疑惑と平穏04
「お兄ちゃん昨日どこ行ってたの!? 帰って来たなら声かけてよ! 私ずっと下で待ってたんだよ!?」
そんなことを続けざまに言いながら、黒宮悠香は悠也に詰め寄った。
寝ぐせのついた長い黒髪、キャミソールと薄手のショートパンツという無防備な姿。しかしその有無を言わせぬ迫力は相当のもので、悠也は思わずたじろいだ。
「……声をかけなかったのは、お前が気持ちよさそうに寝ていたからであって」
「起こしてよ! あんなとこで寝てたら普通起こすでしょ!?」
ちなみに悠香は昨夜、リビングのソファでテーブルの上にスナック菓子を広げたまま眠っていた。悠也が帰宅したとき証明が点いていたのは悠香が点けっぱなしのまま寝てしまっていたからだ。悠也は悠香が風邪を引かないよう、コーヒーを淹れるついでに悠香の身体にタオルケットを被せてついでに電気も消しておいた。それなりに気遣ったつもりなのだが、どうもお気に召さなかったらしい。
「ていうか帰りが遅かった理由は? あ、あとお土産のケーキは?」
「ケーキは……すまん、昨日はやむを得ない事情があってだな」
「やむを得ない事情って?」
「……いや、その……道に迷ったというか」
悠香の目がすっと細められる。
「そんな言い訳を信じると思ってるの……?」
ぞっとするほど冷ややかな視線に、息を飲む悠也。
すると悠香は突然、泣いてもいないのに目元を拭うようにしながら言った。
「……ゆうちゃんは悲しいです。お兄ちゃんの嘘がこんなに下手だったなんて。こんなに悲しい思いをするのは、そう、一昨日自販機で買ったジュースがなんか思ってた味と違った時以来だよ……」
つい先日な上にさっぱり悲しみが伝わってこなかった。
(……だが、このままだとまずいな)
まっすぐ詰め寄ってきてくれたおかげで、悠香はまだベッドの膨らみに気づいていない。だがそれも時間の問題。一刻も早く部屋から追い出さなくては。
「なあ悠香、そういえば俺、書かなきゃいけないレポートがあるんだよ。もう自分の部屋に戻ったらどうだ?」
「……何か隠してない?」
「いや何も」
「怪しい……突然の朝帰り、何やら挙動不審なお兄ちゃん、ここから導き出される結論は……ハッ」
目を見開く悠香。
「何に思い至ったのか知らんが勘違いだ」
「くんくん……む、かすかに女の匂いがするような……」
「――っ」
まさか、彩夜が部屋にいることに気づいて――
「……気がする、ような気がするような」
「…………」
「うん、やっぱり気がするだけだね。そもそも女の匂いとかわからないし。ていうかお兄ちゃんだし」
けろりとした顔で悠香は言った。言い回しは何か引っかからないでもないが、彩夜の存在には気づかれていないらしかった。
「で、結局なんで昨日は帰って来なかったの?」
「たいしたことじゃない。また潤の馬鹿に付き合わされたというか、そんな感じだ」
「あー……すごいびっくりするくらい予想通りだね。幸姫さんも一緒だったの?」
「そういう話しはまだ今度。言ったろ、俺はレポートを書かなきゃいけないって」
悠香の身を反転させ背中を押して強引に廊下へ押し出す悠也。
「え、あ、ちょっと……、やっぱり何か怪しいような」
「気のせいだ。ほら、今度ちゃんとケーキ買ってきてやるから」
悠也がそう言った途端、悠香の瞳がキラリと光った。気がした。
鋭い視線が悠也を射抜く。
「ケーキだけ?」
「……シュークリームもセットでどうだ?」
「はぁ……」
「ため息!?」
「わかってないなぁお兄ちゃん。そこは気を利かせてポテチでしょ? 甘いものに甘いもの追加してどうしたいの?」
何故か憐れむような物言いだった。
「……ケーキとポテチを買ってくる。それでいいか?」
「シュークリームは?」
「……買ってきます」
「いつ?」
「……今週末でどうでしょうか?」
有無を言わせぬ迫力に気圧され、何故か丁寧語になってしまった。
悠香はやれやれと肩をすくめた。
「まあいいでしょう。ゆうちゃんはとっても寛大で優れた妹なので、それで納得してあげます。――あ、ポテチはのり塩、ケーキとシュークリームは悠香お気に入りのやつでお願い。お兄ちゃんならわかるよね」
「……了解」
寛大なはずの妹の注文は細かかった。
ともあれ、それでようやく納得してくれた悠香は今度こそ部屋を出ていく。
かと思いきや、廊下に出たところではたと立ち止まった。
ぽつりと、一言。
「……心配、してたんだからね」
どうもそれを伝えるためにここまで来たようだった。
あるいは、それくらい言わなければ気が済まなかったのか。
「悪かった。それは、本当に」
「……うん。じゃあ、また朝ごはんのときにね」
そうして今度こそ悠香はドアを閉めて立ち去った。
ひとまず危機は脱したと安堵の息を吐いたと同時、布団から顔を覗かせた彩夜が言う。
「ふうん。妹さんの前だと随分キャラが違うんだ」
「からかうな。それより潤はなんて?」
「今日は潤も捜索に加わるって。私たちが東で、潤は西側。二手に分かれることになった」
妥当なところだろう。時間がないのだ。人手は多い方がいい。
なんてことを思っているとベッドを出た彩夜が一切躊躇う素振りなくジャージを脱ぎ始めたので悠也は慌てて背を向ける。
「お前、いい加減に」
「はいはいわかりました」
完全に棒読みだった。そしてサクッと着替えを終えた彩夜が言う。
「私は先に行くから、悠也は少し休んであとから来て」
「どうして。俺も一緒に」
「朝ごはん妹さんと食べるんでしょ。あの苦しい言い訳じゃ二度目はないと思うけど?」
彩夜は呆れた顔で悠也に半眼を向けていた。
「わかったらついでに少し寝ときなさい。今日はひたすら歩き回ることになるだろうから」
「……善処するよ」
そう答えはしたが、正直眠れる気がしない。
悠也は昨晩ほとんど寝ていない。彩夜にベッドを使わせていたこともその原因ではあるが、最大の理由は考え事をしていたからだ。
潤と幸姫のことが頭を離れない。潤が幸姫に正体を隠し続けていることにはそれが正しいとわかっていてももやもやするし、彩夜の勘違いかもしれないとはいえ幸姫が魔術師かもしれないという疑念も気を抜けば頭の中に蘇る。考えたくなんてないのに消えてくれない。だから彩夜が去ったあとの悠也はまたそんなことを意味もなくぐるぐると考え続ける。そんな気がした。
と、そこでふと気づく。
彩夜が部屋のドアを開けて出ていこうとしていることに。
「待った、今そこから出ていくのはまずい」
「あ」
言われて彩夜も気づいたらしい。
廊下に出れば悠香に目撃される可能性がある。それは避けなければならない。
「でもそうすると他に出口が……」
二人の視線が向かった先は同じだった。
窓。それも通りに面した方ではなく、ベッド横の出窓だ。
悠也はすぐに靴を取りに玄関へ向かった。
◇
敷根潤の寝室は物の少ない和室だ。
布団から出て、障子を開け、潤は朝焼けの眩しさに目を細める。
「……ったく、随分と早いアラームだったな」
右手にはスマートフォン。ついさっき悠也から着信があったためだ。
ゴーストを操る魔術師は着実に目的の完遂に近づいている。悠也たちがそれに気づいた。
……だからといって、この早朝から電話とはいかがなものか。メールでは駄目だったのだろうか。
気持ちよく睡眠を取っていた潤としてはそう思わずにはいられない。
おそらくはスマホを持っていない(それどころか電子機器全般に疎い)彩夜が潤に連絡を取りたいと言い出し、悠也は何も考えずに従ったのだろう。普段使わないならメールという選択肢が思い浮かばないこともあるかもしれない。
あるいは、悠也が謝罪をするためにあえて電話を選んだか。些細なことを気にし過ぎだと潤は思うが、彼の妙に生真面目で不器用な性格を思うと、そういう可能性も考えられる。
まあ、いずれにしても起こされてしまったものはもう仕方がない。
ぐっと伸びをしてまだ気怠い体を覚醒させる。二度寝も魅力的だが、残念ながら悠々と過ごしていられる状況ではないのである。
と、そんなとき。
右手に持ったままのスマートフォンから着信音が響いた。
「……またか」
半眼で画面を見た潤は、表示された意外な名前に目を見開いた。
織原幸姫。
数秒、画面をそのまま見つめた。
こんな時間に幸姫が電話をしてくるのは珍しい。まさかと思うが、悠也から何か聞いたのだろうか。そんな疑念が頭をよぎる。もしもそうなら無視はできない。
迷った末、結局電話に出ることにした。
「もしもし」
『……もしもし。潤、今ちょっといい?』
「よくねえ。今何時だと思ってんだお前」
『…………』
幸姫は何も言ってこない。
おかしい。いつもなら腹を立てて何かしら文句を言ってくる場面だというのに。
声にも覇気がない。明らかに普段とは様子が違う。
「……何の用だ」
『……あのさ……今日、学校行く?』
「行くんじゃねえの、たぶん」
嘘だ。学校に行っている暇などない。だが休むと言えば理由を聞かれてしまう。
「そんなこと聞いてどうすんだよ」
幸姫が次の言葉を発するまで、少しの間があった。
『今から、会えない?』
「……なんで今。あとででいいだろ」
『そしたらまた無視するでしょう?』
「無視はしねえよ。偶然気づかないだけだ」
これも嘘。
魔術師として活動するとき、潤はあえて幸姫からの電話を無視している。魔術師は魔術師でない一般人と関わりを持つべきではない。不用意に接すれば相手を危険に晒すだけ。そのための線引きは徹底していた。
そのせいで幸姫が悩んでいることも知っているし、悠也が腹を立てたのも理解できる。
それでも、二人の命には代えられない。
悠也は既に巻き込んでしまったが、幸姫にまで魔術のことを知られるわけにはいかない。
『今、家?』
「さあな。海外かも」
『それは大変だわ。見つかるまで何年かかるんだか』
「海渡る気かよ。めちゃくちゃだな」
『それくらい本気ってこと。ただ、もしもまだ家にいるなら』
と、そこで潤は気づいた。
何者かが縁側を歩き、この部屋に迫ってきていたことに。
後方から。そしてスマホのスピーカーから。次の言葉は同時に聞こえた。
「もう、絶対に逃がさない」
「……不法侵入じゃねえか、おい」
眉を引き攣らせる潤に、幸姫はさらりと返す。
「鍵はあんたに貰ったから」
「あー……」
思わず額を抑えずにはいられない。
――恨むぜ、昔の俺。
潤は心の中でそうひとりごちた。




