第三章 26 研究所B1
壁に化けたわたしとユーリは、マツさんに続いて部屋を出た。壁が変わった時すぐに対応できるように、わたしは片方の手を壁についたまま歩く。
廊下を渡ってさっきの場所に戻ると、そこはまだ大パニックだった。戻って来たマツさんを見て、そこにいた人が一斉に詰め寄ってくる。
「魔女たちは!?」
「どうしていないんですか!」
「捕らえられなかったんですか!?」
「はい。何かの能力を使ったのだと思います。私が突き当りの部屋に入った時には、もう誰もいませんでしたから」
マツさんが答えると、そこら中からうめき声と悲鳴ともつかない声が上がった。わたし達、相当恐れられてるなあ……。多分今のわたしは、ものすごく微妙な顔をしているだろう。
何とも言えない気持ちで怯えるマツさんの仕事仲間を見ていると、マツさんがスタスタと歩き出した。その前には、この状況の中でも唯一パニックにならずに書類を捲っている馬の獣人が居た。
「すみませんババマさん。能力者対策課に行きたいのですが」
「対策課。どうしてだ?」
「捕らえることは出来ませんでしたが、私はあの二人の姿を誰よりも長い時間、ハッキリと見ています。対策課と情報を共有することは大切だと思いまして」
すらすらと淀みなく答えたマツさんに、わたしは「おおっ」と思わず声を上げそうになる。タケの村の時もそうだったけど、マツさんってかなりハッキリ話すんだよね。めちゃくちゃ頼りになるというか。
ババマさんはそんなマツさんをじっと見つめた後、書類が山積みの机を漁り始めた。
「あそこはかなり面倒なところだぞ。先に言っておくが、あそこで何があっても、俺は責任を取らないからな」
「それは、行っても良いということですか?」
「ほれ」
マツさんに、鍵が投げて寄越された。ババマさんはまた書類に目を落とし、追っ払うように手を振る。
「ありがとうございます」
そうお礼を言ったマツさんが、わたし達の方を振り返った。やりました、と言うような得意げな顔だ。それから、わたし達の方へと足早に歩いてくる。
「すみません、ここで合ってますか」
「はい、合ってます」
「良かったです。では、地下へ行きましょうか」
マツさんと小声でやり取りをして、わたし達はマツさんの後に続いて移動する。
「幻惑使ってるのに、よく分かるな」
「本当になんとなくわかるだけなんです。今は使えないのですが、私達の先祖は幻術を使っていたそうですから、意外とその一部が受け継がれているのかもしれませんね」
「ああ、なるほど」
「え、それじゃあ気づかれる可能性があるってことですか?」
ひやりとしながら聞くと、マツさんは「どうでしょうか」と首を傾げた。
「他にタヌキの種族はいませんから、よっぽど大丈夫だと思いますけど……。彩さん、そこ壁が変わるので注意して」
「あ、はいっ。『コピー』」
危ない、マツさんが言ってくれなかったら、そのまま突撃するところだった。
ちゃんと姿を適応させながら、わたし達は壁際を回り込んで地下へと向かう。
「ここですね」
マツさんが足を止めたのは、重たそうな金属の扉の前だった。すぐ脇には、わたしの背ほどもある大きな機械が置かれている。
マツさんはその機械に、さっき受け取った鍵をかざした。
ぴっ、と軽い電子音の後、ガシャンと何かが外れる音。マツさんは金属の扉を両手で押し開けた。
「では、行きましょうか」
扉の向こうには、地下へと続く階段が見える。暗くて先が見えない階段は、恐怖と不安を煽ってくる。
わたしは心を落ち着かせるように息を吸って、階段へと足を踏み出した。
「実は、ここからは私も初めての場所です。だから何が起こるかわかりません」
慎重に階段を下りていると、マツさんがそう言った。壁にまばらに取り付けられたランプが、辺りをぼんやりと照らしている。
「あの馬の上司の言い方だと、ろくな場所じゃなさそうだな」
「そうですね。でも、この階は絶対に突破しないといけないでしょう? 捕らわれている能力者たちを助けるために」
階段を下りきったマツさんが、わたし達を見上げる。わたしは笑い返した。
「はい。こうなれば強引に突破してやりますよ。ここまで来て引き下がれないので」
ユーリと同時に最後の段を下りきると、マツさんがドアに手を掛けた。
「それじゃあ、入りますよ……」
ギイッ、とドアを押し開けると、そこには、
「………………え」
狭い部屋、マスクをつけた人たちが、テーブルを囲んで集まっていた。マスクと言っても、ガスマスクに近い感じの形。それを付けた集団は恐怖以外のなんでもなくて、思わず声が出てしまった。慌てて口を押さえる。
流石のマツさんもこの光景には驚いたようで、わたし達の前に立ったまま微動だにしなかった。
そのまま数十秒の時が流れ、やがてマスクをした一人が立ち上がる。
「上の人ですね? 連絡が来ています。能力者が出たとか」
「え、ああ、はい。能力者が研究所に侵入したようです。私も追いかけたのですが、逃げられてしまって。情報だけでも共有しようと思って、ここまで来ました」
「ふうん、なるほど。わざわざありがとうございます」
どこか馬鹿にしたような言い方だった。マツさんはその人との距離を一、二歩詰める。
「驚かないんですね。私達は大混乱だったのですが」
マツさんがそう言った途端、あちらこちらで吹き出す声が聞こえた。みんなクツクツと声を出さずに笑っている。隣のユーリが眉を顰めた。
「はは、これは失礼。それは愚問ですよ。上で働いているあなたたちはわからないかもしれませんが――」
そこで、マスクの男は言葉を切った。次に聞こえてきたのは、低く冷たい声。
「私達は日々、能力者と関わっているのですから」
部屋の空気が変わった。明らかにこちらを歓迎していない、むしろ、敵対しているかのような視線が突き刺さる。
「おい彩、行くぞ」
ユーリがわたしの肩を叩く。わたしはその意味がわからず、目を瞬いた。
「行くぞ、って……」
「この部屋の中に入るんだよ。多分ここには長くいられない。時間稼ぎしてくれてる間に、どうにかして下に降りる手段を見つけないと」
なるほど、そういうことか。
ようやく理解したわたしは、頷いて壁に手を当てる。「『コピー』」と唱えてから、そっと足を踏み出した。
「――それは、申し訳ありませんでした。気分を害してしまったでしょうか」
「いえいえ、お気になさらず。こちらこそ失礼しましたね」
二人の会話を合図とするように、部屋に談笑が戻ってくる。
わたしはこの場をマツさんに任せて、地下へ行くための手段を探すことにした。
さっきの機械の様子を見るに、地下二階に進むには鍵が必要なはず。だから鍵は手に入れないといけない。
でも、ここで問題が発生する。
「ユーリ、壁から離れた場所に鍵があったらどうしよう。それに、階段らしいものも見当たらないし……!」
焦ったわたしはユーリに泣きついた。ユーリは「落ち着け」と両手を突き出してから、わたしのポケットを指さす。
「地図。とりあえず現在地を把握しよう」
「地図!」
完全に頭からすっぽ抜けてた。わたしは慌ててポケットから地図を出す。
「そうだ、能力者たちの特徴を聞いておかなければいけませんでしたね。まあ、よっぽどわかるとは思いますが、念のため」
向こうの会話も進行している。とりあえずのタイムリミットは、マツさんがわたし達の特徴を伝え終わるまで……。
若干手間取りつつも、わたしは地図を広げてユーリと覗き込んだ。
今自分たちがいるのは、階段のそば。わたし達がいる部屋は、この地下一階の中のほんの小さな空間だということがわかった。
この部屋の向こうに、大きな空間――能力者からエネルギーを抽出する部屋がある。そして、その部屋に階段もあり……。
「――え、侵入者って魔女と人間なんですか? うわあ、また嫌な時に乗り込んで来やがりましたね」
会話もどんどん進行している。急いで鍵を見つけないと……!!
「おお、それが鍵か!!」
焦りに焦りまくっていたわたしの耳に飛び込んできたのは、そんな声だった。振り返ると、マツさんの持っていた鍵を、大柄なマスク男がひったくるところだった。
そいつは鍵を照明の方へ向けると、うっとりとした目で鍵を見つめる。
「すげえなあ、キレーだなあ」
「早く返しなさい、さもなければ……」
「ああ、返す返す。いきなり取って悪かったな、上のヤツ」
マツさんと話していたマスク男が、ドスの利いた声で凄んだ。
傍から聞いていたわたしでも相当迫力のある声だったんだけど、大柄マスク男はさして気にしていない様子で、マツさんに鍵を返した。マツさんは訳が分からなさそうに鍵を受け取る。
「すみません。実はこの階には鍵がないんですよ。こういう、光るものには目がない輩が居るものですから」
マスク男が、大柄な奴を睨みながらマツさんに謝った。マツさんがハッと顔を上げる。
「では、警備はどうしているんです?」
「私達が鍵のようなものですよ。それに、研究所に侵入してまで能力者に会いに来る変わり者なんていないのでね」
「ああ……確かにそれもそうですね。ここを抜けるのは至難の業でしょう」
わたしはすぐにユーリを見た。ユーリも少し目を瞠ってわたしの方を見る。
「今の話だと……」
「ここの部屋を突破すれば、地下に行ける!」
わたしは喜々としてユーリの後を続けた。
とりあえず一つの問題はクリアできたことが、何よりもの喜びだ。この部屋を抜けるには、幻惑を使えばいくらでも――。
「おいおい、いくらなんでもうるさすぎるぜ」
脳内シュミレーションを開始しようとしたその瞬間、やけに大きな声が聞こえてきた。ぱっと話し声が止み、人ごみの中からまた別のマスクマンが現れる。新たなマスク男は、やれやれと言いたげに肩をすくめた。
「どうした? いつもこんなものだろう」
「ああ、確かにそうだ。いっつもここはうるせえ。他の奴等よりちぃっとばかし耳が良いオレにとっては、余計にな」
でも、と声のトーンが唸るように低くなる。嫌な予感が頭をよぎり、わたしは一歩後ずさった。
「今日は他の――子供の声が混じってる。小声だから聞こえないとでも思ったか? オレの前に内緒話なんて通用しないぜ、侵入者さんたちよお!!」
予感的中。見事にばれた。
わたしは冷汗を浮かべ、どうしようかと引き攣った笑みを浮かべた。




