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第一章 31 呪いのナイフと異空間

 殺されかかったものの、どうにかナオが正気を取り戻してくれた。それからちょっと話して、握手して、これから頑張りましょうねみたいな展開だった。一緒にクロス倒しましょうねみたいな。一段落した、ハッピーエンドみたいな雰囲気だった。


 それなのに、だ。


 「そんな展開にはさせないよ」とでも言うように、ナオの手がどす黒く染まり始めていた。


「呪いだ」


 誰よりも早く反応したのはリンだった。リンは眼鏡の位置を直してナオの手を取る。その瞳が悲痛に揺らぎ、わたしはたまらなくなってリンに詰め寄る。


「呪い……!?」

「そう。全身に広がるとまずい。何か心当たりは!?」

「それだ! ナイフ放せナオ!」


 わたしは混乱しながらもナオの手にあるナイフを見つけて叫んだ。ナオはハッとしてナイフを手放し、カランと金属音を立ててナイフが地面に落ちる。


「その呪いって治癒で治せそうなの!?」

「いや、無理だ! 呪いと怪我は違う!」


 リンと二人、声を張り上げる。


「この呪いの発生源はそのナイフだ。それをどうにかしないと呪いは解けないよ!」


 なんてもん寄越しやがったんだクロスの野郎!


 わたしが地面に落ちたナイフを睨んだその時、ナイフがカタカタと震え始めた。かと思えば浮き上がり、目にもとまらぬ速度でこっちへと向かってくる。


「っ『風魔』あ!」


 反射神経で使った『風魔』で眼前まで迫ったナイフを叩き落し、足で踏んで押さえつける。

 あと一秒でも遅れていたらまずかった。ここ最近ギリギリの橋を渡りすぎな気がする。


「落ち着けお前ただの金属だろうが! 悪足掻きするなよ……!」


 喜べたのも束の間、ナイフはまだ諦めずに浮き上がってこようとする。相当な執念とでもいえばいいのか。ナイフを踏みつける左足に全体重をかけながら、背後にいるリンとナオに向かって叫んだ。


「どう、少しはマシになった!?」

「ほんの少しだけ、呪いが侵食する速度は落ちたけど」


 返ってくるリンの返事は望んでいたものとは違うものだった。手のひらに爪が深く食い込むくらいに強く握って、ナイフをどうにか地面に張り付ける。

 

「彩、いいから」


 ナオの声が聞こえた。


「クロスが任務に失敗した私を見逃すはずがなかった。呪いはどうしようもないから……もういいのよ。この可能性を考慮してなかった私が悪いわね。やっぱり許されるはずなんてなかったの」


 わたしは振り返った。さっきは手首ほどまでしか黒くなかったというのに、今はもう腕の見える部分が全部呪いに蝕まれていた。立っているだけでも辛いのか、ナオは少しふらつきながらも笑みを浮かべる。


「さっき、彩とリンがああやって言ってくれて嬉しかった。迷惑をかけただけでごめんなさい。どうか、人間界を――」

「嫌だ」


 わたしはナオを遮って言った。これまでにないほどの語気の強さに、ナオが虚を突かれたように言葉をのむ。


「ナオ、もういいよって言ったよね。よくないよ。わたしがよくない。ここでナオを見殺しにするなんて、そんなのナオが許してもわたしが絶対に許さない!」


 さっきからずっと叫び続けている気がする。これだけ叫んでいれば誰か気づいてくれてもいいはずだけど。


「ここでナオを見殺しにしたら、本当にわたしは何もできない人間になる! 嫌なんだよ。これ以上誰かを失うのは絶対に嫌だ。だから、許さな――いっ!」


 ナイフから意識を逸らしていたからだろうか、わたしの足を押しのけてナイフが飛び出した。スニーカーが削られたけどそんなこと関係ない。


「しまっ……」


 ナイフはまっすぐにナオの方へ向かっていく。さっきまであんなことを言っていた癖に、今のナオの表情は誰がどう見ても「恐怖」だと言うくらいだった。当たり前だ。本心から死にたいなんて言うようなやつじゃない。


「『風魔』!」


 追い風で自分の体を吹き飛ばして、わたしは腕を伸ばした。腕がちぎれるんじゃないかってくらいに腕を伸ばして、伸ばして、伸ばして。


 あと少しのところで指先をナイフがすり抜けた。もう一度「『風魔』!」と唱えてまた手を伸ばす。と。


「『風よ、かの者を切り刻め!』」


 リンの呪文が後押しして、ナイフが少しこっちへ押し戻された。ほんの少しでも決定的な距離だ。指先がナイフに触れ、そのまま柄を掴んだ。


 どれだけ押さえつけてもまだ動くなら、とてつもなく遠い場所に持って行ってしまえばいい。さっきも、ナオがナイフを手放したら呪いが侵食するスピードが遅くなった。出来るだけ、遠くへ遠くへ……。


 息を吸う。無我夢中で声を振り絞った。とにかく必死で、ナオを助けるために。


「『此の術は過去と未来をも結び、希望をもたらす。星よ、いつまでも輝き続けろ。我らが世界をとくと見よ。そして叫べ。転移』!!!」


 転移魔法を、使った。


*********************


 一瞬の浮遊感、そしてその直後落下した。


「っだ!」


 思いっきりおでこをぶつけ、わたしは悶絶する。しかしナイフを手放すことは絶対にしなかった。

 両手でナイフの柄を握り、頭を振りながら立ち上がる。


 埃っぽい室内は狭く、椅子とベッド以外は特に何もない。ベッドの布団は妙に膨らんでいる。ログハウスといえばいいのだろうか。

 

 ……まったくこんなところに覚えはない。


 言葉を失うわたし。その理由は、見知らぬ場所だという理由以外にもう一つあった。

 

「――どうして、ここに」


 目の前に、椅子に腰かけている少女がいたからだ。わたしより一つか二つ年上だろうか。黒髪を腰に届く長さまで伸ばした清楚系美少女だ。その美少女が、わたしを見て目を瞠っている。

 そりゃそうだ。突然自分の部屋に見知らぬ人が現れてそれもナイフを握ってたら硬直もする。

 わたしは慌てて両手を振って否定の姿勢に入った。

 

「あの、これは勘違いで、その」


 何が勘違いなんだよわたしの馬鹿!

 テンパってうまく言葉が出てこないわたしに、少女が椅子から立ち上がった。


「そのナイフ。見せて」

「うあ、いやこれ危なくて!」

「いいから」


 早足でわたしの前まで来た少女が問答無用でナイフを奪い取った。さっきまで暴れていたナイフが、その少女の手に渡った途端、塩をかけられた青菜のようにおとなしくなった。

 呆気にとられるわたし。さらに、少女は衝撃的なことを口にする。


「これ、クロスでしょう?」

「……え?」

「このナイフに細工したの。こんなに面倒で特徴的な術式を組むのは、クロスしか考えられないから」


 淡々とした口調の中に静かな怒りを感じる。少女はナイフを握りしめてわたしを見た。


「これで貴女を殺そうとしたの?」


 有無を言わせぬ迫力があった。わたしは何度も首を上下に振る。呪いはわたしに向けられたものじゃないけども。


「そう、わかった。少し待っていてくれるかしら」

「はい。待ちます」


 もうこの人に従おう。そう決めたわたしは大きく頷いた。

 

 少女はナイフをしばらく観察していたけど、やがて「なるほど」と小さく呟いた。それからナイフを軽く回す。

 回転したナイフが青色の光に包まれ、ゆっくり減速しながら止まる。少女は柄をわたしに向けて「はい」と渡してきた。


「これで呪いは解けた。でも、くれぐれも気をつけて」

「は……これで、呪いにかかった人も元通りですか!?」

「ええ。安心して」


 軽く頷いた少女に、わたしはぶんっと頭を下げた。


「ありがとうございま……え、どうして呪いが解けたんですか」


 そういえば、クロスの呪いを解けるのって空の守護者だけだったんじゃ……。しかもこんな五分もかからない早さで、人間業じゃない。


 しかし少女は「簡単だけれど」の一言だけでわたしの質問を切り捨て、代わりに自分の質問を繰り出す。


「私も聞きたいことがあるのだけど、いいかしら」

「あ、はい。どうぞ」

「ここは異空間なの。しかもその中でも特殊な。普通はここへ来ることもできないのだけど、どうして貴女はここへ来られたの?」


 そこで納得がいった。どうしてあんな解呪が出来たのか。それは人間じゃないからだ。異空間にいるってことは相当ヤバい存在なんだろう。

 

「異空間かあ……」


 リンが言っていたことを思い出す。行先を考えていないと異空間に迷い込むことがあるって。必死過ぎて完全に忘れてたよ……。

 

 頭を抱えるわたしに、少女は少し首を傾げた。


「もしかして帰れないの」

「はい。情けないですが……」

「そう。手伝ってもいいかしら」

「はい。ってはい!?」

「わっ」


 突然体をのけ反らせたわたしに、少女が小さく声を上げる。


「え、手伝ってくれるんですか?」

「貴女が良ければの話だけど……」

「はい、本当に嬉しいですありがとうございます!」


 そう笑うと、少女も僅かに微笑んだ。それは初めて見る笑顔で、完全に人外だとみなしていたわたしはその人間らしい仕草に予想を裏切られたような気分になる。


 そんなわたしの心中など知らず、少女はわたしの肩に手を乗せて「いいわよ」と声をかけてきた。


「あ、はいっ。えー、『此の術は過去と未来をも結び、希望をもたらす。星よ、いつまでも輝き続けろ。我らが世界をとくと見よ。そして叫べ。転移』」


 その瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。埃っぽい部屋がどんどん遠くなっていき、わたしはぎゅっと目を瞑る。そうでもしないとひどく酔いそうだったからだ。リンの転移とは全く違う。

 首根っこを掴まれて引っ張られていくような不快な感覚。それが突然に変化した。まるで優しく背中を押されるような感覚だ。

 あまりの変わりように困惑する。そして、


「気をつけてね、彩」


 最後にそんな声が聞こえた気がした。



 

 彩が去っていった後、少女はベッドの方を振り返って声をかける。


「帰ったわよ、奏」

「ほんと……?」

「本当。そんなに怯えなくてもいいと思うのだけど」


 ベッドの上、丸く膨らんだブランケットから顔を出したのは奏と呼ばれた少女だ。


「ナイフ持ってたから怖くて」

「それは……でも、あの子も貴女と同じよ」

「わたしと?」


 茶色の目をぱちくりさせて奏は首を傾げる。少女は頷いて続けた。


「あの子――彩も、貴女と同じ人間だから」





 


 

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