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第二章 33 もうひとつの物語

「それじゃ、私は自分の部屋に戻るわね」

 

 図書館に着き、沈黙を破ったのはナオだった。ナオはひらひらと手を振りながら、廊下へと向かっていく。


「あ、あたしも戻ります! 先輩、リン、お疲れさまでしたー!」


 セイもビシッと敬礼をしてから、姉の後を追ってパタパタと駆けていく。ギィィ、と音を立てて扉が閉まり、図書館に残されたのはわたしとリンだけになった。

 リンはわたしを見て、苦笑いする。


「お疲れさま。疲れただろう? 早く休むといいよ」

「んー、そうしよっかな。リンもお疲れさま……ってか、ずっとリュックに押し込んでてごめんね?」


 片手を顔の前で立てて謝ると、リンが「気にしなくていいよ」と少し笑った。


「かなり楽をさせてもらったしね。さて、ボクも自分の部屋に戻るとしよう」

「そっか。じゃあ、また後で」

「うん。また後でね」


 リンが壁の小さなドアの中に入っていくのを見届けてから、わたしはため息を一つ吐いた。


 精神的に疲れた。今頃、ベルラーナでは能力者警戒態勢が敷かれているのだろうか……もう当分は行く予定もないけど。


 今すぐ休みたいところだけど、残念ながらそうはいかない。次のことが待っている。


「獣人界……どうするかな」


 打開する手段を見つけに行ったのに、結局何も見つけることはできなかった。いろいろ得たものも大きいんだけど、費やした時間も長かったしなあ……。


 ひとまず、図書館を練り歩くことにする。特に当てがあるわけでもないけど、何もしないで眠るよりはマシだろう。そうして本棚の間を歩きながら、並んでいる本たちを眺める。

 

 そして、


「ん?」


 なんだか難しいタイトルの分厚い本が並んでいる本棚まで来たところで、わたしはふと違和感を感じた。足を止めるも、一体何に違和感を覚えたのかはわからない。もう一度その本棚の一番端まで戻って、前を通り過ぎてみる。


 定理や理論などの難しげな文字がびっしりと背表紙に並んでいる。思わず顔を歪めながらそれを眺めていると、ようやくその違和感の正体に気付くことが出来た。


 分厚い本の中に、一冊だけ、タイトルのない薄っぺらい本が挟まっていた。本というより、紙をまとめただけのものだ。意識して見なければ気づかないくらい薄いのに、なぜだろう、意識を引きつけられるような存在感がある。


 わたしは慎重にその本を抜き取って、表紙を確認した。


 『 Ⅰ 』


 そうとだけ書かれた表紙を見て、わたしは苦笑してしまう。こんな変わった本までちゃんと保管してあるなんて、流石は妖精図書館。異空間なだけある。


 古びて変色した紙は、今にもボロボロと崩れ落ちそうなほどだ。わたしは本棚にもたれかかって、そっとその本を開く。

 


『人間の女の子は、その話をじっと聞いていました。あまりに何も言わないので、ツカサは心配になって尋ねました。


「辛くはないの?」

「はい。辛くはないです。ツカサさんは……わたしを、助けてくれたんですよね。ありがとうございます」 』


 

 唐突に物語が始まっていた。早速展開がわけがわからない。これ、読み飛ばしちゃったのかなー……。


 そう考えて前のページをめくってみるも、その前のページはⅠと書かれた表紙だ。やっぱり納得がいかない。


 と、そこで、わたしはちょっとした異変に気付いた。表紙と次のページの間に、何枚かの紙の切れ端のようなもの――誰かがページを破った形跡を見つけたのだ。


 ……いや、破ったにしては断面が綺麗すぎるか。

 その何者かは、ペーパーナイフか何かでページを切り取ったんだろう。だから、こんなにも切り口が綺麗だ。となれば犯行は計画的なもの。


「この前のページには、犯人にとって読まれたらまずいことが書いてあった……?」


 そう呟いてから、わたしはもう一度切られたページの切れ端に目を落とす。

 恐らく、一般的にこうやってわざわざペーパーナイフを使うということは、犯行を隠すための手段なのだろう。そうして手がかりを少なくする。


 でも、わたしには、犯人がペーパーナイフを使ったのは、この本に対するせめてもの思いやりのようにも感じられてしまった。


 まあ、そんなことばかり考えていても仕方がない。続きを読もう。



『人間の女の子は、小さい声ながらもはっきりとそう言いました。ツカサは動揺を隠すために、強く手を握りしめました。


「それなら、私の話には納得してくれた?」

「はい。これから、よろしくお願いします。ええと……わたしの名前は、もう知っているんですか?」


 人間の女の子は、気弱な笑みを浮かべながらツカサを見ます。ツカサは頷くと、顔を上げてまっすぐに人間の女の子を見ました。


「でも、貴女の口から直接聞きたい。お願い」


 人間の女の子は、ぽかんと呆気にとられたように口を開けました。それから、少し不思議そうに、首を小さく傾げて。


「た、立花奏です……」

「奏」


 ツカサは、その名前を呟きました。何度も何度も何度も何度も、聞いたことのある、新しくも懐かしい名前でした。

 込み上げる感情を、その言葉と声に乗せました。


「奏、ずっと、貴女を待っていたのよ」


 ツカサの長い黒髪が揺れました。ツカサが微笑むと、奏もようやく笑顔を見せました。


 埃っぽい狭い木の部屋で、もう一つの物語は動き出したのです』



「人間……?」


 読み終えて、わたしは思わず呟いた。今まで何冊かこっちで本を読んできたけど、人間が話に出てきたのは初めてだ。つい反応してしまう。

 

 しかも、立花奏ってモロに日本人だよな。このツカサって人は日本人? ってことはこの舞台は日本? いや、わざわざ『人間の』女の子っていうくらいだから……こっちか?


 いやいや、突然見つけた本の内容について、そこまで考察する必要なんてないじゃないか、落ち着け、と思う人もいるだろう。でも、何か引っかかるんだよ。


 わたしはもう一度、最後の方の文に目を落とす。


 ツカサ、黒髪、埃っぽい狭い木の部屋――


 ――脳裏をよぎったのは、クロスのナイフを解呪してもらった時のあの異空間。


「まさか、な」


 突拍子もない発想に、我ながら笑ってしまう。


「あーあ、疲れて思考力が鈍っちゃってるんだなー。この本破れてるし、リンに届け出ないとなー」


 独り言を言いながら、わたしはリンの部屋まで戻っていく。ドアをノックして、わたしはリンを呼んだ。


「はーい。どうしたんだい?」


 ドアの隙間から顔を出して首をかしげるリンに、わたしは本を手渡した。


「これ、見つけたんだけど、ページが破られてるんだよ。とりあえず持ってきたけど、どうにかなりそう?」

「ページの破れ?」

 

 リンは目を丸くしながら本を受け取り、ふっと笑った。細まった眼鏡の奥の瞳が、本の表紙をじっと見つめる。口元がゆっくりと持ち上がる。


「――なるほどね。わかった、そのページを探さないと。アヤくんも協力してくれるかい?」

「え? ああ、うん。もちろんだよ」


 リンをじっと見つめていたわたしは、突然に明るい声で呼びかけられ、慌てて笑って頷いた。


「って言っても、切り取られたページなんて残されてるかな? わたしが犯人だったら絶対残さないけど」

 

 せっかく切り取ったページを、そのままにしておく馬鹿なんていないと思うけどな?


 頭の後ろで腕を組んでそう言うと、リンはまた笑う。くすり、と小さな笑い声は、二人きりの広い図書館ではやたらと大きく聞こえた。


「いいや、きっと残されてるよ。それと、その本はⅠだろう? まだⅡもⅢもあったような気がするから、それも探してみると楽しいかもね」


 わたしは腕を下ろし、リンに背を向ける。どういう表情をすべきか迷って、少し間を置いた後、結局笑って振り向いた。


「それは楽しそうだね。頑張ってみるよ」


 背を向けて歩き出しながら、わたしはなんとなく考えていた。


 ページを切り取った犯人は、リンなんじゃないか、と。


 確信めいたあの口調は、わたしに何かを期待しているようだった。一体、あの本の続きには何が記されている? 切り取られたページには、一体何が書いてあった?


 リンは、わたしに何を隠している?


 ふと顔を上げると、窓に映った自分の顔が見えた。どうしよう、とでも言いたげな情けない顔。パンと両手で頬を叩いて、わたしは窓に笑顔を向ける。


「しゃんとしろ、彩!」


 物語は、まだまだこれからだ。


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