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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
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反転する日常01


 五月某日。月明かりが薄雲に滲む夜。

 住宅街の外れに位置する川沿いの道を悠也は歩いていた。流れる水音は耳心地の良いホワイトノイズ。点々と設置された街灯に照らされた細道に通行人は数えるほどもいない。


 クラスメイトの誕生日会へ向かう道中だった。


「え、もう到着してるのか」

月乃(つきの)もね。私たち学校から直接来たのよ』


 耳に当てたスマホから聞こえるのは幸姫の声。そして一緒にいるという凛堂月乃(りんどうつきの)こそ本日の誕生会の主役である。

 

 もう少し早く家を出るべきだっただろうか。


 今日集まる人数は四人。月乃以外のメンバーは昨年の七夕祭りにも行った悠也、幸姫、潤の三人だ。潤が既に到着していた場合は悠也が最後になってしまうのだが……


『でさ悠也、潤が何してるか知らない? あいつ連絡つかなくって』

「知らない」

 潤は当然のようにまだ到着していなかった。


「また好奇心に負けて寄り道してるんじゃないか。集中してると電話気づかないだろ、あいつ」

『……久しぶりに学校来たと思ったらまたそれか。今度はどんな胡散臭い噂を追いかけてるやら』

「さっき学校で聞かされたのは、最近続いてる昏睡事件が幽霊の仕業だとかなんとかって噂だ」

『昏睡事件っていうと……例の、六人同時に倒れてたっていう?』

「それそれ。他にも似たような事例がこの辺りで複数あるらしくて、だから夜はあまり出歩かない方がいいとか、寄り道はするなとか、色々。とびきりのドヤ顔で言われたよ」

『言ってる本人が一番出歩いてるのよねぇ……』

 電話の向こうで呆れている気配がしたのがおかしくて、悠也の表情は緩んだ。


「まあ、大丈夫だろ。あいつの遅刻は珍しくないし、振り回されるのはいつものことだ。あれでも約束は守るやつだから」

『それもそうね』

 幸姫はくすりと笑う。

『それじゃ、悠也も気をつけて。適度に急いで来るように』

「了解」


 そうして通話を切った。

 そのままスマホで時間を確認しようとして、ふいに壁紙に設定された写真に意識が向いた。去年の七夕祭りの日、夜空を彩る花火を背景にして撮った写真である。柔和な笑みを浮かべた幸姫と、得意げなキメ顔をした潤と、ぎこちない笑顔の悠也が写っている。


「あれからもう一年近くになるのか。……早いな」


 と、感傷に浸ってる場合ではない。

 急いでとのご注文だ。幸姫は冗談のつもりだろうが、やはり待たせるのは気が引ける。

 そうして足を早めた悠也は、しかしすぐ立ち止まることになった。




 悲鳴。




 女の振り絞るような絶叫が、夜の静寂を貫いたのである。

 反射的に振り返り周囲を見回す。異常はない。人影一つ見当たらない。

 耳を澄ます。聞こえるのは川の水音だけ。悲鳴どころか話し声すら聞こえない。


「気のせい……じゃないよな」


 息を呑む。

 聞かなかったことにするのは簡単だ。このまま無視してしまえばいい。


 だけど、何かが違う。


 そうとしか表現できない漠然とした感覚が悠也にはあった。張りつめた空気。正体不明の緊張感。背中には嫌な汗が滲む。異常を察知するためか聴覚が過敏になって、心地の良かったホワイトノイズが耳障りなほど大きくなる。


 急かされるように早足で歩き出した。

 向かう先は集合場所とは逆方向。悲鳴の方へと引き返す。

 どうしても嫌な予感してならない。何故かはわからないが、ネガティブな自分が嫌になるくらい悲惨な光景が、脳裏にまとわりついて離れない。



 そして予感は的中した。



 そこは奥まった住宅街の一角。アスファルトの路上。

 襲われているのは少女だ。身に纏う制服から高校生とわかる。地面に仰向けにされて身動きも取れず、ぐったりとただ脱力している。


 襲っているのは蜘蛛だった。


 ただし、少女に覆い被さる巨体は生物のそれではない。竹細工に闇色の塗装を施したような、明らかに人工の怪物である。六本の脚は球体関節が剥き出しで、腹部は樽のように膨れていた。


 それが少女を押さえつけ、捕食するように「何か」を吸い出している。「何か」の正体はわからない。それは半透明で実体がなく、煙のように形がはっきりしない。だが、それが少女から生じて蜘蛛に吸収されているのは明らかだった。


 直感に従うなら――命や魂、あるいは心。そういう類のもの。

 まるで食事でもするかのように、蜘蛛は少女からそれを吸い出し続ける。


「……なん、なんだよ……これ」


 状況が理解可能な範囲を超えていた。わからないものに対する本能的な恐怖が全身を硬直させた。悠也は石塀の陰に隠れたまま、ただ茫然と悲劇を目に焼き付ける。


 蜘蛛に押さえつけられた少女がゆっくりと頭を動かした。表情はなかった。ただ、虚な瞳が石塀の陰に隠れた悠也を見つけた。目が合った。緩慢に、けれど確かに、唇が動いた。




 タ・ス・ケ・テ。

 そう言っているように、見えた。




「――――――」

 息が詰まる。思考に刹那の空白が生じる。

 その空白を塗りつぶしたのは、強迫観念にも似た衝動だった。


 ――助けなければならない。


 冷静な自分がやめろと叫んでいる。相手は得体の知れない人工の怪物だ。何をしてくるかわからないし、少女を助けられる保証もない。失敗すれば被害者が一人増えるだけ。今ならまだ見なかったことにできる。引き返せ。早くしないと約束の時間に遅れてしまう。


 ――それでも、助けなければ。


 恐怖はある。馬鹿なことをしようとしている自覚もある。

 それなのに、我慢ができない。


 ――だって、これは理不尽だ。理不尽なものは認められない。


 決意と同時、悠也は蜘蛛とは反対方向に駆け出した。逃げるわけではない。闇雲に突っ込むことは少女を助けることには繋がらない。助けると決めたからには、僅かでも可能性の高い手段を取らなければならない。


 他の誰かに助力を求めるという選択肢は最初に捨てた。少女は今まさに襲われている。泣き叫んで見ず知らずの誰かの助けを待つだけの猶予はないし、声をあげることで蜘蛛に存在を察知されるかもしれない。自分一人でどうにかする前提で動くべきだ。


 そのためには武器がいる。人工の怪物を壊すための何かがいる。


 周囲を見回す。近くの玄関先に置かれた植木鉢では脆すぎる。隣の庭の物干し竿では軽すぎる。あとは……花壇の囲いのコンクリートブロック。これなら。

「すみません、借ります……!」

 家主に聞こえるはずもないが、そう口にしたのは罪悪感を誤魔化すためだった。


 抱えたコンクリートブロックの想像以上の重さに耐えながら走る。

 細い路地から蜘蛛の後方に回り込み、様子を窺う。

 蜘蛛は悠也の存在に気づいていないようだ。そもそもあの無機質な巨体に知能や意思と呼べるものがあるかどうか。あるいは操作している何者かがいるのか。だとすればそいつはどこにいるのか。


 考え始めて、しかし悠也はすぐにそれをやめた。

 事態は一刻を争う。

 なら今はただ少女を救う。それ以外は考えなくていい。


 悠也は蜘蛛に向けて全力で駆け、裂帛の気合と共に、背後からその腹部へとコンクリートブロックを叩きつけた。


 砕ける。巨大な蜘蛛の腹部がひび割れ、中が見える。


(空洞……?)

 何もなかった。

 竹細工の腹の中に、動力となり得る機構は何一つとして存在しなかった。街灯に照らされた内部は空っぽ。本当に樽のような構造で、中身には何も入っていなかった。


 だとすればこの蜘蛛は、いったいどのようにして動いていたのか。


 考えている暇はなかった。

 ひび割れた蜘蛛の体が勢いよく弾けた。

 まるで爆弾。

 悠也は破片と共に数メートル規模で吹き飛ばされ、アスファルトの地面を転がった。


「……っ」

 急いで体を起こそうとして、動きが止まる。

 立ち上がれなかった。立ち上がるより先に、宙に浮かぶその存在に気づいてしまった。


 それは不定形の何かだった。


 煙のように姿かたちがはっきりしない。色は半透明で、その向こうに雲のかかった夜空が透けて見える。ゆらゆらと揺れる。ふわふわと浮かぶ。けたけたと笑う。

 笑う。

 うふふふふ。いひひひひ。けけけけけ。ききききき。


(……まずい!)


 身の危険を悟ったときには遅かった。

 笑う不定形が悠也に迫る。気づいたときには目の前。


 速い。間に合わない。逃げられない。

 そのときだった。




 ――ひらり、と。

 悠也と不定形の間に、一人の少女が割って入った。




 それは瞬きほどの刹那。

 淡色のワンピースを翻し、細く白い手に握られたナイフの一振りで、接近する不定形を切り裂く。不定形は赤い粒子となって虚空に溶けた。


 少女はつまらなそうに吐息して、クセの付いたブラウンの長髪をナイフとは逆の手で払い、そして悠也の方へと振り返った。


 凛とした表情を柔らかな笑みに変えて、言う。



「よく頑張りました。でも、ちょっと無茶しすぎかな」



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