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第二章 9 惑いの森にて

 歩き始めてもうかなり経っただろう。わたしは一向に変わらない景色に、ようやく違和感を覚える。


「本格的におかしくなってきたね。ここまで周りの景色が変わらない森ってある? ずっと同じ場所を歩いてるような気分だよ」

「同感ね。流石『惑いの森』。名前の通り惑わされてるわよ、私達」

「やっぱり能力者がいるんでしょうか……」


 不安そうにセイが呟く。能力者がいることは確かだろうけど、問題はこれが何の能力かだ。それによってどうするべきかも変わってくるだろうし。わたしは歩きながら考える。


「単純に考えると、『幻惑』とかだけど」


 惑わせて来るくらいだからね。リンがひょこりとそりから顔を覗かせて笑う。


「安直だね」

「仕方ないじゃん。でも、普通に合ってると思うよ」


 そこで、延々と同じ景色が繰り返されているようだった森に変化が訪れた。霧が出始めたのだ。霧は濃く、いつの間にか辺りは白くなっていた。


「霧?」


 正直こんなに濃い霧を見るのは初めてなので、自然の壮大さに驚いてしまう。こんなに視界が遮られるものなんだな、なんて平和ボケした頭で考えながらナオの方を見た。


「なんでこんなにいきなり。変化が見られたのは良かったって考えていいのかな? ……ナオ?」 


 そこでわたしはハッと息を呑んだ。隣にいたはずのナオは、霧に飲まれて見えなくなっていたからだ。


 ありえないほどの速さで森中に広がった霧に、隣にいたはずのナオですら見失ってしまった。セイも、リンも。さっきまで手で押していたはずのそりの感触ももうない。


 ぞくりと背筋を悪寒が走る。流石にこれが普通の霧じゃないことくらいはわかったつもりだ。


「みんな? いるなら返事して! ナオ! セイ! リン!」


 手でメガホンを作るように口元を覆い、歩きながら叫ぶ。もう何も見えないから、ただひたすらに歩くだけだ。

 しばらく叫び続けても返事は返ってこない。


「惑いの森……くそ、ナオなんて言ってたっけな」


 ここに迷い込んだ者は、確か――。


 そう考えていた時、霧の向こうに人影が見えた。


 誰かいる。


 わたしは地面を蹴って走り出した。人影と距離が近づいていき、わたしは安堵にスピードを緩める。


「誰? 良かった、はぐれたと思って心配して……」

「彩」

「――」


 咄嗟には声が出なかった。わたしの目の前に立っていたのは、ナオでもリンでもセイでもなかった。その姿を見た瞬間、ナオが話していた惑いの森のことを思い出す。


 ――この森に迷い込んだ人は、心の内に潜むものと対面して惑わされる。


「わか、なちゃん」


 若菜、というのがこの子の名前だ。わたしの親友だった子。もちろん人間で、ここにいるわけがない。


 若菜ちゃんは、ボブの髪を揺らして昔と変わらない自信にあふれた笑みを浮かべている。それもそのはず、別れた時と変わらない小学三年生の姿なんだから。


「あ、の」


 口を動かしても、何も言葉を用意していないのだから勝手に言葉が出てくるはずもない。


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


 何度も繰り返したその六文字は、とうとう声にならないまま、わたしは縋るように叫んだ。


「『風魔』!」


 暴風が辺りに吹き荒れ、目を瞑る。その風が吹き止んだ頃には、


「アヤ君!」

 

 霧はすっかり晴れ、いつもの仲間たちがすぐ傍に立っていた。リンがわたしの周りを飛び回って「今のは君が?」と聞いてくる。


「今の風ならわたし、だよ」

「本当にあんたの能力って波があるわよね……。まあ、そのおかげで助かったんだけど」


 ナオが小さく息をついた。わたしは恐る恐るみんなを見回す。


「あの、さ。みんなも霧の中で何か見えた?」


 わたしの問いの後、奇妙な間が空いた。なんだか気まずい沈黙を破って、セイが明るく答える。


「はい。あれがあたしたちを惑わせようとしてたんですよね? びっくりしたし一人で不安だったので、彩先輩には感謝です! えへへ、さっすが先輩仕事が早いー」


 純粋な笑顔を向けられ、曖昧な笑顔を返す。リンが眼鏡を持ち上げて向こうをじっと見つめた。


「アヤ君の健闘のおかげで、向こうに小屋が見えるようになったよ。きっとあそこには誰かいるだろうし、行ってみよう!」

「はいっ」


 わたしの目じゃ相変わらず見えないけど、リンが言うなら本当なんだろう。道案内にリンを先頭にして、みんなで歩き出す。今度は周りの景色もちゃんと変わって、リンの言っていた小屋にもちゃんと辿りつけた。

 素朴な感じの木の小屋だ。すぐそばには薪? が積んであるし、誰かが住んでいることは間違いないだろう。


「よし。じゃあ、アヤ君がノックしてよ」

「なんでわたし……。わかったけど」


 リンがわたしのリュックの中に隠れ、わたしはドアの前に立った。ナオとかセイの方がいいんじゃないかと思うけど、任されたからには仕方ない。

 わたし達に幻を見せてきた相手だ。こっちに友好的だとは限らないし、逆の可能性の方が高い。さっきは完全に油断していたから、気を抜くなと自分に言い聞かせて手を伸ばした。


 コンコン


「すいません」


 ノックして声をかけると、静かな森にわたしの声がやたらと響いた。緊張。返事が返ってくるまでの時間が一番緊張するんだよな、と内心で考えていると、


「婆ちゃん! やっぱりあの子たちここまで来たよ!」

「ああうるさい、そんなことで騒ぐんじゃないよ! こんな狭い場所で叫ばれたら耳がおかしくなっちまうだろう!? 恐いんならお前のその眼で確かめりゃいいじゃないか!」

「わかってる! それに、婆ちゃんの方がうるさいだろ!」


 わたしの声なんて簡単にかき消すような大声が、小屋の中から聞こえてきた。突然のことにぽかんとするわたし。隣のナオを見ると、いつもクールなナオも唖然としていた。


 小屋を揺らすような大声の言い合いが、不自然にぷつんと終わる。すると、ドアについたドアスコープのようなガラスに拡大された目が映った。


「うわっ」


 思わず声を上げて後ずさり、目はそんなわたしをじっと見つめる。隣でナオが身構え、セイが「なんでしょうか?」とわたしの肩に両手を乗せて目の様子を窺った。

 わけがわからないまま、数十秒ほどの時間が過ぎていく。と、


「妖精!」

 

 突然にドアが勢いよく開けられ、中から少年が飛び出してきた。右目にモノクルのようなものをつけた少年は、わたしに詰め寄ってくる。


「君たち、妖精と知り合いなのか!? 」

「は……え?」


 わたしは自分のリュックを確認した。リンが顔を出した様子はない。

 どうして、この人は妖精がいるってわかった?


 警戒するわたし達に気付いていないのか、少年は緊張感もなく小屋を振り返って叫ぶ。


「ほら、婆ちゃんも出て来てよ! 妖精がいるかもしれない! 他の能力者に会えるかもしれないよ!」

「だから、騒ぐんじゃないって何度言わせたら気が済むんだい! お前の眼から視たそいつらは安全なのかい? アタシは危険じゃないってわからないと出る気はないよ」

「ああ、危険じゃないと思うよ。特にこの子なんて視やすくて驚いた」


 少年に指を指され、わたしは首を傾げる。敵意はなさそうだ。ただ「視やすい」って何?

 

「へえ……?」


 悪そうな笑みを浮かべたおばあさんが小屋から出てきた。少年に指さされたわたしを見て、「ヒッヒッヒ」とこれまた悪そうな笑い声をあげる。


「なるほどなるほど。アンタがズルした奴かい。ちょうどよかった、その顔を見たかったんだよ」

「えっ」


 怖い。迫力があるよこのおばあさん! 

 わたしはナオの後ろに隠れ、わたしの後ろに隠れていたセイもそのまま動いたので縦に三人並ぶような隊列になる。


「あ、ごめんな。婆ちゃんは普通にしてても怖い癖に趣味も悪くて、ちょっと危ないんだ。君たちも婆ちゃんの幻に引っかかったんだろ?」

「……そうね。あの幻はあなたが生み出したんですか?」


 先頭に立たされたナオは、一瞬わたしに呆れたような目を向けたもののすぐに少年とおばあさんに向き直った。質問を受けたおばあさんはフンと鼻を鳴らす。


「そりゃそうだろう。アタシの縄張りに無断で踏み込んでくる奴にはそれ相応の覚悟を持ってもらわないと困るからね」

「あ……すいません」

「いいよいいよ。別にここ、婆ちゃんの土地じゃないから。人づきあいが苦手だった婆ちゃんが勝手にここに――」

「余計なことを言うんじゃない!」

「いてっ」


 ゴン、と音が聞こえるような強烈な拳骨。それを食らった少年は頭を押さえるも、そこまで痛くなさそうな様子でわたし達を見る。


「君たちはここに用があって来たんだろ? 答えられることなら答えるから、君たちの話も聞かせてくれないかな。俺たちずっとここに住んでるから、外のこととかなーんも知らなくてさ」


 少年はモノクルをいじり、二カッと笑った。


「俺はアラスター。よろしくな!」


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