第三章 28 研究所 B2
階段を下りた先には、南京錠のようなものがついた鉄製のドアがあった。わたしは辺りを見回して、鍵が落ちたりしていないかを確認する。もちろん落ちてるはずがない。
「っあー、どうしようかな……」
わたしはガシガシと頭を掻いた。鍵がない、となればどうすればいいんだ。上の階にあったんだろうか……?
そうしてわたしが悩んでいる間も、上の方からガンガンと荒っぽい音が聞こえてくる。この調子じゃユーリも持たないだろう。わたしはダメもとで鍵穴に向かって手をかざした。
「『ウォータリウス、水出よ』!」
水魔法で鍵穴の中を水で満たし、零れないように手のひらで鍵穴を押さえつける。そして、
「『氷魔』!」
その水を凍らせると、水に触れていた手のひらが一気に冷たくなった。ゆっくりと手を離すと、短い細い氷の棒が伸びる。ナイス、わたし。なんとなく掴めそうな棒が出来た。
わたしは氷の棒を掴んで、思いっきり回した。少し重い手ごたえとともに、氷の鍵がガチャリと回る。
「いった!?」
正直出来るとは思ってなかった! わたしは喜びながらドアを開け、中に飛び込む。
すると、
「ホントに来た!!」
幼いネコの女の子が、ドアのすぐ近くに立っていた。それと同時に、ボンッという破裂音とともに火花が舞い散る。
「熱っ、痛っ!?」
「うぁぅ、ごめん! ミィ喜んじゃった」
自分のことをミィと呼んだ女の子は、慌てたようにわたしから飛びのいた。別にいいけど……と答えようとしたところで、横から声が聞こえてきた。
「そいつから離れた方が良いよ。そいつすぐに爆発起こすから」
「ミィだって起こしたくて起こしてるわけじゃないもん!!」
床に座り込んでいた男の子がそう言い、ミィが噛みつく。その言葉とは反対に、ミィが怒ると小さな爆発がボンボンと続けて起こった。
「それで、お前は何しに来たんだ? 俺たちに会いに来ても何も出来ることはないぞ? 別に強いわけでもないしな」
部屋を見回すと、二十人弱の人たちが床に座っていた。その中の一人が、投げやりにわたしに聞いてくる。わたしは首を振り、声を張り上げた。
「わたしは、あなたたちを助けに来たんです! ここから脱出してもらうために!」
「胡散臭いなあ……」
「そうですよね!! 胡散臭いでしょうね!!」
そりゃそうだ。突然入って来た人に「助けに来ました」なんて言われても、そう簡単に信じられるはずがない。
どうするかな、と頭を悩ませるわたしの耳に、さっきの男の子の声が届く。
「さっきから見てたけど、嘘はついてないんじゃない? 追われながらも必死にここまで来てくれたわけだし。で、人間はどうやって僕たちを脱出させるの?」
「人間って……それと、見てたって何?」
まあ呼称は見逃してやるとして、もう一つの「さっきから見てた」ってのが気になる。
わたしが男の子に聞くと、別に簡単だよ、といわんばかりに男の子はわたしを指さした。
「僕の能力は遠くまで見渡せることだから。やけに上が騒がしいなと思って見てみたら、人間たちが暴れてるのが見えたってこと」
「千里眼みたいな感じか……。いや、それは一旦置いておいて。わたしは転移魔法であなたたちを外へ脱出させようと考えてます。だから手を繋いで輪になってください」
「ここから出られるの!?」
今までだらりとうなだれて座っていた女の人が、勢いよく顔を上げた。そして、ずりずりとわたしの方へ座ったまま近づいてくる。
「は、はい。転移魔法で、サッと……」
「本当に!? ねえ、早く出して! お願い! こんなところ、早くおさらばしたいわ!!」
物凄い形相で迫ってくる女の人に、わたしは少し後ずさりながら答えた。信憑性がなくてもとにかく縋りつきたい、という考えの人は他にも何人かいるようで、すぐにわたしの周りに小さな輪が出来た。
でも、まだ信じてくれない人はいる。
「どうしてお前はわざわざここまで乗り込んできたんだ? お前、指名手配されてる人間だろ? しかも魔女と一緒に来たらしいじゃねえか」
奥にいるおじさんが、腕を組んだままわたしに聞いてきた。多分、こっちの様子は男の子の能力で筒抜けだったのだろう。わたしは頷く。
「もう気づいている人もいるかもしれませんが、ここの研究所はクロスの息がかかっています。いや、この研究所だけじゃない。獣人界全体が、クロスに操られている状況です。わたしはそれを何とかするためにここに来ました。もっと言えば研究所をぶっ壊すつもりです」
「……クロスか。なるほどなぁ」
おじさんは何か考え込んでいる様子だ。それをじっと見つめていると、男の子の声がわたしの耳に届いた。
「ねえ、ゆっくりしてる暇はないよ。ドアの向こうに人が集まって来た。あんなヒョロヒョロ魔女一人じゃ、すぐにドアは破られるだろうね」
「……マジで?」
「本当だよ。だから、さっさとしないと僕たち皆助からない可能性がある。反応しない人は切り捨てて、僕たちを助けてほしい」
そう言って、千里眼ボーイはおじさんたちの軍団を睨みつけた。おじさんはその視線を真っ向から受け止めた後、軍団の人たちと何かを話し合い始める。こっちにつく気はなさそうだ。
残念ながらこの子の言う通り、時間は限られている。今わたしが助けられる人たちだけでも、外に連れ出さないと……!
「今すぐ転移します。ついてきてくれる人は、ここで手を繋いで輪を作ってください」
顔を上げてそう宣言した。集まって来たのは大体女の人や子供たちで、おじさん軍団は結局わたし達のところには来なかった。数としては、集まって来たのは全体の半分ほどの人だろうか。
わたしはもう一度おじさんたちを見た後、意を決して輪になった人たちを見まわした。
「じゃあ、行きますね。『此の術は過去と未来をも繋ぎ、希望をもたらす。星よ、いつまでも輝き続けろ。我らが世界をとくと見よ。そして叫べ、転移』!」
その瞬間、ぐにゃりと今立っている場所が揺らいだ気がした。わたしは目を閉じて意識を集中させ続ける。
オーガと初めて会った城下町近くの公園、あそこに転移する。あそこなら人に見つかる心配も少ない……。見上げると城の様子が見える、あの公園に……。
そう念じ続けて、どれほど経っただろうか。体感では何分にも感じられたけど、きっと実際は数十秒程度だろう。
とにかくそれくらい経った頃、わたし達は空間から吐き出されるようにして硬い地面に落下した。
「いてて……。皆さん、お待たせしました。外です、城下町です……」
わたしは体を起こしながらそう言った。地面についた腕がブルブルと震えている。
そもそも転移魔法が得意な訳じゃないから、こんな大人数を連れて転移出来ただけ奇跡みたいなものだろう。よく頑張ったわたし、まだやるべきことは山積みだけどな!
ざわめく人たちを横目に、わたしはもう一度呪文を唱えた。また地面が歪んで、わたしは地面にへたり込んだまま、研究所に戻って来る。額に噴きだした冷や汗を、震える手で拭った。
「あ、戻って来たー! 大丈夫?」
そしてわたしを出迎えたのは、無邪気な声。わたしに駆け寄ってきたのは、まさかのミィだった。顔を覗き込まれ、わたしは「嘘だ」と愕然とする。
「なんで、わたし、ミィを置いていったまま……?」
「ううん、違うよ。ミィはミィが残りたいと思ったから残ったの! 青リボンたちのお手伝いするために!」
「わたし達の?」
わたしは壁を支えにして立ち上がった。だいぶ体力が回復した。ミィはくりくりの目を輝かせて、大きく頷く。
「ミィはね、ベンアーに扉の仕組みを教えてもらったから、案内しろって言われたんだ。ベンアー外に出ちゃったんだけどね」
「ベンアーって、目が良い男の子?」
「そう!」
「なるほどね……?」
そうは答えてみたものの、正直よくわからない。目の前でパチパチと火花が散る。
わたしが内心首を傾げた時、バンッと勢いよくドアが開かれた。
「ゲホッ……彩、急ぐぞ! もう奴らが入ってくる!!」
階段を駆け下りてきたらしきユーリが、苦しそうに息をしながらわたしを見ていた。それからまだこの部屋に人が残っていることに気付いたらしい。「逃がせてなかったのか!?」とこっちに叫んできた。
「ごめん、でも――」
「おいおい、勘違いされちゃあ困るな、魔女さんよ」
わたしが事情を説明しようとしたところで、おじさんに遮られた。ハッとしておじさん軍団を見ると、おじさんが立ち上がってやれやれと首をすくめている。
「俺達だって今までただやられっぱなしだったわけじゃないんだぜ? ずっと計画は立ててた。予想外がいくつも起きたが、ここで奴らに一泡吹かせてやることにしただけだ。美味しいところを全部お前らに持っていかせて、逃げるわけあるか」
「ってことはまさか……」
手伝ってくれる、ってことだろうか。
飛び上がって喜びたくなる衝動を抑えて、わたしは「じゃあ」とポケットに手を突っ込んだ。空の守護者の力の結晶を砕いて、おじさんに向かって投げる。
「それ持っててください。わたし達に出来るのはこれくらいですけど」
おじさんは結晶をぱしりと掴んだ後、驚いたように目を瞠った。
「……確かに、だいぶ違うな。体が軽い」
「でしょ?」
そこで、階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきた。おじさん軍団がバッと立ちあがり、おじさんが叫ぶ。
「ミィ! そいつらを地下に案内しろ!!」
「わかった!!」
ミィが元気よく返事をし、先頭を切って走り出した。ユーリが追いかけてくるのを確認してから、わたしもミィの後を追う。
少し走った先で、ミィが座り込んでいる。ミィは床をぺたぺたと触っていたけど、やがて「ここだ」と一部に手を当てた。ユーリが追いついてきて、一緒に床を見つめる。
「そこに何かあるの?」
「うん。ベンアーが見つけた『コウゾウのケッカン』?だって」
そう答えて、ミィはその部分の床を思いっきり殴りつけた。ガコン、と音を立ててその部分の石が抜け落ち、周りの石もそれに続いてボロボロと落ちていく。
向こうの方でバタバタと足音が聞こえ、振り返ると、対策課の人たちがこっちの部屋に降り立ったところだった。
「他の奴らはどうした!?」
「知るか! 俺たちがいつまでも大人しくしてると思うなよ!!」
「青リボン!」
ミィの声にハッとして視線を戻す。するとそこには、人ひとり入れるような穴が空いていた。
「ここから降りるんだよ!」
ミィはそう言うなり、迷わずに穴に飛び込んでいってしまう。相当な高さがあるだろうけど、もう覚悟を決めるしかない。
背後で戦闘が始まったのを感じながら、わたしは穴に飛び込んだ。




