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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
25/78

想いは呪いのように03



 空を蠢くゴーストの渦。中心にはきっと重要な何かがあるはずだ。

 そう考えて走っていた悠也と彩夜はとあるビルの前で立ち止まった。

「これだね」

 彩夜が言う。空に渦巻くゴーストのほぼ中心に位置する高いビル。

 だが悠也は違和感を覚えた。

「……いや。たぶん、違う」

「え?」

「潤の魔術は渦。使いようによっては人の意識を逸らし、誘導することもできるらしい」

「あ……認識阻害の」

「それを踏まえてよく見てみると、このビルは中心から少しズレてる。本当の中心はこの奥」

 少し歩くと、やや高さの低い廃ビルがあった。屋上からは淡い光が漏れている。

「冴えてるね。やっぱり協力して正解だった」

「たまたまだ。あいつならこういうときは一捻りすると思って」

「なるほど。――ッ、悠也後ろ!」

 彩夜の声とほぼ同時、後方から鉄杭が飛来した。

 振り向いた悠也は跡切刀を閃かせ、鉄杭を真横に切りつける。その刃が捉えるのはそれがそこに存在するという事象そのもの。物質的な硬度は意味を成さない。魔術の刃に切り裂かれた鉄杭が赤い粒子となって夜闇に溶ける。

 その超常的な力を目の当たりにして、しかし悠也の驚きは別にあった。

 鉄杭の飛来に対し、咄嗟の反応が間に合った。

 それどころか、完璧にタイミングを合わせて切り裂くことができた。

 明らかに今までの悠也ではできなかったことだ。反射神経、動体視力、肉体の反応速度。そのどれもが劇的に向上している。彩夜に血を吸われた影響だろうか。

 これなら潤が魔術を使おうとも真正面から戦える。

 そんな風に考えたところで、ようやく悠也は目の前の敵の姿を視認した。

 視認して、絶句した。

「どうしました。そんなに驚いた顔をして」

 そこにいるのが名守幹恵であることは、その顔と声から明らかだ。

 しかしそれ以外がおかしい。

 その姿はアラクネと呼ばれるギリシャ神話の怪物を連想させた。腰から下に六本脚の『蜘蛛』が連結されているのである。よく見れば腕も球体関節の作り物に変わっている。さらに後方には円盤のようなものがついていて、そこに大量の鉄杭が装填されていた。

「この姿ですか? 砕かれた元の手足は使い物になりませんでしたから、代用品を付けただけです。操作はゴーストに制御下の一任していて……ほら、ちゃんと動くんですよ」

 穏やかな微笑で名守は言い、実際に手足を動かして見せた。

 彩夜は引き攣った笑みを浮かべる。

「何しに来たの。せっかく半殺しで済ませてあげたのに」

「あなたたちの足止めを」

「そう。でも今度は加減してる余裕ないから、そのつもりで――ね!」

 飛び出した。弾丸を思わせる突進。その髪は銀色に煌めき、瞳は紅に染まっている。

 身体への負担より迅速な撃破を優先しての判断だった。

 名守はそれに反応した。鉄杭の飛来。

 しかし彩夜は飛んできた鉄杭を素手で掴み、そのまま振り回した。鎖で繋がった名守の体が宙に浮く。そのまま放り投げた。向かうべき廃ビルとは反対方向へと。

「行って! 潤を説得できるとしたら、それは私じゃない!」

 感情の起伏は小さくとも力強い声だった。

 悠也は頷いて駆け出す。

 それを視界の端で見やり、彩夜は名守に視線を戻す。

 六本足の重量を活かして空中で姿勢を立て直した名守だが、着地時には僅かに隙ができた。

 そこへ飛び込む。人体の限界を超えた常識外の衝撃が名守を襲う。

 しかし名守は、それをあろうことか腕で受け止めた。

 彩夜は驚愕する。その腕は硬度もさることながら、反応速度が異常だった。

「ゴーストによる自動制御です。これなら、あなたの速度にもついていける!」

 数度打ち込んだ打撃は、すべて名守に防がれた。

 鉄杭の射出に気づいて回避、距離を取った彩夜に名守は言う。

「焦ることはありません。バケモノ同士仲良くやりましょう」

 一方、悠也はその戦闘を後方に聞きながら廃ビルに突入していた。

 目指すは屋上。休む間もなく全力で階段を駆け上がった。

 金属の擦れる音と共に、屋上への扉を勢いよく開ける。

 目の前に広がる景色は赤。

 足元に刻まれた幾何学模様が放つ光と、夜空に螺旋を描くゴーストの色。

「まさかお前が来るとはな」

 こちらに背を向けていた敷根潤は、そんなことを言いながら振り返った。

「殺したつもりだったが、偽物ってわけでもなさそうだ」

「ああ。お前を止めに来た」

 悠也は跡切刀を構え、そして気づく。

 潤のすぐ後ろの虚空に浮かぶ、まるで磔のようにされた少女の存在に。

「織原……?」

 その胸の中心には光の槍が突き刺さっていた。

 予想外の状況に困惑する悠也に向けて、潤は歪な微笑を浮かべた。

「せっかくまた会えたんだ。話をしよう。吐き気がするくらい最低な、ある男の話を」


    ◇


 無数の鉄杭が飛び交う空中を彩夜が舞う。

「この……っ!」

 焦りを隠せないのは名守だ。疑似魔族化によって大きく身体能力を向上させた彩夜の前に、名守の攻撃は尽く無力だ。ようやく杭が彩夜を掠めたと思っても、その程度ではすぐに再生されてしまう。

 対する紅の瞳は飛び交う鉄杭を冷静に見つめ、

「隙だらけだよ」

 間隙を見過ごすことなく鎖の上を駆け名守に迫る、

 疑似魔族化が大きく進行する状態にありながら、彩夜はまだ理性と感情を残していた。これは昔からのことで、他人の血を吸ったあとは魂の崩壊速度が緩やかになるらしい。昔は苦痛を抑えるために頻繁に他人の血を吸ったものだが、最近は我慢していたためこの感覚は久しぶりだ。――正直、負ける気がしない。

 渾身の膝蹴りが名守の鳩尾に入った。

 勝敗は決した。疑似魔族化状態での全力の膝蹴りを受けて起き上がれるはずがない。

 そのはずなのだが、

「……まだ、です」

 名守は立ち上がった。より正確には、もう動かない名守の身体をその一部を構成する部品が強制的に立ち上がらせているという有り様だった。その部品もほとんどがひび割れ砕けているにも拘わらずである。

 早く悠也を追いかけたい彩夜だが、ここで名守を放置したところで追ってくるのは明白だ。確実に行動不能にする必要がある。しかしこれ以上戦えば確実に殺してしまう。今更善人を気取るつもりはないが、それでもできるなら殺したくはないのだ。

 だから尋ねた。

「……どうしてそこまで」

 名守にここまでさせるものが、いったい何であるのか。

「目的があります。叶えなくてはならない」

 彩夜は黙って続きを促す。

 名守は素直に言葉を続けた。彩夜の足止めという意味では、戦うのも話をするのも同じことだからかもしれない。

「……数年前、潰えた夢がありました。神代家と敷根家が合同で研究していた人工魂魄。あらゆる魔族に適応する理想の器の構築。それを指導していたのが、敷根燎憲。あなたたちの知る敷根潤の兄であり、私の婚約者でした」

「その話なら少し聞いた。実験中に事故があったって」

 その事故で潤の家族は全員が死亡している。名守の婚約者であったという敷根燎憲も例外ではないだろう。

「だからこそ、私たちは契約したんです。あの人の意思を継ぎ、その夢を叶えようと」

「叶えて何になるの? これだけ目に付くことをした以上、機関による制裁は免れない。どんな成果を上げたところで、あなたたちに未来はない」

「でしょうね。でも、そんなの関係ないんです」

 彩夜は眉をひそめた。名守の言っている意味がわからなかった。

「理想の魂を創造する研究。魂とは心の器であり源泉です。心は魂より生じ、それが人の感情になり、意思になり、個人の人格を形成する。であれば、魂の創造とは人の創造にほかなりません。だから考えたんです」

 そうして、狂気の色を隠しもしない名守の顔を目の当たりにして。

「真に望み通りの魂を作ることができるというのなら、」

 ようやく、彩夜は名守の目的を察した。

「死者の魂を再現することも可能。そう思いませんか?」


    ◇


「と、そう考えてるわけだ名守幹恵は。敷根燎憲を蘇生することができるってな」

 悠也の前で、潤はあっさりとそう言った。

「不可能だよ。いくら精巧に再現したって、生まれるのは死者と全く同一の別人だ。死んだ人間が生き返るわけじゃない。そんなのはクローン技術にでも任せておけばいいんだ。わざわざ異世界の法則を用いてまで実現することじゃない」

「……なら、お前の兄の目的ってなんだ」

「魔術における新たな技術体系の構築。それがあいつの研究の本質だ」

「新たな……技術体系……?」

「心を対価として魔族から力を引き出し、任意の形で出力する。現行のあらゆる魔術はこの技術体系の中にあるが、そのせいで構造的欠陥も抱えているんだ。術の内容が個々の契約魔族の性質に依存するせいで普遍性と再現性に欠けるし、心を対価にするせいで行使には危険が付きまとう。根本から不完全な技術なんだ、魔術ってのは」

 言われてみればその通りだ。特に契約魔族の性質によって使用できる魔術が決まるというのは、まったく同じ条件なら誰でも行使できる科学技術とは明確に異なっている。

「この世界に魔術が生を受けてから今日まで、魔術師たちはこの欠陥を克服するためにあらゆる方式を編み出してきた。お前が今持ってるそれもその一つ」

 潤は悠也の手の跡切刀を指さした。

「そいつは使用者の心を一切必要とすることなく無制限に能力を発揮できる魔術道具だ。作ったやつは相当の天才なんだろうな。大抵の魔術道具は数回の仕様で封じた魔力が切れて自壊するもんだが、そいつにはその兆候が見られない。おそらく刃に魔族が持つ性質そのものを付与しているんだ。契約が魔族と魂を繋ぐことによってなるように、道具と魔族とを繋いでいる。……はっきり言って並みの魔術師に真似できる芸当じゃない。道具という形にできる人間が一握りの天才になってしまう時点で技術としての確立とは程遠い。そういう意味じゃ、むしろ魔術師間の才能の格差を具現化したものと言っていい」

 どんな魔族と契約するかだけでなく、契約した魔族の力をどう扱えるかという格差。そう考えると、魔術は科学というより体を動かすことに似ているのかもしれない。スポーツにおける体格差のように、努力ではどうにもならない才能の壁が存在している。

「この格差を無くすにはどうしたらいいか。燎憲が至った結論は、魔術師と魔族が契約する現行の技術体系そのものを否定するものだった。それが、異世界の魔族それ自体をこの世界に呼び出す喚起の方法論だ」

「魔族を……呼び出す……」

 それができるなら、確かに魔術の根本を覆す技術革新だ。実現すれば人が魔族と契約する必要はなくなる。馬に車を引かせるのと同じように、魔族そのものに力を使ってもらえばいい。

「このアプローチ自体は過去にも幾度となくされたものだ。実現に至らなかった最大の理由は、魔族の世界と俺たちの世界がまったく異なる法則で成り立っていること。物質でなく精神、肉体でなく魂が主体となる世界に生きる魔族は、この世界に存在するための実体を持たない。器がないんだ。だから燎憲は神代家の技術に目を付けた」

 神城家の技術は心の器たる魂を人工的に創造、あるいは加工するものだ。〈煉霊の魔術師〉である名守幹恵は、それを利用して作った器に自身の使役するゴーストを入れていた。

 敷根燎憲の発想もそれに近い。というより、名守が燎憲に倣ったのかもしれない。

「この世界での肉体となる器を用意し、喚起でなく召喚によって魔族を呼び出す。それが燎憲の研究の基本骨子にして、その全貌。もっとも、契約を行わない以上は魔族を釣るための餌を別に用意する必要があったんだが、そっちは〈煉霊の魔術師〉によって解決した」

 ゴーストという形での大量の心の貯蓄。それを餌にして魔族を呼ぶ。

 なるほど、確かに筋は通っているように思われる。

 だが、その上で悠也は疑問を抱いた。

「実験は……失敗したんじゃないのか?」

「その通りだ。燎憲は失敗した。用意した器は魔族による負担に耐えられなかった」

「それなら……っ。お前の兄が失敗したやり方を繰り返したところで、また」

「同じじゃないさ。燎憲はその目的を果たすためにいくつもの計画を練っていた。失敗した実験はその一つに過ぎない。本人が死んじまったせいでそのほとんどは実現することなく終わったが、一つだけ進行中の実験があったんだ」

 潤は話題を変えるように抑揚のついた口調で続けた。

「実を言うとさ、いちいち心を支払ってチマチマと魔族の力を引き出さずとも、魔族から絶大な力は引き出せるんだ。お前も知ってる方法だぜ」

「……魔族化、か」

「大正解。魔族化は魂が魔族による侵食で変質し、それが肉体面にも現れる現象だ。疑似的ではあるが、魔族そのものを召喚するという方針にかなり迫った現象と言っていい」

「だがあれは……」

「ああ、魂にかかる負荷が大きすぎる。完全な状態なら持って数分。魂は完全な崩壊を迎え、魔族はこの世界での器を失う。ただ魔術師を魔族化させただけじゃ、短時間の暴走の後で廃人になって終了だ」

 彩夜の姿が脳裏をよぎる。

 彼女は自分への負担を厭わない。必要とあらば自ら魔族化を進行させてしまう。それがどれだけ危険なことか、潤の言葉で改めて考えさせられた。

「人体を依り代とし、その魂を魔族の器として使うには、魔族の負荷に耐えられる耐久性を備えた魂を用意しなければならなかった。注目したのは魂の自然治癒力。疲弊した筋肉が回復する際一層強靭さを増すのと同じだ。神代家の技術で魂に手を加えた上で魔族と契約させ、軽い侵食を何度も誘発させることで、徐々に、徐々に、何年もの時間をかけて耐性をつけさせた。そうなるように燎憲が術式を施した」

 誰に、と悠也は聞かなかった。

 そもそも、初めに悠也が尋ねたのはそのことだったのだから。



「いずれ魔族そのものに成り果てる器。それがここにいる織原幸姫の正体だ」



 依然として潤の顔には薄い微笑が貼り付いている。

「幸姫はガキの頃からうちに入り浸っていてな。経過観察がしやすいって点から被検体としては最適だった。おかげで俺も、間近でタイミングを測り続けることができた」

「……止めなかったのか」

 それは無意識に漏れた声。そして今度は、明確な感情と共に怒声を飛ばす。

「お前は、織原がそうなるってわかっていて、見過ごしたっていうのか……っ!」

「ああ。その必要性を感じなかった。魔術の在り方を根本的に変える研究だぜ。それがこれからの魔術師社会に与える影響の大きさからすれば、一人の犠牲なんて安いもんだ」

 魔術師の価値観が一般社会の常識とはかけ離れ過ぎていることを、悠也はようやく真の意味で実感した。もちろん、魔術を秘匿するために秘密を知った人々を管理、または処分する機関があると聞いた時点で頭では理解していたが、それでもここまで根本的なところで常識が異なるという実感は持てていなかった。

「……織原は、すごく疲れているみたいだった。意識を失うくらい」

 昨夜、神社の駐車場にいた幸姫は、ただ疲れて眠っていたわけではなかったのだ。

 おそらく幸姫に施された術式というのは、魔族との契約状態と契約遮断状態を交互に繰り返すものだ。だから、侵食の進んだ一瞬だけ魔力の気配が表層化し、彩夜はそれを感じ取った。

「それだけじゃねえよ。あの術式は言わば時限爆弾だ。魂が耐性を付けていくにつれ、より完全に近い段階の魔族化がより高い頻度で発生するように設定されてる。去年あたりからは侵食の負荷で記憶の欠落も起きてたみたいだぜ。そろそろガキの頃の思い出は消えてる頃かもな。――ま、それでも魔族の器として成熟するにはあと数年かかりそうなんだが」

 悠也はその言葉に引っかかりを覚えた。

 幸姫はまだ器として成熟しておらず、それはあと数年先の未来の話。つまり、敷根燎憲の計画を実行に移すための条件はまだ揃っていないということになる。

 だが、潤は今まさに何かをしようとしている。

 そもそも何故潤は悠也にこんな話を長々と聞かせているのか。

 ああ、そうだ。もっと早く気づくべきだった。


 このやり取りは時間稼ぎだ。


 悠也は素早く跡切刀を構え直し、地面を蹴った。この屋上一面に広がる幾何学模様がこれから行われる何かに関わっているのは明白だ。そしてこの跡切刀なら、その術式そのものを消し去ることができるかもしれない。

「甘いな」

 悠也の足を、突如出現した光の槍が貫いた。続けて腕、脇腹、太腿、肩。

「〈風渦ノ壱・旋風〉」

 激痛によって叫びそうになるのをぐっと堪えた悠也の全身を、虹色の暴風が叩く。赤い空に向けて高く舞い上げられた体は、頭から屋上に落下した。鈍い音とともに体が壊れる。その手に握られていたはずの切り札である跡切刀も、衝撃でどこかにいってしまった。

「迂闊過ぎるぜ親友。お前が来るのは予想外だったが、邪魔が入るのは想定内だ。罠くらいは仕掛けてある」

 倒れ伏す悠也を見下ろして潤が言った。

 直後。

「さあ、時間だ」


 赤い空が、落ちた。



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