歴史研究家モチョムが語る「コスプレ」の語源
初めまして、私は歴史研究家のモチョムと申すもの。
ここリズガルド王国の王立アカデミーに籍を置き、歴史文化学を研究している教授の端くれだ。
ところで今日の講義では、「コスプレ」なる言葉について、その語源を語ろうと思う。
コスプレ……リズガルド王国に暮らすものであれば一度は耳にしたことがある言葉だろう。
衣装や装飾品でもって己を着飾り、別の何者かになりきって楽しむ遊び。
コスプレを一言で簡単に説明すれば、そんなものだろうか。
ともあれ、ごく日常的に使われる言葉の一種である。
その意味を知らないというものはいないはずだ。
私も今朝、十歳の愛娘から「どうしてお父様はいつも、眼鏡をかけたキノコのコスプレをしているの?」と聞かれたばかりだ。
丸く切りそろえたこの髪形のせいだろうか。
どうも娘には私がキノコのコスプレをしているように見えるらしい。
全体的に丸みを帯びた小太りな体型もまた、私がキノコのコスプレをしているように見えた要因かもしれない。
なんにせよ、その逆転の発想には度肝を抜かれたものだ。
おっと、話がそれてしまった。
では早速、本題に入るとしよう。
コスプレの語源。
それはとある青年の嗜好。
具体的には、ずばり国王リズガルド九世の性癖である――
◆
今より約五百年前、リズガルド王国暦919年。
当時は貴族の子女にのみ門戸が開かれていた王立アカデミーにて。
よく晴れた朝、生徒たちが登校する時間帯。
校門から昇降口へと道を歩く生徒たちから、主に女子生徒から熱心な視線を集めている男子生徒がいた。
「ああ、殿下。今日もなんてお美しいのでしょう……」
「尊いわ……」
王太子、名をレオン・リズガルド、十七歳。
金髪碧眼の顔立ちは端整の一言に尽き、その穏やかな眼差しは世の多くの女性を虜にしたという。
後世においても絶世の美男子と語り継がれることになる容姿は、まさしく非の打ちどころのないものであった。
そんな彼には十歳のころから婚約している婚約者がいる。
昇降口の前に見られる、両手を体の前で重ねた美しい立ち姿。
こちらは女子生徒で、同性から羨望の視線を集める中、少なくない男子生徒たちから熱い視線を向けられている。
「おお、ロゼリア嬢。今日もなんて美しいのだろうか……」
「尊いな……」
公爵令嬢、ロゼリア・ハーツクライ、十七歳。
レオンと同じく王族の血が顕著に現れた金髪碧眼の顔立ちは綺麗の一言に尽き、その儚げな眼差しは世の多くの男性を虜にしたという。
後世においても絶世の美女と語り継がれることになる容姿は、こちらもやはり欠点が一つして見当たらないものであった。
早い話が当代一の美男美女カップルである。
今も昔も、二人を表す言葉として、もっとも多く用いられるものが「白馬の王子様と月夜の深窓令嬢」だ。
絵に描いたような王子様然としたレオンと、夜の月光が似合う深窓令嬢然としたロゼリア。
互いに将来を約束しあった婚約者がいてなお、目の肥えた貴族の異性たちを虜にしてしまうほどの器量を、二人は誇っていた。
「おはよう、ロゼリア嬢」
「おはようございます、レオン様」
挨拶を交わし、連れたって歩くレオンとロゼリア。
たったそれだけ、何気ない日常の光景にすら黄色い声をあげられるくらいなのだから、二人の人気は相当なものだろう。
比類なきものと言ってもなんら過言ではない。
「そちらのクラスでは今日、火魔法学の実技試験があるのだったな」
「ええ。ただ試験といいましても、各自の習熟度を確認する程度のものなようです」
「習熟度、か……」
歩きつつ、レオンはロゼリアの頭部をじっと見る。
「レオン様?」
「ん? ああ、いや。すまない、なんでもない」
視線に気づいたロゼリアが、難しい顔をしていたレオンを不思議そうに見上げた。
名前を呼ばれて我に返ったレオンは、何でもないといった風を装って前に向き直る。
「それでロゼリア嬢はどうなんだ?」
「あまり芳しくありません。情けない話なのですけれども、やはり火属性への苦手意識を払拭することができないのです。一応、家でも習練に励んではいるのですが、どうにも結果は伴わなくて……」
「あまり根を詰めすぎないようにしてくれ。君はいつも頑張りすぎる」
「申し訳ございません。気を遣わせてしまって」
「君と私の仲だ。それこそ気にする必要はない」
「ありがとうございます。あっ、もう教室に着いてしまいましたね。ではレオン様、失礼いたします」
「ああ」
廊下の先、隣の教室へと歩いていくロゼリア。
その後ろ姿を、レオンは立ち止まって見送った。
先ほどと同じように頭部をじっと見つめつつ。
ロゼリアの姿が教室へと消えると、レオンもまた己の教室へと入っていく。
仲の良い級友たちと気軽な挨拶を交わしながら席に着けば、間もなく教師が入室してきて授業が始められた。
さて、表面上は良好な関係を築いているように見えるレオンとロゼリア。
しかしながらそこには、両者を隔てる一枚の壁がたしかに存在している。
互いに十歳のころ、王家主導のもとに結ばれた政治的な婚約。
王城の庭園にて引き合わされたレオンとロゼリア。
その出会いは、いわゆる一目惚れというような、互いに恋に落ちるようなものではなかったといえよう。
王太子として、公爵家の息女として。
幼いながらにこの婚約の意味を理解していた二人はなによりもまず、国のため、家のために生涯を捧げることを受けいれていた。
各々に、先の将来、伴侶とする相手を決める際に好きや嫌いといった恋愛感情を挟む余地がないことは、生まれ育つ中で自然と知れたこと。
よって、「この相手と添い遂げなければ」という義務感のみが先立ち、両者ともに恋心といった淡い感情が瞬時に芽生えるようなことはなかったのだ。
それでもだ。
七年という長い歳月が、二人の関係を少しずつ変えてきた。
冷たい義務がいつしか、温かな夢へと変わるまでに。
人工的に臨んだ恋はいつしか、自然に望んだ恋へと変わっていたのであった。
まず恋心の生まれは、レオンがロゼリアのことを「可愛い」と思い、ロゼリアがレオンのことを「格好良い」と思ったことだ。
もとより容姿に優れた二人だったから、相手を異性として意識するまでにそう時間はかからなかった。
婚約者となってから二人きりで過ごす時間が生まれると、嫌でも相手を異性として意識させられてしまった。
そして恋心の育ちは、同じ時間をともにし、同じ道を歩んできたことだ。
国を担うべく課せられた厳しい教育に、弱音を吐かず向き合ってきた姿。
国を担うべく抱かされた志を、己のものと昇華して自ら進んで背負った姿。
国王に、王妃に相応しい存在となるため、前だけを見てひたむきに頑張ってきた姿。
その強さと、その気高さと、その実直さに、互いに心惹かれていくのはもはや自然の成り行きであった。
次に恋心の認識は、ふとした拍子に相手のことを「好きだ」と想ってしまったことだ。
それは奇しくも同じ瞬間。
王立アカデミーに入学してからしばらく経ったある日、何気ない朝の挨拶を交わしたときのことであった。
最後に恋心の確認は、レオンが「好きだ」とロゼリアに想いを告げたことだ。
ハーツクライ公爵家の広い庭園を二人きりで散歩していたとき、レオンは勇気を振り絞って告白。
それに対するロゼリアの返事は、「私もレオン様をお慕いしております」というものであり、晴れて二人は本当の意味で結ばれて両思いとなった。
では、そんな相思相愛はずの二人を隔てる壁とは、一体何なのであろうか。
壁の正体。
それはレオンの嗜好。
具体的には、ずばりレオンの性癖である。
授業が終わった放課後、ところ変わって生徒会室。
側近の役員たちを先に帰したレオンは、机の引き出しからあるものを取り出し、宙にかざすようにして眺めていた。
「習熟度、か……なら、こいつの習熟度はいまだ0のままだな」
あるもの――カチューシャ型のネコ耳を手に、レオンはやるせない様子で呟いた。
弧の形を描いた細い金具に、二つ取り付けられた模造品の猫耳は黄金色。
レオン力作のネコ耳は、窓から差し込む夕日に照らされ、ほんのりと赤味を帯びている。
このネコ耳こそがレオンの性癖にして、彼とロゼリアの間にどんと構えている壁の正体だ。
ネコ耳をつけてもらいたい。
でも、「ネコ耳をつけて」とは言えない。
ネコ耳をつけて猫っぽく振舞ってもらいたい。
でも、「ネコ耳装着の習熟度を極めてほしい」なんて言えるはずもない。
ネコ耳をつけてエッチなことを迫ってもらいたい。
でも、「レオン様とニャンニャンしたいニャン」と迫ってほしいだなんて、絶対に口が裂けても言えやしない。
精巧なネコ耳をつけたロゼリアとの性交をいつか成功させたい。
レオンが抱くそんなふしだらな妄想――「三せいこう」は現状、夢のまた夢であった。
だが、好きな相手に性癖をさらすのは怖くて当然だろう。
それが少し特殊なものならなおさらだ。
これまで築いてきた関係が崩れてしまうかもしれないことを思えば、気軽に「ネコ耳つけて」なんて言えるはずもない。
幻滅され、嫌われてしまうのだけはレオンとしてもごめんであった。
またなにより、王太子という虚構の自分像がレオンに重く圧しかかっていた。
なにせ恋した相手にずっと見せてきた己は、王太子としてあるべく片肘を張っていた姿だ。
もちろん虚構ではなく本物である。
それでも当のレオンにしてみれば表面上の取り繕った姿でしかない。
あるべき姿から逸脱してしまうことを、レオンは恐れずにはいられなかった。
そうして、レオンは独り悶々と思い悩み、やがてネコ耳の性癖に負い目を感じるようになってしまう。
最終的にはロゼリアとの間に壁を作ってしまった。
深窓令嬢の名に相応しい完璧な美少女であるロゼリアに対し、己はネコ耳に執心する変態だとして引け目を感じずにはいられなかったのだ。
またそれゆえ、レオンとロゼリアのお付き合いはあまりにも清いままである。
晴れて両思いの恋人同士になったはいいものの、レオンは勝手に壁を作ってしまって一歩と踏み込むことができず、ロゼリアに臆したまま変に距離をとっている。
ニャンニャンはおろか、いまだ手を握ることすらできていない。
およそ恋愛事における進展に関しては完全に無であった。
「ロゼリア、なにかの間違いで自発的にネコ耳をつけてニャンニャン言い出さないかな……」
言い出すはずもなく、幾ばくか。
折りに触れて発せられるレオンの戯言は、毎度のごとく床に染み入って消えた。
ところが、レオンお手製のネコ耳の数が十五を超えたころ。
二人の仲を進展させる転機が訪れる。
かの有名な「ルルゥ・ノーバン男爵令嬢の乱」である。
ノーバン男爵家に養子として迎え入れられた、元平民のルルゥ。
ノーバン男爵の妾腹であった彼女は王立アカデミーに転入するや、その可憐な容姿でもってあざとく振舞い、婚約者のいたレオンの側近たちを次々とたぶらかしていった。
宰相の息子や騎士団長の息子、大司教の息子などなど。
誰も彼もがルルゥに夢中になり、各々の婚約者に婚約解消を願い出たというのだから、その恐ろしいまでの魔性ぶりには驚嘆するばかりだ。
ともあれ、結論から言ってしまえば、ルルゥは敵対関係にある他国が仕込んだ間者であった。
あやふな出自と常識を疑う行動から、初期の段階でその正体は王国の上層部に把握されていたのだが、次代を担う後継たちの資質を測るべくあえて放置。
他国としても、これで乱せられれば儲けものといった程度の雑な仕掛けであったものの、ルルゥの魅了魔法によって王立アカデミーはそこそこの混乱に陥れられた。
そして、その毒牙は最終目標であるレオンにも向けられたのであった。
ルルゥが原因の風紀の乱れから、少しばかり雰囲気の悪くなっている王立アカデミー。
放課後、生徒会室までの道中を、レオンとロゼリアは二人並んで歩いていた。
なお、特に普段と変わらないレオンに対し、ロゼリアの表情はやや暗く、気落ちしているように見受けられる。
「しかしルルゥ嬢にも困ったものだ。簡単にたぶらかされるほうにも問題があるとはいえ」
「皆様、本当に婚約を解消なされるのでしょうか?」
「恐らくはな。人目につきすぎたし、さすがに火遊びで済ませられる話ではないだろう」
「そう、ですか……」
「ああ、それと私の側近からも外すことにした。あの程度の小細工に簡単に引っかかってしまうような無能では話にならん。替えがきくのが不幸中の幸い――すまない。さすがに言い方が悪かったな」
一瞬、レオンは苛立ちをにじませるも、ロゼリアの反応を気にしてすぐに取り繕う。
ただ、ロゼリアはロゼリアで、なにか別のことを気にしているようであった。
「重ね重ね本当にすまない。君にも迷惑をかけただろうし、こうして生徒会の仕事を手伝わせてしまう羽目になってしまった」
「迷惑だなんて。私はレオン様のお役に立てるのであれば幸いですから」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」
「あの、レオン様」
「なんだ?」
「その、レオン様はルルゥ様のこと、なんとも想われなかったのですか……?」
「なにを馬鹿なことを。そんなの当たり前だろう――」
生徒会室の前に着き、レオンは答えながら扉を開ける。
すると、そこにはいるはずのないルルゥの姿があった。
またその頭には、レオンが引き出しにしまい忘れていたネコ耳が装着されていた。
「あっ、レオン様! おかえりなさいニャ――ぁばっ!」
言い終える寸前、レオンの鉄拳がルルゥの顔面にめりこんだ。
吹き飛ばされたルルゥが机を派手になぎ倒して勢いよく壁にぶちあたり、ずるずると床に崩れ落ちる。
白目をむいたその顔は、折れた鼻の穴から血の鼻ちょうちんを膨らませており、前歯が上下数本ずつ折れているという悲惨なものであった。
「そのネコ耳はロゼリア専用だ。ぶち殺すぞ、クソビッチが」
レオンは気絶しているルルゥのもとに歩み寄り、その頭からネコ耳を壊れ物を扱うかのように慎重に外すと、彼女を開け放った窓から外へと乱雑に放り投げた。
この生徒会室は校舎の二階にある。
ややあってから、偶然下を通りがかっていた女子生徒のあげた悲鳴が聞こえてきたが、レオンは気にもとめず、開けた窓を不機嫌そうにまた閉めた。
「レ、レオン様……?」
ロゼリアの震える声。
ネコ耳を手にしているレオンの動きがぴたりととまった。
訪れる沈黙。
互いに声を発せず、動けず、ただいたずらに時が過ぎていく。
「ロゼリア」
先に沈黙を破ったのはレオンであった。
「今日はもう遅いから帰ったほうがいい」
「いえ、でも……」
「大丈夫。今日はもう遅いから帰ったほうがいい。あと手伝いに来てくれてありがとう。おかげですごく助かった。じゃあさようなら」
「えっ? えっ? レオン様――」
レオンはロゼリアの肩を優しく押して退出を促し、彼女が外に出たところで扉を素早く閉めた。
しばらくして。
扉の前で悩んでいたであろうロゼリアが立ち去っていく足音が、扉に背を預けて床に座りこんでいるレオンの耳に聞こえてくる。
その足音が完全に聞こえなくなってから、レオンはゆっくりと頭を抱えた。
「終わった……」
殴るだけでよかった。
ルルゥを殴って気絶させ、その汚らしい口を封じるだけでよかったのだ。
それなのにあろうことか、「そのネコ耳はロゼリア専用だ」などと口走ってしまった。
背後のロゼリアにもはっきりと聞こえるほどの声量でもって。
「完全に終わった……」
取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
後悔はやまない。
日が暮れて夜になり、見回りの警備員に声をかけられるまで、レオンはその場から動くことができなかった。
ただし、それでも明日はやってくる。
レオンは翌日から丸三日間、心の病を理由とする仮病でもって王立アカデミーを休んでしまったものの、己を奮い立たせて四日目の今日にはなんとか登校できていた。
校門前で送迎の馬車から降り、いつもと同じように皆の視線を集めながらレオンが向かう先。
そこには、同じくいつもと同じように待っているロゼリアの姿があった。
「お、おはよう、ロゼリア嬢」
「おはようございます、レオン様」
いくらか緊張の色を含んだ挨拶を交わしてから、連れたって歩くレオンとロゼリア。
いつもどおり女子生徒たちの黄色い声があげられ、静かな朝を少しばかり賑やかにする。
だが、こと今日にかぎっては、レオンも周囲からの視線が気になって仕方ない。
あの喜色満面の笑みを浮かべている女子生徒たちは裏で、実は己を「性癖ネコ耳王子」と馬鹿にしているのではないかと勘ぐらずにはいられない。
ロゼリアが己の性癖を吹聴するはずがないと信じているものの、万に一つの可能性をレオンは疑わずにはいられなかった。
「そ、そちらのクラスでは今日、火魔法学の実技試験があるのだったな」
「へ? あ、いえ、ございませんが……」
「だろうな。知ってる」
無理に会話をしようとしたところで、逆に下手を打ってしまうレオン。
「あの、レオン様。お加減はいかがでしょうか?」
「問題ない。ほんの少しばかり体調を崩してしまっただけだ」
実際、ベッドの中で丸まって悶えていただけなので体調に問題はない。
「それはようございました。あと話は変わりまして、その、ルルゥ様のことなのですけれども、魅了魔法を使われていたそうですね」
「へ? あ、いや、そうだったな……」
「殿方の皆様もまた、魅了魔法が解けて正気に戻られたようです。いまでは婚約解消を取り消そうと必死になられておいでで。彼らの婚約者であった友人たちから私も、その対応に困っていると相談を受けております」
「なるほど」
レオンの鉄拳制裁によってルルゥが昏倒させられたために解かれた魅了魔法。
そのことはすでに多くのものが知るところであり、レオンの元側近たちも婚約解消を白紙に戻すべく必死に奔走していた。
ただし、ルルゥに魅了されている状態での各々の言動があまりにも酷かったせいか、婚約解消の撤回については困難を極めている。
「では私のほうで対処しておこう」
「え? よ、よろしいのですか?」
「ああ。もとよりそのつもりだったからな。大体にして、もとはといえばルルゥ嬢を泳がせていた私に責任がある話だ。ちょうどいい試金石だと思って放っておいたのだが、少々やりすぎてしまった――じゃなくて。すまない、また君に迷惑をかけてしまったな」
「いえ、私は別にそんな……あっ、もう教室に着いてしまいましたね。ではレオン様、失礼いたします」
「ああ」
廊下の先、隣の教室へと歩いていくロゼリア。
その後ろ姿を見送るでもなく、レオンは己の教室へと入っていく。
無言のまま一直線に席に着けば、間もなく教師が入室してきて授業が始められた。
それからレオンは、さして変わりのないいつもどおりの日常を過ごす。
やはりロゼリアはネコ耳云々を誰かに言い触らしてはいなかったようだと、とりあえずレオンはほっと胸を撫で下ろした。
また休み時間には、元側近たちが何事かを必死に弁明してきたが、これからのことで頭がいっぱいなレオンはまともに取り合わなかった。
やがて迎えた放課後。
生徒会室にて、レオンはロゼリアと二人きりでいる。
対面の机に座っているロゼリアは、真剣な様子で書類仕事をこなしてくれていた。
元側近たちが滞らせていた仕事を手伝わせてしまっていることに罪悪感を覚えつつ、レオンはロゼリアの顔色をそれとなくうかがっている。
「……ロゼリア嬢。少しいいだろうか?」
意を決し、緊張した面持ちながらに話しかけるレオン。
「はい。なんでしょうか?」
「これを読んでほしい」
そう言ってレオンは懐から白い封筒を取り出し、ロゼリアに手渡した。
ちらりとこちらを見てくるロゼリアに頷き返し、中身を読むように促す。
ロゼリアは特に顔色を変えるようなこともなく、封筒に入っていた一枚の便せんを手に取って読み始めた。
レオンが固唾をのんで見守る中、静かなときが流れていく。
レオンがロゼリアに渡したのは、ネコ耳の性癖を白状する手紙だ。
便せんにびっしりと書き連ねられている内容は、レオンがネコ耳をこよなく愛していることと、ネコ耳がロゼリアにいかに似合うかを力説をする二点。
内容の比重については、前者が二割、後者が八割といったところである。
バレてしまったのなら、もう正直に白状するしかない。
それがレオンが丸三日間うんうんと思い悩み、必死に考え抜いた末に出した答えであった。
では、どこまで白状したかといえば、驚くことにすべてである。
レオンはネコ耳およびネコ耳を装着したロゼリアの魅力について、思いの丈を余すことなく書き連ねた。
誠実であることをロゼリアが美徳と認めてくれ、慈母のごとき笑みでネコ耳の性癖を受けいれてくれる可能性に、一縷の望みをかけたのだ。
そうして、あの「レオン様とニャンニャンしたいニャン」という変態的なこっ酷い台詞を求めていることまでをも、馬鹿正直につらつらと書き連ねたのであった。
「拝読いたしました」
レオンの体感で約三時間が経過したころ。
現実的には約五分が経過したころ、ロゼリアが顔を上げた。
「ど、どうだった……?」
「レオン様。こちらをお読みいただけないでしょうか」
レオンからの問いに答えるでもなく、ロゼリアが懐から取り出したのは白い手紙。
その手紙を手渡されたレオンがロゼリアの顔をちらりと見ると、彼女はなにを言うわけでもなく目を伏せてしまった。
恥ずかしい性癖を白状したことについての答えは得られず、その返事だとばかりに渡されてしまった手紙。
手紙の封を開けるレオンの手は極度の緊張から震えている。
喉の渇きをも覚える中、レオンは一度深く深呼吸をしてから、手紙に入っていた一枚の便せんへと目を落とす。
ロゼリアからの手紙にはこんなことが書かれていた。
〜〜〜〜〜
拝啓
穏やかな日が続く今日このごろ、レオン様におかれましてはますますご清祥のことと存じます。
さて、早速ではありますが、あのときのお言葉――「そのネコ耳はロゼリア専用だ」について、私なりに考えさせていただきましたところ、レオン様の嗜好であるとの結論に至りました。
そして、それに対する答えですが、私としましてはネコ耳をつけることになんの躊躇いもありません。
レオン様がそうあることを望まれるのでしたら、それに応えたいと思っております。
心からお慕いするあなたのためであれば、あのときルルゥ嬢がされていたような、語尾に「ニャ」をつけた話し方も喜んでしてみせましょう。
ただ、その代わりといっては何なのですが、一つ。
私からもレオン様にお願いしたいことがあります。
下っ端の盗賊っぽく振舞っていただけないでしょうか。
ずっとレオン様に内緒にしてまいりましたが、私は下っ端の盗賊っぽい感じの男性がたまらなく好みなのです。
もちろん容姿や性格について、レオン様が一番であることに変わりはありません。
つまるところ、レオン様が下っ端の盗賊っぽい感じで振舞ってくれたならと、私はそう願わずにはいられないのです。
とりあえず、要望を思いつくかぎりに箇条書きしてまいります。
・頭部には薄汚れた緑色のバンダナを巻いてほしいです。
・髪形は毛先に少し癖をつけて跳ねさせ、頬にそれっぽい感じの十字の傷跡をつけてほしいです。
・格好は盗賊っぽい格好をして、育ちの悪さを全面的に押し出してほしいです。
・雰囲気は粗野で乱暴で軽薄な感じを醸しつつ、頭の悪そうな下品さをそれとなく加味してほしいです。
・笑い方は「けひひっ」で統一してほしいです。
・情事の際には「けひひっ、めちゃくちゃに犯してやるぜぇ」と舌なめずりしながら迫ってきてほしいです。
上記、さしあたって実行していただけましたら幸いです。
末筆ながら、これからもお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
敬具
〜〜〜〜〜
「拝読した」
ロゼリアの体感で約三時間が経過したころ。
現実的には約五分が経過したころ、以上の内容を読み終えたレオンが顔を上げた。
すると、顔を伏せていたロゼリアもつられるように顔を上げる。
その顔色はゆでだこのごとく真っ赤に染まっていた。
「今日はもう遅いから帰らせていただきますね」
「は? いや、でも……」
「大丈夫です。今日はもう遅いから帰らせていただきますね。あと仕事を手伝わせていただきありがとうございました。すごく勉強になりました。ではごきげんよう」
「えっ? えっ? ロゼリア嬢――」
呼び止めるレオンを無視し、ロゼリアは急ぎ慌てて退出してしまった。
廊下を小走りにかけていく足音が、立ち上がったまま呆然としているレオンの耳に聞こえてくる。
その足音が完全に聞こえなくなってから、レオンはゆっくりと椅子に腰をおろす。
「……ぷっ。でも下っ端の盗賊って」
小さく吹きだしてから、レオンは顔をにやつかせる。
ロゼリアの性癖を蔑む気持ちは少しも、まったくと言っていいほどわかなかった。
恥ずかしい性癖を互いに白状しあっても明日はやってくる。
翌朝、レオンは下っ端の盗賊っぽく制服を着崩して王立アカデミーに登校していた。
頭には薄汚れてた緑色のバンダナを巻き、整髪料を用いて毛先は乱雑に跳ねさせてある。
頬の十字の傷跡こそ化粧で描いたものだが、ロゼリアの要望をできるかぎり体現してみせた。
校門前で送迎の馬車から降り、皆からいつもとは違う好奇の視線を集めながらレオンが向かう先。
そこには、同じく好奇の視線に晒されている、頭にネコ耳をつけたロゼリアの姿があった。
「おはよう、ロゼリア嬢」
「お、おはようございますニャ、レオン様」
澄ました顔で挨拶をするレオンに対し、ロゼリアは羞恥心を隠せていない。
いつもの女子生徒たちの黄色い声も今日はあげられず、二人は周囲の生徒たちからやや遠巻きに観察されていた。
「ふっ。語尾は『ニャ』じゃなくて『ニャン』だぞ?」
「ぜ、善処します……」
レオンがロゼリアのネコ耳を撫でながら言えば、彼女はさらに顔を赤らめて答える。
「でしたらレオン様も『ふっ』ではなくて『けひひっ』ですよ?」
「ぜ、善処する……」
ロゼリアがレオンの手を軽く叩き落としながら言えば、彼は口元をひくつかせて応えるのであった。
二人は今日、互いに求められるわけでもなくコスプレをして登校してきた。
しかしながら、ネコ耳も、下っ端の盗賊も、どちらも王立アカデミー内で求められている振舞いではない。
あくまでも二人きりのときにしてほしい振舞いであり、姿格好だ。
それにも関わらず、なぜ二人が示し合わしたかのようにコスプレをしたかと言えば。
それは愛ゆえにと答えるしかないだろう。
特殊な性癖を白状をする恥ずかしさは知っている。
それが受けいれられなかったとき、相手がどれだけ傷つくだろうかは手に取るようにわかる。
愛する婚約者が性癖をさらけ出せず苦しんでいたことは、もはや痛いほどに理解できてしまう。
だからこそ、二人はコスプレ姿で登校してみせたのである。
愛する気持ちを伝えるために、変わらぬ愛を伝えるために、相手の望む姿になって登校することに決めたのだ。
人目なんて気にならないほどあなたを愛している。
そんな心からの気持ちを伝えるために。
かくして、リズガルド王国にコスプレの文化が誕生した。
始めこそ、皆から不審がられていた二人だが、その素材は超一級品。
レオンの下っ端の盗賊姿は実に様になっていたし、ロゼリアのネコ耳姿は「萌え」という言葉を生み出すまでに破壊力があった。
友人から王立アカデミーの全学生へとコスプレ文化が広まり、皆が思い思いに変装して登校するまでにさして時間はかからなかった。
また、社会的に影響力のある貴族の子女たちの遊びは、すぐに市井にも浸透していった。
見目麗しい美男美女が揃いも揃ってコスプレをしているのだから、同世代の子供たちが関心を抱かないわけがない。
特にロゼリアを筆頭とする獣人のコスプレは抜群にうけがよく、新たなファッションとして爆発的に流行し、王都から各地へもの凄い勢いで広まっていった。
すると、コスプレを商いとするものたちが現れるのは必然で、コスプレが経済にも影響を及ぼしたことはもはや言うまでもないだろう。
コスプレ衣装の販売店、各種装飾具の作成を請負う製造者、商品を流通させる物流業者。
子供の遊びは大人を巻き込み、子供が生んだ文化は大人が扱う一大産業へと発展したのであった。
最後に、コスプレという呼び名そのものについては、アマダ語に由来している。
コスプレが隣国のアマダ帝国にまで伝わった際、アマダ語による「コスティーム・プレイズ」――略して「コスプレ」という愛称が、リズガルド王国に逆輸入されたのだ。
また、実のところコスプレは当初リズガルド王国では「コスプレ」ではなく、「衣装遊戯」――略して「いしょゆう」と呼ばれていたのだが、そのことはあまり知られていない。
要するに、語呂の良い「コスプレ」が、語呂の悪い「いしょゆう」に取って代わって世間に浸透したようだ。
これがリズガルド王国におけるコスプレの語源である――
◆
なお、主な参考資料は三冊。
一冊目は歴史学者ロッペンハイムの著書――『リズガルド王国歴史大全その九』。
二冊目は泥棒小説家ゴゥエモンヌの私小説――『生きがい~盗んでは晒す~』。
三冊目はリズガルド王国の国教であるミニスター教の神父モノチュルの手記――『歳のせいか、王太子と公爵令嬢の懺悔の内容をだんだん覚えられなくなってきたのでちゃんと書きとめておくやつ』の三冊である。
それと今度、このコスプレの語源を題材にした恋愛小説――『ニャンニャン物語〜君にネコ耳をつけさせたくて〜』を刊行する運びとなったことをお知らせしておく。
私の処女作なのでぜひとも手に取って読んでみてほしい。
では、これにて今日の講義を終えるとしよう。
学生諸君は期日までにレポートを提出するように。