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第三章 30 研究所B3 保管室

 老人を引き連れて、わたし達は保管室の入り口に戻って来た。ちなみに、道中で右腕は軽い治癒を施したものの、どうやら本調子ではないらしくまだ痛みは残っている。

 ミィは、「ミィが知ってるのはここまで」と少し申し訳なさそうな顔をする。


「だから、これ以上は案内できないと思う……」

「いや、もう十分だよ。ここから先はもう残されてる仕事も少ないし、転移の負担を減らすためにも、ミィはここで帰ってもらいたいんだ。いい?」

「彩は、ユーリはいいの?」

「ミィがいなくなるのはちょっと寂しいけどね。でも、また上で会おう」


 わたしがそう頭をなでると、ミィはこくりと頷いた。


「わかった。ミィはおとなしく上で待ってる」

「うん。ミィのおかげで本当に助かったよ。じゃあ、地上まで送るね」


 そうしてミィを送り届けたわたしは、保管室のドアに手を当てて老人を振り返った。


「じゃあ、ここのドアを開けてください」

「何も『じゃあ』じゃなかろう!」


 わたしに反論しかけた老人は、ユーリに思いっきり睨まれて口をつぐんだ。それから、「開ければいいんじゃろ」と渋々ドアへ手を伸ばす。


 その寂しい背中を見ながら、わたしは少しやりすぎたかな、と後悔する。でもよくよく考えてみれば、先にわたし達を殺そうとしてきたのはあっち側なわけで、右腕の怪我に比べたらこれくら大したことないだろう。正当化って大事だ。


 「あと少しだね」とユーリにささやくと、ユーリも少し笑ってうなずいた。


 ガシャン、と音がして、老人がわたし達を振り返った。


「開けてやったわ。これで満足じゃろう?」

「ありがとうございます。じゃあ、もう一回ついてきてもらって」

「どうしてじゃ! いい加減解放せい! 年寄りを労われと習わなかったのか!!」

「それを言ったらこっちの方がお前より年寄りなんだが」

「知るか!!」


 そういえば、ユーリは不老不死の魔女だった。確かにこの人よりも遥かに年上だろう。

 ユーリはわめき散らしている老人を一瞥したのち、腕をつかんでわたしを見た。


「時間がない。早く済ませるぞ」

「うん、わかってる」


 ここに入ったら、あとはエネルギーを盗み出すだけ……。


 わたしは深呼吸して、ドアを開けた。


 

 保管室の中は、外よりもだいぶ寒かった。わたしは腕をさすりながら、そしてもう片方の手で老人をがっちりと掴みながら、保管室の奥へと足を進める。

 案の定辺りは薄暗い。どこかで監視されているであろうことは間違いないので、「こっちにはあなたたちの仲間がいるんですよー、下手に攻撃しないでくださいねー」と、忠告することも忘れない。


「本当に、ここにエネルギーが保管されてるんだよな?」

「マツさんの情報が本当だったら、ここにあるはずだよ。マツさんの情報が間違ってるはずないし、ほとんど確定といっても過言じゃないでしょ」

「んー、まあ、そうか」


 そうして奥まで進んでいくと、奥に大きな瓶のようなものが並んでいることに気が付いた。わたしは持ってきた燃料が心もとないランプで、辺りを照らす。


「あれが、エネルギーなのかな」


 透明な瓶の中では、青色っぽい光の粒がぽつぽつと輝いていた。綺麗で見とれてしまうというよりは、寂しくて息が詰まるような、うまく表現できないけどそんな感じだ。


「あとは、あれを転移させるだけだね」


 そう言ってまた一歩を踏み出した、その時。


 バッ、と老人の腕をつかんでいた手を振りほどかれた。わたしが振り返ると、老人が玉石のようなものを手にしているところだった。


「――っ!?」


 何故かはわからない。それでも確実に、嫌な予感がした。


 このままにしてはいけない。


 そんな確信を胸に、わたしは「『風魔』!」と唱える。それは、


「この瞬間を待っていたぁぁぁあ!!」


 そんな狂気じみた叫びと共に老人が玉石を高く掲げるのと、ほとんど同時だった。


 ピシッと何かにひびが入るような音。玉石から巻き起こった風に、わたしの『風魔』はいともたやすくかき消されてしまう。


「まさか、これは」


 隣でユーリのつぶやく声が聞こえた。風が収まり、玉石が変形しているのを、わたしは見た。


 禍々しい黒色の玉石。それは、竜の頭を形どっていた。今まで竜は何回か見てきたはずなのに、この玉石の竜だけは、全身が凍り付くような恐怖を覚えた。

 玉石だ、本物じゃない。それなのに、比べ物にならないほどの威圧感。間違いない、と、わたしの脳が判断を下す。


「虫けらどもが、よくもここまでかき回してくれたものだ……」


 ――これが、わたしの仇である、クロスなのだと。



 クロスを召還したらしい老人は、近くの床に倒れている。玉石は独りでに浮き上がると、ユーリとわたしをじっと見つめるように向きを変えた。


「お前のことは知っているぞ、人間。俺様の術を潜り抜けてここまで生き延びた、生に固執する意地汚い人間だ。不幸だなあ。あと少しお前の行動が遅かったならば、もしくは早かったならば、お前は家族や友人と共に眠りについていたのに。痛い思いも苦しい思いもせず、お前の『大切な人』とやらと永遠にともに過ごせたのになあ……」


 ギロリ、とクロスの目がわたしをにらみつける。


「本当に不幸だ。お前は俺様の行動に盾突いた。その時点で、お前には安寧の眠りなどない。二度と家族にも友人にも会えぬまま、俺様に無残に殺されるのみよ」


 クロスが言葉を発するたびに、周りの空気がビリビリと震えた。わたしの目は、ただクロスの目に吸い付けられたかのように離れない。


「彩、まともに話を聞くな!」


 ユーリの声に、わたしはハッとした。手首を掴まれ、引っ張られる。わたしの手首を掴んだユーリが、前を走っていた。わたしはそれに引きずられるようにして、まだ上手く動かない足でついていく。


「正面切って戦える相手じゃない。早く転移させるぞ!」


 わかってる。そんなことは、わかってた。なのに、体が動かなかったんだ。


 歯を食いしばると、口の中で血の味がした。手を引かれる自分が情けない。


「させるか」


 クロスの地を這うような声に思わず振り返ると、玉石から巨大な腕が伸びるところだった。鋭い爪をもつその腕が、大きく横に薙ぎ払うようにして動かされる。


 その瞬間、わたしの体は軽く吹き飛ばされた。


「っぐ!!」


 背中から落下して、わたしは呻き声を上げる。全身が痺れるような痛み。それを堪えながら、わたしはよろよろと立ち上がる。


 ユーリの言うとおりだ。今のわたしが敵う相手じゃない。たとえ今のクロスが万全の状態じゃないとしても、それでも敵わない。


「…………お前、どうして立っている!!」


 クロスの怒声が聞こえた。直感的に、さっきまで隣にいたユーリを探す。


「っ!?」


 奥に蓄えられた僅かな青い光が、床の赤を穏やかに照らしている。壁にぐったりともたれかかるユーリの周りには、赤い血の池が出来ていた。


 一瞬頭が真っ白になって、言葉を失って。その次の瞬間には、わたしは奥のエネルギーの大瓶に向かって走り出していた。今度は足がちゃんと動く。必死だった。


「なんで」


 ユーリも能力耐性は強くない。でも、それでもわたしよりはあったはずだ。それくらいにわたしの耐性はないはず。距離もほとんど変わらなかった。それなのに、この差はなんなんだ。わたしはどうして血一滴も流さずに済んだ?


 考えるわたしの頭に、いつだったかのリンの言葉が響く。


『竜は空の守護者の使いだ、だから、クロスの操る呪いの類も空の守護者なら退けることが出来るんじゃないかという噂』


 背後で、クロスが吠えた。


「おとなしく殺されればいいものを!!」

「『ウォータリウス、水出よ』! 『氷魔』!」


 わたしは背後に氷の壁を作る。バキン、とそれが砕ける音がした。後ろに体が引っ張られ、気づいた時には、クロスの手が体を鷲掴みにしていた。

 ゆっくりと体が玉石のある方向へとむけられ、クロスの狂ったような目が視界に映る。


「これで終わりだ、人間」


 息が出来ない。このまま絞め殺されるんだ、と思った。クロスの手の中で潰される。こんなちっぽけな体は、この手の中であっけなく弾けてしまうのだろう。


「彩、ポケット!!」


 ユーリの声が耳に飛び込んできた。次の瞬間、わたしを守るように青い光が包み込む。


「何ッ!?」


 クロスの手が一瞬緩んだ。その隙にポケットに手を滑り込ませ、わたしは「空の守護者の結晶」を高々と掲げる。結晶は、美しい青い光を放っていた。


「その結晶は……まさか、そんなことありえない!!」


 結晶に吸い込まれるように、わたしを掴むクロスの手が縮んでいく。遠くに浮かぶ宝玉の色も、みるみるうちに薄くなっていくようだった。


「ありえない、ありえない、どうして只の人間がそれを手にすることが出来る!? 何故だ、それはお前のような汚らわしい存在が触れていいものではない!!」


 見るからにクロスは混乱しているようだった。結晶に吸い込まれながら、クロスは視線をぐるぐるとまわして、やがてユーリに留める。


「お前、思い出したぞ。我が主はどこにおられる!!」

「……知ってたら、とっくの昔に行ってるよ」


 ユーリの声は弱々しく掠れていたけど、その語調だけは揺るがない強さがあった。


 クロスの腕はもうほとんどなくなり、玉石の色も石ころのような濁った灰色になっていた。

 最後に、玉石の中のクロスがわたしを見た。その目は、ただ驚きに満ちていた。


「――お前は」

 

 そこで、わたしは地面に落下した。わたしを掴んでいたクロスの手はもうどこにもない。わたしの視線の先には、ただの石が空しく転がっていた。



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