疑惑と平穏03
彩夜が目を覚ましたのは明け方だった。
「ん……あれ……?」
寝ぼけ眼のままベッドの上で体を起こす彩夜。
「……ごめん、寝ちゃったみたい」
「気にするな、疲れていたんだろう」
悠也は部屋の隅で壁に背を預けて座っていた。
「今何時?」
「五時過ぎ。もう少し寝ててもいいぞ」
「……いい。結構しっかり眠れたから」
そんな話をする間、悠也の脳裏にはある光景が蘇っていた。
昨夜、神社の駐車場で眠っていた幸姫もこんな風に目を覚ましたのだ。
彩夜が酷く疲れていたのは知っている。侵食によって魂に多大な負荷がかかっていたし、そうでなくともほとんど休めていなかった。疲れて眠ってしまうのも無理はない。
だが幸姫はどうだろう。紛失したロケットペンダントを探していたとはいえ、気づかず眠ってしまうほど疲れ果てるなどあるだろうか。
(いや……だから何だ。今はもっと大切なことがある。織原は関係ない)
悠也が心の中でそう呟くと、ちょうどそのタイミングで彩夜が言う。
「昨日……えと、どこまで話したんだっけ」
「今日どうするか話そうとしたところでお前が寝た。話の流れからして川の流域を調べるってことでいいとは思うんだが」
「ああそうだった。うん、昼間はそんな感じでいいと思う。ところで悠也、ちゃんと寝れた?」
「それなりに」
「ほんとに?」
彩夜は訝しむように悠也を見る。
「私がベッド使っちゃってたみたいだし、本当は寝てないんじゃないの?」
「そんなことない、俺も寝てた」
「添い寝してたの?」
「違う……! 何故お前はそう話をおかしな方向へ持っていく!?」
「ふうん。まあいいけど」
言いながら彩夜はベッドを出る。
「悠也、ネットニュースって見れる?」
「ああ、見れる」
「昨日の行方不明者、昏睡した人の数を調べてほしいの。たぶんローカルなら載ってるから」
言われた通り、スマホでニュースを調べる悠也。
「そんな情報、どこにも……」
「ちゃんと見て。絶対あるから」
妙に強く断定する彩夜を奇妙に思いながらも、悠也はもう一度画面を注視する。
「……あった。原因不明の昏睡事件が……一件」
「そう。なら、昨日の私たちの頑張りもちょっとは意味があったわけだ」
「…………」
間違いなくあの少女だ。
救えなかった名前も知らない少女の姿が悠也の脳裏をよぎる。
と、そこで悠也はさらに奇妙なことに気が付いた。
「なんだこれ。……関連ニュース、これまで十七件の昏睡事件に、三十一件の失踪事件? こんなのいつ起きてた。いや、いつ報道されてたんだ。見覚えがないぞ、こんなの」
「意識しないと見れないよう細工されてるっぽいよ。十中八九魔術による認識阻害。まあ意識すれば認識できるわけだからそこまで高度な術ではなさそうだけど」
彩夜は淡白な口調で言った。
だが悠也の脳内にはさらなる疑問が浮かぶ。
「魔術師が使える魔術は契約魔族が持つ性質に依存するんじゃなかったか? 仮に敵がゴーストを使役する〈煉霊の魔術師〉だとしたら、認識阻害なんてできないんじゃ……」
「いくつか抜け穴があるの。例えばこれ」
彩夜は机の上に置いてあった折り畳み式のナイフを手に取って悠也に見せた。
「この跡切刀は魔術道具って言ってね、魔族と契約した本人じゃなくても特定の魔術的効果を使えるようにできてる。そのおかげで、魔術を使えない私や悠也でも、これさえあればゴーストと戦える」
その威力は既に悠也も実感していた。まるで水面に刃を突き立てるかのように抵抗なく対象を切り裂き、実体を持たないゴーストすらも滅する特別なナイフ。
「同様に、何らかの認識阻害を行う魔術道具を敵が使用しているとすれば、この状況にも説明がつく。あるいは共犯者がいるって可能性もあるね」
魔術師が二人なら契約魔族も二体。まったく性質の異なる魔術が使えて然るべきだ。
しかしそうだとすると解決はますます難しくなる。できれば魔術道具の方であることを祈らずにはいられない。
「いずれにせよ隠蔽工作が行われていたわけか。……迷惑な話だな。ちゃんとみんなが報道に気づいていれば、被害を避けられた人もいるはずなのに」
「……それについては、私の責任もあるの」
彩夜は手首のスナップを効かせて柄から刃を露出させた。
「この跡切刀はただ何でも切れるってだけのナイフじゃない。ううん、より正確に言えば、物体を切るための道具じゃない」
言葉の意味が分からず、悠也は眉間に皺を寄せる。
彩夜は指先でナイフの刃を弄びながら続けた。
「この刃が捉えるのは、それがそこに在るという事象そのもの。物質として存在しようがしまいが、どれだけ硬かろうが関係ない。ただ在るという事象を切り取って、初めからなかったことにする。そういう性質を宿してる」
それが事実なら、実体のないゴーストに有効であるのも頷ける。物質として存在しないゴーストでなく、ゴーストがそこに在るという事実を切り取ってなかったことにするのだから。
モノではなくコトを捉える刃。実に魔術らしい不可思議な性質だ。
だがそれと事態の隠蔽工作に彩夜が関わっているのとに、何の繋がりがあるのか。
そんな悠也の疑問に答えるように彩夜は言った。
「初めからなかったことにするってことは、存在した痕跡も失われるってこと。つまり、この跡切刀で切られたものの記憶は世界中の人々から消えてなくなる」
悠也は眉をひそめた。
「それはおかしい。俺は覚えてる。お前がそのナイフでゴーストと戦っていたのも、俺自身がそのナイフを使ったことも」
「例外があるの。対象が切られる瞬間を認識している人は、跡切刀の性質から逃れることができる。今その瞬間に見えているものを忘れる人っていないでしょ。それと同じ」
「……なるほど」
「もうわかると思うけど、跡切刀で処理した対象の記憶が人々から失われるのは、そのまま事態の隠蔽に繋がる。だから被害が拡大してるのは私のせいでもあるわけ。ま、元々隠さなきゃいけない立場なんだけど」
彩夜はつまらなそうに言って、また手首を振って刃を柄に収納した。
「とはいえそろそろ限界かもね。敵の認識阻害と跡切刀の記憶消去、二つの相乗効果でここまでは世間の注目を逃れて来たけど、流石に被害の数がすごいことになってきてる。不自然に気づく人が出てきてもおかしくない」
大事になる前に解決したい悠也たちには好ましくない事態だ。
と、そのとき。
「あれ?」
唐突に彩夜は顔をしかめた。
「……数が合わない」
「どういうことだ?」
「敵はゴーストを使って人を襲っているのは心を集めるためである可能性が高い。それは話したよね。これまでの被害者の数は昨日の一人を加えて四九人。まあいくらか上下することはあるだろうけど、だいたい五十人と考えていい。でもそうすると、『蜘蛛』の数が多すぎる」
「……!」
『蜘蛛』の中身は心と魔力の集合体であるゴーストだ。集めた人の心が元になってゴーストが作られているとすれば、被害者の数とゴーストの数はある程度関連しているはずである。
だが、昨夜二人が処理した『蜘蛛』だけでも四十はいた。これまでに彩夜と潤が処理した数を考慮すれば、被害者の数を優に超えるのは間違いない。
そのことから考えられる事実に、悠也も気づいた。
「……一人の心から作れるゴーストは、複数」
彩夜は頷いて、
「だとしたら、かなりまずいことになる。これまでは『蜘蛛』とその中のゴーストを処理することで敵の妨害ができると考えてた。ゴーストは敵にとって心を集めるための手であると同時、収集している心そのものだから。ゴーストを処理することが敵が集めた心を処理することにもなると思ってたの。でも、もし『蜘蛛』の中のゴーストが、集めた心のごく一部分だけでしかないのだとしたら……」
「こっちの妨害は焼け石に水。心の収集は順調に進んでいる……?」
「悠也、潤に電話してくれる? すぐにでも情報を共有しておきたい」
「……ああ」
悠也の反応が悪かったからだろう。彩夜は悠也を安心させるような笑みを作る。
「気まずいだろうけど大丈夫、話すのは私だから」
「……いや、先に一言話させてくれ。昨日のこと、謝りたい」
彩夜は僅かに目を見開いて、それから表情を緩ませて頷いた。
やや緊張しながらスマホを操作し、電話をかける。
呼び出し音が三回鳴ったところで通話は繋がった。
『どうした、悠也』
潤の声は気怠そうだった。いつもより元気がないようにも感じられる。
「……その、昨日はごめん。感情的になり過ぎた」
『なんだそんなことか。俺こそ感情的になってた。わざわざ電話して謝ることじゃねえよ。今何時だと思ってんだお前』
「あ……」
『ったく。まあいい、本題はなんだよ』
呆れたようなその声音は、どこか優しくも感じられた。
ほのかな安堵を覚えつつ、悠也は言う。
「報告したいことがあるんだ。彩夜に代わるぞ」
『了解』
そうして彩夜にスマホを手渡し、しばらく。
彩夜と潤の会話が終わる。彩夜はまだ話すことはあるかと視線で問いかけてきたが、悠也は首を横に振って否定した。
通話を終えた彩夜がスマホを返してくる。
「いい写真だね」
彩夜はホーム画面の写真を見てそんなことを言った。
その直後だった。
――だんだんだん、と。
階段を駆け上がる足音に気づいた悠也は慌てて叫ぶ。
「……っ、まずい隠れろ!」
すぐにばさっ、とベッドへ潜り込む彩夜。
布団は明らかに人が入っているとわかる程度に膨らんでしまっていたが、今から他の場所に隠れさせるほどの時間はない。このまま乗り切るしかない。
と、そこで悠也は気づいた。
窓際。部屋のドアを開けて真正面のところに彩夜の服が干されたままであることに。
(まずい、まずいまずいまずいまずい!)
慌ててすべての服を取り全力でベッドに放り投げる。
そして同時にタイムリミット。
バン、と。ドアはノックもなしに開かれた。
現れたのは一人の少女。
名を黒宮悠香。黒宮悠也の妹である。




