魔術師らの経緯
カフェ・Vivre店内にあるスタッフ用の休憩室。熊井彰隆がそこに立ち入るのは、先月アルバイトとして雇っていた名守幹恵が失踪――彩夜に殺されて以来だった。
デスクの上に置かれた手のひら大の竹細工の蜘蛛は、店内に飾られた木彫りの動物たちを見た名守が作ってくれたものだ。熊井はどうしても蜘蛛の置物を客の目に付く場所に置く気になれず、そのすぐ後で名守が死んでしまったためにずっと放置してしまっていた。
そっと触れた指先についた埃は、一か月という時間が決して短くないことを感じさせる。
名守がこの店でバイトを始めたのは、彼女の計画を遂行するのに邪魔な魔術師社会維持機関との繋がりを持った熊井を監視するためだった。そのせいで熊井は彼女の正確な行動を機関に報告できず、多数の人々が昏睡状態に陥るのを見過ごすことになってしまった。その意味で、熊井と名守の関係性は決して友好的なものではなかった。
もしかしたらこの蜘蛛も熊井を監視するための機能を有した魔術道具だったのかもしれない。熊井の『魔術師の勘』はこの蜘蛛から魔力を感じ取らなかったが、世の中には彩夜が有する跡切刀のように魔力を外部に感じさせない魔術道具も存在する。彼女には熊井に贈り物をするような理由もないのだから、むしろそう考えた方が自然だ。
だが、そう思いたくない気持ちが熊井にはあった。
『いいじゃないですか蜘蛛。かわいいですよ』
『そうかぁ? いや、どうも俺には若い子のセンスはわかんねえな』
名守がこの店にいたのは熊井を監視するためだが、それでも共に笑い合うことはあった。
当時の名守が何を考えていたかはわからない。真相は闇の中。だがそれなら自分の都合の良いように解釈してもいいだろう。過去とはそういうものだ。
「まだか」
不機嫌そうな女の声は休憩室の入り口から聞こえた。
「悪い、すぐ準備する」
熊井はそう返して竹細工の蜘蛛はロッカーの中片付けると、デスクを休憩室の中央まで移動させ、丸椅子を二つデスクを挟むように配置した。
「待たせたな、入ってくれ」
熊井が言うと、スーツ姿の女が休憩室に入ってくる。研ぎ澄まされた刃物のような雰囲気を纏ったその女が放つ魔力の気配は『勘』の優れた熊井を否応なく緊張させる。
魔術師。
悠也たちへの協力を決めた熊井にとってはあまり顔を合わせたくない相手だ。ましてその目的が先月の事件に関する話を聞くこととなれば尚更。熊井の失言が悠也の状況を一気に悪化させてしまうかもしれないのだ。
「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「いらん。世間話をしに来たわけじゃない」
「一応喫茶店なんだがな、ここ」
熊井は言いながら丸椅子に座り、女にも座るよう促した。
「あんた名前は?」
「霧崎だ。〈切断の魔術師〉と名乗った方が通りはいいかもしれんな」
それは先の一件で彩夜をこのまちへ派遣した魔術師の名前だった。
しかし熊井はそれ以前にも〈切断の魔術師〉の名を聞いたことがあった。あくまでも噂の域を出ない話ではあるが、機関の上層部にも顔が利く人物であるとか。
「……随分な大物が来たもんだ」
「世辞はいい。さっさと用件を済ませたい」
「愛想がねぇなぁ。言っておくが、俺から話せることはそう多くねえぞ」
「把握している。お前が名守幹恵に監視されていたのは疑っていない」
「なら何が聞きたい。あんたが報告を受けた以上のことは俺も知らんぞ」
「事件に関係していることをお前が認識していなかった可能性もあると思ってな。念のためだ」
「……何が言いたい」
「端的に聞こう。紅野彩夜と同一の魔力を有する人物に心当たりはないか?」
驚きが顔に出そうになるのを、すんでのところで堪えた。
「同一ってのはどういう意味だ。同じ魔族と契約でもしなきゃそうはならねえだろ」
「だからそれを聞いている。お前、『魔術師の勘』は鋭い方なんだろう?」
「……」
悠也のことを尋ねられているのは明らかだった。
(まだ誤魔化せるか……?)
熊井は考える。
わざわざこんな質問をしてくる時点で霧崎がその存在に勘付いているのは間違いないが、その一方で人物の特定ができているならこんな質問をしてくる理由もない。ここで熊井が対応を間違えなければ、まだ悠也を救うことは可能かもしれない。
「沈黙は肯定と受け取るが」
「……いや、今のは俺のことを言われて驚いただけだ。それより質問の意図が聞きたい」
「報告にあった戦闘による被害規模を考えると、あの小娘がそのままの状態で太刀打ちできたとは思えなくてな。仮に魔族化を多用していたとすればそういう人物が現れている可能性があるんだ。もし心当たりがあるのなら聞かせてほしい」
どうする?
実のところ熊井は彩夜と悠也の関係を事細かに知っているわけではない。何故悠也が彩夜と同じ魔族と契約するに至ったかまでは聞いていないのだ。その点についてはむしろ霧崎の方が詳しいかもしれない。そんな状況で下手なごまかしは逆効果だ。
「……話がよく見えねえ。もう少し詳しく状況を聞かねえと」
「下手な時間稼ぎはやめろ。自分の首を絞めるぞ」
すべて読まれている。この魔術師は本当はもう真相を知っていて熊井にカマをかけているのではないかとすら思えてくるほどに。
そんなとき、静かな室内にスマホの通知音が響いた。
霧崎のスマホだ。ポケットから取り出し、画面をつまらなそうに見て言う。
「どうやら答えてもらう必要はなくなったようだ」
「な、そりゃあどういう」
「ちょうど今私の連れが小娘とその仲間を連れてこっちへ向かっている。あとは当人たちに聞き出すだけだ」
◇
「師匠にお前らを連れて来いって言われてんだ。一緒に来てくれ」
倉沼にそう言われるがまま、悠也と彩夜は学校を後にした。
傘を差して縦並びに歩く。先頭は倉沼。その後ろに彩夜、悠也と続く。
「ねえ倉沼くん、さっきの子が使ってたのって霧崎さんが作った魔術道具だよね」
「少し前に盗まれてな。まさかあんなお嬢ちゃんの手に渡ってるとは思わなかったが」
いのりはあの刀を貰ったものだと言っていた。つまり盗んだのはいのりではない。
裏で糸を引いている人物がいる。
その人物が魔術道具を盗み出した実行犯。おそらくは魔術師だろう。
「さっきのお嬢ちゃんは知り合いか?」
「私は違うけど……悠也は?」
「知り合ったのは今日が初めてだ。向こうは俺を知っていたみたいだが」
「だってさ。残念だけど返してってお願いしてもダメそうだね」
「そりゃわかってる。そうじゃなくて、このままだとあのお嬢ちゃんが危険なんだよ」
「……どういうこと?」
「あの魔術道具は使い方がかなり特殊なんだが、その上まだ完成してなくてな。師匠が言うには暴走の危険があるらしい」
「暴走?」
「イメージとしちゃあんたの疑似魔族化が近い。アレは魂に接続して思考で操作する魔術道具……要するに、あの道具を使うこと自体が魔族と契約するようなもんなんだ。だから感情の揺れがそのまま出力や動作に影響するし、気を抜けば道具の方に心が引っ張られる。暴走が始まれば心を使い果たすまで止まらねえ」
魔族の影響で人が大きく変わってしまうのは悠也も知っている。
例えば人の血を何度も吸った彩夜のように。
例えば変わり果てた姿で破壊を撒き散らした潤のように。
だとすれば、いのりが人を殺したのもそれが理由かもしれない。魔術道具に振り回されて、したくもない殺人をして、今は罪の意識に苦しんでいる最中なのかもしれない。
だから悠也を求めた。人を殺したという事実は一人で背負うには重すぎるから。
もしそうなら、いのりは今も助けを求めているのではないか。
(……根拠はない。だが)
できることならもう一度話をしたいと思った。
罪を消すことはできなくても、手を差し伸べるくらいはしてあげたいと思った。
悠也が潤を殺したあの夜、彩夜が傍にいてくれたように。
やがて三人はカフェ・Vivreに到着し、そのままスタッフ用の休憩室に入った。
そこには熊井のほかにもうひとり、スーツ姿の女――霧崎楓がいる。
「師匠、紅野彩夜を連れてきたぜ」
「ご苦労。久しぶりだな小娘」
「久しぶり、霧崎さん」
彩夜はあくまでも穏やかだ。霧崎を警戒している気配はない。
それに対し霧崎の口調には棘があった。
「ここへ連れてこられた理由はわかっているな。報告になかったそこの小僧のことだ」
「……」
「お前、そいつの血を吸ったな」
「吸ったよ」
やはり動じることなく彩夜は返した。
「それが何を意味するかはわかっていたはずだ。お前はもう誰の血も吸わない。それがお前を生かしておく条件だった」
「うん。もちろんわかってるよ」
彩夜の代わりに表情を変えたのは悠也だった。
「おい、生かしておく条件ってなんだ。お前そんなこと一度も……」
「いいの、これは私の問題だから」
彩夜は悠也の方を見ることもなく毅然とした態度で霧崎を見つめる。
「事情があったの。判断するのはそれを聞いてからにしてほしい」
両者の視線が交差し、張りつめた空気のまま時が過ぎる。
その緊張を崩したのは倉沼だった。
「待ってくれ師匠、今はそれどころじゃねえんだ。例の魔術道具が見つかった」
その言葉で初めて霧崎の表情に動揺が浮かんだ。
「……詳しく話せ」
そうして倉沼による報告が終わると、霧崎は重々しく口を開いた。
「なるほど。確かに事態は一刻を争うな。だが倉沼、お前に聞きたいことが二つある」
「おう、なんでも聞いてくれ」
「一つ目。何故こんな重要な話を事前に報告しなかったのか。そして何故わざわざそこの二人への追及を後回しにさせるようなタイミングで報告したのか」
「たまたまだな」
堂々と宣言する倉沼に、霧崎は呆れた様子で額を押さえた。
「……二つ目の質問、教室で遭遇したのにその場でアレを回収してこなかった理由は何かあるか。お前の実力ならできたはずだが」
「たまたまだな」
「……」
霧崎は深々と嘆息した。
と、そこで彩夜が口を挟んだ。
「私のせいなの。私が怪我してて、倉沼くんはその治療を優先してくれただけ」
「あ、そうそう、そんなんだよ師匠。だから仕方なくだな」
「そんなものは理由にならん。魔術も知らん少女が相手なら殺して回収するくらい余裕だったはずだ。むしろ危害を加えず引かせる方が難しい」
「いーや残念ながらオレは未熟者だ。あれが精一杯だった。これはマジだ」
倉沼の言葉が嘘であるのはこの場でもっとも魔術に疎い悠也にもわかった。あの教室で倉沼はいのりを圧倒していた。殺すなら簡単だったはずだ。
でも殺さなかった。
さらに倉沼は悠也と彩夜を庇うために報告のタイミングをずらした。
彩夜が倉沼を一切警戒しなかった理由が少しわかった気がする。
基本的にいい人なのだ。この男は。
霧崎もそれを知っているのだろう。だからそれ以上倉沼を責めようとはせず、代わりに立ち上がりながら言った。
「なら仕方がない、私も出よう。アレは早急に回収すべき代物だ。行くぞ倉沼」
「霧崎さん、私は」
「お前たちの件は後回しだ。倉沼に感謝しておけ」
彩夜にそう言って休憩室を出ていこうとする霧崎。
だが悠也はその進路に立ちはだかった。
「どういうつもりだ」
鋭い視線が悠也を射抜いた。
「……いのりを、殺すつもりですか」
「可能性はあるだろうな」
「駄目です、それは」
霧崎が眉間に皺を寄せた。
「……駄目なんです、殺して解決なんて。そんなの……駄目だ。まだいのりの事情も聞いていない。それなのに殺すなんて」
「事情を聞けば解決するのか? そもそも話が通じる相手なのか?」
「わかりません。でも」
「わからないじゃ駄目なんだよ既に人が殺されている。お前たちも殺されかけた。魔術師以外が魔術の存在を知っただけでも殺す理由には足りてしまうんだ。これ以上の被害が出る前にその子を殺すのは合理的だろう」
「合理的かどうかとか、関係ありません。人を殺したからとか、危険だからとか、そんな理由でその人を救うことを諦めるべきじゃない。諦めたくないんです、俺は」
「ならお前をここで殺す」
冷たく言い放たれた言葉で、室内はしんと静まり返った。
悠也は言葉を返したかったが、できなかった。自分では目の前の魔術師にどうあがいても勝てないのがわかっていた。
だが、それでも退くことはできなかった。
「霧崎さん、そのくらいにしてあげて」
静寂を破ったのは彩夜の声だ。
「悠也、霧崎さんだって別にあの子を殺したいと思ってるわけじゃないよ」
「え?」
「あくまで最悪の場合の話をしてるだけだもの。本心では助けたいって思ってるはず」
それを聞いた霧崎は鼻で笑った。
「何を根拠に」
「霧崎さんは私を見逃してくれた。沢山の人が殺される理由を作って、秘匿しなきゃいけない魔術の存在が広まるリスクまで抱えた私を、霧崎さんは殺さなかった。悠也のこともそう。なんだかんだ言いながらすぐには殺さないでくれてる。だからきっと、いのりちゃんのことも本音では殺したくないと思ってる。そうでしょ?」
「……買い被りすぎだ。お前のせいで殺された内の多くを殺したのも私だということを忘れていないか?」
「それでも、助けたいって努力はしたと思う。霧崎さんはそういう人だから」
霧崎はしばしの間無言でいたが、やがて大きく嘆息してから口を開いた。
「確かにお前の言う通り、助けようとはするかもな。だがその少女の本心がどうであろうと、必要があれば私は躊躇いなく殺すよ。魔術師とはそういう生き物だ」
悠也の目を見て続ける。
「なあ小僧。お前が反対する理由はなんだ。そいつはお前に突然刃物を向けてくるようなやつなんだろう。それに自分を人殺しだと言ったそうじゃないか。だとすればこれは悪人が自分のしたことの報いを受けて死ぬだけの話だ。それが気に入らないのか?」
「……それは」
霧崎の言葉は暴論のようで、しかし意外に反論するのが難しかった。
人殺しが報いを受けるのは当然だ。それは悠也の中にもある考え方だった。
「悪に天罰が下るのは気分がいい。正義の味方様にとって悪者の事情なんて知ったことじゃない。人なんて所詮はそんなものだ。違うのか?」
「……俺は、悪側の人間ですから」
考えた末に見つかった理由はそれだけだった。
悠也も人を殺した。だからいのりに入れ込んでしまっている。それだけ。何かほかに理由があったのかもしれないけれど、もっともらしい答えは浮かばなかった。
そして霧崎はその答えを否定しなかった。
「……それなら仕方ないな。だがすまない、今回は相手が相手だ。やはり殺さないという約束はできない」
「……いのりの裏にいる魔術師のことですか?」
「流石にそこまでは気づいていたか」
霧崎は感心した様子で続けた。
「あいつの魔術は人の心の声を聞く。子供相手なら洗脳じみた人心掌握くらいはお手の物だ。説得で目を覚まさせるのは簡単じゃない」
その説明は、同時に悠也の中の疑問の一つを氷解させた。
いのりが潤の名前と悠也の殺人を知っていた理由だ。わかってしまえば簡単。悠也の心の声を聞いた魔術師が、彼女にそれを吹き込んだだけのこと。
「でも、その魔術師はどうしてそんなことを。いのりにそんな危険なものを持たせて、何をするつもりなんですか」
「具体的な目的はないだろうな。当人はゲームでもしているつもりなんだろう」
「ゲーム?」
「ああ。……あいつはただ、私に構ってもらいたいだけなんだよ」
つまらなそうに言い、霧崎は目を伏せる。そこには呆れとも落胆とも異なる何かしらの感情が垣間見えた気がしたが、悠也がそれに思い至るより先に霧崎は目を開いて切り替えるように言った。
「とにかく事態の収拾は急務だ。どうしてもその少女を殺させたくないというのなら、小僧、お前が盗まれた魔術道具を取り返してこい」
「……いいんですか?」
意外な提案に悠也は目を丸くした。
「良くはない。だがここでこうしている時間が一番無駄だ。お前たちが思い通りに動かない以上私はそれを前提に行動するしかない。……そうだな、もしお前が盗まれた魔術道具を回収できたならお前の有用性も認めようじゃないか」
「有用性……?」
「私に有益な限りはそこの小娘と同じように面倒を見てやる。命を保証してやると言っているんだ」
さらに意外な提案に、悠也は重ねて驚いた。
破格の好条件だ。
いのりは放っておけないが、悠也個人にとって目下最大の問題は霧崎に悠也の生存を認めさせられるか否か。その両方が同時に解決できるとすれば一石二鳥。断る理由がない。
悠也は力強く返した。
「やります。やってみせます、絶対に」
「返事だけは一丁前だな。言っておくが、殺さずにアレを回収するなら使用者を説得する以外にないぞ。アレは魂に接続して使用する特殊な道具だ。本人に手放す気がないのなら殺して強制的に分離させるしかない」
霧崎は悠也を煽るように口角を上げた。
「これで余計な被害者が増えるようならそいつらはお前の我がままで殺されたようなものだ。それがわかっていて言ってると思っていいんだな?」
「はい。そんなことにはさせません」
「……それは結構なことだ」
他人事のように言う霧崎は、刹那、柔らかな笑みを見せたような気がした。
「しかし小僧、そこまで言うのなら当然相手の居場所の見当くらいはついているな?」
悠也は胸ポケットのメモ用紙を取り出し、
「さっき連絡先を渡されました。呼び出せば応じてくれるかも」
「来てくれなかったらどうする?」
「そのときはまた考えます。クラスメイトを当たってみるとか、やり方はあるはずですから」
「そうか。ならやってみろ」
言われてすぐ、時間と場所を指定したメッセージを送信した。
なんとなくだが、いのりは来てくれる気がした。いのりの悠也への執着は好意というより理想や願望に押し付けに近いものであったが、それでもその気持ちは嘘ではなかったように感じる。その気持ちを利用するようなやり方に罪悪感を感じないわけではなかったが、今は手段を選んでいられない。
そしてその予想を裏付けるように、すぐ返信が来た。
「来てくれるそうです」
「そうか。なら私は黒幕の方を探るとしよう」
霧崎が言った。
そしてその直後、彩夜が口を開いた。
「私も行く。悠也だけじゃ不安だし」
「……」
「さっきだって殺されかけたでしょ。一人で行くなんて無茶だよ」
「だが」
と、そこで悠也の言葉を遮る声。
「待ちな。紅野彩夜、お前はここで待機だ」
倉沼の声だった。不服そうな顔をする彩夜に倉沼は続けて言う。
「歩くだけでやっとなくせに強がんじゃねえよ。バレてねえと思ったのか?」
彩夜ははっとしたように悠也を見た。
悠也は視線を逸らす。
ここへ来る途中、彩夜が無理して普通を装っているのには気づいていた。
「離れた二つの面を繋ぐのがオレの連結の魔術だ。裂かれた血管や筋繊維を繋ぐだけならいくらでもできるが、失われた部分を再生できるわけじゃねえ。お前の体はガタガタのスカスカ。とてもじゃねえが役に立たねえよ」
彩夜は焦るように反論する。
「そんなことない。ほら、普通に体だって動かせる」
「だからバレバレだっつってんだ。あれは師匠がそういう風に作った不死殺しの刀だぜ。治療するにはまず道具の方を回収してその効果を解くしかねえ。むしろ今死んでねえのが奇跡的なくらいなんだ、あんたは」
「……でも」
彩夜は俯き、悔しそうに口を引き結んだ。
「不死殺しと言うのは、跡切刀と同じということですか?」
悠也が尋ねる。答えたのは霧崎だ。
「少し違うな。どちらも事象に干渉する点は同じだが、跡切刀がそのものと定義された存在を切り取るのに対し、アレは切られたという情報を挟み込む刀だ」
不審な顔をする悠也に霧崎は重ねて説明する。
「例えば物体Aを跡切刀で切る場合、物体Aが存在するという事象が切り取られ、結果として物体Aはこの世界から消えることになる。ここで問題になるのが物体Aと定義される範囲が把握しづらいことだ。人の腕を切り落としたのならそれはあくまで腕を切ったにすぎず、その人物そのものを切ったことにはならない。跡切刀は刃の触れた場所を中心に対象を定義するからだ。腕が中心なんて人間はそうそういない。だがこれが例えば心臓となると問答無用でその人物を完全に葬り去るだけの力を発揮し、そしてその範囲は過去や人の認識にまで及ぶ。そういう区分、範囲の定義が大雑把で不安定。それが跡切刀の特性であり欠点でもある」
これに対し、と霧崎は続ける。
「今問題になっている魔術道具は切断されたという情報を挟み込む刀だ。跡切刀のように不明瞭な定義づけを行わず、ただ切られたという情報を付与することで対象物を切断する。故に人の認識や記憶にまで効力が及ぶことは無いし、切られた部位を中心に対象が消えてなくなることもない。しかし切断されたという情報が残留する限り治療や再生は一切できない。どんなに治そうとしてもそこには切断されたという情報が残っているからだ」
「……だから、その残留した情報を取り除かない限り彩夜は治らないと」
「そういうことだ。そのためには少女から刀を取り上げるしかない」
悠也は情報を整理する。
話を聞く限り、跡切刀と問題の刀の最大の違いは切り取るか付与するかという対照的な性質にある。あくまで切られたという情報を付与するにすぎない今回のケースでは、それを取り除くことで彩夜の肉体は再生する。しかし無茶をして彩夜が完全に死んでしまった場合、付与された切断という情報を戻しただけでは不足だ。死は刀によって付与された情報ではなく、切られたことによる結果なのだから。
「悠也……、それでも私は……」
縋るような目で見てきた彩夜に、悠也は告げる。
「彩夜はここに残るべきだ」
「どうして……っ? 私がいなかったら悠也は殺されてたかもしれないのに」
「殺されそうだったのはお前も同じだ。それに俺は説得に行くんだ。戦力は必要ない」
「そんなの詭弁だよ。あの子は悠也を殺そうとしてる。それなのに一人で行くなんて」
「もしそうならますますお前は連れていけない」
「なんでよ。私の命なんて別に」
「お前の心配じゃない」
悠也はあえて突き放すように冷たい語調で言う。
「俺はまだ弱くて、魔術のことも全然知らなくて、できることなんてほとんどない。今お前に死なれるのは都合が悪い」
彩夜は自分の命を粗末に扱う。それは過去の自分自身の行いに対する後ろめたさから来るものだ。潤を殺し、その後ろめたさから死のうとした悠也と同じ。
死にたがり同士だからこそ、この言い方が最も効果的だとわかっていた。
「これは俺の有用性を示すための試験でもあるんだ。一人でもやってみせるよ」
「……悠也」
彩夜はまだ納得いかないという風な顔をしていた。
そのとき今度は倉沼が声をあげた。
「いい男気だ。そういうことならオレも着いて行ってやらねえとな」
「いいんですか?」
「流石に一人でアレとやりあえってのは酷だろ。お前が一人で行って一人で殺されたんじゃ意味がねえ。構わねえな、師匠」
「いいだろう。こっちも一人の方がやりやすい。そっちは好きなようにやってくれ」
「つーわけだ紅野彩夜。こいつの面倒はオレが見てやる。お前は安心してここで待ってな」
倉沼は白い歯を見せて笑った。
それでようやく、彩夜は観念したように息を吐いた。
「……わかった。倉沼くん、悠也のことお願いね」
「おう」
「悠也、これ持って行って」
彩夜は跡切刀を悠也に差し出した。
「あの子を殺すためじゃない。けど、身を守るためにはあった方がいい」
「……ありがたく使わせてもらう」
そんな調子で、悠也は倉沼と二人でいのりの説得に向かう運びとなった。
休憩室を出てフロアへ。そのまま店を出ていこうとした。
だができなかった。
一人の少女が出口を塞ぐように立っていたからだ。
「織、原……?」
悠也は動揺を隠しきれない。何故幸姫がこんなところにいるのか。いやいるのはおかしなことではない。この店には一緒によく訪れている。だから問題はそこじゃない。
「悠也。その人知り合い?」
幸姫が悠也の隣の倉沼を視線で示しながら言った。
そう。問題はこれだ。
今この瞬間、悠也を介して間接的にだが、幸姫と魔術師に接点が生まれてしまった。誤魔化せば今度は倉沼に疑いを持たれる可能性がある。かといって、正直にすべてを話すのは最悪の選択だ。しかし迷っているうちに霧崎が休憩室を出てくれば事態はますます悪化する。何かしらの言葉は返さなければならない。
「……一応、そうなる」
「そう」
淡白な反応は、悠也の答えを初めから察していたかのようだった。
「あのね悠也、聞きたいことがあるの。悠也、最近何か悩んでるでしょ。それって」
「悠也」
幸姫の言葉を遮ったのは、悠也の背後の休憩室から出てきた彩夜だった。
「ここは任せて。悠也にはやるべきことがあるでしょう?」
「……頼む」
それだけの言葉を絞り出すのに、奇妙なほど長い時間がかかった。
そうして歩き出す悠也の前に幸姫が立ち塞がる。
「待って悠也。少しでいいの。だから」
「ごめん織原。急いでるんだ、俺」
「……っ!?」
幸姫の両目が驚愕に見開かれた。
悠也はすっと目を背ける。今の言葉が幸姫を傷つけかねないことはわかっていた。それをわかっていて、幸姫を傷つけるつもりで発言した。その後ろめたさからだった。
「ごめん」
目を見ることもできずにそう言い残して、悠也は幸姫の傍を通り過ぎた。
そうして今度こそ、悠也と倉沼はカフェ・Vivreを後にする。
フロアに残ったのは彩夜と幸姫の二人。
彩夜は微笑を浮かべて幸姫に言った。
「せっかくだし、お話でもどう?」




