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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第二章 混濁した喜悦の在処
32/78

罪過の反響


 頭が真っ白になりそうだった。脳が理解を拒んでいた。

 だって、こんなメッセージはありえない。


『シキネジュンのことで話したいことがあります。放課後、教室で待っていてください』


 敷根潤。それは悠也の親友の名前だ。

 だが彼に関するあらゆる痕跡はこの世界から失われた。悠也と彩夜の二人を除き、潤のことを覚えている人間はこの世に誰一人として存在しない。彼を指し示す物理的な痕跡も一切残されてはいない。クラスの名簿にも、アドレス帳にも、戸籍にも、彼の名前はもう残っていない。それが彼の命を奪った魔術道具跡切刀の効力だ。


 ほかならぬ悠也が、跡切刀で彼を殺した。

 その感触を覚えている。物質ではなく事象を切り裂く刃が彼を貫いたあの瞬間。そのあまりに軽かった手応えが、まだ手のひらに残っている。忘れられるはずもない。


 だというのに、これはなんだ。


 何故、敷根潤の名前がこんなメモ用紙に記されている?

(目撃者がいたのか……?)

 跡切刀には、その刃が対象を切る瞬間を目撃した人物の記憶だけは消去しないという性質がある。悠也と彩夜から潤の記憶が消えていないのはそれが理由だ。もしも他に潤のことを覚えている人がいるなら、その人物は悠也の殺人の目撃者ということになる。


(もしもそうだとして、その意図はなんだ?)

 譜面通りに潤のことを話したいわけではないだろう。この人物は悠也の殺人を知りながらも潤のことを話したいと言ってきた。つまりは脅迫。私はお前のしたことを覚えているぞ。そういう意図が汲み取れる。


(いや、だが何故今更。あれから一ヶ月も経っているのに)

 一ヶ月前から悠也の殺人を知っていた人間が今になって脅迫してくる理由がわからない。

 何か勘違いをしている気がする。根本的な部分で。

 そう、例えば。


(一度は忘れていたが思い出した。そう考えたらどうだ……?)

 あの殺人に目撃者はいなかった。このメッセージの差出人も一度は潤のことを忘れていた。しかし最近になって思い出した。そう考えれば一ヶ月の時間のズレに説明がつく。

 あとは跡切刀によって失われた記憶が戻ることがあり得るかどうか。


(魔術師なら……可能かもしれない)

 魔術はこの世界の法則ではあり得ないことを異世界の法則を用いて可能にする。いくら理屈を並べて不可能と断じようと、魔術の前では無意味。どんなにあり得ないことであっても起こり得るのが魔術だ。だから魔術師になら潤の記憶があっても不思議はない。


 しかし今学校内に魔術師がいるなら、彩夜が『魔術師の勘』でその存在を察知し、悠也に伝えに来るはずだ。現状そうなってはいない。魔力の気配を消して『勘』から逃れられる魔術師もいるというが、今この町にいる魔術師の気配を既に彩夜は一度察知している。


 彩夜でも把握しきれていない魔術師がもうひとりいるのか。そうでなければ、このメッセージの主は魔術師ではない誰かなのか。魔術師でなくとも魔術師から情報のみを伝え聞いたという可能性は考えられる。


 いずれにせよ状況が悪化しているのは間違いない。

 悠也は一度校門の方を見やった。近くまで来ている彩夜に相談するか迷ったのだ。


 しかしやめた。その前に確かめておきたいことがあった。


 悠也は気を引き締めて階段を上り教室に入る。遅めの登校だったからか既にクラスメイトはほとんどが揃っていた。ゲームの話やら部活の話やらで賑わう教室の中に、予習をしている幸姫の姿があった。


 現在想定し得る最悪の状況。それは幸姫が既に魔術師と接触して記憶を取り戻していること。

 それだけは絶対にあってはならない。潤のためにも、悠也自身のためにも。あの一連の出来事のすべてに意味がなかったなんて、そんなことは許されない。だからそれだけは確かめたかった。

 

「おはよう、織原」

 いつも通りに声をかけると、幸姫は肩をぴくっと震わせた。

「……お、おはよう悠也」

 どこか挙動不審に思える反応だった。

(……まさか本当に? ……いや、俺が神経質になりすぎているだけか?)

 悠也は疑念を抱きつつも、表情には出さないよう努めながら尋ねる。

「今日の放課後って、何か予定あるか?」

 幸姫は困ったような顔をした。

「ごめん、今日は月乃と帰る約束しちゃった。ちょっと相談したいことがあって」

「そうか。……ならいいんだ。すまん」


 悠也は内心で胸を撫で降ろした。

 放課後に友人と帰る約束。それは教室で待っていてほしいというメッセージと矛盾する。

 あのメッセージの主は幸姫ではない。


「ついでにもう一つ聞きたいんだが、」

 と、そこで予鈴が鳴った。

「悪い、また後で聞くよ」

「あ……うん。わかった。あとでね」

 そうして自分の席に着いた。


 魔術師と接触していないことは確かめられなかったが仕方がない。彩夜も言っていた通り、魔族との契約が切れた幸姫が目をつけられる可能性は限りなく低いのだ。

 それより今はメッセージの送り主が問題だ。

 この何者かは確実に魔術師と関係している。していなかったとしても、悠也の殺人を知っている。放置することはできない。


 幸い、今の幸姫との会話で得られた情報は多い。

 まず幸姫はメッセージの主ではない。そしてメッセージを受け取ってもいない。もしも受け取っていれば、放課後の予定を尋ねた際に何かしらの反応があったはずだ。幸姫は月乃と約束していると言っただけで、メッセージのことはおくびにも出さなかった。

 この時点で、呼び出されたのは悠也だけである可能性が高い。

 校内で潤との関わりが特に深かったのは幸姫と悠也の二人。そのうち幸姫はメッセージを受け取っていないのだから、当然そうなる。

 そして幸姫と悠也に違いがどこにあるかといえば、それは明白だ。

 悠也だけが潤を殺した。

 悠也だけが潤を覚えている。

 だとすればメッセージの送り主はただ潤のことを話したいのではなく悠也が知っている潤のことを話したいのだ。悠也が殺した潤のことを知りたいのだ。

 だが、だとすればそれはなんのために?


    ◇


「かわいそう……」

 昼休みの体育館裏。屋根のおかげでかろうじて雨を凌げる狭いスペース。

 件のメモについて話した悠也に彩夜は憐みの視線を向けてきた。


「……何を言ってるんだお前は」

「だって、下駄箱にメモでしょう。ラブレターとか告白の呼び出しとか期待したんだろうなぁって思うとさ、こう……ね?」

「ね、じゃない。そんな期待をした覚えはない」

「隠さなくていいんだよ。からかったりしないから」

「現在進行形でからかってるだろうが……っ!」

 聖母のふりをした魔女みたいな微笑を浮かべた彩夜に、悠也は嘆息する。


「便箋ならまだしもメモ用紙だぞ。こんなんで期待してたら自意識過剰だ」

「ほう、便箋なら期待するんだ。ふーん……」

「やるなよ。絶対にやるなよ」

「まあそんなどうでもいい話は置いといて本題だけど」

「……」

 解せない。確かにどうでもいい話なのだが、彩夜にそれを言われるのは納得がいかない。


 そんな悠也の内心に構わず彩夜は続けた。

「このメッセージに魔術師が関わっているのは間違いないと思う。でも今朝私が話した魔術師かどうかは微妙なところ。少なくともこのメッセージを書いたのは別の人だね」

「……根拠はあるのか?」

「あえて言うなら、性格? こんな丁寧な言葉遣いのイメージないから」

「……それだけか?」

「いやほかにも理由はあるよ。学外の人がわざわざ教室を待ち合わせ場所にする意味がわからないし。悠也の言う通り記憶の戻った学内の誰かって可能性は高いと思う」

「やっぱりそうか」

「幸姫さんは大丈夫だった?」

「確実じゃないが、放課後に俺を呼び出したような素振りはなかった」

「そっか。ならとりあえず一安心だ」

「ああ。だが魔術師の関係者が接触を図ってきている。気は抜けない」

 悠也は彩夜の目を見て続ける。

「真剣に答えてくれ。俺とお前が協力したとして、今このまちに来ている魔術師に勝てる可能性はどれだけある?」

「無理だね」

 彩夜はあっさりとそう返した。

「……それはお前が魔族化しても駄目なのか」

「うん。百回戦っても百回負けると思う。傷一つ付けられずに」

「……冗談だろ。だって、魔族化した潤が相手でもお前はあれだけ戦えた。それなのに、傷一つ付けられないっていうのか。何者なんだそいつ」

「だから魔術師だよ。跡切刀を作れちゃうくらいの天才魔術師」


 その理由の説得力は絶大だった。

 潤は言っていた。使用者の心を消費することなく回数の制限もなく効果を発揮できる跡切刀を作った魔術師は天才だと。


 だがそれだけではない。

 跡切刀を作れる。それは不死身を殺す術を有しているということにほかならない。


霧崎楓(きりさきかえで)。〈切断の魔術師〉の異名を持っていて、その名の通り魔術の性質は切断。道具を作る才能の方だけじゃなく頭も切れて、ただただ単純に強い。戦って勝てるビジョンはまるで浮かばない」

 悠也は絶句するしかなかった。

 魔族化した彩夜の力はよく知っている。〈煉霊の魔術師〉が使役したゴーストをものともせず魔族化した潤とも渡り合ったその力は、人間の域を遥かに超越していた。その彩夜ですら勝てるビジョンが浮かばないというのなら、いったい誰なら勝てるというのか。


 悠也は生きると決めた。だが早々にそんな魔術師と遭遇しなければならないのだとしたら、それはまるで生きることを咎められているかのようではないか。


「大丈夫。いざとなったら私が、悠也も織原さんも守るから」

 言外に「命を懸けて」の一節が含まれるだろうその言葉を、彩夜は軽い声で口にした。

 彩夜はいつもそうだ。いつだって自分の命がどんなものより軽い。だけどただ死ぬのは罪深いことだから、正当に死ねる理由を探している。悠也が死ぬのを引き止める一方で自分が死ぬ提案をしてきたあの夜のように。


 だけど、それは悠也も同じだ。

「俺はいいよ。織原を頼む」

 初戦は人殺し。命を捨てる気はないが、守られるほど価値のあるものでもない。


 そんな悠也に、彩夜は殊更に明るい声で言う。

「ほら、そろそろ戻らないと昼休み終わっちゃうよ。放課後に備えて告白の返事も考えなきゃいけないでしょ」

「……お前の気遣いは上手いのか下手なのかわからないな」

 彩夜は口元に微笑を浮かべ「なんの話?」ととぼけてくる。

 悠也は「別に」とだけ返して彩夜に背を向けた。

 もう教室に戻らないといけない。

 彩夜の軽口のおかげで少し気が楽になったことは、癪だから黙っておくことにした。


    ◇


 そして放課後になった。

 悠也は教室の窓際で一人、メッセージの相手が現れるのを待つ。

 他のクラスメイトは随分前に教室を出ていった。雨が降っていてわかりづらいが空の色も変わってきた。そうして誰も来ないのではないかと疑いを持ち始めた頃、一人の少女が教室に入ってきた。

 小柄な少女だ。後ろ髪は背中にかかる程度に長く、前髪も長め。染めているようでもない。全体としてはおとなしそうな印象を受ける。


「黒宮悠也先輩、ですよね?」

 少女は消え入りそうな声で言った。


「君は?」

「水無月いのりです。……いのりって呼んでください」

「あのメッセージは君が?」

 少女――いのりはコクリと頷いた。

「なら聞かせてもらう。シキネジュンとはなんだ。あのメッセージの意図は?」

「……変なこと聞くんですね。とぼけているんですか?」

「質問しているのは俺だ」

「なら答えます。シキネジュンさんは、黒宮先輩が殺した人の名前です」


 息を呑む。

 予想していたこととはいえ、直接それを言われると心臓に悪い。


「何故そう思う?」

「ある人に教えて貰ったんです。黒宮先輩も私と同じ人殺しだって」

「……同じ?」

「私も人を殺しました。だから、私たち仲間なんです。黒宮先輩」

 そう言っていのりは人懐っこい笑顔を浮かべた。


 どうやら潤本人を知っているわけではないらしい。何者かがなんらかの手段で悠也が潤を殺したことを知り、いのりに伝えた。そしてその何者かは、おそらく魔術師だ。


「……目的はなんだ」

「ふふ、警戒してるんですか? 大丈夫ですよ、仲間ですから」


 いのりの笑みには邪気がない。一切の嫌味を感じさせない純粋な笑顔だ。

 だからこそ読めない。この少女の狙いが。


「黒宮先輩って、好きな人いますか?」

「……質問の意図は?」

「わからないんですか? こんなこと聞く理由、一つに決まってるじゃないですか」

 言いながらいのりは悠也の傍まで歩み寄り、


「私とお付き合いしてください、黒宮先輩」

 僅かに頬を赤らめて、そんなことを言った。


 悠也は面食らったが、すぐに落ち着きを取り戻す。

「……悪いけど、俺は君のことをよく知らない。よく知らない相手とは付き合えない」

「これから知っていけばいいじゃないですか。大丈夫、きっと気が合いますよ、私たち」

「どうしてそう思う?」

「二人とも人殺しだからです」

 本気でそう思っている。そうとしか感じられない表情に悠也はぞっとする。

 それに気づいたかどうかはわからないが、いのりは急に不安そうな顔をした。

「駄目ですか? やっぱり好きな人がいるからですか?」

「そういうわけでは」

「織原幸姫さん」

「……」

「今動揺しましたね。やっぱり先輩が好きなのって織原先輩なんですか?」

「……織原はただのクラスメイトだ。君が思うような感情はないし、それほど仲良くもない」


 この少女は明らかに危険だ。何をするかわからない。悠也にとって幸姫が弱みになると知られるわけにはいかない。


 そんな内心を見透かしたようにいのりは笑う。

「先輩って、あんまり嘘上手じゃないんですね。好きじゃないわけないじゃないですか」

「何を」

「だって、織原先輩が好きだった人を殺してまで、織原先輩を手に入れようとしたんでしょう?」

「っ……!」


 思わず手を上げそうになり、すんでのところで堪えた。


 そんな悠也を見て、いのりはまた微笑む。

「女の子を殴らない紳士なところ、ますます好きになっちゃいます」

「……君は誤解している。俺はそんなことのために潤を殺したわけじゃない」

「そうなんですか。でも実際好きですよね、織原先輩のこと」

「そう思うならそれでいい。好きな人がいるから君とは付き合えない。この話はそれで終わりだ」

「終わりじゃないです。織原先輩のことは諦めてください。傍にいたって辛くなるだけですよ。織原先輩が好意を向けてくれたとしても、それを黒宮先輩は素直に受け取れない。そんなの意味ないじゃないですか」

「……意味がない?」

「そうです。でも私は違う。私なら先輩を癒してあげられます。先輩が罪の意識に苛まれることもない。だって同罪ですから。同じ立場同士、支え合っていける」


 いのりは悠也のすぐ傍まで歩み寄ると、メモ用紙を悠也の胸ポケットに入れた。


「そんなに警戒しないでください。ただの連絡先ですよ」

 ぴったりと悠也に体を寄せて、囁くように続ける。

「今すぐでなくて構いません。もっと私を知ってからでいいんです。先輩が同じ気持ちになってくれたら、そのときは私の全部を先輩にあげます。心も体も全部、先輩の好きにしてください。……どうですか?」

 仄かに乱れた息遣い。僅かに震えた肩からは、少女の緊張が伝わってきた。



 悠也はそんな少女の肩に手を置き、迷いなく自分の体から引きはがした。



「やっぱり君、勘違いしてるよ」

「……先輩?」

 呆然とした様子のいのりに対し、悠也は淡々と告げる。

「俺が辛いだけとか、意味がないとか、そんなのどうだっていいだ。人殺しが辛い目に合うのは当たり前だ。俺は織原さえ幸せに生きられるなら、自分自身のことはどうでもいい。今すぐに死んだって構わない」

「……嘘。そんなわけ」

「確かに俺は生きることにした。だから簡単に殺されようとは思わない。だがそれは俺が死ねば悲しむ人がいるからだ。俺が幸福になることを望んでいるわけじゃない。それは俺に許されたことじゃない。その期待には答えられない」


 いのりは不審な目を向けてきた。泣きそうにも見えた。


「……意味わかりません。本気でそんなこと思ってるんですか?」

「ああ」

「私は……先輩の奴隷になったっていいんです。先輩の言うことならなんでも聞きます。言う通りにします。今すぐでなくてもいい。いつかでいいんです。だから、考えてくれるだけでも……」

 いのりは小さな手をきゅっと握り、震えた声で続けた。

「……それでも、私とは付き合えませんか?」

「ああ。俺はそんなもの求めてない。求めるつもりもない」

「そうですか。なら――――」


 その瞬間、悠也の拙い『魔術師の勘』が、少女から発される魔力を感知した。

 小さな唇が歪む。



「私に殺されてください。先輩」





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