第三章 22 玉座の間にて
ついに、この日がやって来た。
わたしは城門の前に立ち、目の前にそびえる城を見上げる。まるでラストダンジョンに挑むみたいな気持ちだ。ゆっくりと深呼吸する。
「オーガが手を回してくれたのかよくわからないけど、門番もいない。今のうちにさっさと侵入しよう」
ここで見つかったら、オーガに申し訳なさすぎる。わたし達は走って城門をくぐり抜け、城の入り口まで急いだ。
流石王子と言うべきか、城門に人もいなければ城の入り口にも人はいなかった。そして、入口のすぐ正面に大きな階段がある。
ここに来る前にルーナに城の内部の様子を聞いたら、階段を上ればいいって言われたけど、その階段って言うのは間違いなくこれだろう。
「間違いなく、ここを上れば玉座の間に着くだろうね。みんな、準備は出来たかい?」
リンがわたし達を振り返る。
「ここまで来て、今更何を悩むことがあるんだよ」
「流石ユーリ、肝据わってますね……」
珍しく緊張した様子のセイが、胸に手を当てながらそう呟く。ナオはそんなセイの肩に両手を置いてから、リンを見上げた。
「ユーリの言う通りじゃない? あとはやるべきことをやるだけよ。ね、彩?」
ナオの瞳は、こんな時も揺らがずに自信ありげにわたしを見つめる。
わたしは一つ息を吐き出して、「そうだね」と笑った。
「行こう。あと少しだから」
先頭を切って、わたしは足を踏み出した。一段、また一段と階段を上っていく。絨毯が敷かれているから、一歩一歩踏みしめるたびに足が沈み込む。そんな些細なことでも、わたしの足を震えさせるのには十分だ。
それでもなんとか足を踏ん張って、わたしは階段を上り切った。玉座の間がなんだか騒がしい。
わたしはみんなを振り返ると、扉を思いっきり開け放った。
金属のきしむ音をさせながら、玉座の間への扉が開く。
その先には、多くの兵士が集まっていた。突如開いた扉に、扉を開いた何者かに、一斉に視線が向けられる。
「お前は……!!」
兵士たちの中心にいた、いつかのトラの兵士長が、わたしを見て目を剥いた。さらに、続けて入って来たわたしの仲間を見て、彼の中で非常事態の警報が鳴り響いたのか。兵士長は腰に携えた剣を抜いて叫んだ。
「動くな! さもなければ――」
この展開、もう何回目だろうか。もうこの人の存在自体がトラウマになってる。正直逃げたい、助けてほしい、みんなに縋りつきたい…………でも!
逃げ出したくなる衝動を必死に堪えて、わたしはトラの兵士長をまっすぐに見つめ返した。今度は逃げも隠れもしない、そんな覚悟が伝わるように。
トラの兵士長の動きを合図に、他の兵士も鞘に手を伸ばした、そのとき。
「待て」
重々しい声が、兵士たちを止めた。決して大きな声じゃない。それなのに、ざわめいていた玉座の間を貫いた。声を聞いただけでぞくりと寒気が走るような、威圧感のある声。そんな声の主を、間違えるはずなんてなかった。
今にも斬りかかろうとしていたトラの兵士長が黙って剣を鞘に収めた。他の兵士も鞘に伸ばした手を下ろし、ザッと左右に分かれる。
「これは、お前たちの仕業か?」
その間から姿を見せたのは、奥の玉座に座っているライオネル王だった。その手には、わたしがオーガに渡した結晶と、ツキシズクの花が握られている。
「クロスの洗脳の話をなさっているのでしたら、それを解いたのは間違いなく私達ですが」
「ああ、その話で間違いない。これはお前たちがやったのか?」
ナオがさらりと答え、ライオネルもすぐに頷く。わたしはといえば、口がカラカラに乾いていた。声が出る気がしない。ごくりと唾をのむ。
「はい、そうです! あたしたちは獣人界を救うために、そして、人間界を救うために、ライオネル王にお話を――」
「獣人界を救う、だと? お前たちが?」
セイの話を遮ったその声は、馬鹿にしたような響きだった。いや、完全にわたし達を馬鹿にしていた。
「ああ……確かに、クロスの術を解いたのは良い働きだった。それに免じて、城に不法に侵入してきたことも大目に見てやるとしよう。城の警備が恐ろしく手薄になっていたのも事実だ。しかし、お前たちの仕事はここまでだ」
ライオネルは、ゆっくりとわたし達を見回した。
「お前らのような異形の者の力を借りなくとも、俺達だけで後は片付けられる。それに、何か勘違いをしているようだが、人間界がどうなろうと俺の知ったことではない。わざわざ協力などするはずがないだろう。今までならば研究所に送っていたところだが、今回は特例として、今すぐ城を出て、二度とここに近づかないと約束するならば、今起こっているすべてのことを見逃してやる。例えお前たちが魔女の一味だったとしても、だ」
ちらりとユーリに視線を向けてから、それで話は終わった、とでも言うかのように、ライオネルは玉座に深く座りなおした。
わたしは一歩も動かない。後ろにいるみんなも、動いた気配はなかった。
息を吸う。
「――人間界は、クロスの手に堕ちました。きっと今度は獣人界の番です。わたしは、わたし達は、それを止めたいと思ってここまで来ました」
話し始めの声が掠れた。でも、もう緊張はない。恐怖もない。迷わずに続ける。
「二度と人間界のような悲劇を起こすまいと、その一心で、クロスの洗脳を解く方法も見つけました。それなのに、あなたたちはそれを『異形の者だから』なんて理由で投げ捨てるんですか。本当に、獣人界を救おうとしているんですか。目の前の恐怖や憎悪に囚われて、判断を誤ってはいませんか」
「……ッ、人間ごときが、身の程を知れ!!」
「そうです。人間です」
トラの兵士長が吠えた。人間。わたしはその言葉に、ゆっくりと頷く。
「調べました。なぜ獣人の皆さんがわたし達人間を恨んでいるのか。昔、姿の違う獣人を恐れた人間が、あなたたちを迫害した。人間界を追われた獣人は、安住の地を自分たちで探し求めなければならなくなった……。わたしも人間ですが、それでも、そんな行動をとった人間を恥ずかしく思います。愚かだと思います」
今まで黙ってわたしの話を聞いていたライオネルが、吐き捨てるように言った。
「お前に何がわかる」
「わかります。きっとそれは、今わたし達能力者が受けている扱いと同じだから」
ライオネルの目が、ゆっくりと見開かれた。
「ねえ、何が違うんですか。昔、人間が獣人にしたことと、今、あなたたちが能力者にしていること。その違いはなんですか。あなたたちが憎悪している人間と今のあなたたちは、一体どこが違うって言うんですか」
わたしはぎゅっと強く手を握る。握りしめた両手が震えた。その手を、誰かがそっと握ってくれる。
「同じ憎しみを繰り返してどうするんですか? 今こそ、その憎しみの連鎖を断ち切るときなんじゃないんですか? ……っ、答えてくださいよ!!」
緊張や恐怖を感じなくなったのは、今でも手が震えるのは、怒りや悲しさがわたしの心を巣食っているからだ。
何度も何度もわたしを助けてくれた仲間を、馬鹿にしないで欲しい。今もこうして手を握ってくれている仲間のことを、「異形の者」なんて呼ばないでほしい。今まで出会った能力者たちのことを、苦しんで生きている人たちを、人の上に立つ王が嘲笑っていることが、悔しくて悲しくて許せなかった。
ライオネル王が、俯いて自分の手の中を見た。そこには、空の守護者の結晶とわたし達が摘んできたツキシズクの花がある。
「…………昔から、オーガには己の正しきに従えと言い聞かせてきた。自分の正しいと思った道を突き進め、と。俺自身も、それを守ってここまで生きてきた、つもり、だった」
声が震えた。ライオネルがゆっくりとツキシズクの花を持ち上げると、一日経ってしまったからか、縁が茶色くなった花弁が、はらりと落ちた。
「でも、それは違ったのかもしれない。俺が正しいと信じていたものは、誰かの間違いだったのかもしれない。いや、きっとそうだったのだろう……。俺は、そのことに気づかないふりをして、ここまで来てしまったのか……」
玉座の間は静まり返っていた。誰も声を発しない。ライオネルはツキシズクの花をまだ見つめている。
「……オーガが、お前たちに協力したのだろう?」
「はい。オーガ王子がわたし達のことを信じてくれたから、今わたし達はここにいるんです」
「そうか。オーガは俺よりもよっぽど、物事を見極める目を持っていたということだな……」
ライオネルは長く息を吐き出した。まだ、躊躇っているみたいだった。
「この期に及んでもまだ、俺は何が正しいのかを見極められずにいる。憎しみを捨てきれずにいる。だから――」
そして、ライオネル王は顔を上げてわたし達を見た。初めて、わたし達にまっすぐな目が向けられたように思う。
「一度、お前たちを信じてみることとしよう。この獣人界にとって正しい決断とは何なのか――それを見定めるために」
ようやく、求めていた言葉が発せられた。ほっとして、全身の力がふっと抜ける。
まだ心からの信頼じゃないことはわかってるし、この人が能力者に対する偏見を捨てたわけじゃないこともわかってる。でも、今はそういうことすべてを飲みこもう。それは、これから解決していけばいい。
「しかし、王――」
「口を挟むな。これは俺の決断だ」
トラの兵士長が何かを言いかけたのを、ライオネルが制した。そして、わたし達に視線を投げかける。どうだ、と返事を待っているかのようだった。
息を吸ってから、ゆっくりと頷く。
「はい。共に、獣人界を救いましょう」
自信に満ちた笑みを浮かべて、わたしはそう答えた。




