第一章 4 宙返りしたような日々
ピピピピ、ピピピピ……
アラームの電子音に、わたしは「んぅ」と呻いた。手探りで枕もとの目覚まし時計を掴み、アラームを止めてから呟く。
「夢……?」
いや、そんなはずはない。勢いよく体を起こし、枕もとを見る。
そこには、ちゃんとリンから貰った本が置かれていた。
流石わたし。夢オチを疑わないように昨日の夜に準備しておいてよかったー! にしても……。
「能力、か」
やっぱりまだ夢みたいだ、なんて思った。
制服に着替えてリビングに降りると、お母さんに「遅い!」と怒られた。
「もう七時だよ。ほら、ちゃっちゃと食べちゃって」
「ふぁーい」
いつもの席に座り、わたしは用意されていた味噌汁を啜る。三月とはいえ、まだ上旬。さらに朝ともなれば何が暦の上では春だよと抗議したくなる寒さだ。お母さん特製の味噌汁がしみるね……。卒業式はあったかいといいけどなあ。
テレビのニュースを聞き流しながら朝食をせかせかとかきこんでいると。
『次のニュースです。昨夜十一時、東京駅で、人々が突然泣き出す事件が発生しました。これが事件当時の防犯カメラの映像です――』
わたしは反射的に顔を上げた。テレビ画面には、大の大人たちが声を上げて泣く姿が映し出されている。誰が見ても異常事態だ。そりゃニュースにもなる。
……これも、やっぱり能力なんだろうか?
思い返してみれば、今までにも何度かこんなおかしなニュースを耳にした気がする。前はニュースに興味もなく過ごしてたから覚えてないけど、ネットで検索をかけたら出てくるだろう。
「なんだ彩、珍しくニュースに関心があるみたいだな」
新聞を読んでいたお父さんが、珍しいものを見たとでも言いたげに顔を上げた。
「こんな変なニュースしか興味ないのも泣けるけどね」
「変じゃないよお母さん。わたしにとっては結構大事なニュースなの」
「なんだ彩……まさか、泣きたいような悩みでも抱えてるのか? 大丈夫だぞ、母さんがちゃんと悩みを聞いてくれるから。打ち明けなさい」
「深読みー。別にそんなじゃないし。第一、即顔に出るわたしが悩みを抱えているとでも?」
「そうだね。大丈夫だと思う。ってことで早くご飯食べて学校行きなさい」
「無慈悲」
父親は脳天気、母親はドライ。わたしは内心でため息を吐きながら、「ごちそうさま」と箸を置いた。
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なんだか世界が宙返りしたみたいだ。
それからの日々を、わたしはそんな思いで過ごしていた。
『能力』なんてでたらめな力がこの世界に存在している。もしかしたらわたしのクラスメイトにも能力者はいるのかも……なんて考えて、陽向に声をかけたりもした。
「陽向ってモテモテの能力者だったりする?」
「相変わらす頭のネジ飛んでるなお前」
どうしてコイツがモテるのか未だにわからない。
それと、妖精図書館にも足しげく通っている。家に帰ったらすぐに本を開いて図書館にGOだ。
今日もそうして図書館に行くと、既にリンが待っていた。
「アヤ君。こんにちは」
「こんにちはっと。お待たせしちゃったかな?」
「そんなことないよ。あくまでボクはアヤ君に協力してもらっている立場だからね。アヤ君の都合で構わないさ」
気遣いのできる妖精だ。わたしは「ありがと」と言って、持ってきたクッキーの箱をテーブルの上においた。席に着いて個包装のクッキーを二つ取り、一つをリンに渡す。もう一つは包装を破いて口の中に放り込んだ。
「ありがとう。さて、今日も学校とやらのことを聞いてもいいかな?」
「いいけど……別におもしろいこともなかったなあ。明後日に卒業式を控えてるから、練習とか多くて。今日も礼のタイミングがずれて怒られた」
みんなで揃えてお辞儀しましょうってやつ、昔から苦手なんだよなあ。人間一人ひとり違うんだし、どうやってもずれるでしょ。理不尽だと思う。
ため息交じりにそう愚痴っていると、リンの目が大きく見開かれたのがわかった。
「明後日……」
「ん? そうそう。わたし、あと三日で卒業するんだよ」
「……やり残したことはないかい? どうしようもなくなってからじゃ遅いからね。悔いを、残さないようにしないと」
やけに深刻そうなリンの物言いに、わたしはぶはっと吹き出す。
「何それ。卒業ってそんな深刻なものじゃないよ。杏奈たちとも遊ぶ約束してるし、電話番号も交換したし」
気掛かりは入学後のテストくらいだけど、それは秘密にしておこう。
わたしはひとしきり笑った後、もう一つクッキーに手を伸ばしてリンを見た。
「今日も能力の話聞かせてよ。今のわたしの関心はそれにしかないから」
「うん。じゃあ、昨日の続きからいこうか」
哀しそうな表情から一転、リンは眼鏡の位置を直して微笑む。
ここに来るたびに教えてほしいとせがんでいるのは、能力についてだ。せっかく奇想天外で摩訶不思議な世界とかかわりを持てたんだから、わたしの日常の話をしているのはもったいない。もっと面白いことをしないとね。
今日までに知った能力についてまとめておこう。
第一に、能力にはさまざまな種類がある。千差万別って感じだ。例えば、一言で熱に関する能力と言っても、素手でアイロンをかけられるくらいの能力もあれば、辺り一面を火の海に出来るくらいの能力もある。まあ、個性だね。個性で火の海にされても困るけども。
第二に、能力を身につける時期だ。生まれた直後から身につけている人もいれば、死ぬ間際に身につける人もいるらしい。先天的か後天的か。つまり、わたしにも可能性はあるってこと。諦めないで行こう。
「昨日の続きだから……魔法の話だね」
「うん。魔法って何なの? 能力とは違うんだよね」
「まあ似たようなものだよ。なんて説明すればいいかな……」
リンは難しそうに眉を寄せながら話をする。
「まず、能力はイメージするだけで簡単に発動できる。例えば……そうだね、こんな風に」
リンは近くの窓辺に置いてあった植木鉢を取りに行く。小さな体には随分と重そうだったけど、特に危なげなく植木鉢はテーブルに降り立った。
白い花びらの小さな花だ。鮮やかな緑の葉っぱといい、なんだか絵本の中から飛び出してきたみたいにメルヘンチックに見える。こういうのを可憐って言うのかな。
穏やかな気持ちでその花を見ていると、リンが植木鉢に手を伸ばした。そして、迷わずその花弁をむしり取った。
「ワッツ!?」
思わず悲鳴に近い声を上げるわたし。リンはお構いなしに花弁の三分の二程をむしり取り、次に葉っぱへとその魔手を伸ばした。
「やめろーー!」
極めつけに、リンはボロボロの花に手を伸ばし。
「『風よ、かの者をその力で切り刻め』」
風の魔法、と思わしきもので切り裂いたのだ。いや、切り裂いてはいないか。大袈裟な呪文のわりには、茎や葉に微妙に切り傷がついた程度だ。
それでも傷つけられたことには変わりない。
一部を残された花は、さっきの可憐さはどこへやら、見るも無残な状態だ。
絶句するわたしをよそに、リンは一仕事終えたとでも言いたげに「ふう」と息をついた。
「うん、こんなものでいいかな」
「良くないよ! さっきのかわいい姿を返して! 妖精ってそんなに残酷なのわたしちょっと怖いよ!?」
こんな姿にしておいて、こんなもの……。
植木鉢にすがりついて叫んでいると、リンは慌てたように手を振った。
「違うよ。確かに残酷なことはしたけど……大丈夫だから、よく見ていて」
リンは小さな手で、残されたわずかな花弁に触れる。わたしは一瞬たりとも見逃さないように、その様子をみつめ。
「――――っ!」
息を呑んだ。
花弁と葉をちぎり取られ、風の魔法で切り付けられた花が、みるみるうちに元の姿を取り戻していく。
新たな白い花びらが現れ、緑の葉が生え、切り口が塞がっていく。逆に、わたしは開いた口が塞がらなかった。
「リ、リン、これって……!」
「言ってなかったかな。ボクは『治癒』の能力者だよ」
リンはさらりと衝撃情報を口にする。
「言っ……ってないよ。初耳だよ!」
「そっか、言い忘れてたんだね。で、話に戻ると」
リンは元通り生えてきた花弁を指でつつき、小さく笑みをこぼす。
「今のがボクの『治癒』の能力。それで、さっき使ったのは風魔法。魔法はああやって詠唱が必要なんだけど、能力には必要ない。それに威力も段違いだ。魔法は能力から派生したものだから、やっぱり能力の方が力が強いんだよね」
わかった? とリンは首を傾げた。わたしはこめかみの辺りを押さえ、「大体」と答える。
つまり、能力が親で魔法が子どもってことだよね。だから魔法は詠唱も必要だし、威力もない。あれ、能力ってちょっとずるくない?
「こんなの、能力者とか絶対崇められるやつじゃん。羨ましいなあ、欲しいなあ……」
「それよりアヤ君。もう人間界の時間は遅いけど、夕飯は大丈夫かい?」
「大丈夫じゃないかも。ってことで帰ります」
わたしは椅子から立ち上がり、本を開く。もう慣れつつある光が視界を覆い尽くしたとき。
「時間、大切にするんだよ」
リンの声が追いかけてきた気がした。