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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第二章 混濁した喜悦の在処
31/78

罪過の残響


 夥しいまでの雑踏と喧噪の中に悠也はいる。人の波にただ圧倒される。

 ここはどこだろう。

 どうして、いつから自分はこんなところにいるのだろう。


「ぼーっとしてどうしたの?」


 声の方に振り向くと、すぐ隣に見知った人物が立っていた。

 織原幸姫。悠也の大切な友人の一人。

 それで悠也はようやく思い至る。通りに並んだ無数の屋台と、談笑しながらゆっくりと歩いていく人の群れ。その群れの中に悠也と幸姫もいる。


 ここは夏祭りの会場だ。

 以前から約束していた夏祭りに一緒に来た。ただそれだけ。


「悠也、聞こえてる?」

「ごめん、なんでもない。それより織原は何か食べたいものとかあるか?」

 尋ねると幸姫はくすりと笑う。

「本当にぼーっとしてたのね。食べ物なら潤が買いに行ってるじゃない」

「ん、そうか。そうだったな」

 何を言っているんだろう、自分は。

「今年は初めから三人集まれて良かったわね。まだ日も暮れてないし、花火には余裕で間に合いそう」

「だな。去年は潤が遅刻をしたから」


 ……あれ?


「ね。あいつのマイペースは今に始まったことじゃないけどさ」

 幸姫は呆れたように言う。


 ……なんだろう。何か違和感がある。


「あ、戻ってきた」

 幸姫が人混みの中の潤を見つけた。

 でも何故だか悠也には見つけられない。そこにいなければならない親友が見当たらない。


 否、見つかるはずはないのだ。


 右手にはいつの間にか跡切刀が握られていた。

 敷根潤は悠也が殺した。だからもう一緒に祭りに来ることはありえない。

 これは叶わなかった未来の光景。

 要するに、夢の中だ。



    ◇



 スマホのアラーム音で目が覚めた。

 寝起きの頭に響くアラームを止め、悠也は時刻を確認する。

 いつも通りの起床時刻が表示された画面の背景には、悠也と幸姫が二人で映った写真が設定されている。ただし二人の間には妙な間が開いている。元々三人で撮った写真なので当たり前だが、ひとりが欠けてしまっただけで随分と不自然な写真になってしまった。


 この写真は戒めだ。自分のしたことを忘れないための。


 気持ちを切り替えるべくゆっくりと息を吐いた、そのとき。

 ――ドンドンドン、と。

 ベッド脇、カーテンのかかった出窓窓を叩く音に悠也は肩を跳ねさせた。


 窓を叩かれるのがまずおかしいが、ここが二階であることが異常性に拍車をかける。

 はっきり言ってびびっていた。

 窓を叩く音は次第に強くなっていく。ガラスが叩き割られそうな勢いだ。

 意を決して恐る恐るカーテンを開く。


 そこには雨に濡れた姿で窓を叩く女がいた。濡れた前髪が顔に張り付いている。


 心臓が止まるかと思ったが、よく見たら見知った人物だ。

「……彩夜?」

 何してるんだろうかこんなところで。雨の中全身びしょ濡れになってまで。

 窓の外から鍵のあたりを指さす彩夜。開けろということらしい。


 そんなわけで頭のてっぺんから爪先まで水浸しの彩夜を部屋に招き入れた。

 床に腰を下ろした彩夜は悠也が用意したタオルで髪を拭きながら言う。

「みゃー、やっぱり屋根の下は落ち着きますにゃー」

 何やら口調がおかしかった。それだけ脱力している証拠だろうか。

「お前なんでずぶ濡れなんだ。潤の家なら傘くらいあるだろ」


 彩夜は現在、持ち主のいなくなった敷根邸を根城にしている。敷根潤という個人を示す痕跡はすべて消えたが、家の中に残された道具は自由に使用できる立場だ。


「傘は持ってたし差してた。けど来る途中で段ボールに入った捨て猫を見つけちゃって」

「置いてきたわけか」

 そして妙な口調の原因も判明。

「そういうこと。飼えないのに拾ってくるわけにもいかないし……悠也飼わない?」

「責任が持てない」

「だよねぇ……」

 彩夜はどっと息を吐いて、それから気を取り直すようにぐいっ、と伸びをした。


「にしてもこの感覚久しぶりだなぁ。初めてここ来たときもずぶ濡れだったんだよね、私」

「あったな、そんなこと」


 潤が引き起こした事件を追っていたときに雨が降り出して、この部屋に避難したのだ。

 彩夜はジャージの袖を指先で弄りながら、

「この若干ぶかぶかのジャージもあのときと一緒だ」

「あのときはこんなホラーテイストではなかったがな」

「ホラー……?」

 怪訝そうに首を傾げる彩夜。だがすぐに何かに気づいた様子でニヤリ。。


「もしかしてびびってた?」

「目が覚めたら二階の窓を何者かが叩き続けている状況を想像してみろ」

「びびってたんだ?」

 嬉しそうな顔をする彩夜である。

 実際びびっていた悠也だが、なんだか悔しくて素直に頷けない。

「悪趣味だ」

「だって玄関から入るわけにもいかないし、あんまり大きい声出すと悠也の家族とか近所の人に気づかれちゃうかもしれないし。最初は小さい声で呼びかけてたんだけど、悠也気づいてくれなかったし」

「寝てたからな」

「へえ。夢でも見てた?」

「ああ。……いい夢だったよ」


 嘘偽りのない言葉だった。

 三人で夏祭りに行くなんて幻想は、もう夢の中でしか見られない。


「で用件はなんだ。あるんだろ、雨の中こんな時間にここまで来たわけが」

「ああそうだった。あのね悠也、今この町に魔術師が来てる」


 あっさりと。

 彩夜はなんでもないことのようにそれを告げた。

「……っ、それじゃもし見つかったら」

「最悪の場合殺されるかも」

 焦る悠也に対し、変わらぬ落ち着いた口調で彩夜は返した。

 悠也は彩夜に血を吸われて不死身になった。だが魔術であれば不死すらも殺し得るし、むしろ不死身になったことが命を狙われる理由になってしまう。魔術を秘匿しようとする魔術師にとって、何かのきっかけで周囲にバレるかもしれない不死身という体質は放置するには危険すぎるのだ。

 だが。

「それだけならまだいい。……わかるだろ」


 本当に最悪なのは、幸姫が魔術師と接触してしまうことだ。


 潤が自分自身を含む多くの人の命を犠牲にしてまで求めた織原幸姫の幸福な日常。悲劇と理不尽で彩られた魔術師の世界とは関係のない平和な生活。潤を殺した悠也にはそれを守る義務がある。

 だから、幸姫と魔術師の接触だけはなんとしても避けなければならない。

 でなければ、悠也は人殺し(自分)が生きていることを許せない。


「それなんだけどね、実はその魔術師私の知り合いなの」

「! そうなのか。なら」

「もしかしたら話し合えるかもしれない。……けど」

「けど……? 何か問題があるのか」

 彩夜は頷く。

「私の監視を担当してる人なの。所謂上司的な。だから説得すれば見逃してくれるかもしれないけど……正直、どうなるかわからない。できれば見つからないに越したことはない」

「……いや、待ってくれ。お前、その魔術師と知り合いなんだよな。そいつ、『魔術師の勘』は使えるのか?」

「使えるよ。私と同程度には」

「なら、向こうもこっちの存在に気づいてるんじゃ……」

「そうなるね」


 彩夜は平然と言ったが、悠也は落ち着いていられない。

『魔術師の勘』は魔力の独特な気配を察知する技術で、これを使えば目視するまでもなく付近の魔術師の存在に気づくことができる。魔族との関節契約下にある悠也も当然この『勘』に引っかかる。

 彩夜が魔術師の来訪に気付いたように、魔術師も悠也の気配を察知できる。


「……それでお前が来てくれたのか」

「そういうこと。私がいない状態でいきなり魔術師と鉢合わせるよりはマシでしょう?」

「ああ。そういうところは流石だな」


 決して魔術師の来訪を予期していなかったわけではない。潤を殺してからもう一か月だ。いざというときに備えて敵を察知するための『魔術師の勘』の鍛錬は悠也も重ねてきた。だがその成果は今のところ窓の外にいる彩夜の気配も察知できない有様で、とても実用的とはいえない。


「でしょー。もっと褒めてくれても良くってよ」

「だが魔術師がこのまちに来た目的はなんだ。お前に会いに来たのか」

「びっくりするくらいスルーだったね今」

「……お前の上司みたいなものなんだろ。つまり潤の引き起こしたあの事件にお前を派遣したのがそいつってわけだ。あの事件の調査に来られたら、最悪、織原が目を付けられる可能性も」

「そこまでの急展開は無いと思うけど……結構色々誤魔化したから疑いは持たれるかも」

「こっちに接触して来ないのはそれが理由なんじゃないのか。虚偽の報告をしたお前自身を問いただしたところで嘘をつくのは目に見えている。先に調査をしているのかもしれない」


 そしてあの事件の調査を進めていけば、幸姫に行き着く可能性はゼロではない。


「心配し過ぎだって。もう彼女が『魔術師の勘』に引っかかることはないんだから」

 確かにその通りではある。

 潤の計画によって幸姫と魔族の繋がりは完全に途切れた。それが潤の狙いだった。

 だが万が一ということもある。


「念のため確かめたい。織原が魔術師と接触していないかどうか」

「どうやって? 下手に聞いたら不審がられるかも」

「それでも聞いてみるしかない。……大事なことなんだ」

「りょーかい。そうなると私は悠也の護衛役かな?」

「頼めるか。お前の『勘』の精度なら校舎の外からでも見張れるはずだ」

「そこをあえて堂々と学校見学っていうのは」

「やめてくれ」

「……食い気味に否定された。冗談だってば」

「そうか。すまん」


 彩夜なりに悠也をリラックスさせようとしてくれたのかもしれない。実際、気持ちの余裕がなくなっている自覚は悠也にもあった。

 だがそれも仕方のないことだろう。


「……これから何度もあるかもしれないんだな、こんなことが」


 今回魔術師をやり過ごせたとしても、またいつか別の魔術師が悠也の前に現れるだろう。これは悠也が不死の肉体を持つ限り逃れられない宿命なのだ。


「そう悲観的にならないの。案外、すぐに元の生活に戻れるかもしれないよ」

「無理だろそれは。適当なことを言うな」

「それが無理じゃなったりして」

「……できるのか?」

「前に言ったでしょ。私が死ねば悠也は元に戻るって」

「却下だ。お前の死にたがりには付き合えない」

 さらりとにこやかに言う彩夜を、悠也は強い口調で否定した。

 確かに悠也と魔族との契約は彩夜を介した間接的なものだ。彩夜さえいなくなれば魔族との繋がりが断絶され、悠也は不老でも不死でもない普通の人間に戻ることができる。

 だが、そんな方法で戻りたいとは思わない。


「でも、このままじゃ彼女まで危険に巻き込んじゃうかもしれない。大切な人なんでしょ?」

「それとこれとは別の問題だ。別に俺が元の体に戻る必要はない。俺の周りの人たちが悲しまなければそれでいいんだ。そのためにお前を殺すんじゃ意味がない」

「私は殺してもらえるなら幸せだけど」

「お前の願望は関係ない。俺が納得できないだけだ」

「うわ、すごいエゴイスト発言」

「そうだ、エゴだ。誰も悲しませたくないなんて人殺しの言葉にしては滑稽すぎる。それでも、そのために生きると決めたんだ」

 その決意に背いてしまえば、悠也は自分の命を肯定できなくなる。


「だったら、私を殺さず元に戻る方法があるなら話は別?」

「あるのか?」

「うん。ちょっと人任せな方法だけど」

「……聞かせろ」

「これはある人の推測なんだけど、私と魔族との契約も間接的なものである可能性が高いんだって。だから私が死ねば悠也が元に戻れるのと同じように、大本の魔術師が死ねば私も悠也も元に戻れるかもしれないって」

「……結局そういう話か」


 落胆だった。

 誰かを殺して解決なんて方法じゃ、とても前向きには考えられない。


「ちょっと違うよ。言ったでしょ、人任せな方法だって」

「どういう意味だ」

「悠也が何かしなくても、そいつはそのうち殺されるかも」

「……どういう意味だ」

「機関に追われている大罪人なの。だから殺そうとしている魔術師は結構いる」

「大罪って……何やったんだ? まさか魔術を誰かに教えただけとか言わないよな」

 機関の目的は魔術の秘匿。それによって今ある魔術師とそうでない人たちの社会のバランスを保つことだ。そのためなら殺人すらも許容するのが魔術師という生き物と聞く。


「おおまかに言えばそれだけだけど、もうちょっと悪質かな。何人もの人も攫って強制的に魔族と契約させる実験をしてるって内容だから。何を隠そう、私もそうやって契約させられた一人だったりして」


 気負わず明るく言う彩夜だったが、悠也はまるで笑えない。

 彩夜が契約魔族に由来する自分の体質を快く思っていないのはわかっていた。不死身なんて大抵の人間は喜びそうなものなのに、彩夜は悠也を不死身にしたことを本気で謝罪してきたくらいだ。それだけの苦難があったのだろう。それに疑似魔族化した際には怖くないのかとも聞いてきた。あれは自分の体質を肯定的に捉えていてば出てこない言葉だ。


 そこまではわかっていた。

 だがその体質が他者によって無理矢理与えられたものであるのは知らなかった。


「そいつは、今何を」

「変わらず同じことを続けてるんじゃないかな。ときどきその被検体っぽい人が見つかってるらしいよ。処分されたとか元から死んでたって話を十回は聞いた。私みたいな成功例がいるって話は聞かないけど」

「……」

 悠也は心の中で沸々と煮え上がるようなものを感じていた。人の人生を台無しにするようなことを何年も続けているその性根が理解できなかった。いったい何を考えていればそんなことができるのか。続けられるのか。一人を殺しただけで一杯いっぱいの悠也にはまるで想像がつかない。


「そう深刻に考えるようなことじゃないよ。簡単に攫われちゃう方も馬鹿でしょ」

「……そいつの名前は?」

「知ってどうするつもり?」

「…………わからない」

 本心からの言葉だった。

 彩夜は僅かな安堵を含んだ落ち着いた声音で言う。

「そっか。殺すって言うかと思った」

 彩夜の言葉は、ある意味では図星だった。


 一瞬、本当に少しの間だけ、悪人だから殺してもいいのだと思いかけた。


 だがそれは違う。個人にそんなことを決める権利はない。どんな人にだって自分の生活があって、大切に思ってくれる人がきっといる。今の悠也がそれを否定するのは自己矛盾にほかならない。

 彩夜は長く息を吐いて、その名を告げた。


破荒墨影(はあらぼくえい)


「……破荒、墨影」

 声に出してみると、その名には重みが感じられた。

 彩夜を魔術の世界に引きずり下ろした元凶。忌むべき敵。あるいは己の都合で他者の人生を変えてしまった黒宮悠也の同族。ならばこれは同族嫌悪なのか。それとも、嫌悪できない立場だからこそ重みがあるのか。


「とにかく、破荒が殺されれば悠也は不死身じゃなくなる。だからこの今は永遠じゃない。そう考えれば、少しは未来も明るくない?」

「……いや、どちらにせよやることは変わらない」

 誰も悲しませないこと。織原幸姫の平穏を守ること。

 それが今の悠也が生きる理由だ。

「そろそろ時間だ。色々教えてくれて助かった」

「どういたしまして」


 そうして悠也はいつも通りに身支度を開始した。

 考えるべきことは山ほどあるが、今は直近の課題を解決する方が優先だ。

 幸姫が魔術師と接触していないかどうか。それを確かめなければならない。



    ◇



 雨の中傘を差し、悠也は一人で登校した。彩夜は少し離れたところからついてきている。

 ひとまず無事に校門を潜り、昇降口に到着。ほっと安堵の息を漏らした悠也は、ふと自分の靴箱に入った四つ折りのメモ用紙に気が付いた。中に何か文字が書いてある。

 何気なく手に取り、愕然とした。

 そこに記されていたメッセージは、決してありえないはずのものだった。



『シキネジュンのことで話したいことがあります。放課後、教室で待っていてください』








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