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吸血少女と人殺し  作者: 伝々録々
第一章 贖罪は哀切を伴い
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疑惑と平穏02


 幸姫を見送ってすぐ、人気のない暗い路上の端で悠也は電話をかけた。


『いや。幸姫に魔術を使った記憶はないな』


 電話の向こうで、敷根潤はそう言った。

 これで、彩夜が感じた魔力は潤のものだという悠也の仮定は否定されたことになる。


『俺の魔術はそれなりに応用が効くが、万能じゃない。特定人物を守るバリアなんか作れるんだったらお前のことも守ってるさ』

「そうか」

 だとすると、やはり彩夜が幸姫から感じ取ったという魔力は勘違いだったのだろう。幸姫が魔術師でもない限りそうでなくては辻褄が合わない。そして幸姫が魔術師であるはずがない。

 あるはずがないのだ。そんなことは。

「……もう一つ聞いてもいいか」

『言ってみ』

 気軽に返してくる潤に、悠也は少しだけ躊躇ってから問いかける。


「お前、織原に正体を明かす気はないか?」


 瞬間、息を呑む気配が電話越しにも伝わってきた。

「織原は知りたがってる。お前が隠し事してるのなんてとっくに気づいてるんだ。それなのに、お前は」

『悠也』

 威圧感のある、低い声だった。

『言ったはずだ。魔術は秘匿しなくちゃならない。それがあいつのためにもなる』

「だけど、織原は悲しんでた。それでもそれが織原のためだって言うのか」

『そうだ』

 強い語気で発された断定の言葉にたじろぐ悠也に、潤は畳みかけるように言う。

『織原幸姫は未来永劫、魔術と関わりを持たずに生きる。これは絶対だ。それともお前は、あいつをこんな世界に関わらせたいとでも言うつもりか?』

「それは……」

 魔術の存在を知ってしまっただけで悠也の見る世界は一変した。まだたった数時間しか経っていないというのに、幾度も命の危機を経験した。


 言えない。

 こんなものを知ることが織原幸姫のためになるなんて、そんな無責任なことは。


『そういうことだ。わかったらもう、くだらないことを言うのはやめろ」

「くだらない……?」

 悠也の眉がピクリと跳ねた。

「くだらないことなのか? 織原は、お前のことが好きで、お前のことを知りたいと思って、お前のことを心配して……その全部が、くだらないっていうのか?」

『ああ』

「――ッ、お前は」


 プツリ、と。

 悠也が声を荒げた瞬間、電話は一方的に切られてしまった。


「ッ……、くそ」

 悠也は行き場のない怒りに任せてスマホを持った手を振り上げ、しかしそこで彩夜が自分を見ていることに気づいて冷静さを取り戻した。

「どうだった?」

 確認するまでもなく、それは潤が織原が発した魔力について知っていたかどうかを尋ねる言葉だ。

 悠也は無言で首を横に振る。

「そっか。まあ、そうだよね」

 彩夜は気持ちを切り替えるように伸びをして、

「とりあえず移動しよっか。このままここにいてもどうにもならないし」

「……だな。そうしよう」


    ◇


 真夜中。人ひとりいない住宅街を二人並んで歩く。

 静寂を破ったのは彩夜の声だった。

「さっきの電話が原因?」

「え?」

「不機嫌そうだから」

 口調は淡白だったが、悠也を気遣っているのは伝わってきた。

「……そうかもな」

 悠也はそれだけ返した。ほかに何を言えばいいかわからなかった。


 また少し歩を進めたところで、彩夜が口を開いた。

「こんなこと言ったら悠也はもっと不機嫌になるかもしれないけどさ、……私は、潤に賛成。こんな世界、関わらずにいられるならその方がいいと思う」

「俺もだ。わかってるんだよ。あいつはきっと正しい。でも……」

「納得できない、か。そういえば、悠也は魔術を知った人がどんな扱いを受けるかまだ知らなかったっけ」

「……嫌な言い回しだな」

「伝わりやすいと思って」

 彩夜は続ける。

「魔術を知った一般人は悲惨だよ。場合によっては機関の協力者としてそれなりの待遇を受けられることもあるけど、厳しい監視がつくこともある。……それだけならまだいい方。大抵は生かしておいてもらえない。魔術師はいつだって人手不足だから」


 殺してしまった方が人手がかからない。そういうことか。


「ほんと、嫌な世界だ」

「ね。でも悠也は殺させないから安心して」

「できるのか?」

「要はバレなきゃいいのよ。これ以上大事になる前にサクッとこの一件を解決して、私と潤が悠也の関与を黙っていれば問題なし」


 彩夜は簡単そうに言い、いたずらっ子のような笑顔を悠也に向けた。

 それが簡単なことでないのは明らかだ。まだ敵の素性も定かでないこの状況から、事態を無事解決できるかどうか。他の魔術師が駆り出される事態になれば、悠也の関与を隠すのは難しくなる。

 しかし、悠也はそう指摘をする気にならなかった。

 悲観的になったところで意味はない。無理して前向きになるくらいで丁度いいと思った。


 と、そんなとき。

「――――雨?」

 彩夜が呟き、直後、大粒の雨が勢いよく降り出した。土砂降りである。

「わわわわわ、悠也、どっか雨宿りできるとこない!?」

 雨音に負けないように大声で彩夜が言った。

「少し先が俺の家だ、そこまで我慢できるか」

「なんでもいいから早く! 話してる間に濡れちゃう!」


 そうして駆けること数分。二人は黒宮家に到着した。

 ただし。


(リビングの明かりが点いてる……?)


 悠也の両親は二人とも夜遅くまで働いていて、帰宅後はそのまま寝てしまうことが多い。悠也と顔を合わせるのは朝になってからなので、いなかったことに気付いてリビングで待っている可能性は低い。


 起きているとすれば、妹。

 悠也は慎重に、そっと玄関のドアを開けた。


 雨音がうるさい外と違い、家の中は静まり返っていた。

「……誰も起きてない、よな」

 電気は消し忘れだろうか。そんなことを思いつつ、彩夜を玄関の中にいれた。


「お邪魔しまーす。……はあ、もう最悪。全身ぐしょぐしょ」

 彩夜はびしょ濡れになった黒のシャツをつまみながら言う。薄いシャツが肌に張り付き、彩夜のスレンダーなボディラインが露わになっていた。

 悠也はすぐに顔を背けた。目に毒だ、これは。

「……タオル持ってくる。ちょっと待ってろ」

 早足で玄関を後にする。

 戻ってきた悠也は、彩夜から目を逸らしながらタオルを放った。

「ありがと」

「軽く拭いたら俺の部屋に行こう。家族に気づかれるリスクは減らしたい」

「了解」


 物音を立てないよう、慎重な足取りで二階へ。

「人の部屋入るときってちょっとわくわくするよね」

「普通だよ。これといって特徴もない」

「意外とぬいぐるみとか集めてたりして。あ、ベッドの下とか確認しないと」

「化け物がいるかもな」

「え」

「……冗談だ」


 小さな声でそんなやりとりをしつつ二階の角部屋に到着。ここが悠也の部屋だ。

 悠也がドアを開いて入り、彩夜もその後に続いた。


「……おお、なんだかすっごく普通だね」

 感嘆、と捉えていいのかよくわからない反応だった。

「期待に沿えなくて悪いな」

 実際のところ、彩夜の感想が全てである。

 これといって特筆すべきところもないごく普通の部屋だ。ドアの正面に窓が一つ、ベッドの横に出窓が一つ。カーテンの色はアイボリー。ベッドの向かいに学習机と椅子がある。

 ほかにあるのは洋服掛けと箪笥、本棚くらい。本棚の中も、少し前に流行った小説に人気の漫画と、やはり特徴のないものだ。


 彩夜はそんな本棚を興味深そうに観察して、その一部に目を止めた。

「悠也って少女漫画とか読むの?」

「それは妹のだ。自分の部屋に置ききれない分を俺の部屋に置いてるんだよ」

「ああ、そういうこと。悠也が読むのかと思っちゃった」

 実際のところ一切読まないわけではないのだが、言わないでおいた。

「着替え、俺のジャージでいいか」

「借りていいの?」

「その恰好でいるわけにもいかないだろ」

 悠也は箪笥から出したジャージを彩夜に手渡した。

「俺は下で着替えてくる」

「別にここで着替えてもいいよ。私気にしないし」

「俺が気にするんだよ」

 

    ◇


 念のため一階で適当に時間を潰してから部屋に戻ると、既に彩夜は着替えを終えていた。

 その手元には濡れた服。

「ハンガー借りてもいい?」

「好きに使ってくれ。窓のところにでも干しておけばいい」

「りょーかい」

 言われた通りに服を干し始める彩夜。

「……っ!」

 悠也は急いで目を逸らした。


 ……何故下着まで干しているのか。今着ているジャージの下はどうなっているのか。

 悠也は煩悩を振り払うべく頭を振った。


「よし、こんなもんかな」

 満足そうに言う彩夜に、悠也はマグカップを差し出した。

「これ、コーヒー淹れてきた。熱いから気を付けろよ」

「ありがと」

 両手でカップを受け取り、一口啜る彩夜。そしてすぐ渋い顔をした。

「にが」

「砂糖足りなかったか」

「平気。いい感じに目が覚めそう」

「ならいいんだが……適当に座ってくれ。いくつか確認しておきたい」

 彩夜は困ったように視線を彷徨わせる。

 悠也は勉強机の前の椅子を顎で示し、自身はベッドに腰かけた。

「まず一番大事なことを聞いておく。思わず帰って来てしまったが……敵がここに攻めてくることはないだろうか」

「ない、と思う」

 彩夜は椅子に座りながら言う。

「確証はないけど、民家の中に攻め込んだらどうしても痕跡が残るから」

「機関の介入を最小限にするよう周到に立ちまわっている魔術師がそんなことをするとは考えづらい……そういうことか?」

 彩夜は頷き、カップに口をつける。そしてまた渋い顔をした。

 とりあえずは一安心だ。家族を巻き込んでしまう心配はしなくていい。


「ならこの後どうするかを話そう。お前さっき、解決の糸口があるとか言ってたよな」

「だいぶ細い糸だけどね」

 彩夜はカップに口をつけようとして、つけることなく机の上に置いた。

「紙とペンってある?」

「机の上のなら好きに使ってくていい。ルーズリーフが教科書の横にある」

 彩夜はペンとルーズリーフを手に取ると、すらすらと何かを書き始めた。見たところ簡易的な地図のようだ。その中にいくつもの印をつけていく。何故か猫の顔のような印だった。


 彩夜は完成した地図を悠也に渡す。

「その印が昏睡事件の発生箇所。何か気づくことない?」

 地図を見てすぐ、悠也はそれに気づいた。


「……偏ってるな」

「川の流域に、ね」


 彩夜の言う通りだった。

 この町には東西二カ所に川が流れている。全てというわけではないが、昏睡事件の多くはその川の付近で発生していた。思い返してみれば、悠也が最初にあの『蜘蛛』に遭遇した住宅街の傍にも川が流れていた。


「ちなみに時間帯は全部夜。これは人目のある時間を避けてるからだと思うけど、川の流域なのも似た理由じゃないかと思うの。川を使ってあの『蜘蛛』を移動させれば、少なくとも道路の上を移動させるよりは目立たない」


 その推測は当たっているように思えた。あんな巨大な怪物が普通に道を歩いていたら目立ちすぎる。それがどこからともなく現れるということは、人目に付かない経路を使っている可能性が高い。川の深さ的に水中に全身を沈めるとまではいかないかもしれないが、道路より低い場所を移動するだけでも人目に留まるリスクは激減する。

 また、悠也には今の説明で納得したことがあった。


「そうか。それでお前あのとき、あんな離れた鉄塔にいたのか」

 悠也が餌として『蜘蛛』を引き付けていたとき、彩夜は少し離れた鉄塔の上にいた。あれは『蜘蛛』に悠也を襲わせるためだけでなく、高い場所から魔術師を探すためでもあったのだ。


「この予想が正しければ、魔術師の潜伏先、あるいはあの『蜘蛛』やゴーストの隠し場所は川の近くってことになる。あのデカブツを街中から川まで連れていくのは見つかるリスクが高すぎるから。ただ……」

「川の流域全てが捜索範囲じゃ、さすがに探しきれない。それで細い糸か」

「そういうこと。全ての事件が川の近くで起きてるわけでもないしね」

「……難しいな」


 わかりきっていたことだが、やはり解決までの道のりは遠そうだ。


 ほかに頼れるものがあるとすれば彩夜の使う『魔術師の勘』だが、気配を察知できる範囲は限定されている。となると、あとはもう闇雲に歩き回って探すしかない。

「とりあえず明日の昼間は、川の流域を中心に捜索するってことでいいのか?」

 悠也の問いに、彩夜は返事をしなかった。

「彩夜?」


 見れば、彩夜は椅子に座ったまま小さく寝息を立てていた。


 何かあったのかと焦る悠也だったが、どうやら本当に眠っているだけらしい。よほど疲れていたのだろう。日付もとうに変わっているし、こんな時間まで起きていたことを称賛すべきかもしれない。

 ちなみにカップの中のコーヒーはまだほとんど残っていた。

「……目、覚めなかったんだな」

 すやすやと寝息を立てる彩夜に、悠也は思わず口元をほころばせた。



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