第三章 3 事件しかない城下町
視界が白く眩んだその次の瞬間には、わたしは城下町の片隅に佇んでいた。頭にリンの声が響く。
『アヤ君、無事に着いたかい?』
『着いたよ。誰にも見られなかったっぽい』
そう返事をして、わたしは街の方へと歩き出した。
少し歩いたところで、反対方向から歩いてくる犬のご婦人を見つけた。今日初めての遭遇者だ。
うまく幻惑が使えてますように……!
そう願いながら、心臓をドキドキさせて距離を詰めていく。そんなわたしとは対照的に、向こうは何も感じていない様子で、わたし達は平穏にすれ違った。
わたしは思わず大きく息を吐いてから、みんなに報告した。
『うまくいってる。ばれてないよ』
わたしの姿は、何の違和感もなく猫耳少女に見えているのだろう。良かった、二度あることは三度あるって言うし、また追いかけられるんじゃないかって怯えてたんだよね……。あの人たち怖いし。出来ることなら関わりたくない部類の人たちだし。もう会いたくない。
わたしは城下町の様子を思い出しながら、ゆっくりと歩いていく。
本当はタケのところへ行こうかとも思ったんだけど、あそこに行くならナオやリンも連れて行った方がいいだろうと思うし、何より彩の姿で行かないと色々ややこしそうだったから、また今度行くことに決めた。今回滞在できるのは短い時間だし、それならまたゆっくり時間が取れるときに行った方がいいかなって。
いや、洗脳のこともあるし、もしかしたらそんなほのぼのとした時間は過ごせないかもしれないんだけど。
洗脳、ね。
わたしは城下町の様子を見る。
すれ違う人たちは笑顔で、町はそれなりに活気にあふれていて、傍目から見たらクロスの毒牙にかかっているなんて信じられないくらいだ。ありふれた楽しい街に見える。
――でも、この人たちがクロスに操られているのは事実で、わたしが人間の姿に戻れば、この人たちは全員わたしの敵になる。そんな状況。
「ほーんと、やってられないよなー……」
宙に向かって一人呟いた、そのとき。
「どいたどいた!」
「そこのガキ、邪魔だ!!」
そんな声とともに、わたしは勢いよく突き飛ばされた。わたしの隣を何人かの大男たちが走り抜けていく。「うわっ」とバランスを崩しそうになり、何とか踏みとどまった。
文句の一つや二つでも言ってやろうかと思って声のした方を見ると、その大男たちの背中は、もうすっかり小さくなってしまっている。
「ねえ、あなた、大丈夫?」
くそぅ、と呟きながらその背中を睨んでいると、一部始終を見ていたらしき女の人に声をかけられた。わたしは慌てて「はいっ」と返事をする。
「わたしは大丈夫です。でも、何かあったんですか? あんなに急いでどこへ行くって……盗みでもしたんですかね」
「うーん、それはないでしょ。こんな世の中だし、きっと魔女狩りにでも出かけたんじゃない? また目撃されたのかしらぁ……」
女の人が心配そうに頬に手を当てる。でも、わたしは一つの言葉に気を取られていた。
「魔女狩り、って、何ですか」
魔女? 魔女って、あの魔女? わたしは魔法界で会ったあの恐ろしい女を思い出す。
アイツが、獣人界にも来ている?
わたしの様子に女の人は訝し気に眉をひそめる。
「魔女狩りは魔女狩りよ。魔女を狩るの。あなた、知らないの?」
「すみません。その魔女についてはどこで知れますか?」
「どこでって、そこら中に張り紙がしてあるじゃない。『魔女を見つけた者には賞金を』って」
「えっ?」
わたしはバッと辺りを見回す。確かに、言われてみれば町のあちらこちらに紙が貼ってあった。しまった、自分のことに精いっぱいで気づいてなかった……!
「わかりました。ありがとうございます!!」
わたしは女の人に背を向けると、一番近くの建物の壁へと駆け寄った。後ろで何か言う声が聞こえたような気がしたけど、気にしない。わたしは壁に両手をつき、張り紙を食い入るようにみつめる。
しかし、そこに書いてあったのは、予想外のことだった。
『~魔女に注意~
黒髪青目の少女の姿をしているが、何百年も昔から生きている不老不死の魔女である。
見かけたらすぐに研究所の魔女対策本部に通報すること。
また、自分の腕に自信がある者は、兵士詰所に集合すること。魔女を捕まえた者には、賞金を与える』
たったそれだけの、不愛想な張り紙。でも、わたしの記憶と食い違う。
「黒髪青目? 少女??」
いや、そんな外見じゃなかったし……少女でもなかった。絶対に。少女って呼べる年じゃなかった。
ということは、
「魔女はもう一人いる……!?」
その瞬間、わたしの頭の中にナオとセイの声が響き渡った。
『彩先輩、遅いですよ!』『彩、時間過ぎてる!!』
「ぐあぅっ」
突然に大音量で響いた二人の声に、鼓膜に影響はないはずなのに耳を押さえてしまう。うめき声まで上げてしまった。
『ごめん、ごめん。わかったから! 今から帰る!』
そう言いながら、わたしは辺りの様子を窺った。誰も見ていないことを確認して、その張り紙を破り取る。我ながら早業だ。
ごめんなさい、ちょっとお借りします……!
心の中で謝って、わたしは転移するために今来た道を走って引き返した。
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妖精図書館に戻ったわたしは、すぐに張り紙をテーブルに叩きつけた。
「これ、見て」
「遅れて帰って来たかと思えば、いきなり何なのよ……」
ナオがあきれ顔で呟く。でもこれは、そんなことはどうでもいいくらいに重要なことなのだ。
それなのに、セイはわたしの姿を見てなんだか不思議そうな顔をしている。
「やっぱり彩先輩じゃないみたいです。声は彩先輩なのに……見た目って大事ですね」
「わたしなんて見てないで、そっち見…………」
て、と言い終える前に、魔法の限界が来たらしい。セイのかけた魔法がとけ、さらに幻惑までとけたわたしはその場にばたりと倒れ込んだ。
「うわっ、言わんこっちゃない! 二人ともアヤ君を部屋に運んであげて!」
「いや、大丈夫……。それより紙を見てよ。わたしは、いいから……」
このことを説明するまでは、わたしは倒れるわけにはいかない……。
口は動いても体はぴくりとも動かないので、わたしはうつ伏せのままリンに伝える。カーペットのせいもあって、声がすごくくぐもってしまったけどもちゃんと聞こえただろうか。
「確かに、今はこっちを優先した方がいいかもしれない。リン、ちょっと見て」
ナオの堅い声が聞こえた。ナオに促されて張り紙を見たらしいリンも声を上げる。
「魔女? 奴が獣人界にも出たって言うのかい?」
「それが、ちょっと違うみたいなのよ」
ナオとリンの会話に混じって、パタパタと足音が近づいてくる。と、その後に腕をぐいっと強く引っ張られた。わたしは本棚にもたれかかるように座らされた。
カーペットの深緑で埋め尽くされていた視界に、セイの大きな目が映りこむ。
「彩先輩、無理に起こしちゃいましたけど大丈夫ですか? 辛かったら部屋まで運びますけど……」
「ありがと、大丈夫。体が動かないだけだよ」
息切れはだいぶ落ち着いてきたからね。そう答えると、セイは「そうですか?」と不安そうに首を傾げた。一度席に戻ろうとしてから、やっぱりわたしのことが心配らしく、結局隣に体育座りした。
後輩にここまで心配される先輩って……情けないなあ。
「それで、これはどこで貰って来たの?」
ナオに質問を投げかけられ、わたしは気を取り直してナオを見る。
「城下町のいたるところに貼ってあった。今、魔女が世間を騒がせてるらしいよ」
「それで、ここに書いてある魔女とあの魔女は別人よね?」
「たぶん。絶対少女じゃなかったし」
「判断基準はそこなんですね」
隣でセイが少し笑う。魔女の姿を思い浮かべ、だってそりゃそうでしょ……と言おうとしたところで、ふと思い出した。
魔女が、去り際にわたしに言い残した言葉を。
『最後に伝えておかなきゃ。もう一人の魔女に会ったら、元気にやってるか聞いてくれない?』
「そうだ、魔女が言ってた……」
なんですぐに思い出せなかったんだろう。リンがわたしを見て「何を?」と聞いてくる。
「もう一人の魔女のこと。元気にやってるか聞いてくれって言ってきた。今の今まで忘れてたよ……」
「聞いてくれってことは、日常的には会えないってことだよね。ボクたちが会った魔女が魔法界を中心に活動していて、この紙に書いてある魔女が獣人界を中心に活動していると考えれば、不自然じゃないか」
リンが眉間に皺を寄せる。わたしはと言えば、腕が動けば頭を抱えたいような気分だった。
この前相手した魔女もかなり厄介だったのに、そんな奴がもう一人いるなんて……。本当に人生って難関ばっかりだなって思うよ。
大きくため息をついて、わたしは「あのさ」と切り出した。
「そこに書いてあるでしょ。腕に自信がある者は――ってやつ。わたし、明日行ってみようと思うんだよね」
「…………え、今の状態でよく言うわね」
「今そこに触れるな」
指一本動かせないわたしを見て、ナオが口元を押さえる。確かにその通りだから、ちょっとそういうことを言うのはやめてほしい。
「冗談抜きに行くしかないでしょ。もし魔女が居るなら、どうにかしないといけないわけだし。もしかしたらその魔女が洗脳の原因とか知ってるかもしれないじゃん?」
魔女がいるって知ってしまったからには、もう行くしかない。わたしは全身に力を入れて、何とか右腕を持ち上げる。
「みんなが何と言おうと、わたしは魔女を捜しに行くよ」
胸の前でこぶしを握り、そう宣言した。




