十発目
家にと就いた時間は午後の五時くらいであった。休日の土曜日だからと言って日課である夜の調査のため家に帰って来た奏莓は今日の疲れを癒すためサマードレスを着たまま仮眠を取ってしまった。更に仮眠の筈なのに目が覚めたのは午後の九時であった。
奏莓にとって初めてのデートとなった今日はやはり疲れたのだ。共に戦うようになってから一緒にいる時間が増え、一緒の行動にそこまで違和感を感じないはずなのに今日はやたらと疲れたのだ。やはりキャロルの言うことなど聞かずにいつも通りに休日を過ごせば良かったと奏莓は考えるも不思議と今日の思い出がとても嬉しく感じる自分がいた。
その嬉しい気持ちに漬かりながらも奏莓はとあることに頭を悩ませていた、それは物信の告白であった。奏莓はその場しのぎの「考えさせて」と返答した。しかし、今思えば奏莓はその場しのぎの言葉など言わずに「いいよ」との言葉を言っていても良かったとも思っていた。彼の性格はとてもではないが人に好まれるようなタイプではないが奏莓には物信のような性格が好きであった。特に、あまり他人のことをそこまで気にしていない所だ。最初は自分に突っかかってくるところからお人よしだと奏莓は思っていたが、普段からの彼の行動と言動を見ているとあまり話しかけるタイプには見えなかった。後に彼に聞いたところ「ただ単にお前の事が気になったから」との事だった。その気になるがどう言ったものかは奏莓には分からないが、正直おもしろい人だなと奏莓は思った。
「今日貰った服、仕舞っておかないと」
そう奏莓は物信から貰った服を大切に仕舞うため脱ごうとした時だった。ポケットに入れてあったスマホから通知音が鳴った。いつもであれば気にすることも無く無視をするのだが、この時は不思議と奏莓は酷く気になったためか、スマホを取り出し通知を見てみた。すると通知の相手はキャロル・クイーンであった。あの時、実際に会いはしたもののそれまでスマホに連絡してくることなど今まで無かったため奏莓は変に心配になり内容を読んでみると酷く単純、短直な内容で「倉庫に来てくれ」であった。
その倉庫がどこのとは書いては無かったが自然と奏莓にはそこがどこだか分かった。奏莓が初めてキャロルに会い、キャロルに負けたとこだと奏莓は真っ先に思い至った。
そもそもここらあたりで倉庫となるとそこくらいしか無かった。奏莓の家からもそこまで離れて無く、川沿いにある所だ。昔は多くの資材などが置いてあったが今ではそこまで資材は置いてなく、人目も無く人気の無いところだ。今思えば奏莓はその倉庫を利用してシルバーバレットを集めるため多くの人を殺していた。あの時「死体を海とか川に流してたから」との言葉通り川沿いだったこともあり死体の処理も楽だったからだ。
別に行かないことも手ではあったが、連絡をしてくるあたり珍しいと思い奏莓は物信から貰ったサマードレスのまま倉庫にと向かうこととした。先に述べたように人目も無く人気の無いため夜の九時でもそこまで人とすれ違うことも少なかった。
倉庫の入り口まで来ると奏莓は一様の注意、万が一のことも考え銃を取り出した。いくら相手がキャロルであっても彼女が言った通り本来であれば敵同士である。そのことを考えると始めから銃を引き抜いていた方がいいに決まっている。
奏莓は細心の注意を払いながら明かりの付いていない暗い倉庫をゆっくりと歩いていると物音がし、倉庫内の辺りに鳴り渡った。奏莓はその方向に銃を向けて「誰?」と誰に語り掛ける訳でもなく言うと奥から足音と共に人影が現れた。その人影は徐々に奏莓にと近づいて来るとそれが誰だか分かった。左腕が若干変にぶら下がっているがその容姿は間違いなくキャロルであった。
「意外だね、来てくれるとは。私はてっきり来ないかと思ったけどね」
「そっちこそ、なんでわざわざ携帯で呼んだりしたの?いつもならひょっこりと現れるくせに」
いつ襲われるか分からないため奏莓は銃をキャロルにと向けていた、しかし名の通り奏莓ただ銃は向けていたのだ。なぜならば、今のキャロルは息も少し荒く、左腕に力が入っていないように見えたのだ。その姿があまりにも戦いを挑む姿とは思えず奏莓はただ銃をキャロルにと向けるだけで充分だと思ったのだ。
「まあ、ちょっとね。ストロベリーも銃をただ向けてるだけなら下ろしてくれないかな?」
流石のキャロルでも奏莓は自分に対してただ向けていることを分かり柔らかい声で奏莓にと言った。奏莓はその要望に何も言わず従い、下ろしてキャロルを見つめた。
「それでいい。まず、言っておかなきゃいけないのは、しくじった。左肩と左手首、そして右肺の上らへんを見事に撃ち抜かれた。生きてはいるがもう44マグナムを使うM29は使えない、実質敗北ね。応急手当でメルに治療してもらったけど彼女からも『もう銃を使っての戦闘は無理』って言われちゃたからね」
キャロルの言うメルと言う女性について奏莓は気になったがここは無視して「それで」と続きを聞くようにキャロルにと問いかけた。するとキャロルは「はぁー」とため息を付くように声を漏らして言った。
「本当はね、メルから『もし銃を使ったら別れる』って言われたから使っちゃいけないんだけどさ。私としてはやっぱりあなたと戦いたいのよね。その代わり特大のハンデなんだけど」
「バカなの、銃を使っての戦闘は無理なんでしょ?それに、メルとか言う人って女性よね?その人と付き合ってるの?」
奏莓の耳が正しければ確かにキャロルはメルのことを彼女と、女性として言っていた。そしてキャロルの言いようではメルと付き合っていると聞こえる。それはつまり女性同士で付き合っていると言う事だ。それが少し不思議、疑問に思いキャロルにと問いかけた。
「あれ、そっか。言ってなかったか、それはうっかり。私ってレズビアンとか言う奴なの、今更どうとか言う訳でもないでしょ?」
「じゃあ、ファミレスで物信のことを貰っちゃおうってことは噓なの?」
「まあね、ただストロベリーの困った顔が見られるかなって思ってたけど予想外だったしね。それで、どうするの?」
キャロルの声は自信のある声であった。その自信は自分が負ける自信であった。なぜならば、44マグナムを使うM29を片手で一発でも発射すれば反動が抑えきれず上にと上がってしまいその隙に撃たれるだろう。それに、片手での標準を合わせるのはとても安定し無いため命中する精度も落ちる。それらのことを考えると奏莓相手ではキャロルは負けると自分でも理解できていた。それでもキャロルは奏莓と戦ってみたかった、自分が育てた今の彼女の力がどのようなものなのかを知りたくて。
「師匠、私はあなたにエンジェルバレットでの生き方を教えてもらった、だからできれば戦いなかった。それでも、今のあなたがそれを望むなら、私があなたの願いをここで終わらせる」
「ふっ、その言葉も私が教えた言葉だったわね。さあ、撃たせなさい、あなたの望みを踏みにじってあげる」
お互いはほぼ同時に銃を構えて狙いを定めた。キャロルは片手での構えであるがしっかりと奏莓にと向けて構えられていた。また奏莓の銃もキャロル同様にしっかりとキャロルにと狙いが定まっていた。そして二人は引き金を引き両者とも顔を横にと避けて弾丸を避けた。銃弾の発射により右腕が上がったキャロルには大きな隙が生まれた。キャロルはその隙を埋めるように足払いをして奏莓の次の一手を防いだ。
キャロルの足払いによってその場に倒れた奏莓は瞬時に横にと転がり、膝を付いて態勢を整えて銃を向けるが目の前にはキャロルの姿が無かった。どうやらキャロルは奏莓の姿勢を整える間にどこかに身を隠したかこの暗い倉庫のどこかで奏莓を狙っている、のどちらかである。
「倒れた後は必ず左右か前後のどちらかに転がって姿勢を整えろ、私が教えたことしっかりと守ってるようじゃない」
自然反射のようにキャロルの声の方に奏莓は銃を撃つが鈍い音がした。その音は生物などに弾丸が当たる音では無く何か金属か硬いものに当たったかのような音であった。すると、また反対側の方からキャロルの声が聞こえだした。
「視界が暗かったり悪い時は声の方には注意を向け、又はその方向に弾丸を撃て。それも守れているみたいね。だけど、私はそんなんじゃ上手くいかないわよ」
奏莓はまたも声の方に弾丸を放つがまたもや鈍い音がしただけであった。これでは本当にキャロルに当たっているかどうかが分からない。それどころか、まるで存在しないキャロルが複数いて、様々な所から言葉を喋っているようで気味が悪い。しかしその気味悪さは初めてでは無かった、初めてのキャロルとの戦いで奏莓は既に体験していた。あの時もこの時と同じようであった。
それからも奏莓はキャロルの声のする方向に銃を撃つもするのは鈍い音であり、人などに当たった感触では無かった。そして遂にキャロルのお節介に似た言葉は無くなり反撃が来た。初めの反撃は奏莓の足元にと弾丸が当たった。直接は当たらなかったものの奏莓の靴にとかすった。いくら片腕での狙撃であっても流石はキャロルと言ったところかその正確さは酷く恐ろしいものであった。少しでも気を抜けば間違いなくやられる、或いはとっくに殺されていたかもしれない。
キャロルが奏莓の足元を狙ったのは奏莓の軽やかで素早い動きを防ぐためだった。片腕が負傷してまともに使えず、そのことに慣れていないキャロルのバランス感覚はとても不味いものであった。そのためキャロルは奏莓の機動性を削ぐため足を積極的に狙っていた。足払いをしたのもそのためでもあった。しかし、今とっている行動はしばらくすれば手数も減り自分が負ける可能性が高くなってしまい最終的にキャロル自身の首を絞めることとなる。それでも状況が不利な今はこの行動しかキャロルには無かった。
初めの反撃は奏莓の靴にかすっただけであったが次は外すことは無い、少なくともキャロルにはその自信があった。なぜならば、感覚を掴んだからだ。先の二発目で片手でのある程度の感覚は分かった。となれば後はそれに合わせて狙いを定めるだけであった。その行動はキャロルにとってとても容易いことであった、今までも感覚に合わせるように今日この日もいつも通りにやればいいことであった。しかしであった、そのいつものことができなかった。不意に右手、右腕全体が震えだして上手く狙いが定められなかった。意識は平常であり、狙いはとっくに奏莓にと向けられ後は引き金を引くだけの筈なのにこれでは引き金を引くことすらもできない。
自分の運が尽きたことを噛みしめながら笑いの混じった声を奏莓のいる方にと向けて投げた。
「そろそろ終わらせようかしら、最後は私らしく無いけど真っ向勝負でいかせてもらうわ。あなたも付き合いなさい」
キャロルは震えている腕で銃をしっかりと奏莓にと向けながら彼女の方にと駆け出した。
いくら暗い倉庫でも足音さえすれば奏莓は何処にキャロルが居るのかが分かった。その方向は奏莓の真後ろであった。すぐさま奏莓はその方向に向かって銃弾を放てば良かった、そうすれば間違いなく当たっただろう。しかし奏莓はそうはせず、その方向に銃を構えて走り出したのだ。
そうしてお互いが視認できるまでの距離にと達し、お互いは個々の狙いを定め銃の引き金を引いた。そこには一片の迷いなどなくあるのは相手を撃つとの気持ちだけであった。そして倉庫内には大きな発砲音が鳴り渡りその後は沈黙と静寂が続いた。そしてその静寂の中で初めに言葉を放ったのはキャロルであった。
「まさか、当たるとはね。もう無理だと思っていたけど」
本来であれば手を撃ち抜き、相手が銃を落としてから確実に仕留めるのがキャロルのセオリーであったがこの時のキャロルは相手の体を狙いにと定めて撃った。これ以上後が無いと思ったキャロルにはこれが最後の機会だった、だから手では無く体にと狙いを定めた。
「いいえ、当たったのではなくかすったの、横腹にね」
奏莓は自身の横腹の痛みを堪えて呼吸を少々乱しながら言った。
本人は「かすった」と言っているが、奏莓の横腹からはかなりの血が出血しだしていた。それでも奏莓は「かすった」と言った、そのことをキャロルは苦笑をしてもはや力の入らぬ右腕から離れるように自然にと落ちる銃を見ながら言った。
「見てみろ、酷いものだろ。お前が私の右腕を撃ったせいで右腕が使えものにならなくなった――なんで右腕を狙った?」
キャロルは力の入らない両腕に力を入れるような素振りをした。既に疲れ切っており立っていることすらままならぬ状態で淡々と言った。奏莓はただ彼女を見つめて言った。
「右肩を撃てばそれだけで充分だったから、それだけであなたはもう戦えなくなるから」
その言葉を聞いてキャロルは安心しきったかのようにその場に倒れ倉庫の天井を眺めるように仰向けになり「そうかい」と鼻で笑った。
「どこまでも優しいのね、あなたは――そのままでいなさい。私のような人でなしになりたくなければそのままでいなさい。それと、物信君を大切にしなさいよ。彼、一人で色々とやっちゃいそうだから近くにあなたがいないと勝手に一人で野垂れ死ぬわよ。それと、シルバーバレットは勝手に私のポケットから取って行きなさい。私は、疲れたからしばらく眠るわ」
そう言うとキャロルは眠りに就くかのようにして目を瞑った。その寝顔はまるで幸福に包まれるかのように鮮やかで満足げな顔であった。
「ありがとう、今まで。本当に、だけど、本当にあなたの願いはここで終わり・・・」
力が入っていた奏莓の体からどっと力が抜け、その場に倒れるようにして奏莓は膝を付いた。そして自分の近くに倒れるキャロルの顔を見ながら流していた。自分でも知らないうちに涙を流していた、なぜ悲しいのかが分からないのに奏莓の心は悲しさで満ちていた。人を殺す、手に掛けることが当たり前の筈で悲しくもなんとも想わないのに何故だかこの時の奏莓は悲しかった。ただただ悲しかったのだ、一人の人間として、奏莓として。
奏莓も薄々は戦う事にもなるだろうとは分かっていた、その覚悟もあった。しかし戦った後に残った物は虚しさと悲しみだけであった。その虚しさは、もう二度と彼女の喜々とした陽気な振る舞いの彼女をもう見ることができない虚しさとこうなった事への悲しさであった。
しかし、今の奏莓はいつまでも悲しみに浸っていることはできなかった、もうこれ以上は引き返せなかった。なぜならば、これで奏莓の持つシルバーバレットは物信に預けている物を合わせて四つとなる。そして、奏莓がエンジェルバレットに勝つために必要な数は後二つなのだ。ここまで来たのならば奏莓は全ての者の願いを踏みにじってまで勝たねばならぬと心で誓った。
奏莓が倉庫を後にしてどのくらい経ったかは分からない、それほどキャロルは眠っていた。体はやはり動かないが声は出せる程度には意識はあった。その意識を糧にして喉から声を出してキャロルは近場にいる彼女にと話しかけた。
「いい加減怒ってないで出て来てくれないか?メル」
「怒ってません、ただ腹立たしいだけです。あなたが」
すると何処からともなくと、身長はキャロルよりも低いがキャロルと同じく金髪の女が暗い倉庫の奥から現れた。その女は腕を組んでキャロルを見下ろすようにして言った。「腹立たしい」とは言っているも彼女の声からはそれに反した呆れた声であった。
それでも彼女は内心怒っていた。なぜならば、自分の言ったことを聞かずに勝手に戦った。それが許せなくて内心は少し怒っていた。それが見抜かれたのかメルはあっさりと認めて言った。
「そう言うのを怒っているって日本では言うんだよ、メル」
「はいはい。それで、どうして戦ったの?銃を使っての戦闘は無理って言ったのに」
メルと言う女はキャロルのすぐ隣にと膝を下して座り、心配そうにして言った。しかしキャロルは心配そうなメルに反して愚痴をこぼすかのように口をななめにして言った。
「実際に戦えたじゃないか、最後の方で腕が震え出さなければ――何をしたのメル?」
その問いかけにしばらくの沈黙が続いた。意地でもキャロルは聞かなければならなかったが返って来たのは沈黙だった。
「別に責めてるわけじゃない。ただ、私が敗北した理由が知りたいだけ」
キャロルは優しい眼差しを向けて言った。それでもメルは沈黙を続けた。その対応がやるせないキャロルはうだうだした声で「何が気に食わなかった」と自分を責めるようにして言った。するとメルはその言葉には沈黙では無く言葉を返した。
「だって、あなたは本来であれば彼女のお父さんの再婚相手になるはずだったのでしょ?だけど事故によって会いに来れなかった。それに、私のことを彼女の前ではなんて言ったかしら?本当は姉妹なのに・・・本当にあなたはこれで満足だったの?」
メルの言うことは正しかった。本来であればキャロルは奏莓の父の再婚相手であった。しかし奏莓の父、功成は事故により彼女に会うことは終ぞ叶わず、奏莓に知らせることも無かった。そしてメルとキャロルは姉妹であったのだ。
その言葉にキャロルはただのただ黙り続けていた。なぜならば返す言葉が無かったからだ。満足かと言われれば満足では無かったがそうでも無かった。まだやるせない自分とやり残したことは無いと二つの気持ちが入り混じっていた。しかし、それでも自分の考えは変わらなかった。
「アレだよ、自分の娘に変な気を持たせたくない、だよ。私だって彼女の父の再婚相手としての母性?保護者的な眼差しもあったさ。だけど、このままで良いのかなって思ってさ。父のために人殺しさせて、自分が再婚相手だってことを隠して、そう思うと自分は罪深くて人でなしでさ。こんなお姉ちゃんで満足?メル」
その言葉は紛れもなく心の底からの言葉であった。だからこそメルは心を痛めた、自分の大好きな姉が自らを責めるのが見ていて辛かった。だから精一杯の励ましの言葉と真実を涙の交じった声で言った。
「満足だよ、満足だよ、お姉ちゃん。私なんかには釣り合わない程、だって、だってまたお姉ちゃんに抱きしめて欲しくて右腕から少し腱を削って左腕に継ぎ足したんだよ。そんなことしなければ勝ててなのに――」
言葉で自らを責め、言葉の自傷行為をするメルにとキャロルは最後の力を絞って手を指し伸ばした。そしてメルの髪を撫でて笑顔を浮かべて言った。
「バカだな、そんなことしなくても抱きしめてあげるさ。私を誰だと思ってる、メル。最強のクウェール・ペンネだぞ、ルガーは無くしたが最強の銃を手に入れた私だぞ」
その笑顔は童心に戻ったかのようにあどけなく、陽気のある笑顔であった。その童心に戻ったような笑顔がメルにはまるで、まるであの頃に戻ったように嬉しかった。メルとクウェールが笑い合って、遊び暮れていたあの頃に戻っていた頃のように。
「ねぇ、クウェールお姉ちゃん。最後に、最後にお願いを聞いてくれな?」
「なんだ、メル。最後って、最後じゃないかもしれないだろ?それでも聞くけどさ。それで、なんだい?」
キャロルはそうは言うものの、メルにとっては最後の気がした。今日、この日がキャロルとの決別の日であり、どんどんと刻々と近づいて来る気がしてやまなかった。
「私のことを、あだ名なんかじゃなくて本名の方で呼んで。なんでもいいからさ、それで呼んでよ」
それだけで良かった。メルはキャロルにもう一度あの名前で呼んで貰いたかった。決別の別れをする前に、もう一度メルは彼女に自分の名前を呼んで貰いたかった。
メルの髪を撫でていた手の力が抜け、バタンと地面にと落ちキャロルは安心しきった声で「そうか」と言いメルの顔を眺めながら幸せそうにして言った。
「ごめんな、メルベル。不甲斐ない姉ちゃんで、私がもっとお前の事をもっとしっかり見れていたらこうにもならなかったのにな、いつからこうなっちゃったんだろうな。それと、奏莓に言っておいてくれ。榎枝正明には気を付けろってな」
その言葉を最後にキャロルは目を瞑り深い眠りにと再び就いたのであった。それは夏の夜、暑くも無ければ涼しくも無い倉庫内でのことであった。キャロルの最期は自分の妹のメルベルに看取られ永い眠りにと就いた。
「バカだな、姉ちゃんは。間違ってたのは私で姉ちゃんは最後まで自分の正しいと思ったことを貫き通したじゃない」