海の男の教え
「もう一度だけ!」
「今日はもうやめよう」
武男さんの特訓。
今日は崖から飛び込んで少し離れた丘に水から飛び出し、立つ練習。
頭から飛び込んで魚のようにスムースに水中を進み、勢いを殺さず水から飛び出す。海賊退治の技なんだろうか?
見本を武男が見せてくれたが圧巻だった。
飛び込みの勢いそのままにシュルンと水に入り、スーッと進んで水から飛び出し丘に1発で立つ!
顔を守るために進行方向は何度も見ない。だけれども狙い通りの場所に行き、飛び出す。
恐怖心から足から飛び降りたくなるのを我慢して、漸く恐怖を乗り越えて頭から飛び込めるようになった。お腹を強打したこともある。ドルフィンキックも上手くいかない。なにより、水の中では前がよく見えない。
そしてなにより泳ぐだけでも疲れるのに、飛び込み地点まで登るのも大変だ。
今まで数々の特訓を重ねてきた。
裏技は確かにある。スキルがそれだ。だが、こんなスキルは持って居ない。
基本的な技術を体で覚えるには繰り返し練習は必須だ。
もう少し頑張ろう、そう思った優子に武男がストップをかけた。
「『もう一度だけ』それなら止めておこう。もうマージンを食いつぶしている証拠だ。海をなめてはいけない」
「でも!」
「いや、命は大事だ。もしもの時ならいざ知らず、練習で危険を呼び寄せるのはよくない。今から明日の準備に取り掛かろう」
確かに優子は疲れている。
普段使わない筋肉を使い、体力を酷使する潜水泳法に、崖登り。
倒れるまで体を酷使したかった。いつものようにぶっ倒れるまでやりたかった。
だが、武男は止めた。
むやみに命を危険に晒さないのが海の掟。
態々危険を犯さなくても危険は向こうからやってくる。
「わかりました」
『もう一度だけ!』と、泣きの一回を言おうとしたが押しとどまった。
海では武男がボスだ。
二人は武男の小屋に居た。
明日は港の主要航路に生えたヤブワカメを刈る。6人ほど海に出る。
ヤブワカメはワカメに似ているけれどワカメじゃない。食えない。
放っておけばどんどん伸びて、航路の邪魔者になる。
定期的に刈り取らなければいけない。だが、全部は刈らない。小魚の産卵場所でもあると言われてるからだ。
とにかくでかい。
海底から水面までの長さがある。
素潜りして根から切るが、でかいので放置は出来ない。
刈ったヤブワカメを小舟に括り付けてトローリングしながら丘まで引く。
丘に着いたなら、丘に引き上げる。そして乾燥させて燃やすが、燃やすのは子供達の仕事だ。
二人は道具を整備して居た。
小舟、ノコギリガマ、大ナイフ、ロープ、サメが現れた時に使うモリ。合図に叩く鉄棒。
船も古くなってる所は補修。防水にロウを塗る。
小舟は二隻。道具も別々。
武男と優子は別々に乗る。
一人で沖に出て、一人で潜り、一人で刈り、一人で船で引き、一人で丘にあげる。
分業にすれば良さそうだが案外そうではなく、分業は特定の筋肉だけ終わりを迎えてダウンするのが早くなる。
こうした方が体は長持ちする。だが、重労働には違いない。
そして一人作業ということは危険が増える。
海の仕事は安全を最優先するが、その為に人手は増やせない。
自分の身は自分で守る。
だから自分の道具は自分で見る。人には決して任せない。
これは優子にとって地味だが重要な経験。
丁寧に慎重に準備をする。自分の道具がどんな形をしているか、どんな状態か全て頭に入れる。
大して筋力は使わないが『準備』がいかに大事か教えられた。
「仕事は9割準備で決まる」
そう武男は言った。
トレーニングをしにきた優子には拍子抜けする言葉だったが、
「トレーニングも準備のうち」
そう言われて納得した。
ノコ刃を研ぎながら武男が優子に聞いた。
「君は何の為に強くなりたいんだい?」
よく聞かれることだ。
だが、優子は毎回上手く言葉にできない。
言いたいことは同じなのに毎回違う言葉が出る。
「なんて言ったらいいんだろう。大切な人の為・・かな。私の好きな人と、その好きな人の好きな人の為かな。なんて言ったらいいかわからない」
「いいのかい、それで。君は中心には成れないよ」
「いいの。それどころか私たちは誰も一番欲しいものを手に入れられないかも」
「よくわからないな」
「私もどう思っていいか分からないんです。でも、案外満足してますよ、私」
でも、そのうちの一人が見つからない。
どこに行ったんだろう、厚志・・・




