第二章 2 奈落の谷
咄嗟には反応できず、わたしはただナオをみつめていた。ナオの耳の形は、わたしのファンタジー知識で語るならエルフのようなものだろうか。それよりは一回り小さい、人間ともエルフともつかない微妙な感じだ。
「ナオ君、その耳は……」
「まあ、リンは気づくわよね。母親がエルフで父親が魔法使いで、私はそのハーフ。異種族間の結婚は禁止されてるから、私の両親は住む場所を追われてここに辿りついた。言ったでしょ? ここは異形の者が住まう場所だって」
ナオはひらひらと手を振りながら奈落の谷を見下ろす。
「たとえば、キツネの耳とイヌの尻尾を持った人だったりね。それってキツネとも呼べないしイヌとも呼べないでしょ。だから、ハーフはこうして北の谷に追いやられてるってわけ」
ナオはわたし達を気遣ってか、至って軽い口調で説明し終えた。それでも戸惑いなしで受け止められるわけじゃない。
黙り込むわたしとリンに、ナオは少し茶化したように言う。
「ほら、そんなところで突っ立ってないでよ。早く行くわよ」
「ん、そうだね」
重い足を踏み出してわたしはナオを追う。
ナオの見た目がどう見ても獣人じゃないってことは前から気になってはいたけど、まさかそんな理由があったとは。しかも……こんな過酷な環境下で。わたしは谷を見下ろす。
気温も低いし、治安も良さそうにない。それに一歩間違えれば谷底へ真っ逆さまの危険な場所だ。
「どうしたの? やっぱりハーフって嫌だった?」
口数が減ったわたしに、ナオが少し申し訳なさそうに聞いてくる。わたしはその見当違いな問いに慌てて首を振った。
「違う違う。わたしが考えてたのはそんなことじゃなくってさ。その耳カッコいいなって思ってただけ」
これは本当だ。シャープに尖った耳がナオのイメージに合っててカッコいい。そもそもエルフと魔法使いのハーフとか血だけでエリート感があふれてる。ナオの頭おかしい身体能力はそこから来ているのだろうか。
ナオはわたしの言葉に目をぱちくりさせる。対してリンは笑うのを堪えているようだ。
「くくっ、本当にアヤ君はアヤ君だよね。ボクも妖精仲間がいてくれて嬉しいよ」
「これカッコいいの……? 長年の悩みの種なんだけど」
「ごめん! 無神経なこと言ったかもしれない。ただ、ハーフのことなんて何も悪く思ってないってことを伝えたかっただけで」
自分の耳をつつくナオに、またも慌てて謝罪。するとナオは「別に怒ってないわよ」とふっと笑った。
「ただ、彩のイメージってどんなものなのか気になっただけ。価値観ずれてるわよね」
「そんなずれてないと思うよ」
たぶん、わたしのクラスメイトにも似たような考えの奴はいただろう。世は異世界だからね。そんなことを話しながらわたし達は谷へと降りていく。
そして、ようやく「奈落の谷」に到着した。
本当に谷のギリギリで暮らしているみたいだ。時折吹き抜ける風は冷たく、強いので煽られて落ちてしまうんじゃないかと足がすくみそうになる。住民が虚ろな目でわたし達を見ているのを感じながら、わたしはリンに隠れるように指示する。
「ちょっとここだとリンの存在は危なそうだし、わたしのコートのフードにでも隠れてて」
「わかったよ」
わたしがフードを外すと、リンはその中に潜り込んだ。ちょっと頭部が寒くなったけど仕方ない。あのふわふわ飛んでる感じの妖精だと、どうやっても目立つからなあ。
「用を済ませたらすぐに帰るわよ。ここは無法地帯だから、あんまり長居すると面倒なことになる」
ナオはずっと辺りを警戒しながら歩いている。何度かすれ違う人には目もくれず、だ。
情報収集のために来たんだから聞けばいいのに、なんでそんなことをするのか。スタスタと足早に歩いていくナオを小走りで追いかけ、声をかける。
「ナオ、なんであの人たちに聞かないの?」
「……何もわかってないわね」
ナオは流し目でわたしを見、またすぐに歩いて行ってしまう。
「ちょ、待ってよナオ」
ここに住んでたっていうくらいだからこの先に信頼できる知り合いがいるのかもしれない。そう思ってまたナオを追いかけようと足を踏み出すと、
「まあ待てや嬢ちゃん」
後ろから肩を掴まれた。「うわっ」と思わず声を上げてしまってから、ゆっくりと後ろを振り返る。
「えっと、なんですか?」
引き留めてきたのはオオカミのような獣人だった。ただ腕はオオカミらしからぬ色と模様をしている。この人もハーフってことだろうか。
「嬢ちゃん、良い服着てるじゃねえか。どうせ金持ってるんだろ? それなら……」
「彩」
今度は後ろから腕を引かれた。引き返してきたらしいナオがわたしの腕を引きながら獣人を睨みつける。
「行くわよ」
ナオに引きずられるようにしてしばらく歩いていく。声をかけてきた獣人はそれ以上何も追求せずに黙っている。
わけがわからずナオに引きずられていると、十分距離を取ったところでナオがわたしの腕を離した。
「本当に、彩って平和なところで育ってきたのね」
「へ?」
「その間抜け面と危機感のなさをどうにかしろって言ってるの」
ピンッとおでこを指で弾かれ、わたしはそこを押さえて「うぐ」とよろめいた。ナオは諦めたような表情でそっぽを向く。
「ここは、あんたが育ってきたような穏やかな場所じゃないの。金のためにそこの谷に突き落とされたり、そんなことが普通に起こる場所なのよ、ここは。誰でも優しくしてもらえると思ってたら大間違いなの」
「…………」
ナオの横顔を見て、わたしは自分の考えの甘さを実感した。
わたしがここをのんびりと歩いていた理由。それは、わたしとここの人たちは似たようなものだと思っていたからだ。わたしはハーフとかじゃないけど、能力者だ。だから似たようなものだと、同じような境遇にあればわかってもらえるんじゃないかと、そんな甘い考えがあった。
「そんなわけ、ないよな」
わたしが能力を得たのだってつい二週間前くらいだ。何度か誤解を受けたりもしたけどほんの数回。それで同じような境遇なんて馬鹿げた考えだろう。
ここにいるのは、わたしなんかよりもっと過酷な状況下を生き抜いてきた人たちなのに。
「彩?」
「いや……ごめん。危機感はちゃんと持つ。ただ、間抜け面は勘弁してくれないかな」
「アヤ君は童顔だもんね」
「こういう時だけ顔を出すな」
ここぞとばかりに首を突っ込んできたリンを押し戻し、わたしは頬をパンパンと叩いた。これで気合を入れなおした。ここからはもっと緊張感を持たないと。
ナオはわたしの様子に満足したのか、少しだけ笑って歩き出す。
「それじゃついてきなさい。今度は突き落とされても知らないわよ」
「はいっ」
しばらく歩いたところで、道端にうずくまっているおばあさんを見つけた。この人もスルーするのかとナオをみつめると、ナオはちゃんとその人の傍へ寄った。
「大丈夫ですか? これをどうぞ」
ナオは持っていたカバンから水筒を出すと、コップに水を注いでおばあさんに差し出す。
「ああ、ありがとう……」
おばあさんはナオからコップを受け取ると水を飲み干し、朗らかな笑みを浮かべた。
「こんな優しいことをしてくれたのは久しぶりだよ。ありがとねえ」
「いえ、ここは冷えますから――」
迂闊に動くとまた厄介ごとを引き起こしそうで怖いので、おばあさんのことはナオに任せて辺りを警戒する。と、
「……ん?」
谷の向こう側を歩く少女を見つけ、わたしは目を細めた。
ここの人たちとは明らかに違う。身なりは当然だけど、纏っている雰囲気も。何歩か前に出てその子を見るも、いつの間にか姿を消してしまっていた。
「――クロスについてどうお考えですか?」
すぐ隣から聞こえてきた声に、わたしはハッとしてナオの方を向いた。ナオは真剣な面持ちでおばあさんを見ている。おばあさんは「クロス」と目を瞬かせた。
「クロスって言えばあの竜王でしょう? それがどうかしたの?」
なんだか淡白な回答だった。ナオは「いえ」と首を振って頭を下げる。
「ありがとうございました。お体に気をつけて」
「こっちこそありがとうね」
わたしも聞いてみたいことがあったんだけど、会話はすぐに終わってしまった。ナオと頭を下げて別れると、リンがまたひょっこりと顔を出した。
「今は頭痛がしなかったね。やっぱりここまでは洗脳の力が及んでいないみたいだ。この調子で行くとまだ穴はあるかな」
「そうね。ドノイ砂漠はまだ残ってたわよね?」
「あるよ。確かにあそこなら遠いし……いや、でもあそこには人がいないじゃないか」
「そうだった」
ドノイ砂漠が何なのかはイマイチよくわからないけど、とりあえず駄目だったらしい。ナオは小さく手を叩いて考え込む。
「ここもそうだけど、住んでた時と違って動きづらいわね」
…………もうそろそろ、切り込んだ方がいいのだろうか。
わたしはナオの言葉――住んでい「た」という過去形に引っかかっていた。それに、住んでいたのなら聞かなければいけないことがある。
意を決して、目の前を歩く少女を呼んだ。
「ナオ」
「ん、なに」
「聞きたいことがあるんだけどさ」
ここで聞いておかないと、またタイミングを見失う。
「ナオの家族って、どこにいるの?」
魔法使いのお父さん。エルフのお母さん。一緒に住んでいたのならいるはずだ。ここに。
本当はプライベートなところに踏み込むつもりなんてない。でも、ナオが自分の生い立ちを話してくれたってことは、このことも話してくれるつもりなんじゃないかって思った。
知った風な口を利いている自覚はあるけど、わたし達をここに呼んだこと自体がナオの一大決心だったような気もして。
少しの間を空けて、ナオは小さく頷いた。谷の向こう側の家を見ながら口を開く。
「私は昔、母さんと父さんと妹と四人でここで暮らしててね。でも父さんが城下町の方へ働きに出かけて、そのまま行方不明になった。そのせいで元々体が弱かった母さんは病気になって死んで、私と妹が残されたの。その妹もある日突然姿を消した。もうここに家族はいないのよ」
わたしはナオの話をゆっくりとのみこむ。どれだけ辛い思いをしてきたのだろうか……なんてこと、わたしの想像力じゃ想像しきれないし、それをすることも傲慢だろう。わたしがどれだけ頑張ろうとナオになれるわけじゃない。だから、今はナオの話を受け止める。
百パーセント理解できたわけじゃない。でも、わたしはゆっくりと笑った。
「ありがとう。教えてくれて」
「いいのよ。私もちょうど話そうと、して……」
急に、ナオの言葉が途切れ途切れになった。ナオはただ一点をみつめたまま硬直している。まるでそこに意識を全部持ってかれたみたいだ。
「え、ナオ君?」
リンも困惑したように声をかけるも、反応はない。二人でナオの視線の先を追うと、そこにはさっきのあの女の子がいた。
「……セイ?」
ナオがぽつりと呟く。わたしはすぐに食いついた。
「セイ……って、誰? あの子知り合いなの?」
「知り合い、っていうか」
ナオはぎこちなく首を動かしてわたしを見る。ナオの瞳はさっきとは比べられないほど動揺していて。
「今話した、行方不明になった妹」
浮かんでいる表情はまるで死人を見たかのようだった。




