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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
27/78

想いは呪いのように05




 空中で脚を掴まれた彩夜がハンマー投げのように放り投げられた。

 なんとか姿勢を立て直そうとするが着地する間は与えられない。先に屋上に着地した潤の瞳の奥の狂気が上空の彩夜を捉える。跳躍。屋上が放射状にひび割れるほどの衝撃と共に、異形と化した体が射出され彩夜に迫る。

 できたのは両腕を交差させて衝撃に備える程度。

 それすらも無駄に終わる。不意に潤が体を捻ったかと思うと、横殴りの衝撃が彩夜を襲った。薙ぎ払われた巨大な尾が、彩夜をオフィスビルの屋上へと叩き落としたのだ。体はコンクリートを突き破り、瓦礫と共に一つ下のフロアにまで転落した。

 激痛の中、彩夜はひび割れた骨と潰れた肉を強引に動かして体を起こす。跳躍して頭上の穴の淵に手をかけ屋上に戻る。下に行けば無関係な人を巻き込みかねない。叩き潰されるとわかっていても上に戻る以外の選択肢はなかった。

「……まさかこれほどだなんて」

 同じ屋上に着地していた潤を前方に見ながら彩夜は肩を上下させて呼吸を整える。

 魔族化が進行した状態でここまで圧倒されるのは初めての経験だった。初めは互角に思えた戦闘能力も、今はもう潤の方が上だ。徐々に彩夜が消耗しているというのもあるが、それ以上に潤の力が向上している。

 単純な力比べでは勝てない。

 作戦としては、例えば限界を待つという手もある。魔族化は魔術師の魂に負担をかけ、やがては崩壊させる。潤があの状態になってから数分、既にいつその時が訪れてもおかしくない頃合いのはずだ。一方、吸血によって負荷が抑えられている彩夜にはまだ余裕がある。

 だが、それは潤の状態が通常の魔族化であった場合の話。

 目の前の異形は、その姿からして普通じゃない。

 彩夜の髪や瞳のように、魔族化による魂の変質が肉体的な変化として現れるのは珍しくないことだ。だがそれはあくまでも人体が魂の変質に引きずられた結果であって、そもそも人が有さない翼が生えるといった事例は聞いたことがない。

 だから、あれは彩夜の知る魔族化とは別のものだ。おそらくは根本的なところで原理が違う。魂の侵食による暴走ではなく、人が魔族そのものに変化する術式。彩夜のが疑似魔族化だとすれば、潤のこれこそが正真正銘の魔族化だ。

 だとすれば、疑似魔族化と同様の対処が正しいとは限らない。このまま魔族化が進行すれば、さらに手の付けられない強大な力を獲得してしまう可能性もある。


 やはり殺すなら今しかない。


 頭ではそう考えていたはずなのに、彩夜の体は刹那の間停止した。

 悠也の顔が思考をよぎったからだった。

 そしてその一瞬が命取り。潤の様子に異変が生じた。ぐらりと体を腰のところで折ったかと思うと、次の瞬間、まだ翼のなかった右の肩から黒い翼が突き出した。魔族化がさらに進行したのだ。

 もはや一刻の猶予もない。

 翼が生えている途中の今が最大の好機と、彩夜は飛び出した。目にも止まらぬ速度で駆け、右の拳にありったけの力を込めて、渾身の一撃を放った。

 しかし潤は、それを片手で軽々と払いのけた。

 魔族化の進行した彩夜の全身全霊の一撃を、いとも容易く振り払って見せた。

 呆然とする。あるのは単純な膂力の差。それが残酷なほど大きい。

 今の潤は、疑似魔族化状態の彩夜の遥か上をいっている。

 潤の右腕が彩夜の首を掴んだ。そのまま地面に叩きつけられる。そして潤は、彩夜の頭蓋を地面に押し付けたまま、摩り下ろすみたいに屋上を駆けた。淵まで駆け抜け、飛ぶ。ようやく一対がそろった漆黒の翼は、潤に飛行能力を与えていた。

 遥か上空に飛翔したところで、彩夜はゴミのように放り捨てられた。

 意識がはっきりとしない。痛みはそれほどに強烈だった。魔族化のおかげで肉体の再生は進んでいるが、完全な再生が終わるより肉体が壊される速度の方が早かった。何より、圧倒的な戦力の差に戦意を喪失しかけていた。

 そして地上に向けて落下していく彩夜は、さらなる絶望を目にした。

「炎……」

 空中に浮遊する潤の手元に、小さな太陽を思わせる炎の塊が生まれていたのだ。

 それは一つの明確な終焉を意味している。

 彩夜は潤の魔術の詳細を悠也から聞いていた。何らかの流れを操作し、歪め、一点に集める渦という概念。彩夜が屋上に駆け付けた瞬間に潤が生成していた光の槍も、その延長上にある魔術だ。換言すれば、あの時点で使われていた魔術は敷根潤の心を対価にして使用されていたということになる。

 つまりあの時点では、潤の心はまだ残っていた。

 その後に彩夜を放り投げた瞬間はどうだ。一見無秩序に振るわれた暴力は、悠也と幸姫がいたあの場所から戦場を移すための行動だったとは考えられないか。あれは潤の崩れ行く魂が見せた精一杯の抵抗だったのだとは考えられないか。

 そんな風に思っていた。

 だから、もしかしたらと思った。

 悠也の希望が叶う僅かな可能性に、彩夜は心のどこかで縋ろうとしていた。

 だが今、目の前の怪物は炎を放った。

 契約魔族とは異なる性質の魔術。怪物の姿に変化する中でも、今この瞬間までは一度も使わなかった魔術。それはつまり、その点において明確な切り替わりがあったということ。


 より端的に表現すれば――今この瞬間を以て、敷根潤の魂は完全に死んだ。


「……ごめんなさい」

 視界が滲んだ。やはり救うことはできなかった。バケモノの彩夜にできるのは、傷つけ、壊し、殺すことくらいなのだと思い知った。

 だからせめて、その役割だけはまっとうする。

 精一杯腕を伸ばし、ビルの壁面、僅かな窪みを捉えた。落下の勢いは止まらない。指先だけでビルに張り付くことなどできない。だがその一瞬で、体をビルに寄せることはできた。

 炎の球体が打ち出される。

 ビルの壁面を蹴る。炎の球体はビルのガラスを突き破り、フロアが爆発炎上した。

 間一髪で逃れた彩夜は背の低い建物の上に設けられた看板に着地した。

 空を見上げると、潤は人のものとは思えない咆哮を上げて彩夜に向かってきていた。

 彩夜は身を屈め、こちらも潤に向けて勢いよく跳躍した。

 空中で視線が交錯する。ぶつかり合う。その瞬間、彩夜は全身を大きく広げて潤の拳を受け入れた。内臓が破裂し、喉の奥から大量の血液がこみあげる。

 しかし彩夜はそれと同時――不敵に笑った。

 右手で潤の二の腕を掴み、それを軸にして潤の後方へ回る。そこにあるのは翼だ。潤に飛行能力を与えている人ならざる部位。その根本を、掴んだ。

「もう、逃がさない……!」

 潤が慌てたように暴れ始める。地上二〇〇メートル以上の上空まで舞い上がったかと思うと、体を揺らし、今度は数百メートルを高速で飛行する。おおきな弧を描いて飛ぶ。彩夜を振り落とそうとしているのだ。

 だが彩夜はその手を離さない。

 巨大な尾が背中を叩く。それでも手は離さない。

 潤の掌に火球が生まれる。ビルのフロア一つを爆発炎上させた代物だ。いくら彩夜といえども、一撃で戦闘不能になるのは間違いない。

 だから、その前に彩夜は動いた。

 膂力では敵わない。だが、潤の体の構造そのものが強固になっているわけではない。

「これ、もらうよ……っ!」

 掴んだ翼の片方を全力で引きちぎった。潤が空中でバランスを崩す。本当はもう片方も引きちぎりたかったが、そうする前に振り落とされた。

 声とも呼べない絶叫が夜空に轟く。

 そうして、まずは彩夜が。続いて片翼を失った潤が。

 二人の怪物が、天高くから地に落ちた。

 体がぺしゃりと潰れ、意識が断絶し、

「――――――、…………っ」

 そして、肉体の再生と共に意識は戻る。

 体は動かない。やっとの思いで瞼を開く。

 そこは見知った場所だった。

 敷根邸の中庭だ。

 こんな場所まで飛んできていたのかと、若干の驚きを覚える。さっきまで戦っていたのは駅近くのビル街だったのに、この周囲には背の高い建物が一つもない。

 静かな住宅街に位置し、静寂を守る美しい中庭。

 その中に異物があった。本来ならこの景色の主であった少年の成れの果てだ。

(……しぶとい)

 あれだけの高さから落下して、まだ生きているなんて。彩夜は一度死亡してから再生したが、潤にそこまでの再生能力があるとは思えない。その証拠に、引きちぎられた翼はそのままだ。残っていた片翼で落下の衝撃を和らげたといったところか。

 それでももう瀕死には違いないらしい。彩夜の目に映るのは、時間をかけてふらつきながら立ち上がろうとする潤の姿だった。

 あと一撃でとどめを刺せる。

 彩夜は全身の力を振り絞った。再生途中の肉体に無茶を敷いて、なんとか立ち上がった。

 だがそこで彩夜は、この庭に自分と潤以外のもう一人がいることに気づいた。

「悠也……?」

 ゆっくりと、確かに歩を進め、少年は潤と彩夜の間に立つ。

 その手に常識破りの魔術道具、跡切刀を携えて。


    ◇


 夜道を全力疾走しながらずっと考えていた。

 黒宮悠也は敷根潤のために何をすべきか。何ができるのかを。

 でもわからなかった。

 何もわからないままここまで来てしまった。

 敷根邸の中庭。視線の先には怪物になり果てた親友の姿がある。

「……潤」

 反応はなかった。ふらつく体を支える以外に意識を割く余裕がないのかもしれない。

 歩み寄る。一歩一歩、確かな足取りで、目を逸らすことなく。

「悠也!」

 ふいに聞こえた彩夜の声に立ち止まり、背後に視線を向けた。

 彩夜は再生途中の体でかろうじてそこに立っていた。

「潤の魂は……完全に魔族に侵食された。そこにいるのは……もう、潤じゃない」

「……」

 悠也は彩夜から視線を外し、変わり果てた潤の姿を見ながら言う。

「俺は理不尽が嫌いなんだ。納得ができない。真剣な思いもひたむきな努力も報われてほしいし、何も悪いことをしてない人が酷い目に遭うのもおかしいと思う」

 世の中が不条理なのは知っている。

 でも、やっぱり嫌なものは嫌だし、認めたくないものは認めたくない。

「だから潤のしたことは認められない。どんな理由があっても、こいつのしたことはいけないことだ。償わなきゃいけない。……でも、それはもう無理なんだよな」

 目の前にいるのは怪物だ。

 夜空に暴れ狂うその姿を見た。

 ビルのフロアが爆発炎上するのを見た。

 ここで見逃せば、被害はまた拡大する。

「だからせめて、一緒に背負ってやろうと思うんだ」

 もう、罪は消えないから。

 悠也をまっすぐに見て、右手に握る跡切刀の感触を確かめてから告げた。

「潤。俺がお前を終わらせる。それで俺も人殺しだ」

 背後で彩夜が息を呑んだ。

「待って、悠也がそんなことする必要なんて……」

「ないだろうな。……しょうがないだろ、ほかに思いつかないんだから」

 意思を強く持つ。気を抜けば手が震えてしまう。体が意思を拒絶しようとする。

「俺がやらなくてもお前がやるつもりだった。だったら同じことだ。自分でやった方が諦めもつく」

 心を無にしてそう言った。

 ――瞬間。満身創痍の怪物の充血した目が、ようやく外敵を認識した。

 尾が大きく回転して悠也を襲う。反応できない速度。体は弾丸のように吹っ飛んだ。

「悠也!」

 声と同時、彩夜が悠也を受け止めた。着地。しばらく後方へ滑ってから停止する。

「平気?」

「問題ない。助かった」

 悠也は迅速に姿勢を立て直し、這いつくばった潤を見据える。立ち上がるためか左の肘を立てたところで、左腕全体が軋むような音と共に膨張を始めた。

「……まだ変わるのか」

 明らかに満身創痍の肉体が、さらに怪物らしく変貌していく。よく見れば体のほとんどは潤の形を残しているが、折れた片翼と長い尾の印象があまりにも大きかった。潤の魂を侵食した魔族にとってより適した形へと変わり続けているのかもしれない。

 だが、器である肉体はその変貌に耐えられない。

 膨張した左腕が内側から裂け破裂した。絶叫。だがまだ死なない。とっくに死んでいいレベルの怪我なのに、こっちの世界が初めての魔族にはそのあたりの感覚がわからないらしい。

「……お前とは違った意味でしぶといな。ちょうどよかった」

 そういうものに対して有効な武器が手元にある。

 器がいくら変貌しようと、存在そのものが消えてしまえばそれまでだ。

「あまり苦しませずに終わらせてやろう。これ以上痛そうなのは見たくない」

「私がやってもいいんだよ」

「その話は終わった」

「……わかった。もう止めない」

 満身創痍の怪物が立ち上がり、悠也たちを睨んだ。

「来るよ」

「ああ」

 跡切刀を握る感触を確かめる。手放さないようしっかりと握る。

 傷だらけの怪物が駆けた。知性の欠片も感じさせない、荒々しい獣の走り。

 悠也は冷静にそれを観察した。

 乱雑に伸ばされた右腕が迫る。

 悠也は一切動じることなく、跡切刀を前方に突き出した。

 たったそれだけ。


 肉を裂くのではなく溶かすような感覚と共に、刃は潤の体を貫通した。


 血は流れない。貫かれた心臓を中心に、その身は紅色の粒子となって消えていく。

 ここまで来て、最後はひどくあっけない幕切れだった。

「…………」

 何も考えないようにした。

 考えてしまったら、もう立っていられないような気がした。

 項垂れた潤はその身を預けるように、悠也の肩にもたれてきた。

「……悠也、か?」

 聞き間違いかと思った。

 だがこの声を聞き間違えるはずがない。

 耳元で囁かれたのは、紛れもなく親友の声だった。

「あいつは……幸姫は……どうなった……?」

 掠れた声で。

「俺は……あいつを……救えたか……?」

 そう尋ねてきた。

 悠也は込み上げてくる感情を押し殺して答えた。

「ああ。無事だ。ちゃんと、生きてる」

「……よかった」

 心からの安堵が滲んだ声だった。

「もう……やり残すことはない」

「馬鹿、これからだろ。織原は魔術から解放されて、幸せな毎日が始まるんだ。お前も」

「無理だ。……お前に任せる」

「七夕祭り、みんなで行きたいって約束した。楽しみにしてた。お前だってそうだろ。楽しいから一緒にいたんだ。違うのか」

 おかしなことを言っている。潤の胸を貫いたのは自分だ。それなのに何故こんな矛盾したことを言っているのか。自分で殺しておきながら、何故それを否定するようなことを言っているのか。自分で選んだくせに、何故潤を責めるような言葉ばかりが口を出るのか。

 潤は耳元で微かに笑った。

「……違くは……ないな」

「なら」

「それでも……お前にだったら……任せて逝ける」

 潤の体が軽くなった。

 悠也は思わず一歩退く。視線が合う。

「だってさ……俺が、こんなに頑張ったんだ」

 目を合わせた親友は、晴れやかな表情で続けた。




「お前なら、幸姫が幸せにならなきゃ理不尽だって、思ってくれるだろ?」




 それきりだった。

 敷根潤だった紅色の粒子は風に吹かれ、夜闇に溶けるように消えていく。

 最後の一粒が見えなくなるまで、悠也はその場に立ち尽くした。




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