第三章 25 研究所1F
入口の扉から少し歩いた先が、研究所の内部だ。まだここの周りには人が居ない。ただ、今の扉の攻防が騒がしかったからか、奥の方がざわめいた気がした。
わたしとユーリは慌てて近くの柱に身を隠し、様子を窺う。
「ここからはどうするんだ?」
「正直ノープラン。この姿でも入れないっぽいし、見つかった人を順番に気絶させるしかないかなあ」
「どうやって?」
ユーリにそう聞かれ、わたしは顎に手を当てて唸った。
「確かに。わたしそういう系の魔法使えないわ。ユーリは……聞くまでもないし」
「つまり、気絶させるには殴りかかるしかないわけだな」
出来ることならそれはしたくない、あとで面倒なことにはなってほしくない……!
「いや、逃げ隠れしながら行こう。幸いわたし達には地図がある」
わたしはポケットに入れておいた地図をバサリと広げた。ぱっと見た感じ、一階はいろいろな部署に仕切られているようだった。ぐるりと壁を伝うように回り込んでいけば、真ん中を通らずとも地下への階段に着けるだろう。
そういったことを軽く確認し終えて、わたし達は柱からぬっと顔を出した。
「彩、行くなら今のうちだ。今は入り口付近に人が少ない」
「ナイス報告ユーリ。走るよ!」
わたしとユーリは柱の影を飛び出すと、入口に向かって全力ダッシュした。中に飛び込んで、また近くの棚に身を隠す。
「ババマさん、これってどうします?」
書類を手にした誰かが歩いてくる。走ったから少し息が切れてるけど、今息をしたらバレてしまうような気がして、じっと息を止めて待つ。
「あー、それか。俺の机の辺りに置いといてくれ。後で目通しとくよ」
「わかりましたー」
誰かさんは、間の抜けた返事を返して方向転換をした。もうこっちには歩いてこなさそうだ。ぷはっ、と息をすると同時に、ユーリに腕を掴まれた。
「ゆっくりもしてられないだろ。行くぞ」
わたし達は、棚や机の間を縫って歩き出した。もちろん人が少ないところを選んでいるのもあるけど、自分の作業に集中している人が多いから、ある程度歩いていても見つからない。
「やばっ!」
わたし達の反対側から人が歩いてくる。そんなときは、棚に身を隠すのみだ。わたしとユーリは棚の後ろにぴったりと貼りついて、何とかやり過ごす。
その人がバタバタと走り去っていったのを確認して、またわたしは一歩を踏み出す。ここから少し行けば壁だ。あとは壁伝いに進んでいけば……。
そう考えながら視線を巡らせたとき、ぱちり、と誰かと目が合った気がした。一度通りすぎた視線を戻して、その誰かに焦点を合わせる。
サルの事務員が、大きな目でじっとわたし達を見つめていた。数秒見つめ合って、わたしとサルは。
「逃げるよ!!」
「侵入者だ!!!」
二人同時に叫んだ。非常にまずい事態。わたしはユーリと一緒に走り出す。
もう見つかるとか見つからないとかじゃなくて、重要なのはいかにして逃げ切るかだ。それにかかっている。
「対策課に連絡してください!」
「あれ魔女じゃないか!? 誰か、早く助けを!!」
「あの門番は一体何をしているんだ!?」
ここで働いている人は事務の人たちだからか、こっちに襲い掛かってきたりはしない。むしろ逃げ惑ってるけど、きっとすぐに「対策課」とやらを呼ばれておしまいだろう。
目の前の棚をどかすべく、わたしは手を棚に向かって突き出した。
「『念動力』!」
少しだけ持ち上げられた棚が、傾いてバッターンと倒れる。研究所の人、申し訳ない! 今だけは許してください!
そして、同時に体から力が抜けるような感覚。能力を酷使した時よりも全然軽い、けど……。
「なんだ、人間じゃないか!!」
直後背後で響いた大声に、わたしは硬直した。先に棚を飛び越えたユーリが、わたしの腕を引っ張ってくる。
「今ので幻惑が解けた! そろそろ本当にまずいぞ」
「慣れないことなんてしなければ良かったー!」
心の叫び。わたしはジャンプして倒れた棚を飛び越えて、目の前の廊下へと走る。地図を確認している暇なんてないから、行き当たりばったりの逃走劇だ。
「私が追いかけます!! 皆さんは他の課に連絡を!!」
とうとう追いかけてくる人まで出てきてしまった。わたしとユーリは薄暗い廊下を駆け抜ける。すると、その先には。
「い、行き止まり……!?」
一つドアがあるだけで、他には通路も何もなかった。思わず絶望するわたしの隣で、ユーリがドアノブに手をかける。
「鍵が空いてる。とりあえず中に入るぞ!」
「中に入ったらそれこそおしまいだよ!!」
「…………いや、奇襲だ。手段を選ぶ余裕はない!」
「わかった!!」
半ばヤケになりながら、わたしとユーリは部屋の中に飛び込んだ。ぐるりと部屋を見回すと、押し入れのようなものがあった。二人で入っても十分余裕がありそうなサイズ。
「ユーリ、あの中に入ろう!!」
言うが早いか、わたしは押し入れの戸を開け、二段あるうちの上によじ登る。ユーリは下。押し入れの中は暗くて静かで、わたしは息をつめて外の音にじっと耳を澄ませる。
少し遅れてやってきた足音がピタリと止まり、代わりにドアの開く音が聞こえた。パタ、パタとゆっくりとした足取りで、迷うことなくこっちに向かってきているようだ。わたしはいつでも能力が使えるように準備をする。
パタ、パタ、パタ。だんだんと足音が大きくなっていき、
カララッ、と戸が開かれた。
風魔、と叫ぼうとしたわたしの視界に飛び込んできたのは、眩しい光と、
「彩さん、ちょっと待って!」
焦った表情のマツさんだった。
わたしはポカンとしてマツさんを見つめる。マツさんはそんなわたしの表情を見て、苦笑した。
「彩さんたちが見えたので、すぐに追いかけてきたんですよ。安心してください。他に追いかけてくるような人はいませんから」
「ああ、さっきの声の主は……」
「私です。気づかれなかったのも当然だとは思いますが……」
わたしとユーリは押し入れから出て、服に付いた埃を払った。それから、はあっと大きな息を吐く。
「良かったあ、マジで良かったあ……」
「合流出来て良かったな。正直、強引に突破するしかないと思ってた」
「強引に……とりあえず、私も彩さんたちを見つけられてよかったです」
マツさんは額の汗を浮かんだあと、「実は」と切り出した。
「今朝から研究所が閉鎖されまして。私達でも状況が把握できていないんですが、彩さんたちが何かしたんですか?」
「いやいや、わたし達はライオネル王をどうにか説得したところで。王様に協力してもらって研究所に入ろうと思ってたら閉鎖されてたので、こうして強引に乗り込んで来たってわけです」
「なるほど。それで、あの門番の姿をしていたということですか」
マツさんが納得したように頷いた。そう、わたしは研究所の人たちの目を欺くために……って。
「彩、どうするんだよ」
ユーリがわたしを見て眉を顰めた。わたしもユーリの方を見てにっこりする。
「幻惑切れてたの忘れてた。どうしよう。もう門番の姿も使えない」
そもそも、姿を見られてしまったわけだからもうどうしようもない! マツさんに姿を貸してもらう? いや、ユーリも隠さないと意味ないわけで……!!
頭を抱えるわたしに、マツさんが「あのぅ」と控えめに声をかけてきた。
「彩さん、壁になることはできませんか」
「……はい?」
「姿を壁に変えることは出来ないか、ということです」
マツさんの言っていることを理解するのに、数秒かかった。壁、壁かあ……。
「壁になってもらえれば、お二人は簡単に移動できると思うんです。私も出来る限り誘導しようとは思うので」
「確かに壁だったら一人でも二人でも変わらないな。彩、出来そうか?」
「出来る……んじゃないかな」
自分の姿を変える能力だったら無理かもしれないけど、わたしのは幻惑だからある程度応用も効かせられるだろう。
試しに、近くの壁に歩み寄って手を当てる。
「『幻惑』」
それから「『コピー』」。一回ずつ分けないといけないのが面倒だ。「『幻惑』『コピー』」って一回で済ませられたらいいのにね。
おおっと歓声が上がり、わたしは成功したことを確信した。
「彩、ちゃんとお前壁になってるよ」
「なーんか褒められてる気がしないんだけど……。ユーリも出来るかな。ほら、ユーリこっち」
「こっちってどこだ」
ユーリが首を傾げながら少しずれた方向へ歩いてくる。わたしがその手首を掴むと、ユーリに「うわっ!?」と振り払われた。ユーリはざざっと距離を取って叫ぶ。
「お前、声くらいかけろよ!!」
「ごめんって。じゃあ掴むよ」
ビビりなユーリのために、ちゃーんと予告してユーリの手を掴む。すると、マツさんが「大丈夫です」と両腕でマルを作った。
「二人とも見えませんよ。壁際を歩いていけば何の違和感もないと思います。後は途中で壁の材質が変わるので、それにさえ気をつけていけばいいんじゃないでしょうか」
へえ、わざわざ能力使わなくても、近くに居れば効果の範囲に入るんだ。便利。
わたしが隣のユーリを見上げると、ユーリはわたしの視線にすぐ気づいて、曖昧に笑った。
マツさんが白衣の襟を直し、見えていないはずなのに、まっすぐにわたし達の方を見る。
「では、戻りましょう。下に降りるのは、私に任せてください」
頼りがいのあるハッキリとしたその口調に、わたしは大きく頷いたのだった。




