――――そこだ」
少年の洗練された動きは、私の想像の遥か上にあった。
ナイフの先端が服の裾を裂く。切れ端は赤い粒子となって空気に溶ける。
焦って後退したところに追撃が来る。逃れられない。
「そこまでだ!」
凛とした女の声が、空気を叩くように響いた。
少年の手にしたナイフの先端は、私の喉元に触れたところで止まっていた。
そのままの姿勢で声の主の方へと目を向けると、艶やかな黒髪を後ろで束ねたセーラー服の少女がいた。抜身の刀のような鋭い目で彩夜を一瞥してから、少年に言う。
「勝手なことをするな小僧。そいつは殺さない」
「は? でも師匠それじゃ」
「殺したら情報を吐かせられないだろう。ようやく見つけた情報源だ、逃してたまるか」
その声音に宿った確かな憎悪を前に、私は怯まずにはいられなかった。
◇
「なあ、その二人って……」
「うん、霧崎さんと倉沼くん。あの頃の倉沼くんは結構可愛かったんだよ」
殺伐とした話の内容とは裏原に、それを語る彩夜の様子はいつもと変わらない。何を思っている風でもなく、何を考えている風でもない。
「にしても、ほんと酷かったなぁあのときの私。元々相手が死のうとどうでもいいと思って血を吸ってたのに、みんな不死身になったって聞いたら掌返しだもん。みんなが死なないならいいことじゃんって」
「でも実際、お前自身は誰も殺してないだろ?」
彩夜はゆっくりと首を横に振った。
「殺したんだ。たくさんの人を私の手で、私の意思で」
◇
自分が血を吸った人たちがどうなったか、ちゃんと知りたいと思った。聞けば後悔するとわかっていたが、それでも尋ねずにはいられなかった。
場所は近くにあった宿の一室。落ち着いた雰囲気の和室。
セーラー服の少女霧崎楓は、罪状を読み上げる検察官のように淡々とした口調で私の行為の結果を説明した。血を吸われ不死の肉体を得た人たちがどんな末路を辿ったのか。その事実だけを、特に思い入れた風でもなく言い連ねていった。
ある者は不死の肉体を利用して犯罪に手を染めた。だって死なないのだから、大抵の無茶はまかり通る。巷を騒がせるちょっとした有名人になっていたらしい。最期は魔術師によって処分されてしまったので事件は迷宮入り確定となった。
ある者は居場所を失い彷徨った。不死の肉体を気味悪がられたわけではない。むしろその反対。羨望と嫉妬から不死の秘密を求めてくるかつての友人たちに失望して、自ら行方をくらませたのだ。魔術師に見つかったとき、彼は自分の命を絶ってほしいと懇願したという。
共通していたのは皆魔術師に殺される最期を迎えたこと。魔術師にとって魔術の秘匿は何よりも優先される事項であり、それ故に不死の人間を野放しにするわけにはいかなかった。
中には、自分が特殊な体質になっていることに気づくより先に魔術師に見つかって殺された者もいたという。殺される理由すら知されないまま一方的に捕らえられ、魔術の痕跡が残らないように処分された。
なまじ死なないだけに、処分の方法もまた残酷だった。霧崎と倉沼は簡単に不死を殺す術を有していたが、すべての魔術師がそうではないのだ。ありとあらゆる方法による死を試され、最終的にコンクリート漬けにされて海に投げ込まれた人もいるとか。まだ死ねずにいるとしたら、その人は今も海の下で苦しみ続けているに違いない。
でもそれは私のせいではないと思った。だって私は殺してない。処分を下したのは魔術師だ。だけどそう自分に言い聞かせるほどに、息が詰まりそうな苦しさは強くなっていった。
そしてその話が終わると、霧崎楓は逆に私に話をしろと要求してきた。
「破荒墨影について知っていることを話せ」
私は情報をもったいぶることにした。全部を話せばきっと私も殺されるとわかっていた。
しかし、霧崎楓はそれを許さなかった。
「話せ」
その目にあるのは憎悪だと、言われるまでもなく察した。
結局私はその圧に負け、すべてを話すことにした。しかしそうして私の存在価値がなくなる前に、どうしても聞きたいことが一つあった。
「私の両親がどうなったか、知ってる?」
おそるおそる尋ねた。
初めに血を吸った二人。霧崎楓の言う通りなら、二人も不老不死になっているはずだ。
「私もすべてを把握しているわけではないからな。……まあ生きていたとしても、こうして聞いてしまった以上野放しにはできんわけだが」
「……殺すの?」
ああ、と霧崎楓は無感動に肯定した。
私は困惑した。霧崎楓の答えではなく、それを聞いてほっとした自分自身に。
経緯はどうあれ実の両親だ。生きているなら嬉しいし、殺されるなら嫌だと感じるはずだった。そう感じるのが正しいと理解していた。それなのに胸の内は安堵でいっぱいで、その矛盾に戸惑った。
理性と感情が乖離している。
安らぎを求める私の心を、別の私が引き止めている。さっきから感じていた息苦しさはそのせいだ。私が私の首を絞めている。逃れようとすればするほど、指が細い首に深く食い込んでいく。
「さあ次はお前の番だ。知っていることを話せ。すべて、包み隠さずだ」
淡々とした口調の裏には、燃え上がる憎悪の炎がある。
「その前に、もう一つだけ要求を聞いてくれないかな?」
「何?」
不機嫌さを隠さない霧崎楓に、私は告げた。
「もし両親が生きていたら、私の手で殺させてほしい」
◇
話の途中で、悠也と彩夜は目的地に到着してしまった。
駅舎のない簡素な無人駅。ホームを降りてすぐに道路があった。交通量はゼロ。周囲に人影はなく、ただただ開けた空間は一抹の寂しさを感じさせた。
「こっち」
先を行く彩夜に手招きされ、悠也も歩き始めた。
どの方角にも山が聳えるその道は、田舎というより秘境と言った方が適切に思えた。彩夜は軽い足取りでぐんぐん前に進み、ときには意味もなくその場でくるくると回転したりしながら、そんな秘境の地での思い出話を聞かせてくれた。
さっきの話の続きも、これから行く場所の話もしなかった。する必要がなかった。
「テンション低くない?」
「俺は普通だ」
「せっかくの遠出なんだから普通じゃ駄目だよ。楽しまないと」
「墓参りに楽しいも何もないだろう。お前は真面目すぎる」
彩夜はぴたりと停止した。
「何言ってんの。墓参りを楽しんでるんだから不真面目でしょ」
貼り付けた笑顔はどこかぎこちない。
悠也はそれに気づいて、ただ沈黙だけを返した。
墓参りを楽しんではいけないなんて決まりはない。死者だって残された人の沈鬱な表情を見たくはないだろう。だからやはり、彩夜は真面目なのだ。
恵まれた環境に充足感を得られない自分を卑しんだり。
罪の意識から逃れようとした自分を責めたり。
その果てに、背負う必要のないものまで背負い込んだり。
そうしてがんじがらめになって苦しみながらも、決して自殺だけは選ばなかったり。
真面目じゃない人間に、そんな在り方は到底できない。
「悠也の方こそ真面目でしょ。ちょっとした冗談でもすぐ真に受けるし」
「誰がいつ真に受けたって?」
「ほらもうムキになっちゃって。まあそういうとこが面白いんだけど」
「悪いが最近は受け流すことも覚えてきた。最初の頃のようにはいかない」
「だからそういうとこだって」
そう言って彩夜が笑って、悠也はほっとした。だけど胸の内に蟠る不安のすべてが消えたわけではなく、それはむしろ歩みを進めるほどに強まっていった。
そうしてしばらく。
やがて二人は目的の場所に到達した。
切り立つ崖の上の野に、ぽつりと歪な形の平たい石が数個重ねて置かれている。お世辞にも立派とは言えないし、間違ってもきちんとした手順で作られた墓ではない。
だが、間違いなくそこが目的地だった。
「どこにもいなかったことにしちゃったから、これくらいしかできなかったの」
酷く足りないその言葉は、彩夜の精一杯だったのだろう。
「私、結構頑張ったと思うんだ」
良く晴れた昼下がりの空の下、彩夜は悠也に背を向けたまま言葉を紡ぐ。
「ずっと死んでしまいたかった。でも誰も私を殺さなかった。だから私は生きるしかなかった。生きて、たくさんの人を殺して回った。私にはそうする責任があった」
「違うだろ。お前に責任はなかった。それなのに、背負い直したんだ」
殺すつもりで血を吸った。でもその行為では誰も死んでいなかった。
理不尽な死をもたらして回ったのは魔術師だった。
でも、彩夜にはそれが我慢できなかった。自分は悪くないのだと、結局は魔術師が殺したのだと結論付けてしまうのが嫌だった。それが卑怯なことに思えてならなかった。
だからわざわざ殺し直して回ったのだ。自分が殺したつもりの人たちを、ひとりずつ殺し直していったのだ。そうして罪を背負うことが、自分のすべきことだと信じて。
「お前は真面目すぎる」
「かもね。でも、もういいと思わない?」
彩夜は振り向いた。その瞳には紅の光が宿っていた。
「こんなに頑張って、こんなに苦しんだんだから、報いは受けたと思わない?」
クセの付いたブラウンの長髪から、色素が抜けていく。
魔族化。魔族による魂の侵食が進行し、やがて自我を失って朽ちる暴走状態。
それが吸血衝動と連動していることは、昨日、彩夜自身の口から聞いた。
それでも。
今はまだ、彩夜は朗らかに笑って悠也を見ていた。
両手で差し出してきたのは跡切刀。
その行為の意味を察せないほど鈍感な悠也ではない。
だが。
「なんのつもりだ」
あえて悠也はそれを尋ねた。彩夜はその答えを口にできないと思ったから。
だがその予想は外れた。
「もう駄目なの」
彩夜はあくまでも笑顔を崩さない。だけど、悠也にはその顔が泣きそうに見えた。
「限界なんてもうとっくに過ぎてた。今日だって私は、道で人とすれ違いながら、悠也と話をしながら、その血を啜ったらどれだけ気持ちよくなれるかばかり考えてた。悠也のこと、美味しそうだなって思いながらここまで来たの。気持ち悪いでしょ」
「思うだけなら勝手だ。俺は気にしない」
「でももう自分で抑え込める段階じゃない。楽になりたい。手遅れになっちゃう前に」
だからお願い、と彩夜は跡切刀を差し出してくる。
悠也はそれを片手で思い切り跳ね除けた。跡切刀が地面に落ちる。
「死にたいなら一人で勝手に死ねばいい。俺を巻き込むな」
「できないよ。わかってるくせに」
「なんのことだか」
「下手な嘘。そういういじわるはいらない」
「こっちの台詞だ。俺にまた人を殺せとでも?」
「そうだよ。だって悠也は、私のためならできるでしょ?」
潤を殺したときのように。
言外にそう含ませた言葉選びは、きっと彩夜なりの気遣いだった。悠也の最も触れられたくない傷口を深く抉り、こんな自分は殺してしまえと悠也の背中を押そうとしている。
だけどそれは結論ありきだ。
それで正しい。それが正しいと、そう言い聞かせるだけの言葉だ。
「わがままだな」
思わずそう漏らすと、彩夜はおかしそうに笑った。
「今更言うんだ。気づいてなかったの?」
「随分前から気づいていた。お前が面倒臭いやつなのは」
「じゃあ面倒ついでに赦してよ。もうそうするしかなくなっちゃったんだからさ」
銀色の長髪が風に靡き、彩夜の表情から色が消えた。
紅の瞳が悠也を捉えた。
そして悠也の『魔術師の勘』は、目の前の際立った脅威を察知した。
予備動作はなかった。
大地を思い切り蹴った彩夜が、悠也の顔面目掛けて掌底を放つ。僅かに身を反らすだけの回避は寸前で間に合った。だが彩夜は悠也から離れることなく姿勢を整え、間髪入れずに二撃目を放ってくる。それを今度は手の甲で外に弾いた。
動きは目で追えていた。
攻撃は一つずつに分離しているわけじゃない。すべての動きは連続だ。今の悠也の動体視力なら目で追うことは充分に可能。それを倉沼との鍛錬を重ねる中で学んだ。
ただし、魔族化した彩夜の身体能力は悠也の遥か上を行く。
彩夜の強烈な膝蹴りが鳩尾に入った。
倉沼は闘いの技術こそ有していたが、身体能力では悠也が上だった。しかし悠也の有する人並み以上の身体能力も、彩夜と比べれば大きく劣る。
「っ、くそ」
込み上げる嘔吐感を堪えて顔を上げる。既に彩夜の手が迫っていた。
細く白い指が悠也の首を掴む。そのまま地面に押し倒され、馬乗りの姿勢で押さえつけられた。首を圧迫されて気道が塞がり、みるみる意識が薄れていく。
「……彩、夜」
掠れた声で名前を呼んでも、彩夜は反応しなかった。
まるですべての感情を喪失したかのよう。
視線は悠也の心臓へ落ちる。片手で悠也の首を圧迫したまま、空いた手を構える。
自分の胸から吹きあがる鮮血を最後に、悠也の意識は途絶えた。




