第二章 30 セイとおしゃべり
「『炎火よすべてを焼き尽くせ。インモルター・イグニート!』」
暗い部屋に、わたしの声だけが響いた。指先に小さな火が灯り、僅かに揺らいでまた消える。小さな火でも、消えてしまうと部屋は闇に閉ざされてしまった。
「ふぃーっ」
わたしはベッドに勢いよく腰を下ろす。ベッドのスプリングが軋んで音を立てた。窓の外を眺めると、どこに繋がっているのやら、ちゃんと夜空が見える。とは言っても、ほとんどが雲に覆われているんだけども。
「『炎火よすべてを焼き尽くせ。インモルター・イグニート』」
もう一度呪文を唱えて、指先に火を灯した。微妙にじりじりと熱い。ナオやセイに聞いたらこうはならないみたいだから、きっと耐性がないことの弊害だろう。うん、やっぱり不便だよね。
疲れたな、と一人呟いた時、
コンコン
「うわっ」
ドアがノックされた。突然の音に驚いたところで、火がふっと消える。真っ暗な部屋、ドアの向こうに立つ誰か。流石にちょっと怖い。
とりあえずいつでも能力は発動できるように身構えながら、わたしは「はい?」と返事をする。すると、
「あたしです。セイですっ」
返ってきたのは、意外も意外な人物の声だった。真夜中だと言うのに元気いっぱいなその声に、わたしはさっきとは別の理由で驚いてしまう。
え、セイ? 来るならナオかリンだと思ってたんだけど、まさかのセイか。
慌ててドアを開けると、そこにはやっぱり、お盆を手にしたセイが立っているのが薄暗い中でもわかった。セイは「おじゃましまーす」と弾んだ足取りでわたしの部屋の中に入る。
「もう、先輩ってばこんなに暗い場所でやってたんですか? 陰気臭いですよ」
「うるさいな。その方が火が見えやすいんだって」
「ふうん、そうですか」
そう頷いて、セイはミニテーブルの上にお盆を乗せた。かなり夜目が利くらしい。それから、わたしに向かってずいっと何かを突き出した。
「え、何それ」
「ロウソクです。先輩、火をつけてください。ロマンチックじゃないですか?」
「んー、まあいいけど……」
だいぶ安定して魔法が使えるようになってきたところだ。わたしは呪文を唱えて火を灯す。
ロウソクに火が灯り、その周辺を僅かに照らした。わたしはそこでようやく、ニコニコしているセイの顔を見ることが出来た。
「よくできました。うんうん、なかなかいいんじゃないですか?」
「そうかな。なんか、今にも儀式を始めそうな感じだよ」
セイが持ってきたのは細長いロウソクだった。背が低くて丸っこいキャンドルだったら確かにロマンチックだったかもしれないけど、これだと不気味さがプラスされるだけだ。なのに、セイは「そんなことないですよ」と首を傾げる。
「彩先輩の努力が感じられて、あたしは好きですよ。さっきから結構練習してますけど、ほとんど成功じゃないですか? すごいですよ。一日しか経ってないのにすごい進歩です!」
へ、と思わず間抜けな声を漏らした。なぜ知っている。ってか、どうして?
「なんで知ってるの?」
「お姉ちゃんとリンから聞きました。実は、二人に代わって差し入れを持ってきたんですよ。二人は、なんか見守っているのがばれたら怒られそうだとか恥ずかしいだとか言ってて。だからあたしが彩先輩に……あ、ばらしちゃった」
そこまで話し、セイはぱっと手で口を覆った。それから、そろそろと上目遣いでわたしを見てくる。
「な、ナイショにしておいてくださいねっ? ばれたってわかったら、あたしお姉ちゃんに締められちゃう」
「口軽すぎじゃない? どうしよっかな」
「やああ、お願いしますってば!」
「わかったわかった」
適当に頷きながらも、別にセイは締められないだろうと考える。逆に、やられるとしたら聞いたわたしだ。この世は理不尽。
「で、差し入れって?」
「そうでした。えーっと、ホットミルクです。夜にはこれがいいだろうって」
「おー、ありがと」
夜の差し入れって言うと、なんだかナオが作ってくれたホットチョコレートを思い出した。別にあれは差し入れじゃないしホットミルクでもないんだけど、なんとなく印象に残っている。甘かったなあ、あれ。
セイはお盆に乗せていたマグカップを両手で掴み、わたしに向かって突き出してきた。
「さあ、彩先輩の出番ですよ」
「…………ん?」
今、なんて言った?
耳に手を添えて、「ワンモアプリーズ」。意味が通じたのかはわからないけど、とりあえずセイはもう一度同じことを繰り返してくれた。
「さあ、彩先輩の出番ですよ」
うん、さっきと同じだ。わたしは大きく頷き、「出番とは?」と尋ねる。正直嫌な予感しかしない。
そして、セイはさらにマグカップを突き出して、言った。言い放った。
「今から、彩先輩に火の魔法でこのミルクを温めてもらいます」
「やっぱりなああああ!」
そんな気はしてたんだよ! わたしは絶叫した後、セイに指を突きつける。
「さっき、差し入れっていったよね?」
「はい、言いましたけど」
「差し入れでも魔法使わせるの? 鬼なの?」
「はい。お姉ちゃん曰く、こうした方が力は伸びるとかで。火加減には注意ですよ?」
「わかってるよそんなこと……」
鬼はコイツの姉か。ちょっとスパルタなんじゃない? わたしも疲れてるんだけど……。いや、別にやりますけどね。
わたしはマグカップを受け取り、呪文を唱えるために息を吸う。
「『炎火よすべてを焼き尽くせ。インモルター・イグニート』!」
ボウッと音を立てて炎がマグカップを包み、わたしは慌てて火力を弱めた。少し力を弱めるだけで火は小さくなる。そのまま一分くらい温め続けて、わたしはセイにマグカップを手渡した。
「はい、どーぞ」
「ありがとうございますっ。あち、あちちっ」
セイはわたわたとマグカップを受け取ると、いつものように笑う。
「いやー、やっぱり彩先輩成長しましたね。あたしは嬉しいです!」
「誰目線なの。でも、まあ、確かに魔法のレベルでは格段に上なんだよなあ……」
悔しいところではある。わたしは一口牛乳を飲んだ。うん、ほどほどに温まっているはずだ。ちょっと熱いかもしれない。
しばらく二人無言のまま時間が過ぎる。ふと思い出して、わたしは顔を上げた。
「そういえば、なんでセイはわたしにだけ『先輩』呼びするの?」
ずっと気になってはいたんだよね。リンは呼び捨てで、わたしには先輩呼びの理由。なかなか忙しくて聞きそびれてたんだけど。
セイは「ああ」と短く呟いて、それから首を傾げた。
「なんとなく……ですかね。彩先輩は彩先輩って感じがしたんです。だからです。言うなればあたしの直感です」
「直感か」
「直感です」
セイはトン、とマグカップをテーブルの上におく。揺れる液面を見ながら、セイは伏し目がちに続けた。
「あたしが先輩って呼ぶのは彩先輩だけですよ。断言します」
「それも直感?」
「んー、これは違いますね。結構ちゃんとした理由があります」
その二つに何の違いがあるのか、わたしにはわからないけれど。
セイの中には明確な違いがあるらしい。やけにきっぱりとした口調で否定される。
「彩先輩なら、お姉ちゃんを幸せな世界に連れて行ってくれると思うからです」
そう言ったセイの瞳は、今まで見てきたものよりも真剣だった。その真剣さに一瞬気圧されて、言葉が出なかったほどだ。数秒間を置いて、ゆっくりと息を吐き出す。
「……セイって、そればっかだよね」
「それくらい、大切なことだからです」
「そっか」
初日にもそんなようなことを言っていた。お姉ちゃんと仲良くしてくれてありがとう。お姉ちゃん大好きっ子なのかなって考えたりもしたけど、この姉妹の関係はそんな普通なものではない。いや、お姉ちゃんだいすきーってやってる妹が普通なのかもわからないし、逆に珍しい気もするけど、それはひとまず置いておいて、だ。
この姉妹は、なんだかお互いに姉と妹を上手く演じ合っているような感じがする。なんだかんだで妹に甘い姉。姉を尊敬する妹。お互いが思う最適解から足を踏み外さないように、慎重に慎重に行動している気がするのだ。わたしの勘違いかもしれない。でも、この数日間でそんなことを感じた。セイの言葉を借りれば、これもまた直感だ。
ナオとセイの様子を思い出してから、わたしはセイに尋ねる。
「ナオと別れてたのって、どれくらいの期間だったの?」
「あたしの場合だと、七、八年くらいですかね。その間に性格って変わっちゃいますよ」
「……そうかもしれないね。じゃあさ、もう一つ」
わたしは口を開く。やけに緊張していた。先に何が待っているかわからないドアを開くように、慎重に。
「――悪魔の子って、何か知ってる?」
コピーしたばかりのアラスターの『一隻眼』でナオを見た時のことだ。流れ込んできたナオの記憶の断片に、その言葉があった。
地を這うような低い声、そして、「俺のところに来ないか? 悪魔の子」という言葉。それがまだ、忘れられないでいる。
つう、と冷汗が首を伝った。固唾をのんで答えを待つ。対して、真正面に座るセイは「ああ」と少しだけ笑った。
「懐かしいですね。あたしも詳しくは知らないんですけど、確か罪人ですよ。当時の獣人界の首長をまとめて封印しちゃったとか、そういう話です。かなりの大事件ですし、歴史に残っていてもおかしくないんじゃないかなあ。図書館にあるかもしれませんよ?」
「歴史? それって、だいぶ昔の話?」
セイの言葉に引っかかって聞き返すと、セイはあっさりと頷く。
「はい。えーっと、今から大体二百年前くらいのことです。それ、どこで知ったんですか?」
「……いや、別に。どこかで見たことがある言葉で、ずっと頭の中に引っかかってたんだよ。前に調べ物をしたときに見たのかもしれない。ごめん、変なこと聞いて」
「いいですよ。彩先輩が変なのは今に始まったことじゃないですし」
「おい」
「冗談ですってばー」
セイはころころと笑いながら、マグカップを持って立ち上がる。「飲み終わりましたか?」と聞かれ、わたしはだいぶ覚めてしまった牛乳を慌てて飲み干した。
「そんなに急がなくても良かったんですけど……。お邪魔してしまってすみませんでした。もう遅いですし、彩先輩はゆっくり休んでくださいね」
「マグカップは……」
「あたしが持っていきますよ。あ、ドア開けてもらえますか?」
セイはお盆で両手が塞がっている。わたしがドアを開けると、セイは出口前でぺこりと頭を下げた。
「それじゃ、失礼しました。おやすみなさい」
「牛乳ありがとね。いろいろ話せて楽しかったよ。おやすみ」
そう言いあって、わたし達は別れる。もう、だいぶ眠い。わたしはベッドに寝転がった。
悪魔の子がいたのは二百年前。どう考えても時系列が合わない。また今度詳しいことは調べてみるとして……あの記憶は、一体何だったんだろう。
ナオを思い出す。まあ、今考えても仕方がないか。ただでさえ問題は山積みだって言うのに。
そう思って、わたしは眠りにつくために瞼を閉じた。




