第三章 17 王子との交渉
そして、翌日の午後十時。わたしとナオは、約束の公園でルーナと落ち合った。
「お疲れ、ルーナ。うまくいった?」
「うん。ビックリするくらいうまくいったよー……。なんか申し訳ない」
「大丈夫大丈夫、これはオーガにとっても悪い話じゃないと思うし……」
眉を下げるルーナとは対照的に、ニコニコするわたしとナオ。ルーナが「人の心持ってないのかなー」と言いたげな不審そうな目でわたし達を見た。そんな目で見ないでくれ。
「あとは、オーガ王子が無事に城を抜け出して来れることを祈るだけね」
そんなナオの呟きが、夜の公園に静かに響いた時。
ガサガサッ
茂みをかき分ける音が聞こえた。その後荒い息遣いが聞こえ始め、ルーナがピンと耳を立てた。
「オーガ様だ……」
「すごいわね。ちゃんと抜け出してこられるなんて」
「流石愛の力、馬鹿に出来ねえ」
「私達はその愛の力を利用しようとしてるんだよー……?」
ルーナがひそひそとわたし達に囁く。それに被せるようにバタバタと足音が聞こえ、さらに大声が静寂を勝ち割った。
「ルーナさん! 来たよ!!」
「わわっ、オーガ様……」
オーガと思わしきライオンは、辺りを見回しながらこちらへと歩いてくる。別に隠れているわけじゃないので、すぐにわたし達は見つかった。
オーガはあからさまに不機嫌そうな顔になり、わたしとナオを指さした。
「おい、お前らはなんだ! ここはルーナさんと僕の貸し切りだぞ!!」
「え、えっと、すいませんオーガ様。オーガ様にこの二人と会ってほしくて、今日はここに来ていただいたんです」
「僕に? うーん、ルーナさんの頼みなら聞いてもいいかな。それでお前ら、何の用で……ぎゃっ!」
わたしがオーガに向かって結晶を見せると、オーガがそう声を上げて後ずさった。頭を抱えてうずくまったのち、顔を上げてわたしを見る。
「なんだ? 世界が新しくなったような気分だ」
「新しくなったんじゃなくて、元に戻ったんですよ。王子、つかぬことをお伺いしますが、クロスとは何者ですか?」
わたしの質問に、立ち上がった王子はふんぞり返って答える。
「それはもちろん、僕たちの敵だ! クロスは悪いことばかりしているから、僕がいずれ倒して――」
だんだんと不思議そうな顔になっていったオーガは、そこで「わかったぞ!」と叫んだ。夜でみんな寝てるんだから、そんな大声出されると困るんだけど……というか、困るのは自分自身なんだけど。
オーガは満足げにうんうんと頷きながら、「よく聞けよ」とわたし達を得意げに見た。
「僕は今、衝撃的なことに気がついてしまった。周りの奴らはまーったく気づいていないようだが、クロスは悪だ! 情けないことに、国民たちは気づいていないらしい。まったく能無しばかりだ」
肩をすくめて、やれやれとため息をつくオーガ。わたしとナオは顔を見合わせたあと、ニッコリ笑ってオーガに一歩詰め寄った。ルーナがひぃっと怯えたような声をあげる。
「流石オーガ様! そこに気がつくとは素晴らしいです!」
「そ、そうかな。僕ってやっぱり素晴らしい王子なのかな」
「ええ、それはもちろん。そんな素晴らしく気高いオーガ様に、お願いしたいことがあるのです」
オーガは嬉しそうにしていたけど、ナオの言葉にムッと眉をひそめた。
「なんだと? このオーガ様を働かせるのか?」
「そんな、滅相もありません。これは、優秀で気高くて素晴らしいオーガ様にしか出来ないことなのです。私達にはとても出来るはずがない」
ナオもよく口が回るな、と感心しながらやり取りを聞く。もうわたしの出る幕ないんじゃないかな。
ナオにおだてられて気分がよくなったらしいオーガは、「それはなんだ?」と聞いてきた。ナオはここぞとばかりに挑戦的に笑う。
「王様に、この結晶を渡してほしいのです」
「結晶?」
「これですよ」
わたしは鞄から結晶を取り出すとオーガに見せた。オーガは目を瞠り、わたしの手から結晶をぶん取る。
「あっ」
「こんなに素晴らしい宝石は初めて見たぞ! これを父上に渡せばいいのか?」
「ふー……そうです。その結晶はクロスの力を打ち払うことができる代物なんですよ。オーガ王子ならもうお気づきのことかと思いますが」
「ま、まあな! そんなこととっくに気づいていた!」
わたしの挑発に、オーガは結晶を握って顔を真っ赤にする。信じられないくらい簡単に挑発に乗ってくださるから、これはまずいんじゃないかと思い始める次第だ。
「それで、これを父上に直接渡せばいいんだな?」
「はい。そうすれば、王様の洗脳も解けるはずなので」
「父上も……」
オーガは結晶をじっと見つめた後、ゆっくりと頷いた。
「わかった。この僕が責任を持って父上を正気に戻そう。それで、話は終わりか?」
「いえ。まだもう少し」
むしろ、ここからが本題だ。不安そうな表情で見守っているルーナと、営業スマイルをキープしているナオを交互に見て、わたしは心を落ち着かせる。大丈夫、わたしがミスっても二人がカバーしてくれる。
他人任せにそう結論づけて、わたしは口を開いた。
「王様と直接お話をさせていだたきたいんです。そのことを、王様に頼んでもらえると……」
「そんなこと出来るわけがない! 父上は自分で認めた者しか城に入れないんだ! 無理だ無理!!」
わたしが言い切らないうちに、オーガはそう叫んで後ずさった。何度も大きく頭を振って、わたしの頼みを拒絶する。
「ただでさえ、父上は厳しいのだ! 僕が何かをしでかしたら、それはそれは怖い雷が落ちる! そんなの僕は絶対に嫌だ!!」
あまりのその拒絶っぷりに、わたしはナオと顔を見合わせた。上手いこと波に乗せられれば良かったかもしれないけど、こうなってしまったら、もうどうしようもないような……。
その時、わたしの隣で、ジャリッと砂を踏む音が聞こえた。
「オーガ様!」
ルーナだった。今までずっと黙ってわたし達のやり取りを聞いていたルーナが、一歩前に出て、オーガを呼んでいた。嫌だとまくしたてていたオーガが、その声でぴたりと止まる。
「お願いします。どうかアヤちゃんたちに協力してください。クロスのせいで、苦しんだり悲しんだりしている人たちはいっぱいいる。私だってその一人です。アヤちゃんたちなら、きっと、ううん、絶対に獣人界を救ってくれます。お願い、オーガ様。今の状況を好転させられるのは、オーガ様しかいません……っ!」
ルーナの必死の訴えに、わたしも頭を下げた。
「お願いします。絶対に、平和な獣人界を取り戻しましょう」
「私からもお願いします」
ナオと二人で頭を下げる。少しの沈黙の後、オーガがため息を吐いたのがわかった。
「わかった……わかった。ルーナさんにそこまで言われて断るなんて、そんなカッコ悪いこと出来ないな……。おいお前ら、顔を上げろ」
その声に顔を上げると、むん、と口をへの字に曲げたオーガが、わたし達に向けて指を突きつけてきた。
「いいか、僕が協力するからには、絶対に失敗するんじゃないぞ。わかったな!?」
「……はい。必ず」
「ふん……。僕は、この結晶を父上に渡して、城にお前らを招けばいいんだな? 大変すぎる。ルーナさんがいなかったら、僕はお前らを不敬罪で牢屋にぶち込んでたからな!」
「ありがとうございます。ぶち込まないでくださって」
「ふん! 明後日の昼に城に来い。その日は僕が城門を開けさせておいてやる」
そう言って、オーガはこっちに背を向けて歩き出した。会った時はとてつもなく残念に見えたその姿が、今はやたらと頼もしく見える。もう一度お礼を言おうと口を開こうとした時、くるりとオーガがこっちを振り返った。
「そうだ、ルーナさん。僕がこの件をうまくやったら結婚してくれるか?」
「うーん、ちょっと無理かもー……」
「そうか……。まあ、いつも通りだから予想通りだ。まったく落ち込んでいないぞ」
と言う割には、結構暗めのオーラが出ている気がする。心なしか声も沈んでいるような……。
と、そこでオーガはわたし達の方を見た。
「お前らも、獣人界のために働くその心意義、少しだけ認めてやろう。名前は何というんだ?」
わたしはまた、ナオとルーナと顔を見合わせた。ぷはっとふき出して、わたし達は笑って答える。
「彩です。こっちはナオ」
「ありがとうございます、オーガ様」
「彩にナオか。ナオ、お前はなかなか気に入ったから、僕の彼女候補に入れておいてやってもいいぞ」
「え、わたしは?」
わたしの質問には答えず、オーガは夜の闇の中に消えていったのだった。許せない。




