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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
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顕になる本性07


 少し時間を遡る。

 巨大な二体の『蜈蚣』を従えた名守と住宅街で戦おうとすれば無関係な人を巻き込むのは必至だ。故に彩夜は戦うふりをしながら少しずつ場所を移動し、やがて昨夜の戦闘の舞台にもなった神社の境内に二体の『蜈蚣』を誘い込むことに成功した。

 本殿前の開けた空間。ここなら近隣への被害は最小限で済む。

 そこまでは良かった。

 だが、そもそも彩夜は昨夜この『蜈蚣』に一度殺されている。

『蜈蚣』が『蜘蛛』以上に厄介なのは、鉄杭射出後の隙がないことだ。百の脚の如く胴体に装填された鉄杭が代わる代わる射出され、さらにその胴が回転することで隙がなくなる。

 跡切刀もなしに応戦するには魔族化を進行させるしかないが、今度の『蜈蚣』は二体。タイミングを間違えて倒すのに時間がかかれば魂が崩壊して自滅する。しかも名守はそのことに気付いているから、確実に時間を浪費させようとしてくるはず。

 だから、彩夜は二体の『蜈蚣』に対し何一つとして効果的な攻撃を繰り出せなかった。

 その結果がこれだ。

「無様ですね。まさかここまで簡単に終わってしまうなんて」

 名守幹恵は大木に横たわる彩夜を見下ろしそう言った。

 彩夜の肉体は鮮血に塗れ、四肢と腹部には鉄の鎖が貫通し、その鎖に繋がれた鉄杭は地中深くまで突き刺さっている。身動きすれば鉄の鎖が体内に食い込み、血肉を抉る。鎖は名守の背後に佇む『蜈蚣』の一体へと繋がっていて、その奥にさらにもう一体が待機していた。

「私は時間を稼げばいい。殺せないなら殺す必要はない。趣味ではありませんが、もう少しそのまま苦しんでいただきます。これ以上、邪魔をさせるわけにはいきません」

「……頭を貫かれてないだけ恩情と思うべき……なのかな」

 彩夜は強がりに笑って見せたが、血の気の引いた顔に余裕は一切感じ取れない。

 それも当然だ。体内に食い込む鎖による激痛は、今にも気を失いそうなほど。喘ぎにも似たうめき声を漏らしながら、かろうじて名守を睨みつけているので精一杯だ。

 名守はそんな彩夜を満足そうに見下ろしながら言う。

「あなたに聞きたいことがあります。答えていただけますか」

「質問によるね」

「カフェ・Vivreで私とあなたが鉢合わせたあのとき、あなたがあの場所にいたことを、敷根潤は知っていましたか?」

「……知ってたはずだよ。待ち合わせ場所を指定してきたのは潤だから」

「そうですか」

 名守はすっと目を細めた。

「ありがとうございます。参考になりました」

 言葉と同時、頭上から鉄杭が振った。彩夜の頭蓋が貫かれ、中身が飛び散った。


    ◇


 これで終わった。

 名守は彩夜に背を向けて立ち去る。ここへは『蜈蚣』を置いていけばそれでいい。既に彩夜は死んでいるし、再生しようにも突き刺さったままの鎖がその邪魔をする。例え生き返ったとしても、鎖で身動きを封じられている以上、何をすることもできないはずだ。

 そう。そのはずだったのだ。それなのに。


    ◇


「な……」

 背後から鎖の音が聞こえたからだろう。名守は驚愕の表情と共に振り向いた。

 無理もない。頭蓋を貫かれたはずの彩夜がまだ動いているのだ。両手を地面に突っ張って、地中へ埋まった鉄杭を強引に引き抜こうとしているのだ。

「……無駄なことを」

 名守は自分に言い聞かせるように言い、『蜘蛛』に指示を飛ばす。打ち出された鉄杭の波は身動き取れない彩夜の肉体をいとも容易く貫通する。

 彩夜の動きが停止する。

 今度こそ終わりだとばかりに名守は立ち去ろうとして、また背後の鎖の音に立ち止まる。

 ゆっくりと振り向く。その顔に浮かんだ感情は驚愕よりも恐怖に似ている。

 ゆらり、と。

 彩夜は亡霊のように立ち上がった。

 その長髪は夜に煌めく銀色。その瞳は闇を射抜く紅。

 失われたはずの頭蓋は既にその形を取り戻している。

「……あり、えない」

 目の前の現実を否定するように名守は首を振る。常軌を逸した肉体の再生能力に対してか、それとも肉体を地面に縫い留める鉄杭をすべて引き抜きながら立ち上がれることに対してか。おそらくはその両方で、どちらにしても同じだ。彩夜は鉄杭を引き抜いたわけではなく、千切ったわけでもないのだから。

 簡単な話だ。鎖に繋がれた肉体が千切れてしまえばその身を縛るものは何もなくなる。

 鉄杭を引き抜く必要などないのだ。どんなに引き裂かれ千切れようと、彩夜の肉体は瞬く間に再生して元の形を取り戻す。四肢も腹も、中身の飛び散った頭蓋さえも。不死身の肉体を前にすれば、鉄杭で身体を縫い止めることに意味はない。

「……バケモノ」

 名守の口から漏れた言葉に、彩夜は一瞬だけ動きを止めた。

 自分を客観視した人間の、真っ当で純粋な感想。

 ――ああ、まったくその通りだ。

 自分はバケモノ。人に恐れられ、軽蔑されて当然の存在。

 誰かに理解されることはない。受け入れられることはありえない。

 ずっとそれが当たり前だった。これからもそれが当たり前のはずなのだ。

 心が食われる。感情が消えていく。それが今は心地よかった。

「ッ、立ち上がったくらいで……!」

 名守が『蜈蚣』に指示を出す。

 だが無駄だ。

 彩夜はさっきまで自分に繋がっていた鉄杭を足場に疾走、『蜈蚣』の胴を強烈な蹴りによって破壊した。さらに鎖を握って空中で姿勢を変え、その穴の中に飛び込む。

 直後、『蜈蚣』は内側から破裂した。

 それだけでは終わらない。敵はまだ残っている。

 飛来する鉄杭を難なく掴み、引っ張り、もう一体の『蜈蚣』を地に伏せる。

 まさに圧倒的。

 純粋な戦闘能力だけならば、今の彩夜が『蜈蚣』に負ける道理はない。

 その中から生じる巨大なゴーストも同じこと。

 ただ一つ問題なのは時間。魂の崩壊までに戦闘を終えられるかどうか。

 紅の瞳が魔術師を見据える。

 突撃。人の限界を超える脚力によって、その身を目にも止まらぬ速度で射出する。

「――――ッ」

 肺が空になるほどの衝撃が名守を襲う。突き出された掌が名守の胴を叩いたのだ。

 くの字型で飛ばされ、地面をバウンドして縦に転がり、茂みに突っ込む。

 ふらつきながら立ち上がる名守。既にその眼前には彩夜が迫っていた。

 名守の髪を乱雑に掴み、その頭蓋を地面へ、バスケットボールみたいに叩きつける。

 立ち上がる隙も与えない。背中を思い切り踏みつける。四肢を砕く。

 何度も、何度も、何度も――鈍い音がした。

 残虐にして非道。圧倒的な暴力による、一方的な殺人劇。

 それだけのことを行いながら、真紅の瞳は一切の感情を灯さず、けれどその口元には薄い笑みが浮かんでいた。

 自分はバケモノだ。なら、人であることに拘ることが間違っている。この常軌を逸した暴力こそが自分の本質。そう考えると、頭の中がすっきりした。

 それからもう一つ。


 暴力と共に飛び散る鮮血を見ていると、酷く喉が渇く。


(っ、いけない。……落ち着いて、冷静に)

 込み上げる渇きに気づき、彩夜は慌てて右手で口を覆った。

 これ以上はまずい。気を抜けば本当に自分を見失ってしまいそう。

 自分はバケモノだと知っている。だがそれでも越えたくない一線がある。

(大丈夫。もう繰り返さない、私は……)

 幸い〈煉霊の魔術師〉は倒したのだ。協力者がいるのは間違いなさそうだが、少なくともこの近辺に魔術師の気配はない。このまま連戦するよりは少し休息を入れておくべきだろう。



 そんなことを考えていたとき、虹色の渦が夜空を染めた。



 彩夜の『魔術師の勘』はその魔力の主を知っている。

「潤……?」

 間違いない。あれは潤の魔力だ。潤は無事だったのだ。

 だが素直に喜べるかというとそうでもない。これだけ離れた距離でも魔力を感じ取れるほど大規模な魔術を使用したということは、それ相応の状況に陥っていると考えられるからだ。

 迷っている暇はなかった。魔族化を解く時間すら惜しい。

 彩夜は銀色の髪を揺らして駆け出した。休息はまるで足りていないが事情が変わった。



 そしてその惨状を目の当たりにした時、彩夜は自身の間違いを悟った。



 瓦礫の山。そこにあったはずのものをミキサーにかけてしまったかのように、元の面影を微塵も感じさせない破壊の痕。これだけのことが起きたにも拘わらず人が寄り付かないのは、今も認識阻害の魔術が働いているからか。

 そんな思考は、すぐにどうでも良くなってしまった。

 血。夥しいまでの鮮血に濡れた、かろうじて人の形を保った肉塊が、瓦礫の丁度中心部に転がっていたのである。

 だから彩夜は疑似魔族化を解かずにいたことを後悔した。

 ――—なんて、美味しそう。

 こんな思考が浮かぶのは間違いだとわかっている。わかっていながら、彩夜に植え付けられたバケモノの本能が、強烈な喉の渇きを訴えてくる。

 亡霊のように歩み寄り、傍らに膝をつく。

 赤黒い水溜りをそっと撫でたところで、よくやく彩夜はその肉塊の正体に気づいた。

 ズタボロの体は、けれど首から上にその面影を残していたからだ。

「悠、也……?」

 応じる声はない。だが、傍らに落ちていた跡切刀が肉塊の正体を雄弁に語っていた。

 本来抱くべき喪失感を、魔族に心を食われた彩夜は感じなかった。

 あるのは抗い難い衝動だけ。

 ――酷く、喉が乾く。

 それがあらゆる意味で禁忌であるのは知っている。黒宮悠也の尊厳を踏みにじる行為であると理解している。幾度となく繰り返した過ち。もう繰り返さないと決めていた。

 そのはずなのに、渇きは強くなる一方だ。

 なけなしの理性と甘い誘惑が拮抗する。あと少しの辛抱。この衝動を掻き立てるのは生き血である。黒宮悠也の死と共に、鼻腔をくすぐる甘い誘惑も消えてなくなる。

 けれど、それはつまり、今ならまだ悠也の命を繋ぐことができるという意味でもあった。

 悠也は完全な死に至っていない。こんな状態でもまだ生きている。

 意識はないだろう。どんな名医でも手遅れだと諦めるだろう。

 それでも、命はまだここにある。

 助けられるわけじゃない。ただ命が残るだけ。悠也は死にたくても死ねない体になり、行き着く先は機関の管理下に置かれた生活だ。それが救いであるなんて口が裂けても言えない。

 だから、こんなものは誘惑に負ける自分を正当化するための言い訳だ。

 死んでほしくないと思うのも、もう一度話したいと思うのも、彩夜の身勝手な都合に過ぎない。そこに彼の意思は関係ない。このままここで死んでしまう方が、彼にとっては楽に違いない。この先の運命は、想像を絶するほど過酷なものになるに違いない。

 けれど。

 それでも。

 だから。

 彩夜は、もう一度禁忌を犯すことにした。

 ほとんど原型のない上半身を優しく抱く。腰から下が繋がっていないからか、内臓のほとんどが溢れてしまったからか、頭だけが妙に重たく感じられた。

 そして。

 最後に一瞬だけ躊躇して。

 その首筋に、伸びた犬歯をそっと突き立てた。




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