第二章 19 幽霊と情報提供
「自覚、あるんですね」
ナオが気圧されながらもそう言った。少女は軽く笑う。
「相当な未練があったのだろうな。いや、あったんだ。それはこの私が一番よくわかっている」
「未練があると、幽霊になれるんですか?」
「絶対になれるわけではない、と考えている。それだったらこの世界は幽霊だらけだ。私は運が良かっただけだよ。まあ、竜神の思し召しかもしれないが」
最後の「竜神」という言葉は、どこか不敵な響きだった。わたしはこっそりとナオの後ろに身を隠す。一応一隻眼を使ってみると、幽霊だけど特に害はなさそうだ。
少女はひらりと木の枝から飛び降りると、地面より数センチ上で静止した。
「この周辺にはウサギの魔獣の住処がある。本当は私が直接王都に知らせに行きたいところなんだが、私はこの場所に縛られているらしくてな。だから、頼んでもいいか?」
転がっているウサギと氷に身動きを奪われているウサギを指さして少女が言う。悪い幽霊ではなさそうだ。それどころか、なんか正義を執行していそうな感じがする。
ナオが「請け合ってもらえれば」と曖昧に答えると、少女はふむと腕を組んでわたし達を見つめた。
「そういえば、私が言うのもなんだが、どうしてここに来たんだ? まさかそこの崖から身投げするつもりではあるまいな」
「そんな怖いことしませんってば!」
セイは大声で否定すると、それから少し言いづらそうに目を逸らした。あなたが引き起こしているかもしれない現象の調査に来ました、って言うのは少し気が引ける。わたしだったら幽霊相手には言えない。でも、セイは果敢にもそれを口にした。
「その、ここで起きている異常現象の調査に……」
「ああ。それは間違いなく私のせいだろうな」
「それも自覚あるんですか!?」
あまりにもサラッと答えたので、隠れていたわたしも思わず叫んでしまった。あ、と気づいた時には時すでに遅し。少女はわたしの存在に気付いてしまっていた。
「ん、さっきの能力の……」
「こ、こんにちは」
「こんにちは」
怯えながらとりあえず挨拶すると、和やかな微笑みとともに返ってきた。やっぱり挨拶は大切だ。こうして幽霊とも心を通じ合わせることができる。
挨拶のすばらしさに心を震わせていると、少女が「そうだ」と手を打った。
「商人に謝罪の言葉を伝えておいてくれないか? それとお詫びに、城の城門の北東の角を掘るように、とも。そこに少しだが財宝が埋まっているはずだ。売ればそれなりにはなるだろう」
「……どうしてそんなこと知っているんですか?」
ナオが微妙な表情でそう尋ねると、少女はにやりと笑って「幽霊特典だな」と答えた。わけがわからないけど、そういうことにしておこう。今のわたしの顔もさぞかし微妙な感じになっていることだろう。
「生きてきた時代が異なるから、知らないこともあれば知っていることもある。もしかしたら文献にないことまでも知っているかもしれないぞ。さて、何か質問はないか?」
少女はそう胸に手を当てる。目をキラキラさせていかにも楽しみですって感じだ。話し方は堅苦しいけど、性格はそうでもないらしい。それに、それならわたし達にも聞きたいことがあった。
「あの、今ベルラーナで魔力が奪われるって事件が起きているんです。しかも何件も」
質問者の役割を買って出たのはセイだった。ジェスチャーを付け加えて大変さをアピールする。
「魔力を奪われた人はみんな魔法が使えなくなって――」
「魔力を、奪う?」
セイの話を遮って、少女が呟いた。何か重大なことに気付いた、と言わんばかりに宙を睨んでいる。かと思えば、急に顔を上げてわたし達を見つめた。
「確かに奇妙な組み合わせではあるな。そこの二人は純粋な魔法使いではなさそうだし、そりの方で様子を窺っている者は妖精だろう? 奥のもう一人は――」
わたし達が反応するよりも先に、少女はわたしを見て目を見開いた。
「まさか」
ゆっくりとこっちへ歩み寄ってきて、わたしに手を伸ばす。半透明なその手は、わたしに触れられずに空を切った。
少女は腕を下ろして俯いた。
「いきなりですまないが、今は一体何年だ?」
そう問う声は、僅かに震えている。そりから離れてこっちへやって来たリンが答えようと口を開くと、少女は「いや」とまた遮った。
「こう聞いた方が早いか。『虚空』からは何年経った?」
「……ちょうど、千年経ちます」
そう答えた。その瞬間の少女の顔を、わたしはきっと忘れられないだろうと思う。
複雑な表情だった。
旧友に会ったような喜びや、何かを失った時のような哀しみ、決意をしたような強い瞳。
それらを混ぜ合わせた表情は、それでも綺麗だった。
「私の名はジェニ。敬語などいらない。気軽にジェニと呼んでくれないか」
ジェニと名乗った少女は、そう言って嬉しそうに微笑む。わたしは「はあ」と答えることしかできなかった。
今の流れで、この人に何の変化があったのかはわからない。それでも、とりあえずこっちに好意的なことはわかったので、わたしも自己紹介する。
「えっと……。わたしは吉田彩。彩って呼んでよ」
「彩か。いい名前だな」
ジェニはまた微笑んで、次にナオを見た。
「それに、良ければ君たちの名前も教えてほしい。その事件の犯人について心当たりがあるんだ。話を進めるにあたって、名前を知っていた方がいいだろう?」
「え、いいけど……」
そうして、わたし達はジェニに軽く自己紹介をした。最近新しい人との出会いが多くて、自己紹介ばかりしている気がする。
ジェニはわたし達を順に見て名前を繰り返すと、大きく頷いた。
「今覚えた。それで、もう一人人間はいないのか?」
「人間?」
「人間だと思うが」
わたしはジェニの意味不明な質問に首を振った。
「いないよ。わたし一人だけ」
生き残ったのはわたしだけなんだから。ここにいるわけがない。
はっきりとそう答えると、ジェニは「そうか」と小さく呟いた。まだ納得がいかないような顔だったけど、そこまで引きずるつもりもないらしい。
「それで、この事件に心当たりはあるのよね? 教えてくれる?」
ナオが少し威圧的に聞く。これ以上人間界のことには触れてほしくない、という意味を込めて。ジェニはそれを感じ取ったのか、ナオの方をくるりと向いた。
「もちろんある。恐らく『魔女』の仕業だ」
あまりにもあっさりと捜していた存在が登場したので、こっちは驚きだ。「魔女?」とリンが聞き返した。ジェニは近くの切り株に腰を下ろして頷く。その表情は忌々しいとでも言いたげだった。
「千年以上昔から生き続けている不老不死の魔女だ。己の美貌に執着していて、人から盗んだ魔力でそれをずっと維持し続けているような狂った奴でな。基本的には息を潜めているが、時々魔力を補充するために出てくる。その隙を逃さずに叩きのめす――のが、まあ難しい」
宙にパンチを食らわせたところで、ジェニは少し情けなさそうに腕を下ろした。
「何せ奴は、魔力を盗んだ相手から記憶も盗む。なかなか尻尾も掴ませてくれないんだ」
「ジェニは魔女に会ったことがあるんですか?」
「あるよ。二回ほどチャンスはあったのだが、一回しか魔女に会うことが出来なかった。それも……まあなんだ、言い方が悪いが餌をつりさげて出向いたようなものだし……。とにかく魔女を捕まえるのは難しい。それを踏まえたうえで、魔女の特徴を伝えよう」
ジェニがそう人差し指を突き立てたので、わたし達はジェニの周りに集まった。
「一つ。奴は貪欲だ。狙った獲物は逃さないだろう。二つ。美人だ。スタイルもいい。嫉妬に狂わされるなよ」
「嫉妬したのはジェニの方じゃ……」
「三つ」
わたしがぼそりと呟くと、見事なまでに聞こえないふりをされた。ナオはわたしに「真面目にして」と言ったけど、顔に同じことを考えていたと書いてあった。
「魔女は本当に容赦がない。絶対に油断するな。それだけ約束してほしい」
ジェニの真剣な眼差しに、わたしは力強く頷いた。
「わかった」
「……本当か? 彩はなんだか無鉄砲に突っ込んでいきそうな気がするのだが」
「その気持ちすごくわかるよ」
「そんな訳ないから! リンも同意するな!」
何気に一番付き合いが長いリンに言われたのが傷つくんですけど! わたし、そんなにヤバい人間じゃないと思うんだけどなあ……?
とりあえず自分の性格のことは置いておいて、わたしはジェニに向き直った。
「ありがと、ジェニ。正直ここでダメだったら手詰まりだったから、教えてもらえて助かったよ。魔女がどこにいるかはわからないけど、一度狙ったものは逃さないんでしょ? それならまだチャンスはあるよね」
「そうね。特徴も教えてもらえたし、さっきよりも状況は明るくなったと思う。ありがとう」
「ありがとうございますっ!」
「ありがとう、ジェニ様」
それぞれでお礼を伝えると、ジェニは「いやいや」と手を振った。
「逆を言えば、私に出来るのはこれだけだからな。ここを離れることもできない。それでも、少しでも役に立てたのなら幸いだ」
相変わらず何か堅苦しいしゃべり方をするけど、まあそれがジェニの個性ってところだろう。わたし達はそりに乗り込んで、最後にジェニを振り返った。
「ジェニ、もう悪いことしないでくださいよ?」
「ああ……しないよ。約束しよう」
ジェニはセイの念押しに苦笑した後、「魔女の件だが」と付け加えた。
「私の友人が魔女と因縁のようなものがあってな。お前たちが魔女を止めてくれたら、友人の苦しみも多少は軽くなると思うんだ。頼んだぞ」
それから口をつぐんでくるりとわたしの方を見た。わたしと目を合わせてから、そっと、優しく微笑む。金糸のような髪が揺れる。
「彩、会えてよかった。体調や怪我には気をつけるようにな。絶対に無理もするな」
「えっと……うん。頑張るよ」
「本当に、気をつけて」
正直、どうしてジェニがこんなにわたしのことを気にかけてくれるのかわからない。わからないけど、こうして心配してもらえるのは幸せなことだろうと思う。
だから、わたしは笑って手をあげた。
「ありがと、いってきます!」
そうして、わたし達はジェニと別れた。どんどんジェニの姿が遠くなっていく。その半透明な姿に手を振り続けていると、ふと声が聞こえたような気がした。
「彩、本当にごめんな」
でも、こんなに距離が離れているのに聞こえるはずもない。どうせ空耳だろうと結論づけて、わたしはジェニに手を振り続けた。




