第二章 13 氷漬けの永遠
わたし達は、村には足を踏み入れることのないまま氷穴に向かって出発した。応対してくれたのはあの女の人だけだったのも気になるところだ。今はまだ夕方なんだから、他にも人がいてもいいはず。あの時村にいたのは、畑仕事やなんやらをしているおじいさんとかそんな感じだった。
「警戒されてるのかな……」
わたし達が能力者ってことは、エドワルドさんの奥さんにもばれてないはず。あー、でも奥さんもわたし達のこと怪しんでたのかな。当たり前か、わたし達まだ子供だもんね。
「どうしましたか?」
わたしの呟きを聞き取ったらしいセイが、こてんと首を傾げる。わたしは軽く手を振った。
「いや、なんでもない。ケーキが食べたくなっただけ」
「今このタイミングでケーキですか。先輩って図太いですね!」
「図太いとは失礼な」
たった今、真面目なことを考えていたというのに……とは言わず、というかそれを言ったら誤魔化した意味がなくなるので、わたしは茶化すようにセイの頭をわしゃわしゃと撫でた。
そんなこんなで到着した氷穴は、その名の通り氷に覆われていた。あまりにも綺麗で現実味がない。水晶でできているかのような透明感に思わずほうっと息をつく。そして、
「寒っ!?」
わたしは思わず両腕を抱いて叫んだ。吐いた息は白く、歯はガチガチと音を立てている。その状態でその場足踏みをするわたしに、セイが首を傾げた。
「確かに寒いですね。どうします? 一回上着を取りに戻りますか?」
「なんでそんなに余裕なの!? さむ、取りに戻ろう、このままじゃ凍え死ぬ!」
「このくらいの寒さなら慣れてるし」
表情を変えずにさらりと言ってのけたナオに、わたしは奈落の谷もかなり寒かったことを思い出す。あそこで長い間暮らしてれば、寒さにも強くなるか……。
姉妹が寒さにびくともしないのはわかったけど、わたしはどうにもならない。リンにお願いして、わたし達は妖精図書館に戻った。
「さて、リベンジマッチだ!」
「もこもこじゃない……。もう人間の姿じゃないでしょ」
中に何枚もニットを着こみ、コートを羽織り、手袋をはめて耳までカバーする帽子をかぶり、と重装備なわたしに、コートを羽織って来ただけのナオがしらっとした目を向けてくる。
「仕方ないよ。道中で力尽きたらそれこそ終わりだからね。こういう時は大袈裟なくらいに武装していかないと」
そんな話をして、わたし達は氷穴へと入った。
外から見るだけでも綺麗だったのに、中に入るとより一層その綺麗さが際立っていた。冷たく澄んだ空気に、透明な氷が映えている。デートスポットとかにしたらかなり人が来るだろう。このとてつもない寒さが和らげばの話だけど。
「ほえー、綺麗なところですね……。この奥に人がいるんでしょうか?」
「そうじゃないかな。これは自然に出来るものじゃないだろうから」
リンがコンコンと氷を叩きながら答える。
「この形とか、尖り具合とか、とてつもない熱意を感じるよ」
「熱意か……。冷気しか感じないんだけど、わかる人にはわかるんだね」
リンもちょっと変わったところあるし、芸術的センスみたいなものがあるのかな。よくわかんないけど。
まだ最奥までたどり着けそうにないので、少し気になっていることを聞いてみることにした。
「リンは伝達魔法って知ってた?」
「いや、あるかもしれない、くらいしか知らなかったよ」
リンは軽く答えてわたし達を振り返る。
「だから、この問題が片付いたら是非とも習得してきて。それでボクに教えてよ。伝達魔法がどんなものかは知らないけど、みんなが使えたらかなり便利だと思わないかい?」
「思いますっ。だから頑張りますね! 役に立てるように!」
「セイはいい子だなあ」
「そうでしょ」
ぱあっと輝く笑顔を浮かべるセイ。その健気な姿を褒めたつもりだったのに、姉の方を喜ばせてしまったらしい。まあ、自慢の妹でしょうね。
ナオの妹バカさに呆れながら角を曲がると、そこには扉があった。もちろん氷でできた扉だ。草木や鳥の彫刻がほどこされているから、なるほど、確かに芸術面にはこだわりがある人なのかもしれない。
わたしは扉を開くべく、恐る恐る扉に触れる。昔、冷たいものを触って指が張り付いて……って話を聞いたことがあるから恐る恐るだ。いくら治癒の使い手がいるからといっても、ここで指がもげるようなことにはなってほしくない。
しかし、扉はわたしの予想に反してそこまで冷たくなかった。ここがこんなに寒いんだから、その元凶である氷なんて特に冷たいだろうと予測してたんだけど……外れたってことだね。
ちらりとリンたちの様子を窺うと、もう準備は出来ているみたいだ。それを確認し、力を込めて扉を押し開く。
「やあ、好奇心旺盛な子供たち。ここには足を踏み入れるなって聞いていないのかな?」
中に入ると、すぐに声がわたし達を呼んだ。その声の主は、探すまでもなく部屋の中央に立ってわたし達を笑顔でみつめていた。冷たい笑顔だ。
「とても綺麗な場所ですね、ここ」
威圧のように投げかけられた問いをスルーし、わたしは出来る限りの笑みをはり付けて答えた。お世辞なんかじゃなく、これは本心。その言葉に、青年は機嫌を良くしたようだ。大袈裟に両手を広げる。
「そうだろう? ねえ君たち、時間とはとても忌まわしいものだと思わないかい?」
会話のキャッチボールが成立していない。わたしは全く別の方向に投げたけど、この人も暴投だ。
「僕はそう思う。なぜって? それは、時間がすべてを変えてしまうからさ」
そして、こっちが何も答えていないのに続ける。様子を窺うためにも、しばらくは黙って話を聞いておこう。
「とても美しい花があったとしよう。しかし、時間はその美しさを奪っていく。つい昨日まで美しく咲き誇っていた花も、次の日にはその面影などまるでない。瑞々しく鮮やかな花弁は色を失い、若さを失い、地面へと落ちる。とても悲しい。生物だってそうさ。美しい人も、やがて老いていく。僕はそれが憎くて仕方がないんだよ」
青年は流暢に語る。興味深い話だった。確かに、時間ほど残酷なものはないって言葉がある。この青年の主張は、細かな部分を省いてザックリと分類すれば同じようなものだろう。
「でも、一概には悪いとは言えないでしょ?」
次に言葉を発したのはナオだった。ナオは顎に手を当てて考えている様子だ。
「その花だって、初めは小さな種だった。その種自体は別に美しくもなんともない。でも、だんだんと時間をかけて、そうやって美しい花へと成長した。その花が美しいのは、時間のおかげともいえるんじゃない?」
リンはナオの言葉に、嬉しそうににっこりと笑った。敬語も抜けているし、今のはうそ偽りないナオの考えなのだろう。
青年は一瞬不意を突かれたかのような顔をしていたけど、やがて呆然とした表情のまま呟いた。
「…………らしい」
「え?」
「素晴らしいね、君は。君も僕と同じ答えに辿りつけたんだ。ああ、とても素晴らしい」
何度も素晴らしいと繰り返しながら、青年は壁にかけられた額縁のようなものを取り外した。その額縁をわたし達の方へ見せる。
絵画のように額縁の中にあるのは、一輪の美しい花だった。
「時間は美しさを生み出し、また美しさを奪う。正負の面を持っているのだと僕も気づいた。それでも僕はまだ時間を許せなかった。美しさを奪うその罪を許せなかった。そしてある日思い立ったのさ。奪われるのが嫌なら、奪われないようにすればいいんじゃないか、とね」
一番美しい瞬間で氷漬けにされた花。本来ならばすぐに失われてしまうはずのそれは、この青年の能力によって一瞬を永遠にされた。
それが幸福なのか不幸なのかはわからないけど、背筋に寒さとは違う震えが走る。
改めて見ると、この部屋はとても異常だった。
壁は額縁で埋め尽くされ、かけきれなかったものは床に並べられている。無数の額縁に言葉を失うわたし達に、青年は笑い声をあげた。
「どうだい、美しいだろう!? 僕は時間に勝ったのさ。勝ったんだよ!」
壊れたように笑う青年を呆然とみつめる。セイが「あの」と口を開いた。
「ここで一人で過ごしていて、さみしくないんですか」
「? 寂しくなんてないよ。仲間がいてくれるからね」
青年はきょとんとしたように首を傾げ、自分の後ろにある小さなドアを指さした。
「言ったよね。時間に美しさを奪われるのは、花だけじゃない。生物も同じだと」
青年の言葉が、ゆっくりと頭の中で繰り返される。
生物も同じ。なら、まさか。
視線が奥のドアへ吸い寄せられるようだった。
氷漬けにしているのは、花だけじゃなくて。
「狂っていると思うなら思えばいいさ。僕は至って正常だけどね!」
額縁だらけの部屋で、青年は笑う。狂ったような笑い声の中でわたしは、この青年は今まで会った能力者とは確実に違うと感じていた。




