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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
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想いは呪いのように04


 赤い空が落ちた。

 空を覆っていた赤いゴーストの渦が螺旋を描きながら屋上に落ちたのだ。さながら吹き荒れる竜巻。その中心部には、胸を光の槍で貫かれたまま宙に浮かぶ幸姫の姿がある。

 その眼前に立った潤は、竜巻の中の幸姫へ向けて片手を伸ばした。

「〈解〉」

 幸姫の胸を貫いていた槍が消える。不思議なことに、傷跡一つついていない。

 その様を見ながら、倒れた悠也は消え入りそうな意識の中で考えていた。

 何かがおかしい。違和感がある。

 潤の言葉がすべて真実だったとして、それでもまだ。

 何か決定的な真実を、潤は語らずにいるのではないか。

「や……め……ろ……っ」

 動けと命令しても、体に力は入らない。至る所が潰れて変な方向に曲がってしまっている。

 肉体は再生する。今も再生を続けている。

 だが、遅かった。

 幸姫の体からプラズマのような光が放出され、潤の体を包み込んだ。


    ◇


 子は大人に従うものだと思っていた。

 幼い潤にはわからないことばかりで、大人たちには自分の見えないものが見えていた。だから、それが一番いいと信じて疑わなかった。

 兄、敷根燎憲の研究もそうだ。魔術師社会の更なる発展のための尊い研究。それは何より優先されるべきものであり、未熟な自分が邪魔をしてはいけないものだと思っていた。

 だがある日、天啓とも言うべき出会いがあった。

 彼はそれを覚えていないだろう。だが、まだクラスメイトとして出会う前、潤は一度だけその少年と遭遇していたのだ。

 最初の印象は、物分かりの悪い子ども。大人のやっていることが気に入らないと喚くだけで、その実何ができるわけでもない。歳は変わらないはずなのに、潤にはその少年が随分と幼く思えたものだった。

 けれど、どうしてかその在り方は眩しく思えた。

 潤の中で何かが変わった。

 かつて、誰より大切な少女が犠牲になることを看過した。それが当たり前のことだと疑わず、その魂に術式が刻み込まれることに逆らおうともしなかった。

 あの選択が間違っていたわけではない。

 だが、正しさが欲しかったわけでもない。

 行儀の良い子である必要はなかった。魔術師としての正しさに拘る必要もなかった。敷根潤という個人にとって、そんなことはどうでも良かった。

 逆らえば良かった。

 認めたくないものは認めたくないと、感情のままに叫ぶべきだったのだ。

 過去には戻れない。

 あの選択は取り消せない。

 それでも、まだ救う術が残されているのなら。

 きっと、償うことはできるはずだ。

「や……め、ろ……っ」

 死にかけの親友の掠れた声に、潤はやっぱりと納得した。

 目の前の理不尽が受け入れられない。そんな幼稚さが彼の魅力だと、潤は知っている。

 だから計画の全貌は話さなかった。

 これが敷根潤の命を犠牲にして織原幸姫を救うための術式だと話したところで、彼は間違いなく妨害してきただろう。ほかに幸姫の命を救う方法がなかったとしても、彼は潤が犠牲になるような手段を認めなかったはずだ。

 そんな彼だから親友になった。高校で同じクラスになったとき、初めて人と仲良くなりたいと思った。

 ――激痛。

 幸姫の魂に侵入した魔族が、ゴーストという導線を介して潤の魂に入ってくる。魂を内側から侵食し、崩壊させる。

 それでも、潤は笑っていた。

 全ては計画通り。燎憲の術式に割り込み、魔族を潤の魂に移動させる。そうすれば、幸姫は魔術と関係のないただの人間に戻れる。

 その移動の終了を示すように、ゴーストの竜巻が晴れた。中心にいた幸姫がその場に崩れ落ちる。言うまでもなく、その体には傷一つ付いていない。

 ここまではすべて予定通り。

「〈炸裂槍・絶式・終局穿渦〉」

 光の槍が顕現した。

 これが最後の大勝負。

 幸姫の魂を崩壊させようとしていた魔族は潤の魂に閉じ込められた。この肉体が潤の管理下にある間、魔族は完全に無防備だ。

 長くは持たない。こうしている間にも、潤の魂は崩壊を続けている。そして完全な崩壊に至ったとき、暴走する魔族が幸姫や悠也の命を狙わないという保証はない。

 だからそうなる前に、この魂ごと葬り去る。

 敷根潤に許された最大威力の魔術を以って、この魔族を討ち滅ぼす。

 ふと見ると、悠也は悲痛な表情で何かを叫んでいた。〈終局穿渦〉によって生み出された暴風のせいで良く聞こえなかったが、潤を心配していることは理解できた。

 それが嬉しくて、潤は思わず軽口を言っていた。

「心配すんなって。お前との戦闘後に調整した改良版だ。今度はビルごとぶっ壊すなんて馬鹿なことにはなんねえからさ」

 そんなことを心配しているわけじゃない。そう叫ぶ悠也の声が聞こえてくるようだった。

 ――最後に、泡沫のような日々を幻視する。

 潤は穏やかな笑みを浮かべながら、光の槍を受け入れた。


    ◇


 その少し前、一つの決着があった。

 名守幹恵の胸を貫いた彩夜の右手には、潰れた心臓が握られている。

 人工の腕は引き千切られ、六本の脚は跡形もなく砕かれていた。

「ごめんなさい。私、バケモノだから」

 殺さなければいけないなら殺す。それができてしまう。

 紅野彩夜とはそういうモノだ。

 魔族化なんて関係ない。人が殺せてしまうその時点で、自分は人でなしのバケモノだ。

 普通の生活を送っている人からすれば、嫌悪されて当たり前の存在。軽蔑の対象。

 上空に虹色の光が生じた。潤の魔術だ。

「…………」

 潰した心臓と名守の亡骸を放り捨て、彩夜は走り出す。

 紅野彩夜はバケモノだ。だから、汚れ役を担うのは自分であるべきだ。


    ◇


 身動き取れないほどの烈風が吹き荒れ、虹色の光が視界を覆い尽くす。

 悠也は見ているしかできなかった。

 この体が動けば、あるいは止められたかもしれない。跡切刀であれば、あの光の槍を消滅させることができたかもしれない。数時間前にあの槍を受けたとき、悠也の頭蓋が元の形を残していたのは跡切刀のおかげだった。

 彩夜に血を吸われた肉体は、その傷を驚異的な速度で再生していく。だが受けた怪我が大き過ぎたのだろう、悠也はまだ立ち上がることもできない有り様だった。

「潤……っ」

 光が晴れた。

 すべてのゴーストが消滅したのか、夜空には星が輝いて見える。

 そしてその下の信じられない光景を前に、悠也は這いつくばったまま目を見張った。

「な……」

 左の肩甲骨から伸びるのは、人の身長の二倍はあろうかという巨大な漆黒の片翼。後方には先端の鋭く尖った尾が伸び、体の各部からは変形した骨が皮膚から突き出ている。

 異形の怪物。

 だがその本体は人の形をしており、その顔は悠也のよく知るものだった。

「潤、なのか……?」

「…………」

 怪物は一切の反応を見せない。その姿に、悠也は魔族化した彩夜を重ね見た。

「潤、俺がわかるか。……わかるなら答えろ。答えてくれ、潤」

 言いながら悠也は立ち上がった。全身が悲鳴を上げるが、贅沢は言っていられない。

 怪物の行動は非常にわかりやすかった。

 悠也との間を一瞬にして詰めると、その尾を叩きつけてきたのである。

 体が吹っ飛び、扉に衝突した。激痛。再生中の骨が粉々に砕ける。

「……っ、この程度」

 悠也は気合で立ち上がる。痛みで気を失いそうになるが、必死に堪える。

「潤……俺だ。お前の親友の……黒宮悠也だ」

 声は届かなかったらしい。

 怪物は苦しそうな咆哮を天に轟かせたかと思うと、その手に光の槍を顕現させた。

「あれは……」

〈炸裂槍・弐式・穿渦〉。〈終局穿渦〉には劣るが、強烈な威力を誇る魔術だ。

 今の悠也に跡切刀はない。どこかに落ちているはずだが、それを探している余裕もない。

 窮地に唇を噛んだ悠也のすぐ後ろで、扉が開いた。

 悠也が振り向くより早く、銀髪紅瞳の少女は怪物に向かって跳び込んでいった。桁外れの剛力と共に延ばされた細腕が、異形の怪物の右腕を叩く。魔術が中断され、光の槍が消滅する。

「彩夜!」

「下がって!」

 切迫した声。その声音が彩夜の余裕のなさを何よりも如実に表していた。

 力任せに振るわれる異形の尾、翼、腕、脚。そのすべてを、彩夜は理性的な身のこなしで捌いていく。互角に見えるが、少しだけ彩夜が押されている。異形の怪物の戦闘能力は、擬似魔族化状態の彩夜の上を行っているのだ。

 悠也程度が介入できる次元の戦闘ではない。だが引き下がれない理由があった。

「やめろ潤! ここには織原だっているんだぞ!」

 人間の域を遥かに逸脱した二人が争うそのすぐ傍で、意識のない幸姫が倒れているのだ。放って置けば巻き込まれるのは間違いない。戦闘に加勢できないとしても、せめて彼女だけは助けなければならないと悠也は思った。

 そして直後、チャンスは最悪の形で訪れた。

 異形の怪物と化した潤が彩夜の頭蓋を掴んで放り投げ、それを追うようにして隣のビルへと飛び移ったのである。

「彩夜! 潤!」

 思わず叫んだが、返ってくる声はない。二人は戦いながら次々とビルを飛び移っていく。

 悠也は己の無力に歯を噛み締めながら、倒れたままの幸姫に駆け寄った。

「……生きてる」

 今は眠っているようだ。ゴーストに襲われた被害者のように魂に傷を負っている可能性もなくはないが、潤の話と目の前で起きた出来事をすり合わせれば、そうでないことは見えてくる。

 潤は幸姫に仕掛けられた魔族化の術式を肩代わりした。そうすることで幸姫を救った。

「……これが目的だったのか」

 悠也は屋上を見回して、端の方に跡切刀が落ちているのを発見した。急いで拾い上げ、二人が消えた方角を見やる。

「…………」

 足手まといになるかもしれない。介入する隙なんてないかもしれない。

 それでも放っておくことはできない。

 何かをしなければならない。

 強迫観念とも言うべき義務感が悠也の足を突き動かす。



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