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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第三章 紅が野を彩る夜は
42/78

吸血少女の追想


「破荒、墨影……」

 彩夜の隣で話を聞いていた悠也は、無意識の内にその名を声に出していた。

 それは彩夜を魔族と契約させ不死の肉体にした魔術師の名前。

 だから、続く話は容易に想像がついた。

「まさかお前、それでそいつについて行ったのか?」

「馬鹿だって言いたいんでしょ」

「そうは言わないが……」

「言ってもいいよ事実だから」

 まるで他人事みたいに、彩は落ち着いた口調で言う。

「当時の私には何もかもがどうでもよかった。毎日がつまらなくて、刺激を求めていた。たとえ身を滅ぼすことになろうと構わないって本気で思ってた。今で言うところの中二病ってやつ?」

 あるいは自暴自棄。何かきっかけがあったわけではなく、何によっても満たされなかったが故の。

「ま、結局は全部失って後悔することになるんだけどね」

 彩夜はそう前置きすると、続きを話し始めた。


    ◇


 目覚めたのは何も見えない暗闇の中だった。

 足元の手触りは冷たいコンクリートのようで、空気は病院みたいな匂いがした。

 ふいの疼痛に頭を押さえる。眼球の奥がズキズキと疼く。血管が破裂してしまいそう。

 痛みはどんどん増していく。痛い。痛い。痛い。それ以外のことを考えられない。

 酸素が足りなくて息を吸おうとするけれど――痛い――肺がもう満杯で――痛い――吸い込めない――痛い――吐き出さなくちゃ――痛い――足りないのに?――痛い――駄目だ――痛い――吸わないと――痛い――苦しい――痛い。痛い。痛い。苦しい。痛い。

 そのまま――どれだけの時間が経っただろうか。

 ようやく痛みが引いたとき、私は肩で呼吸していた。朦朧とした意識の中、自分の唾液でべちょべちょになっていた口元を手首で拭いながら、丁寧に呼吸を整えていく。

「落ち着いたか?」

 突然の声は闇の中から響いてきた。聞き覚えのある、低くて厳かな響き。

 そして、自分がこの男の誘いに乗ったことを思い出した。

 だがそれだけだ。記憶はぼんやりと霞んでいて、ここに来るまでのことが思い出せない。

「テストは終わりだ。君の魂は魔族との適合に成功した」

「て……ご…………?」

 声がうまく出ない。

「私としても喜ばしい。ここまで来るのに随分と長い年月をかけてしまったが、ようやく次の段階に移ることができる。少し待っていろ」

 男が立ち去る足音。

 言葉の意味はわからない。

 テスト? 魔族? 適合? そんなのいつの間にしたっていうのか。

 私はまだここへ連れてこられたばかりだ。目が覚めたらこんな暗い場所にいて、とんでもない頭痛を味わうことになった。文句の一つでも言ってやりたい気分だが、生憎まともに声が出ない。喉も顎も疲れ切ってしまっていて、うまく力が入らないのだ。

「っ……」

 また疼痛。頭の中が締め付けられるように痛む。力が抜けて体が揺れる。堪える。

 その最中だった。


「アアアアアアアアアアッ、アッ、アアアアアアアアアッ、アアアアアアアアアアアア!」


 奇声が、聞こえた。

 女の声だ。壁に当たって反響している。うるさい。頭に響く。痛みが蘇る。妙なイメージが浮かび上がる。まず指を切断された。次に腕をねじ切られた。そして腹を切り裂かれた。臓物を引き千切られた。眼球を抉り取られた。全身をゆっくりと焼き尽くされた。さらには丁寧に磨り潰された。終わりの見えない虐殺の繰り返し。イメージは異様なまでにリアルだ。私の前に私がいる。見下ろす。見下ろされている。これは単なるイメージだろうか。違う。だってこんなにリアルだ。全部、全部、本当にあったことだ。

「ぁ――――」

 すべてを思い出した瞬間。その壮絶さに気を失いかけた。

 そう。全部思い出した。

 私がここへ連れてこられたのはつい先ほどの話ではない。もう随分と前のことだ。あまりの辛さに耐えられなかった私自身が、記憶を忘却していただけのこと。

 何が不気味って、あれだけのことをされた自分がまだ生きていることだ。肉体は今も五体満足で残っている。信じられない話だが、全身が塵と化した後でも、この身はぶちゅぶちゅと音を立てて元通りに再生するのだ。だから何度も殺される。殺されて、生き返る。

 嫌だ、と思った。

 帰りたい、と思った。

 自分が間違っていた。満足しているべきだった。この地獄に比べればあの退屈は天にも上るほどの贅沢だ。一人延々と苦痛を味わわされて、誰かが傍にいてくれることの幸福さを思い知った。もう充分だ。返してほしい。こんなのはもう耐えられない。

 痛い。頭の中が、体の芯が、どこかもわからないところが痛くて、苦しい。

「大丈夫か?」

 いつの間にか破荒が戻ってきていた。

 私は怯えながら問いかけた。

「さっきの、悲鳴は……?」

「気にする必要はない」

 ドサ、と破荒は何かを転がした。

 暗闇で形は見えないが、鼻腔をくすぐる鉄の匂いはとても甘そうに感じられた。

 ……あれ? 鉄って甘いんだっけ?

「したいようにしろ」

 そう言われても困る。何も見えないのだから、どうしようもない。

 そんな風に思いながら闇の中を手探りしてみると、何か柔らかいものが指先に触れた。瑞々しくてぷるぷるしている。ゼリーみたい。

 甘い匂い。

 ちぎって口に含んでみた。不味い。すぐ吐き出した。でも後味は悪くない。

 今度は舐めてみた。鉄錆の苦味が口に広がる。でも不思議と後を引く。

 それに、さっきから続いていた疼痛がすっと引いていくような感じがした。

 もう一口。美味しくはない。でも止まらない。もう一口。仄かな甘みを感じた。

 気づけば夢中だった。犬歯を突き立てると水分がじゅぶじゅぶと溢れてきて、我を忘れる勢いで啜った。どれだけの間そうしていたかなんて覚えていない。ただ、そうしていると気分が高揚して、痛いのをすべて忘れていられた。

 それなのに何故だろう。途中でそれを美味しいと思わなくなった。

 まだ足りない。足りないのに、美味しくない。

「やめておけ。それはもうただの肉塊だ。お前を満足させるものではない」

 すっかりそこにいるのも忘れていた男の声だった。

「肉体の再生には成功していたが、魂が先に朽ち果てたようだ。負荷をかけすぎたな」

「……?」

「だが、これならばまだ試す価値はある」


 次の瞬間、私がへたり込んでいるのは何もない原っぱだった。


「え……?」

 状況に思考がついていかない。

 今のは何だったのだろう。夢? だとすればどこから?

 何もかもがわからなかった。でもそんなことはすぐにどうでもよくなった。

 だって、やっと解放された。

 ふらふらと立ち上がって周囲を見る。背後は断崖絶壁だ。行くべき道は一つしかない。

 砂利道の山道を裸足で降りる。尖った枝が足の裏に刺さった。それでも止まらず進む。

 いつの間にか全身の疲労感が消えている。体が飛ぶように軽い。

 そして、見知った道に出た。

 自分でもよくわからない感情が込み上げて来て、また駆け出した。

 とにかく誰かに会いたかった。まずは家族。一人娘が何日も帰らずにいたのだから、きっと心配しているはずだ。近所の人たちだってそうだ。きっと帰りを待ってくれている。

 意識はかつてないほど高揚していた。

 見慣れた我が家に到着する。

 ドアを開けて「ただいま」と大きな声で言うと、父と母が慌ただしく玄関に出てくる。

「彩夜……なのか……?」

「そうだよ。ただいま、お父さん。お母さん」

 呆然と立ち尽くす二人。その目元に涙が浮かんでくるのを彩夜は見た。そして次の瞬間、父に勢いよく抱きしめられた。力が入りすぎていて、少し痛い。でも、それは幸せなことだと思った。

「おかえり……、おかえり……彩夜……っ」

「うん。ただいま、お父さん」

 嗚咽混じりの父の声が心に染みた。母は一人増えた夕飯の支度をすると言って、涙を拭いながら台所に戻っていった。その間ずっと、私は全身がぽかぽかして温かかった。

 だって、とにかく誰かに会いたかった。

 体は熱く、意識はかつてないほど高揚していた。

「……お父さん、放して。これじゃ動けない」

「お、おう。すまん、つい」

 腕の力が緩んだ。これで体は自由になった。

「え……?」 

 父の呆けた声。それは、私が彼を押し倒したことによるものだ。


 さっきからずっと、物足りないと思っていた。


 胴体を床に押し付けたまま、その腕を持ち上げて噛みついた。伸びた犬歯が突き刺さり、じわりと血液が口内へと広がる。鉄の苦味と、仄かに甘い後味。やみつきになる。

「彩夜……?」

 父の声は裏返りそうで、なんだか間抜けだった。でもそんなことはどうでもよかった。今はこっちが優先だ。まだ足りない。こんなに気分がいいのだから、やめられるわけがない。

 やがて父は気を失った。何かショックを受けたからなのか、それとも血が足りなくなったのかはわからない。そんなことはどうでもよかった。

 何にせよ、次は母の番だ。

 台所へ向かう。

「お腹空いちゃった? ごめんね、もう少し待っててね」

 流石は母親だ。鋭い。この渇きは空腹によく似ている。でももっと激的だ。

 母を押し倒して噛みついた。血を啜った。抵抗はほとんどなかった。あったのかもしれないが弱弱しくて感じなかった。どういうわけか、私の腕力が強すぎた。

 そうしてしばらくすると、母も父と同じように気絶してしまった。

 とりあえずは満足だ。疲れたし。この辺でやめておこう。

 そんな風に考えて、ふと疑問に思った。何かがおかしい。


 そして私は、母の上に跨った状態で理性を取り戻した。


「…………………………………………………………え?」

 自分が今何をしていたのか。その異常性にようやく気づいた。

 夢であってほしいと願わずにはいられなかった。

 でも駄目だ。口の中に残る血の味が、自分の下に倒れた母が、その願いを否定する。

 全部本当だ。全部現実だ。全部私自身がしたことだ。

 逃げるように廊下に出た。玄関には倒れた父の姿があった。目を背けて洗面所に向かった。血の味が残る口を濯ぎたかった。

 そこにあった鏡で、ようやく私は自分の姿を認識した。

 銀色の長髪と、紅の双眸。

「何…………これ」

 まるで化け物。

 私は階段を駆け上がり自分の部屋へ向かった。ベッドに入り、布団を被った。枕に顔を埋めて耳を塞いだ。こんなの悪い夢に決まっている。夢なら早く覚めて欲しい。そんな気持ちでいっそう強く目を瞑ったが、一向に眠れそうにない。

 父は、母はどうなった?

 人が死ぬのは体内の血液の何パーセントを失った時だったか。そんなことを考える。

 ずっとそうしていた。あの暗闇での日々よりも、今の一秒の方がずっと長く感じられた。

 やがて、不意にドアがノックされた。

「彩夜、いるか。お父さんと少し話そう」

 父の声だった。

 生きていた。それだけでも救われた気持ちになって、私は枕に埋めた顔を上げた。

 ベッドを出ようとして一瞬だけ躊躇する。でも誰かに甘えたい気持ちが勝った。

 部屋のドアを開けた。父がいた。


 その姿を見た瞬間、絶望的な感覚が込み上げた。


 慌てて父を突き飛ばした。その身は簡単に壁まで飛んで、背中と頭を強打して倒れた。

「……彩、…………夜」

「ひっ…………」

 掠れた声を聞いたら怖くなって、一目散に階段を駆け下りた。そこには母がいた。

「彩夜。……お父さんは?」

 まるで熊にでも遭遇したかのように、恐る恐るこちらを見てくる母の目。視線があった瞬間、ただでさえ絶望的だった心がさらにドン底まで突き落とされた。

「…………違う。違うの、私じゃない……私のせいじゃ……」

 泣きそうになりながら力なく首を振った。

 一歩後、二歩と後ずさりする母。

 慌てて引き留めようと手を伸ばすと、悲鳴を上げてキッチンへ逃げてしまった。

「ま、待って! お母さん!」

 追いかけた。

 だって私のせいじゃない。こんなの望んでない。したくてしたわけじゃない。

 それを分かってもらいたくて、きっと分かってもらえると信じての行動だった。

 でも、

「来ないで!」

 母はそう言って、私に包丁を向けてきた。

「……お、母……さん?」

 自分が何をされているか、理解が追いつかなかった。理解なんてしたくなかった。

 完全に怯え切った母は、震える手で包丁を持ったまま、

「来ないで」

 はっきりと、そう言った。

「あなた、本当に彩夜なの? 本当に……私たちの娘なの?」

「何言ってるの……? そうだよ。お母さんとお父さんの娘だよ。そんなの、聞かなくったってわかるでしょ……?」

 母は力なく首を横に振った。

 どうして。

 一歩近づいた彩夜に向けて、母は「来ないで!」と声を荒げた。

「来ないで……来ないでよ」

 完全に怯え切った母は、ただただそう繰り返していた。

「お母さん違うの、これには理由があるの、お願い話を聞い」

「来ないでって言ってるでしょう……!」

 言いながら、母は持っていた包丁を投げつけてきた。包丁は私の体にぶつかって、刺さることなく足元に落ちた。

 呆然と、その包丁を眺めた。

 ありえない。母が私に包丁を投げつけるなんて、あるはずがないのだ。

 そうだ。話せばきっとわかってくれる。

 そうしてもう一度母に話しかけようとしたそのとき、新たな包丁を手にした母が、絶叫と共に突っ込んできた。

「――お母、さん?」

 腹部を強烈な痛みが襲う。傷口は焼けるように熱く、血がトクトクと滴り落ちた。

 母は瞳孔の開ききった瞳を私に向けたまま、一歩二歩と後ろに下がった。

 私は崩れ落ちるように膝をつく。何を求めていたのか知らないが、その手は無意識に母へと伸びていた。母はその手を見るなり小さく悲鳴をあげて、そのまま壁まで後退した。

 腹に刺さっていた包丁がズルリと落ちる。どうやらそれほど深く刺さっていたわけではないらしい。しかし当然傷口からは血液が溢れ出て、たちまち赤い水溜まりを形成した。

 形成したが、そこでプツリと、血の流れが途絶えた。

 傷口の痛みが消えていく。どういうことかと、彩夜は刺された腹部に手を当てた。

 そこに傷はなかった。包丁によって突き破られた衣服の下は、傷一つない素肌だった。触れるとベッタリ血がつくのに、その下にある肌にはあるはずの傷がなかった。

 自分は確かに刺されたはずだ。血が出たはずだ。それなのにもう完治している。

 そして嫌でも思い出す。あの暗闇の中で受けた拷問の数々と、再生する自分の肉体。

 しかしより驚いていたのは母だった。ガクガクと震えながら、焦点の合わない目で私を

見ながら、一言。

「バケモノ……」

 その一言で、心が折れた。

 何を勘違いしていたのだろう。どうしてわかってもらえるなんて信じ込んでいたのだろう。

 呆然としたまま、私は包丁を拾い上げた。母が自分に刺した包丁を、それが幻覚であればと思いながら。けれどやはり、ベッタリと血で濡れた包丁は本物で、さっきまで自分に刺さっていたのはどうしようもなく現実であるらしかった。

「返してよ……」

 包丁が本物で、血液も本物で、私は確かに怪我を負った。

 なら、その怪我が一瞬にして治ってしまった自分は。


 私は、いったい何者なのか。


「私たちの彩夜を返してよ! このバケモノ!」


 母から再度突き付けられたその答えに、私は深く納得した。

 腹の刺し傷がものの数秒で再生し、髪は銀色、瞳は紅く、父親を軽く突き飛ばせる腕力を持ち、他人の生き血を啜って快楽を覚える。

 こんなもの、バケモノと呼ぶ以外ないではないか。

 そうして私は自分の家であるはずだった場所から逃げ出した。これ以上母から罵声を浴びせられるのは嫌だったし、あの目で見られるのは耐えられそうになかった。

 辿り着いたのはあの暗闇を出た私がいた断崖絶壁の野原だ。ここならそう簡単に人は来ないはずだ。今誰かに会うのはまずい。そんなことになれば、今度こそ自分が終わってしまう予感があった。

 時刻は既に深夜。空は暗く、月は雲に霞んでいた。

「……どうしてよ」

 震えた声で、涙を流しながら。

「どうして……。ねえ、どうしてよ」

 問いかけたところで、答えてくれる人は誰もいない。

 ここにいるのは私一人。

 一陣の風が吹いた。森が、草が音を立て、銀色の髪が乱れなびく。

 ふと、自分の手に包丁が握られたままなのに気がついた。

 もう、何もかもがどうでもよくなった。こんな辛い目に遭うのなら、いっそ死んでしまいたい。そんな思考が頭の中に生まれ、それ以外はなかった。

 だってもう戻れない。

 恵まれていたはずの日々は、すべてが塵と消えてしまった。

 だから。

「――ッ!ッ!ッ!」

 何度も、何度も、何度も。

「――ッ!ッ!ッ!ッ!」

 何度も、何度も、何度も、何度も、私は自分の腹へと包丁を突き刺した。内蔵はぐちゃぐちゃに掻き回され、周囲には血肉が飛び散った。緑色の野原が、紅く黒く塗りつぶされていった。

 でも何度やっても同じだった。部位を変えればどうかと太ももを、手の甲を、胸を、喉

を、眼球を突き刺してみたけれど、数秒後に傷は再生していた。考えてみれば、私は既にそうやって何度も殺されている。あの男に殺され続けて、生き返り続けた。

 それでも私は自分の体を刺し続けた。それ以外にすることが無かった。何かをして頭を空っぽにしていなければ耐えられなくて、だから暇つぶしに自分を刺した。

 飛び散った血液は、もはや全てが一人の人間から出たものとは信じられない量に到達していた。原っぱが完全に血の海だ。それでも続けた。

 やがて限界がきた。無論私にではない。包丁の刃が欠けて切れなくなったのだ。

 もうすることがなくなった。

 私はたった一人、紅色で彩られた野の中心に佇んだ。

 何を考えることもなく、考えないようにして、ただ呆然と夏の夜空を見上げていた。


    ◇


「とまあそんな感じで、私は今の私になったのでした」

 彩夜は軽い調子でそう言ったが、悠也にはまるで笑えなかった。

 想像を遥かに超えていた。軽い気持ちで聞いていい話ではなかった。

 そんな悠也の様子をどう解釈したのか、彩夜は見当違いなことを言う。

「安心して。今話した通り、吸血衝動には魔族化との密接な関係があるみたいなの。ほら、今は髪の色だって普通でしょ。だからいきなり悠也を襲ったりなんて心配はいらないってわけ」

「そんな心配はしていない」

 悠也は呆れ混じりに言い、その後ふと思いついて尋ねる。

「……確認したいんだが、血を吸ったあとのお前は理性を取り戻したんだよな?」

「そうだね。まああくまで一時的なものだったけど」

「つまり、吸血衝動に身を委ねると同時に魔族化が進行するが、その状態で血を吸うと、ある程度の間は魔族化したまま理性を保てる。その解釈で間違いはないか?」

「うん。あってるよ」

「だったら、また俺の血を吸うってわけにはいかないのか」

「……」

「俺はもうお前に血を吸われた後だ。今更俺の血を吸ったところで誰も困らない」

 そして悠也の血を吸えるのなら、彩夜も吸血衝動に抗う必要がなくなる。

 画期的な解決策に思えたが、彩夜は落ち着いた口調でそれを否定した。

「駄目だよ」

「だが」

「そんなことしてたら、いつか本当に我慢ができなくなる。血を吸えば吸うほど衝動は増していくの。それできっと……最後には、本当のバケモノに成り果てる」

 その言葉を最後まで聞いたとき、悠也は胸を締め付けられるような後悔に襲われた。

 彩夜の穏やかな口調の裏には、隠しきれない恐怖が滲んでいた。

「……悪い、忘れてくれ」

 馬鹿な提案をした。考えが足りていなかった。

 自分の無神経さが嫌になる。過去の話を聞いたことで苦しみを理解できたような気にでもなっていたのか。思い上がりも甚だしい。彩夜が実際に味わった絶望など当人以外には理解し得ない。いくら話を聞いたところで、夢の中で追体験をしたところで、それは彩夜自身が感じたリアルな恐怖と絶望ではないのだ。 

「今日はこのくらいにしとこっか。まだ話足りない気もするけど、丁度キリもいいしさ」

 悠也の内心を知ってか知らずか、彩夜はそう提案してきた。

「倉沼くんとの特訓で疲れてるでしょ。帰ってゆっくり休みなよ」

「……そうだな。続きは明日聞かせてもらおうか」

「駄目」

「は?」

 あまりの即答に素でそう返してしまった。

「お前、自分から言っておいてそれは」

「明日は私いないもの。出かける予定があるの」

 なんだそういうことかと思いつつ、恨みがましい口調で悠也は言う。

「……聞いてないぞ。どこ行くんだよ」

「墓参り。もうずっと行ってなかったんだけど、久しぶりに行こうと思って」

 そのままの勢いで「誰の」と聞こうとして、すんでのところで言葉を飲み込んだ。

 返ってくる答えを受け止められる自信がなかった。

 とんだ臆病者だ。だがだからといってこのまま何もしないのも何かむず痒い。人の事情を聞くだけ聞いておいて、やっぱり関わりたくないなんて卑怯な感じがする。

 きっと、彩夜は歩み寄ろうとしてくれている。辛い過去を打ち明けることで。

 だとすればその気持ちには応えるべきで、そうでなければ理不尽だ。

 だから。

「それ、俺も一緒に行っていいか?」

「え」

 今度は彩夜が驚く番だった。

「つまらないと思うよ? 結構遠いし、ド田舎どころか隠れ里みたいになってる場所だし」

「いいじゃないか。そんな場所ならむしろ行ってみたい。ちょっとした旅行気分だ」

 少し砕けた口調で言った悠也を、彩夜は不機嫌そうに睨んだ。

「私を一人にするとまずい、とか思ってるんだ?」

「そんなことは」

「隠しても無駄。今の自分が危険人物なのは自覚してるもの。心配しなくてもちゃんと霧崎さんに一緒に行ってもらう予定だから安心して。人を襲ったりなんてできないから」

「違う。そんなこと気にしてるんじゃない。俺はただ……」

「私の力になりたいって?」

「……ああそうだ。さっき言っただろ」

 半ばヤケになって返した。ほかに言葉が見つからなかった。

 彩夜は呆れたようにため息をつく。

「わかった。一応霧崎さんに確認してみる」

 で。

『いいじゃないか、二人で行ってこい』

 彩夜が悠也のスマホを借りて電話すると、霧崎はそんな風に言ってきた。

「二人? 霧崎さんは?」

『私にもいくつか消化しなければならない予定があってな。行かなくていいならありがたい。これでも忙しいんだ、私は』

「そういえば最近よく出歩いてるよね。何かあったの?」

『お前が知る必要はない。こっちの話だ』

「そっか。まあそう言うなら良いけど」

『くれぐれも気を付けろよ。余計な仕事が増えるのは御免だ』

「……うん、わかってる。ありがと」

 霧崎は不機嫌そうに鼻を鳴らして通話を切った。

「てことで、一緒に行くことになりました」

 彩夜はどこか気まずそうな表情でそう言った。おそらく霧崎が悠也の同行を拒否してくれると踏んでいたのだろう。だから予想外な展開になって困惑しているのだ。

 悠也はわざとらしく咳払いしてから口を開いた。

「時間はどうする? 遠いって言ってたけど、日帰りで大丈夫そうか?」

「あ、それは大丈夫なはず。ほんとにお墓に行くだけだから、夜には帰って来れると思う」

「そうか。待ち合わせは?」

「えと、……じゃあ、ここに一〇時でどう?」

「問題ない」

「……そっか」

「……」

「……」

 何故だろうか。さっきまで普通に会話していたのに、急に気まずい空気が消えてくれない。

 耐えきれずに悠也は立ち上がった。

「それじゃあ、俺はもう帰るから」

「あ、うん。……ゆっくり休んで」

 そうして悠也は彩夜と別れ、帰路に着いた。

 歩くうちに不甲斐ない自分に対する苛立ちが込み上げてきて、それは家に着いても消えてくれなかった。



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