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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第三章 紅が野を彩る夜は
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吸血少女との夜語り


 生温い空気が肌を撫でる夏の夜。

 敷根邸での特訓を終えて帰路に着いた悠也は、ふいの気配に足を止めた。

「……この感じは」

 進路を変更。まっすぐ家に帰るのをやめて近くの小さな公園に入ると、思った通り見知った少女の姿があった。ベンチに腰かけ夜空を見上げていた少女は、近づく悠也に気づいて視線を向けてくる。

「悠也? どうしたの、こんなところで」

 少女、紅野彩夜は呆けた様子で言う。

「お前との特訓の成果、ようやく少しは実感できたよ」

「そっか。『魔術師の勘』か」

 彩夜は納得したように呟いた。

 人が魔力に対して抱く『この世ならざるものへの本能的な恐怖』を『魔力を感知する技術』として昇華したのが『魔術師の勘』だ。魔族と契約を結んだ人が放つ微弱な魔力を察知できる程度に極めれば、付近にいる魔術師の気配を察知することも可能になる。

 もっとも、悠也の『魔術師の勘』の精度は未だそう高いものではない。

 にも拘わらず彩夜の気配に気付けたのは、彩夜から感じる魔力の気配がいつもより濃く――あるいはどこか異質なものに感じられたからだった。

「空を見ていたのか」

「別に、ただぼーっとしてただけ。悠也は特訓の帰り?」

「ああ」

「お疲れ様。夏休みに入ってからずっとだね」

「その方が楽だからな。他にすることもない」

「ならいいけど、あんまり無理はし過ぎないように」

「お前に言われるほどの無理はしてないさ」

 そんなことを言いながら悠也は彩夜の隣に腰掛けた。

 見上げる夜空に瞬く星々の光は、今にも消えそうなほど弱々しくて儚い。散らばる薄い雲のせいで夏の大三角も欠けてしまって、絶景と呼ぶにはほど遠い。

 だが何故だろうか。悠也にはそんな夜空でも何か尊いもののように感じられた。

「……綺麗だな」

「月が?」

「星が」

 強い口調で言い切ると、彩夜はおかしそうにくすりと笑う。

「そういう意味じゃなかったのに」

「嘘をつけ。わざわざ聞き返しておいて」

「あら、そうだったかしら」

「人をいじめて楽しいか」

「いじめじゃないよ。からかってるだけ」

「いじめっ子はみんなそう言う」

「じゃあ悠也も私のこといじめていいよ。首絞めとか興味ない?」

「唐突に物騒なことを言うな」

「残念。結構本気だったのに」

 彩夜はそんなことを言ってまた笑う。

 この手のくだらないやり取りもすっかりお約束になってしまった。最初の頃は苛立っていたし、今でも気分がいいものではないのだが、一方でこの距離感を密かに気に入っている自分を悠也は否定できない。なんだかんだで楽しんでしまっている自覚がある。

 いつもなら、そうだ。

 だが今日は少し違った。感じたのは核心を避けて話すが故のもどかしさだ。

 本当は尋ねたいことがある。尋ねなければならないことがある。

 それを強く意識すると、隣で夜空を見上げる彩夜の沈黙が悠也を待っているように感じられた。根拠なんてないが、なんとなくそう思った。

 それで覚悟が決まった。

「お前、俺のこと避けてるだろ」

 独り言のように呟いたその言葉に、彩夜は驚きを見せなかった。まるで予期していたかのように落ち着いたまま、小さく吐息してから口を開く。

「……バレてたか。自分じゃ自然に振る舞ってるつもりだったんだけど」

「だろうな。だから正直に言えば半信半疑だった。何しろ避けられる理由がこれといって思いつかなかったし、違和感だって些細なものだ。今この瞬間まで確証なんてなかったよ」

「でも勘付いてはいたんでしょ?」

「考えたんだ。俺が避けられる理由が思いつかないなら、避けられてるのは俺だけじゃないんじゃないかって。そうしたら、どうしても気になることが一つあってさ」

 一拍置いて悠也は尋ねる。

「吸血衝動ってやつと、関係があるんじゃないか?」

 それは以前霧崎が口にした言葉だ。次に彩夜が吸血衝動に負けるようなことがあれば……と念押しするように言っていた。あのときは彩夜が幸姫のことを隠すために霧崎に話を合わせただけだと思って気にしなかったが、彩夜が人を避けている理由を考えたとき自然と想起されたのがそれだった。

「責めるつもりはない。だが困っているなら隠すな。今更そんな気を使う間柄でもないだろう」

「お、口説き文句だ?」

「違う。真面目な話だ」

「えー。いのりちゃんが聞いたら卒倒しちゃいそうな台詞だったと思うけど」

「……」

 この期に及んで茶化そうとする彩夜に、悠也は微かな苛立ちを覚える。そういうところも彩夜らしいと感じる一方で、今はそれが煩わしい。

 どうしてこの少女は、こんなにも自分自身を傷つけたがるのか。

 いや、理由ならわかっているのだ。でも悠也にはそれが看過できなくて。

「いいから、答えろよ」

 努めて穏やかな口調で放ったつもりの言葉には、隠しきれない苛立ちが滲んだ。

 彩夜は観念したようにゆっくりと息を吐く。

「お察しの通り。でもそれは普通のことなの。私は人の血を吸う快感が癖になったバケモノだから、それを抑制するにはあまり人と関わらないほうがいい。それだけ」

 彩夜ならそう言うだろう。それもわかっていた。

 だが悠也の考えは違った。

「俺のためだったんじゃないのか」

「……」

「お前に血を吸われたとき、夢を見たんだ。あれはたぶん……お前の記憶だ。あのとき感じた渇きが……苦しさが、痛みがお前の吸血衝動だって言うなら、あんなのはとても耐えられるものじゃない」

 人の血を吸う快感が癖になったバケモノ。彩夜は自分をそう称した。

 吸血は麻薬と同じだ。喉が枯れそうなほど渇きも、呼吸ができなくなりそうな苦しさも、頭の中が割れそうな激痛も、全部が人の血を吸うだけで収まっていく。それは夢で追体験しただけの悠也ですら忘れられないくらいの快感だった。

「でも、お前はそれに抗ってきた。長い間ずっと我慢してきた。それができなくなってしまうきっかけがあったとすれば、それは俺を救ったことだ。違うか?」

 霧崎も言っていたはずだ。もう誰の血も吸わないことが彩夜を生かしておく条件だと。それなのに悠也の血を吸ったせいで、彩夜はその味を思い出した。渇きと苦しみ、痛みから逃れる方法があると思い出してしまった。

 でもそうなることは始めからわかっていたはずだ。

 彩夜は悠也を救う代償として、自分が苦しむことを選択したのだ。

「……驚いた。ちょっと信じられないけど、悠也の嘘にしてはぎこちなさが足りないし、本当なのかな。まあ、間接契約で魂を繋げればそういうこともあるか」

 そう漏らしてから彩夜は続けた。

「確かに吸血には中毒性がある。そうとわかっていて私はあなたの血を吸った。でも、それは私がそうしたくてしたことだから。こんなの自業自得。悠也が気に病むことじゃない」

「……だろうな。あのときもお前はそう言っていた」

 自分のためだと。悠也を助けたわけではないのだと。

 だけど。それでも。

「責任の所在なんてどうでもいい。俺はただ、お前の力になりたいだけなんだ」

 それが悠也の偽らざる本心だった。

「やっぱり口説き文句だ」

 彩夜はそんな感想を漏らしつつ、足をぶらつかせながら聞いてくる。

「私の記憶の夢だっけ。それってどこまで見たの?」

「……漠然としたイメージだったから、具体的にどこまでというのはないが……でも、苦しかったのと、それが和らぐ感覚は印象に残ってる」

「そっかぁ。結構恥ずかしいところまで知られちゃってたわけだ。悠也のえっち」

「っ、またわけのわからないことを」

 悠也が言いかけた瞬間だった。

 彩夜はぐい、と隣に座る悠也の顔を覗き込むように身を寄せて、

「ねえ、もっと知りたい?」

 吐息のかかる至近距離で、そんなことを聞いてきた。

「……何を」

「私のことを」

 まだ、視線は悠也の瞳を捉えたまま。

 思考が止まりそうになるのを必死に耐え、悠也は彩夜から顔を逸らす。

「タチの悪い冗談はやめろ。言ったろ。今は真面目な話を」

「真面目だよ。本気で聞いてるの」

「……どういう風の吹き回しだ」

「どうだろ。あえて言うなら、ただの気まぐれ」

「きまぐれの本気があるのか?」

「あってもいいんじゃない?」

 彩夜は姿勢を元に戻し、何もなかったかのように平然と夜空を見上げる。

「本当に特に理由があるわけじゃないんだけど、悠也になら色々話してもいいかなって。なんとなくそう思ったの」

「……そうか」

 考えてみれば、悠也は彩夜のことをあまり知らない。身の上話なんてする機会はなかったし、彩夜も語ろうとしなかった。――まるで、いつかの潤のように。

 その彩夜が、今は自分のことを話してもいいと言っている。

 たとえ本当にきまぐれでも、そこには確かな信頼が垣間見えたような気がして。

「聞かせてくれ」

 気づいたときには、悠也はそう言葉を返していた。

「いいの?」

 意外そうに瞬きする彩夜。

 それがおかしくて、悠也は思わず笑ってしまう。

「なんだその反応。まるでお前の方が話したいみたいじゃないか」

 彩夜はむっと口を尖らせた。

「からかってるつもり?」

「いつものお返しだ。たまにならいいだろ」

「よくない……けど、まあいっか。つまらない話だから覚悟してね」

「はいはい」

 そうして彩夜は語り始めた。

 なんでもないように穏やかな顔で、遠い夜空を眺めながら。


    ◇


 幼い頃から、私は恵まれた人間だった。

 緑に囲まれた田舎の小さな集落に生まれ、優しい両親と孫に甘すぎる祖父母に育てられた。学業の成績は良い方で、スポーツも万能。容姿に恵まれている自覚もあったが、綺麗に着飾るよりは泥に塗れて遊ぶ方が好きだった。一緒に遊んでくれる友人も多かった。

 でも、いつしかそんな日々を退屈と感じるようになった。

 高校生の頃は電車でまちへ出かけるのが日課だった。まちには知らない人が大勢いて、私なんかには見向きもしない。住民のほとんどが知り合いで道を歩けば声をかけられた集落とは大違い。私にはそれが心地よかった。それで退屈が満たされるわけではなかったけれど。

 自分が貪欲であるらしいことに気が付いたのはその頃だった。

 友人と笑い合うときも、家族で遊びに出かけるときも、異性に愛の告白をされるときも、一人でまちをぶらつくときも、心は一向に満たされなかった。何をしても物足りない日々の中で、一緒にいる相手に気を使って作り笑顔を浮かべるのばかりがうまくなった。

 私は恵まれた人間だった。それなのに、心は何かを渇望するばかりだった。

 満たされない。物足りない。つまらない。つまらない。つまらない。つまらない。

 何が足りないのかすらわからず、ただ渇きだけが心の中を渦巻いていた。

 贅沢だという自覚はあった。卑しくて貪欲な自分が嫌いだった。

 そんなある日の夕暮れどき、私の前に一人の男が現れた。

 存在そのものが黒という色を体現したように得体の知れない男であった。気を抜けば引きずり込まれそうな底の見えない深淵が、人の形を成してそこにあった。

 年齢は読み取れない。若くはなさそうだが、年寄りにも見えない。肌は病的に白かったが、黒衣がそれをすっぽりと覆い隠していた。表情は無。それは張り付けたような無表情という意味ではなく、男の内から生ずる感情を彩夜がまったく読み取れなかったという意味だ。

「つまらなそうな顔をしているな。死人のようだ」

 それが男の第一声だった。唸るように低く、威厳に満ちた響きだった。

「君の渇望を私が満たそう。そのために、私と契約してもらいたい」

「契、約……?」

「端的に言えば、その体を貸してほしい」

 まるで鈍重な置物のように一歩も動くことなく、男は言葉を放つ。

「対価は幸福。人類を悲嘆から救済する楽園の創造だ」

 言っている意味がわからなかった。宗教の勧誘か何かだろうか。

 はっきり言ってどうでもいい。だがどうでもいいというならば、今の生活も同じだった。

 何をしても満たされない日々。この渇きが満たされるというのなら、悪くない。

「どうだ。興味はあるか?」

 どこまでも黒い瞳に、揺れる心を見透かされているようだった。

「あなたは……誰?」

 男は答えた。

「人の幸福の探求者――――魔術師、破荒墨影。君の幸福を約束しよう」





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