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第三章 21 花と王子の昔話

 トラップのような木の根や蔦を潜り抜けた先には、少し開けた場所があった。

 リンに何度か助けてもらいながらもそこへ到達したわたしは、思わず息を呑む。


「どう? これがツキシズクの花よ」


 小川のほとりに、薄い黄色の花びらの花が、一面に咲き誇っていた。ここまでの道のりからは想像もつかないような綺麗な、かわいい花だ。その花畑の中心で、ナオがそう微笑む。これも悔しいくらい絵になる。


「良かった。本当にあったんだね」

「私も正直不安だったのよ。本当に、昔のことだから……。でもこうして変わらず咲いていた」


 ナオはしゃがみ込むと、なんだか切なげな瞳で花を見つめた。少し黙った後、何かを決意したように口を開く。


「ここは寒いでしょ。だから昔、犯罪者とかがここに送られていたらしいわ。その名残で今もこの場所はライオネルの治めている場所だとは認識されていない。ここは確かに獣人界なのに、獣人界の一部として認識されてないの。まあ、ここまで治安が悪かったりすると、ね……歴代の王様の気持ちもわかることはわかるんだけど」


 それでも、とナオはツキシズクの花に視線を落とした。


「こんな場所にも、こういう綺麗なものがあるの。母さんが言うには、この花は本当に綺麗な水がある場所でしか咲かないらしいわ。ここはずっとゴミ捨て場みたいな最悪な印象を持たれているけど、こんなに綺麗なものがある。知っている人は本当に少ないけど、私はそのことを誇りに思ってる」


 そこまで話して、ナオは照れくさそうに笑った。珍しい種類のナオの笑顔だ。


「なんてね。さ、早く戻りましょ。久しぶりにこの花を見れて嬉しいけど、やっぱりここは寒すぎるわ」


 ナオの笑顔を見ながら、わたしは少しの間何と言葉を返せばいいのかわからずに、黙り込んだ。ゆっくりとツキシズクの花とそこに佇む少女を見て、それから、その隣にしゃがみこむ。


「そうだね。一、二輪摘んで帰ろっか」

 

 わたしとナオは優しく花を手折ると、リンの転移魔法で公園まで飛んだ。


「せっかくだし、治癒で少しだけ再生させようか。どうせなら綺麗な方がいいだろうから」


 わたし達から花を受け取ったリンが、治癒で花を癒していく。その隣で、わたしはルーナに向かって手を振った。


「ナオ、ルーナいる?」

「まだいないわね。ずっと持ち場にいられるわけじゃないでしょうし、もう少しここで待つしかないんじゃない?」


 幸いにもまだ時間はある。わたしはベンチに座り、城の方をじっと見つめることにした。そして、二十分ほど経った頃だろうか。


「ごめんね、お待たせー!」


 息を切らしたルーナが、公園に駆け込んできた。ルーナはナオの手にあるツキシズクの花を見て、目を丸くする。


「すごい。本当に見つけてきちゃうなんて……しかもすごく綺麗な状態だねー」

「そんなに驚かれることじゃないわよ。さ、これを早くオーガ王子に届けてきてあげて」

「うん。あ、オーガ様が話したいことがあるって言ってたから、少しだけ待っててもらえるかなー?」


 慎重に花を布に包んでから、ルーナはわたし達に首を傾げる。


「話したいこと? うん、わかった。ここで待ってるよ」

「ありがとう! それじゃあ、また後でねー」


 ルーナは顔を輝かせると、すぐに公園を出て行ってしまった。さっきからルーナには走らせてばっかりだなあ……申し訳ない。

 わたしの後ろに隠れていたリンが、くるくるとわたしの頭上を飛び回る。


「オーガ王子がここに来るってことかい?」

「いや、それはどうなんだろ……。前に会った時は夜だったから抜け出してこれたかもしれないけど、今は昼だし見つかる確率が高すぎるでしょ。あの王子様が、そこまでの危険を冒すわけはないと思うんだけど」

「私もそう思う」


 うーん?と頭を捻るわたし達。まあ、わたしはオーガのことを推測できるほどオーガのことを知らないんだけど。


 そんな感じで頭に?マークをつけながら待っていると、今度は三十分ほどでルーナが戻って来た。腕には大きめの箱を抱えている。


「お疲れさま、ルーナ。それは何?」

「その中にオーガ王子が入ってるの? なかなか斬新なアイデアだね」

「ち、違うよー! これは声を繋ぐ道具。アヤちゃんたち見たことない?」


 ルーナは、よいしょっと箱を地面に置く。わたし達が「ない」と声をそろえると、ルーナはわたし達を見た後「それもそうかもねー」と苦笑した。


「かなり高価なものだから。やっぱり王族は違うよねー」


 ルーナは箱の側面についているボタンのようなものを操作している。たぶん電話みたいなものだろう。電話……欲しいけど、今かなり高価って言ってたから無理か。


 リンがわたしの肩にしがみつきながら、興味津々でその様子を窺っているのが視界の隅っこに映る。


「ねえ、これわたし達の姿は向こうに映るの?」

「映らないよー。やり取りできるのは声だけ。顔も見えるようになったら、もっと人気が出るかもしれないねー」


 ルーナはそう笑うと、ぽちっと大きなボタンを押した。ザザザザ……とノイズのような音が聞こえ始め、それに被せてオーガの声が聞こえてくる。


『……い、聞こ…………か。おい、聞こえているのか!』

「今聞こえましたよオーガ様。こちらの声は聞こえますか?」

『おお、ルーナさんの声がハッキリ聞こえる! 何度も使い走りのようなことをさせて本当に申し訳ない。今日の給料を二倍にするよう、侍女長に命じておいてやる!!』

「助かるなー。ありがとうございます」


 ほのぼのとした会話だ。ルーナも、王子と話しているとは思えないフランクさ。

 王子は少しの間ルーナと会話をしたのち、コホンと咳ばらいをした。


『それで、アヤとナオ……だったか。本当にツキシズクの花を摘んでくるとは、見事な働きだぞ。今まで僕はたくさんの使用人にこの花を摘んでくるよう命じたが、実物を、こんなに良い状態で持ってきたのはお前たちが初めてだ! やっぱりお前たちはやれば出来る子なんだな』


 やれば出来る子……。自らを過信してるわけじゃないけど、わたし達、別にオーガの前では「やれば出来る子」って言われるほどのヘマをやらかしてないと思うんだよなあ。

 どの目線から褒められているのかよくわからないけど、とりあえず「ありがとうございます」と言っておく。


『うん。王子に褒められたことを光栄に思え』


 それから、しばらく沈黙が続いた。わたし達は金属の箱からオーガの声が聞こえてくるのをひたすらに待ったけど、一向に続きが語られる様子はない。ナオがふっと短く息を吐いて、口を開いた。


「オーガ様。もしよろしければ、何故ツキシズクの花が必要だったのか教えてくださいませんか? せっかくこんな道具があるんですし、少しお話ししましょう」


 ナオは箱に向かって呼びかけた後、わたしとルーナを見て仕方なさそうに微笑んだ。


『いい質問だ。アヤかナオかわからんが、答えてやろう。……いや、実はこのことを話すために、わざわざルーナさんにこの機械を運ばせたんだよ』


 オーガは今、一体どんな顔をしているのだろう。わからないけど、箱の向こうで、オーガが意を決したような気がした。


『この花は、父上の好きな花なんだ。僕がまだ小さい頃、父上はよくこの花を持ち帰ってきては玉座の間に飾っていた。時々父上の公務が忙しいときは、母上と一緒にこっそり城下町に行って、花屋でこの花を買って帰ったりした。それを父上にあげると、父上はとても喜んだんだ。父上は優しかった』

 

 意外なライオネルの私生活だった。人間らしい部分というか……いや、人間ではないんだけど、ライオネルの心が感じられるエピソードというか。

 ノイズ交じりの声だと、オーガの声は寂しく聞こえる。わたし達はただ黙って、オーガの話を聞いていた。


『クロスのことを思い出してから、ゆっくり父上のことを考えた。確かに、今の父上はどこかが変だ。昔みたいに笑うことがほとんどない。だから、このツキシズクの花をあげたらまた喜んでくれるんじゃないかと思ったんだ。でも、昔行っていた花屋はとっくにつぶれていて、手に入れる方法がなくてな……』


 オーガはそこで雰囲気を切り替えるように「ご苦労だった!」と大声で叫んだ。箱がキーンと耳を劈くような高音を出す。


『お前たちは僕が出した試練に見事合格した。この花があれば、父上は機嫌を直してくれるだろう。心配するな、明日の昼、ちゃーんと城に入ってこられるようにするから。自分が正しいと思った道を突き進めって、父上の口癖だったからな』

 

 いつものふてぶてしい口調だ。わたしは「ありがとうございます」と返す。


『……僕の方こそありがとう、だ。明日、絶対に失敗するんじゃないぞ』


 唐突に聞こえた「ありがとう」にわたしが反応しようとした時、ザザザザ……とノイズが流れ始めた。ルーナが少し困ったように微笑む。


「オーガ様、通信切っちゃったねー。本当に恥ずかしがり屋さんだなあ」


 ルーナはポチポチとボタンを押して、箱の電源を切る。わたしはナオと顔を見合わせた。


「オーガは、今のことを伝えたかったってこと?」

「そうだと思うよー。あの話を誰かにしたかったんだと思う。その相手が、アヤちゃんとナオちゃんだったんだよー」


 ルーナは箱を持ち上げると、わたし達に向かって眩しい笑顔を向ける。


「私には応援することしかできないけど、頑張って。何かあったら私を頼っていいからね!」

「うん、ありがと。頑張るよ。頑張ってルーナの友達を連れて帰ってくる」

「ふふ、ありがとー」


 ルーナが公園を出た後、わたしはオーガの話を思い出した。あの王子のためにも、ライオネルを、ここをクロスの魔の手から救わないと。救わないと、っていうのはなんかスケールが大きくなるけど。


「何としても、成功させなきゃね」


 夕暮れ時の公園で、城を見上げながら、わたしはそう決意を固めた。



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