第二章 16 氷が融けるその日まで
「それなら、村に一度戻ってみてはいかがでしょうか?」
セイが満面の笑みで、小さく首を傾げる。セイもさっきからナオの伝達魔法を聞いていたので、状況は把握済みだ。
「皆さん、デリックさんのことを心配しているんですよ。少し顔を出すだけでも、とっても喜ぶと思います!」
『そっちがどうなっているかわからないけど、無理そうならすぐに戻ってくるのよ。もしうまく行っているのなら、デリックさんに村に来るように伝えて』
さっきから、ナオの声が「村に帰らせろ」とうるさい。それだけデリックさんの友達が心配してるってことなんだろう。
今の空気は、確実にハッピーエンドに向かっていく空気だっただろう。しかし、
「申し訳ないけど、それは出来ないな」
デリックさんはそう首を横に振った。断られるとは思っていなかったので、わたしもセイも言葉を失う。
デリックさんは自分の手を見下ろす。その指先が僅かに震えていることに気付いたのだろう。強く手を握ってから、肩をすくめた。
「僕はまだあの村を許せてはいないんだよ。今は、少し離れた町で物を売り買いして暮らせているけど、昔はそうはいかなかった。何度も死にかけた。そのことを思うと、いくら友達が心配してくれていると言えど戻る気にはならないね」
返ってきたのは、当然なものだった。デリックさんの言葉を声に出さずに口の中だけで呟く。なんでそんなことにも気づかなかったんだよ、と自分に向かって吐き捨てた。
そんなわたしに、デリックさんは少し笑った。
「君は肝心なところが抜けているな。よっぽどいい人に囲まれていたんだろう。まあ、僕にもそういう人はいるんだけどね」
デリックさんはそこで口をつぐむと、視線を彷徨わせた後わたしとセイを交互に見た。
「ところで君たち、名前は? 僕だけ名前を知られているのはずるい気がする」
確かにそうかもしれない。簡単に名乗ると、デリックさんは、ふむと頷いた。
「彩ちゃんとセイちゃんね。覚えたよ。ところで、彩ちゃんは人の能力を借りる能力を持っていると言っていたね。それは本当かな」
「はい、本当です。借りるというかコピーですけど」
「細かいことはどうでもいいんだ。とにかく、それが本当だということを確かめたい。今ここで実演してもらえるかい?」
「いいですけど……」
どうしてそんなことを、とわたしは内心で首を傾げた。別に構わないけど、気になるものは気になる。断られたばっかりだし。それと、彩ちゃん呼びも気になる。
そんなことを考えながら、わたしはまず一つ目の能力を使った。
「『風魔』」
おそらく一番使った回数が多いであろう能力だ。最近、微妙な使い方の違いに気付いた。大まかに分けると二つで、一つ目は普通に風を吹かせる、二つ目は風の刃で切り刻む、みたいな感じだ。全然違うけど気づいたのは最近。学習能力の低さが窺える。
というわけで、今回は二つ目の刃の方を意識して、腕の辺りを浅く切った。ピリッとした痛みを感じながら、セイとデリックさんにその傷を見せる。
「浅いですが、少しだけ傷ができました。これを――『治癒』」
傷を覆うように銀色の靄のようなものが発生し、それが晴れると傷は完全になくなっていた。
「すごいです、彩先輩!」
セイが目をキラキラさせて叫んだ。その純粋な反応に嬉しさ半分申し訳なさ半分ってところだ。全部わたしの能力じゃないからね。
セイに「ありがとう」と伝えていると、デリックさんが声をかけてきた。
「お見事。でも、どうして君はそんなに能力を求めているのかな?」
そんなの決まっている。わたしは迷いなく答えた。
「わたしは今、とてつもなく大きな敵に挑もうとしているところなんです。そのために力をつけたい。それに、能力者と話して、その人のことを知りたいから。その人の能力を使うと、なんとなくわかるんですよ。その人っぽさ、みたいなものが」
例えば『治癒』だったら優しい感じがするし、『風魔』だったら迷いのない精神のようなもの、『一隻眼』だったら真っすぐさを感じる。
これは、わたしにしか出来ないその人を知る方法だ。
結構迷いなく答えたつもりだったけど、デリックさんの反応はない。少し不安になって顔を覗き込んだ。
「あの、今ので大丈夫ですか……?」
「――僕にも僕を大切に思ってくれている人がいるんだ。これは君たちの方がわかってくれているのかもしれない」
そういえば、この人はイマイチ会話のキャッチボールが成立しない人だった。わけのわからない返事にそれを思い出す。
デリックさんは穏やかに言った。
「それは、友達だよ。村には戻りたくないけど、心配してくれている友には元気にしていると伝えたい。だから、君に託してもいいかな」
一瞬何を言っているのかわからなかった。しかし、セイはデリックさんの言うことを理解したらしく、ぱあっと顔を輝かせる。ゆっくりと考えて、だんだん意味がわかってきて。
あっと声を上げたわたしに、デリックさんは微笑んだ。
「僕の能力を君に託すよ。どうか、僕の代わりに皆にこの能力を見せてあげてくれないかな。僕は元気にしていると、そう伝えてくれ」
嬉しかった。今までこの『コピー』を人のために使ったことはなかったから。全部自分のためだったから。誰かのために使えるのなら、こんなに嬉しいことはない。
「はい、わかりました!」
わたしは大きく頷いた。
能力のコピーは、すんなりと終わった。使用方法は出来上がりをイメージすること、だそうだ。風魔は威力とかを大まかにイメージすれば使えるけど、これは完成した形をしっかり思い浮かべなければならないらしい。サイコロを作るなら、どの面にどの数が書いてあるかまで考える。サイコロを作りたい、だけじゃ使えないみたいだ。図形が苦手なわたしには少し使いづらいかもしれない。
「この能力の名前を決めないとね。ああ、何にしようかな。氷結、アイシクル……」
デリックさんはそれから五分ほど名前案を出していたけど、やがて納得したものが見つかったらしく、大きく頷いた。
「やっぱり簡単なものにしよう。風の能力は風魔だったね。それならこれは『氷魔』だ。覚えやすいだろう?」
助かった。長い英語みたいなやつで来られたらどうしようかと思ったよ。ほっと胸をなで下ろしていると、デリックさんが「もう一つ」と人差し指を立てた。
「頼みを聞いてくれるかな」
その声はやたらと真剣で、わたしは強く頷いた。
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ありがとう。よろしくね。
そんなシンプルな、でも温かい言葉で、デリックさんはわたし達を見送った。氷穴を出るともうすっかり夜になっていて、しかも暑かった。着ぶくれして丸くなるくらい重ね着しているから当たり前だろう。わたしはコートやらセーターやらを脱ぐ。
「つかぬことをお聞きしますが」
いつものTシャツ姿になった時、セイがやたらと神妙な顔でそう言ってきた。面白くて、吹き出すのを堪えながら「なに?」と先を促す。
「先輩は、その、今までこっちに来ることって何回かありましたか?」
「こっち?」
こっち、っていうのはこの世界のことでいいんだよね。わたしはまさかと手を振る。
「ないよ。リンに招かれたのが初めて。なんで?」
「いえ、なんだか慣れているように感じたので……えへへ、変なこと聞いちゃいましたね」
セイは少し恥ずかしそうに笑うと、誤魔化すように前方を指さした。
「ほら、先輩。もうすぐ村に着きますよ!」
「そうだね。いやー、頑張らないとなあ」
わたしはそう言って、デリックさんから貰った氷の結晶をじっと見つめた。目に焼き付けるように、しっかりと。
村の前では、若い女の人が一人立っていた。昼に会った女の人とは違う人で、その人はわたし達を見るとすぐに駆け寄ってきた。
「あなたたちがナオの仲間? さ、ばれないうちに入って」
慌てて案内されたのは、近くの一軒家だ。わたしとセイが入る直前、女の人がぱちんと手を合わせた。
「本当は昼に会って話がしたかったんだけど、余計なことをするなって家に閉じ込められてて。あなたたちが話をわかってくれる子たちで本当に良かった」
なるほど、来たときに若い人の姿が見えなかったのはそのせいか。
納得しながら家に入ると、そこには十数人の男女が輪になってわたし達を待ち構えていた。その中心でナオが小さく息をついているのが見えた。
「それで、デリックの様子はどうだった? ここにはいないみたいだが……」
リーダーっぽい男の人がわたし達に尋ねてくる。その表情から、ナオが言っていたことは本当だったんだな、と改めて感じた。本当に心配している顔だ。
「デリックさんは、まだ村に戻るつもりはないそうです。まだ許すことはできない、と」
「そう……」
セイが答えると、近くにいた女の人がため息をついた。部屋に残念そうな空気が漂い、ナオが困ったようにわたしを見る。安心しなさい、ここで終わる彩さんじゃないからね。
わたしは目を閉じ、雪の結晶をイメージした。デリックさんから教わった通り、可能な限り鮮明に。そして「『氷魔』」と唱えた。
直後、わっと起こった歓声に目を開ける。部屋には雪の結晶が舞い降りていた。その様子を眺めたり、結晶を受け止めたりとそれぞれに楽しんでくれている。
「懐かしいな。これ、デリックがよくやってくれた」
「溶けちゃった……。触るとすぐに溶けちゃうから悲しいよね」
良かった、成功した……。その様子を眺め、わたしはほっと息をついた。
これがデリックさんに頼まれたことだ。結晶を降らせる。難しくてなかなかできなかったから、意外と本番に強いタイプなのかもしれない。
「やりましたね、彩先輩!」
セイからの満面の笑みをうけ、わたしは大きく頷いた。それから口を開き、預かった言葉を伝える。
「これは、デリックさんから預かった皆さんへのお礼です。別れてから何年も経ったのに、自分のことを案じてくれてありがとう。そう言っていました」
デリックさんの友人たちは、わたしの話をじっと聞いていた。やがてリーダーらしい人が最後の結晶が落ちるのを見届けて顔を上げる。
「今ので思い直したよ。俺らはもう子供じゃない。大人だ。この村の大人の根性を叩き直して、またデリックが戻ってこられるようにしようぜ。大歓迎で迎えてやるんだ。な、いい考えだろ?」
振り返ってそう宣言すると、賛成の声が沸き上がった。やっぱりリーダー格みたいだ。ここまで案内してくれた女の人が、楽しそうに微笑んでわたし達を見る。
「ありがとう、ナオたち。あなたたちのおかげで、大切な友達を見捨てずに済んだわ。本当にありがとう!」
そう言って貰えたのが嬉しくて、わたし達は顔を見合わせて笑う。
ハッピーエンドではないかもしれない。ハッピーエンドはきっと、もう少し先で待ち構えていることだろう。それがなるべく早くデリックさんに訪れますようにと願うばかりだ。
氷穴の奥で暮らす青年を思いうかべ、わたしはそう祈った。




