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銀鼠色と江戸庶民の日常

作者: 薄氷

『銀鼠色』。

  それはぎんねずいろと呼ぶ、読んで字のごとく銀色がかった鼠色のことである。

しかし、「ぎんねずいろ」である。「ぎん“ねずみ”いろ」ではない。このことについて検索するときに正しい読み方で書いているのに“銀鼠色”と一発で変換されなかったことについて私は少し苛立ちを覚えたが、些細な問題だろう。


 ところで、なぜこの色を調べるかに至ったかについては『色のことば選び辞典』学研出版.を参考にしてこれを書こうとした自分と、このページを選ぶに至った私の友人を恨みたいところだが、そんなことでは企画倒れなので先に進む。


 さて、前述した通り“銀鼠色“というのは銀色がかった、または銀のような、明るい鼠色のことである。江戸時代には派手な色の着物を禁止する令が度々発布されており、その際にあまり注目されていなかった地味な色である茶系・鼠系の着物に目が行き、僅かな色の違いを着こなすことが大流行したことで、多様な茶色・鼠色が生まれたといいます。”銀鼠色“もその流行した際に生まれた流行色の一つだそうです。

 また、銀が「しろがね」と呼ばれるように、“銀鼠色”も白系統の色に分類されます。


 では本日は地味な色の中に流行を見出す、江戸の日常について書いていきたい。


 やはり、色のグラデーションの組み合わせについて流行が生まれ、考えられていたということに驚かされよう。水墨画では「墨の五彩」の「淡」として“銀鼠色”が充てられていますが、その“五彩”というのは墨の濃淡によって無限の色を表現できるという意味を持ちます。言い換えれば白黒の色の組み合わせによって、無限の可能性を持っているということが言えます。その中から“流行”というものが生まれ、情報伝達手段が少なかった時代において、庶民に広まっていったということが素直に驚くべきだ。


 そしてそのことから考えるが、今の時代は「取捨選択」の時代であり、昔の時代は「取捨選択」を“すること”がなかったのではないかと思うのだ。江戸時代以前では、農民は農民、武士は武士、それぞれやる事が決められ、そのことをやることだけがよしとされていた時代、そのことをやり続けることのみを生きがいとする、“人離れした機械”のような人間は存在しなかったと思う。なぜなら、その時代には定められた仕事によって生まれた“機械”を“人間“に帰すという”流行“や”娯楽“などの良くも悪くも人間味のあるイベントがあったからだ。


 そのイベントは現在において多様化している。贅沢なことであると、江戸時代の人々について考えていると思うが、『銀鼠色』を調べていると、このような色に“流行”を見いだした江戸時代の人々に称賛せざるを得ないと私は思うのだ。


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