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第一章 32 百獣の王と竜王

 冷たい何かが頬に当たり、わたしは目を開いた。夜の城下町。雨の匂い。どうやら帰って来たらしい。

 そこでわたしは何よりも大事なことに気がつき、振り向いた。


「ナオ、呪いは――」

「アヤくーん!」

「ぐえっっ」


 その瞬間お腹に飛んできた妖精がクリーンヒットし、わたしは呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。


「な、なんでそんなハイテンション……」

「すごいよ。どうやって呪いを解いたんだい!?」


 リンがわたしの周りをぴょんぴょん飛び回っている。まさかさっきまで的確に呪いの分析をしていたとは思えない……って、今呪いを解いたって言った?


「ちょ、リン。彩は無事なの?」


 靴音が近づいてきて、ナオがわたしを覗き込んだ。わたしの様子を見て微笑み、手を差し伸べる。


「なんだ無事そうね。どこへ飛んだのかと思って冷や冷やしたわよ。異空間とか」

「無事そうねはこっちのセリフだから。実はそのまさかで異空間に行ってきたんだけど」


 わたしはナオの白い手を掴んで立ち上がり、相変わらず雨に濡れてベタベタの服を払った。


「え、それならどうやって……」

「そこに人外少女がいて呪いをパパッと解いてくれて、ついでに転移の手伝いもしてくれた。だから帰ってこれた」

 

 つまりは全部その人の功績ってわけですが。呪いが解かれたただのナイフをナオに見せる。


「いる?」

「いらないわよ、そんな悪趣味なもの。早くどこかに始末しましょ」

 

 ナオはナイフを嫌そうに受け取り、リンが「幸運もたまにはあるものだね」としみじみと呟いた。本当にわたしもそう思う。


「それで、ナオは無事なんだよね?」


 とにかく確認したいのはそれだ。わたしがナオを見ると、ナオは笑って腕を見せた。いつもの白い腕。


「おかげさまで」

「……ん」


 小さく頷いて、息を吸った。深く深く肺がパンパンになるくらいまで吸い込んで、それから安堵と一緒に吐き出す。


「よかったあ……」


 これでようやく、ナオのことは一段落だ。長かった。まだ一時間も経っていないんだろうけど、体感時間としては何時間もこんな状態だったように感じる。

 吸い込んだ空気を全部吐き出すくらいに長く吐いて、わたしは笑う。


「これで、もういいんだよね」

「うん」

「まだ騙してたりしてないよね」

「してないわよ」

「知ってた。信じてるよ」


 わたしは姿勢を正して頬をぱしっと叩いた。これでハッピータイムも終了。まだ気になることはあるんだから、ほのぼのしてる場合じゃない。


「これ、本格的におかしくない?」


 辺りを見回す。

 これだけわたし達が暴れて騒いでいたっていうのに、すぐ近くの家の住民も顔を出す気配すらない。もちろん町を行き交う人もいない。


「うん、これは流石に異常だね。もしかしたら何か起こっているのかもしれない」

「ですね。静まり返った町とかちょっとしたトラウマなんですけど」


 でも、今は頼りになる二人がすぐ近くにいるから怖くない。それよりも何が起こっているのか確かめる方が先だ。


「とりあえず……リスクは高いけど城の方まで行こう。少し高い場所にあるから町全体を見下ろせるはず」


 建物の合間から見える城を睨み、わたしは駆け出した。

 ライオネル王がいる城は、長い長い階段を上った先にある。その先に厳つい城門があるけど、もう日が暮れているからとっくに閉められていた。


 息を切らしながら階段を駆け上がり、城門に手をついて息を整える。


 ここまで来るまで、やっぱり人は誰もいなかった。ただ家の明かりがついているのは窓から見えたし、人間界の時とは違って人が消えたわけじゃないみたいだ。


 それなら、何が。


 ただの偶然なわけがない。獣人界は夜になったらみんな完全に家に閉じ篭っちゃうんですみたいなことならわかるけど、そんな話は聞いたことがないし。


「……やっぱり誰もいないね。あの研究所の前さえ、警備が誰一人いない。忍び込むなら今だろうけど?」


 リンが眼鏡の位置を直してわたしをちらりと窺い見る。流石妖精パワー。視力が人間と段違いだ。わたしは首を横に振って「しないよ」と答えた。


「とりあえず今はここで何が起きてるのか確認しないと。それで……」

「ねえ、彩」


 わたしの言葉を遮ったのはナオだ。ナオはわたしが手をついている城門の壁を指さし、「それ」と言う。


「その張り紙、来る途中でもよく見かけたわよね。走ってたからよく見てなかったけど、なんて書いてあるの?」

「え、ホントだ」


 ちょうど手をついている位置にその張り紙が貼られていた。わたしは手をどけ、リンとナオの三人でそれを見つめる。

 お触書のようなものだろうか。文字だけのシンプルなものだ。いや、お触書じゃなくて……。


『お告げ

 暁の月の第三嵐の日、午後八時から九時の間、決して外へ出るべからず。さすれば祝福が空から舞い降りるだろう』


 なんだこれ、胡散臭い。しかしこれが城門に貼られているのは事実だ。

 わたしが首をひねると同時にリンが声を上げた。


「これ、ちょうど今だよ。あともう少しで九時になるんじゃないかな」

「え」


 リンは焦りながら、ポケットから謎の小さな小瓶を取り出す。それを夜空にかざすと、中に入っていた透明の液体が黄色と青色の混じった色に変わった。


「ほら、青色に変わってきてる。あと二分ほどだよ」


 リンが小瓶を見て時間を知らせてくれる。ナオは食い入るように張り紙を見つめたままで、わたしはその横から顔を出した。


「どうした? 祝福につられた?」

「そんなんじゃないわよ……。この紋章、やっぱり勘違いじゃないわよね」


 紙の下の方に並んでいる二つの紋章を見つめ、ナオは何か確信したように頷く。それから片方――ライオンのようなシルエットの紋章を指さした。


「これはわかるだろうけど、ライオネル家の紋章。それでこっちが――」


 すっと指を隣に動かし、もう片方の紋章を指し示す。太陽のマークに竜が絡みついた……

 まさか。


「クロスの紋章。どうしてこんな、ライオネルとクロスの紋章が並んで……」

「二人とも、もうすぐ九時になるよ!」


 リンの声にわたし達は揃って町の方を振り向いた。

 小瓶の色がどんどん青に染まっていく。


「五、四、三、二、一」


 ゼロ。

 その途端に多くの民家、店のドアが開いて住民が顔を出した。思い思いに伸びをしたり辺りを歩き回ったりしている。


「無事は無事みたいだけど……」


 紋章の謎が解明されていない。それに「お告げ」って何だ? どうして皆、あんな胡散臭い張り紙に従った?


 謎が頭を駆け巡り、わたしは前髪をぐしゃりと掴む。またも漂い始めた不穏な空気に抗うために顔を上げた、その時。


 町の方からわっと歓声が上がった。


「アヤ君、ナオ君!」


 リンがわたし達を振り返って叫ぶ。


「隠れて! 今すぐに!」

「わかった。彩!」


 すぐにリンの意図を察したらしいナオが、階段の脇に植わっている木に向かって走り出す。ついてきて、ということだろうか。状況がわからないままにナオを追う。

 ナオは木の枝に足をかけるとわたしを見た。


「彩、木登りできる?」

「できるかできないかと言われればできないに近いけど頑張ればできるんじゃないかと自分の力を少し過信してみる」

「何言ってるのかわからないけどとにかく登りなさい」

「はい!」


 夏休みは図書館に行って本読んでた系のインドアだから、木登りをした経験はない。それでもナオがもう木に登ってこっちを見下ろしているんだから頑張るしかなかった。よくよく考えてみれば、あんな崖を上ったのに木に登れないはずがない。


「よい……しょっと」


 というわけでなんとか木に登り終え、枝を集めて掴まりながらナオを見る。


「何があったの?」

「その緊張感のなさは見てなかったからなのね……ばれない様に空の方見なさい」


 言われるがままにわたしは空を見上げ――そして絶句した。


 厚い雲に覆われた空を、何匹かの竜が飛び交っていた。もう目視できるほどの距離だ。ナオを捜しに来たのかもしれないと枝を握る手に力を込める。


 さらに、そんなわたしの耳に衝撃的な声が飛び込んできた。


「飛竜様だわ!」

「あの美しいお姿……見ているだけで浄化されるようね」

「やっぱりクロス様が居てくだされば、俺らの安穏が脅かされることなどないんだよ!」

「ああ、我らに祝福を。思いあがった能力者に制裁を!」

 

 獣人たちが、竜の存在を認めている。いや、認めているどころか崇拝している。わけがわからない。わたし達能力者のことを「竜の眷属」って呼んで忌み嫌ってたんじゃ……!?


「リン、ナオ」


 助けを求めるように二人を呼ぶ。しかし、二人は顔を見合わせて首を振った。


「ごめんアヤ君。妖精図書館が結びついているのは記録だけで、今こうして進んでいる時間を捉えることはできないんだ。ボクが君に伝えた情報は記録として残っているものだから、今の世界では違っている部分があるのかもしれない。いや、あるんだと思う」

「私もこんなことになっているなんて知らなかった。組織でも末端の方だったし……」


 つまり、誰一人としてこの状況をわかっていないってわけだ。


 クロスを、竜を信仰する城下町の人々。


 タケの村ではこんなことなかった。竜を恐れて、平和を脅かすものだと考えていた。それなのに、ここでは違う。


 どうして。なんで。


 答えを探し求めるためにとにかく辺りを見て見てみてみて、見てしまった。


 城門のすぐ向こうにそびえたつ城。そのバルコニーに鬣をなびかせる人物がいた。ここからでも感じ取れるほどの威厳に満ちたライオンの獣人。考えるまでもない、ライオネル王だろう。

 一匹だけぐるりと回って城の近くまで来た竜と、ライオネル王が静かに向かい合う。そして、百獣の王は竜に頭を垂れた。


「……なんで」


 頼みの綱がぷつりと切れたような気がした。

 今はこんな風でも、ちゃんとライオネル王はこっちの事情をわかってくれる人で、いつかは仲良く打倒クロスの目標を掲げて握手をしてくれると思っている自分がいた。現実はそうはうまく行かなくて、打倒クロスどころかクロスを崇めていた。


 

 突然に今までの世界を奪われて、泣いて喚いて、なんとか立ち直って。

 それでどうにか見えた現実がこれだなんてちょっと厳しすぎやしないか。


 それでもまだ顔を上げ続けるのは、頼りになる、信頼できる人たちが隣にいるからだ。

 わたしは少しの間目を閉じて心を落ち着かせてから、また目を開ける。目の前の光景を、現実を目に焼き付けるために。この状況を打開するために。


 涙を乗り越えた先にも、苦難は待ち受けているようだ。



 

これにて一章は終わりです。次話からは二章に突入となります。

これからもよろしくお願いします!

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