第一章 30 思いをぶつけて
「――え」
わたしは目を見開く。話してナオの真意を聞こうと思っていた矢先にこれだ。恥ずかしいことを並べ立ててリンに決意表明してきたのに「死んでくれ」なんて、世の中甘くないなと現実逃避に近い考えが頭を駆け巡る。
「――――」
そして、目の前にいるナオも、躊躇いを許してくれるほど甘くなかった。ナイフでの刺突が繰り出され、わたしは咄嗟に後ろに飛びのく。
「うわっ!?」
ただでさえ雨で濡れた地面だ。急に後ろに踏み込んだわたしは、見事に足を滑らせてその場に転倒。その頭上をナイフが掠めるのを感じながら、わたしは傘を手放して横に転がる。ナオと距離を取ってから立ち上がり、ナオと向かい合った。
「小賢しいわね。流石、あれだけの魔法から生き延びただけあるわ」
「そりゃどうも……」
わたしを鬱陶しそうに見るナオは、やっぱりわたしが知っているナオと違う気がする。いや、絶対に違う。断言してやる。
「リン、近接戦得意だったりしない?」
「ごめんねアヤ君」
「わかってた! じゃあわたしから適度に距離を取りつついざとなったら緊急退避できるようにしておいて――っつ!」
リンと作戦会議中に、ナオがまたも攻撃を繰り出す。体を捻って完全に躱しきる……ことは出来ずに、避けそこなったナイフが頬を切った。
「緊急退避なんてさせるわけないでしょ。死んで」
「『風魔』!」
ナオの声に被せるようにして叫んだ。安定のそよ風がナオの髪を揺らし、ナオが笑う。
「それだけ。ふふ、馬鹿みたいね? そんなのでクロス様の力が込められたこのナイフに立ち向かおうって言うの?」
「そうだよ。馬鹿だよ。わかってるよ」
「そう。馬鹿は死んで」
ナオが一気に距離を詰め、わたしも『風魔』最大限の力で後ろに飛ぶ。最大限って言ってもこの前の足元にも及ばないくらいだ。自分の能力の波が嫌になる。
「死んで」
どこからどう見てもナオだ。姿は間違いなくナオで、クローンとかでない限り別人なんてありえない。
「死んで」
わたしの予想としては一つ。ナオは操られている。この予想も、わたしの都合のいい仮説をもとにして導き出している。まだナオのことを信じてしまっている。
そして、操られている誰かを正気に戻す方法も一つだ。
わたしは息を吸う。
「ナオ、わたし本当に楽しかったよ」
それはとても単純。ただ言葉を投げかけることだ。感情をストレートにぶつけるだけだ。
「死んで」
「タケたちと遊んだときとかさ。あの時はトランプしかしなかったけど、人間界にはまだまだたくさん楽しいゲームがあるんだよ」
「死んで」
「ナオ、誰よりもトランプ楽しんでたじゃん。また村に行ってさ、今度はリンも一緒にみんなで遊ぼうよ」
「死んで」の度に繰り出される攻撃をどうにかこうにか、時々浅く傷を受けながらもなんとかかわしながら呼びかける。
「死んで」
「次は……そうだ、すごろくとかどうかな。サイコロ投げて駒進めて、楽しいんだよ。わたしが手作りするから、罰ゲーム盛りだくさんで」
「死んで」
「ナオのおかげで、村の人たちに能力者だってバレた時も立ち直れたんだよ。本当に、ナオにもたくさん支えられた。ありがとう」
「黙って!」
ナオが血相を変えて叫んだ。わたしはこれまでに出来た切り傷の痛みを噛み殺しながらナオを見る。
「彩、私の能力は忘れたの?」
ナオはゆっくりとわたしに向けていたナイフを下ろす。
「別に、絶対に彩を刺さないといけないわけじゃないのよ。こうすれば簡単なの」
ようやく、ナオが言わんとしていることがわかった。
ナオの能力は、自分が受けたダメージを相手に跳ね返す。でも、だから、その能力でわたしを殺すつもりなら、ナオも――。
わたしの反応がお気に召したのだろうか。ナオはさも愉快そうに口元を歪めると、ナイフの刃先を自分の心臓へと向けた。
「ナオ、やめ――っ!」
そんなことしたら、ナオまで死んでしまう。
思わず手を伸ばしてナオに駆け寄ったそのときだった。
「引っかかった」
ナイフを持った反対の手、ナオの左手にあったのは、わたしが放り投げた傘だった。いつの間に拾っていたのか。予想外に足を止めるわたし。その隙を逃さず、傘の先がわたしの胸を鋭く突いた。
「がっ……」
その衝撃に息が詰まり、そのまま体勢を崩して後ろに倒れ込む。勢いそのままに頭をぶつけて一瞬意識が飛んだ。
「クロス様から、彩の心臓を一刺ししてこいって言われてるの。自分の能力を使う気なんて最初からなかったのよ」
倒れたわたしの上に乗り、ナオがナイフを構えていた。このまままっすぐに振り下ろせば、わたしの心臓に突き刺さるだろう。ここで風魔を使ったところで、今の調子じゃどうにもならないこともなんとなくわかる。
「そっか」
この至近距離じゃ、リンの転移もナオを巻き込んでしまうだろう。あれって触れてたら確実に転移されるから。
真下からまっすぐにナオの目を見る。こんな淀んだ色はしていなかった。昨日の夜、ナオは絶対にこんな目をしていなかった。
「哀れね。まんまと騙されて、こうして殺されるの。本当に哀れ。だから、もう終わらせてあげるわね」
「アヤ君!」
リンの声が聞こえた。わたしは「いいよ」と答え、ナオから目をそらさない。こんな状況なのにやけに落ち着いていた。この短期間で、わたしも成長したってことだろうか。それともこのまま殺されるつもりなのか。いや……どっちも違う。わたしは、ただ信じているだけだ。
ナオが見せてくれた笑顔は、本物だったと。
ナオがナイフを振り下ろす。わたしは目を逸らさずに、ただナオに笑いかけた。
「それでもわたしは、ナオを助けたこと後悔してないよ」
――数秒か、数十秒か、それとも数分か。
それだけ経っても、ナイフがわたしの心臓を貫くことはなかった。
冷たい雨が降る中、わたしは寝転がったままナオを見上げている。
「……どう、して」
心臓のすぐ真上、あとほんの少しの距離を開けて、ナイフがそこで止まっていた。
「どうして、彩は」
わたしをみつめるのは、わたしが知っているナオの目だった。深緑の中に物哀し気な光を宿す、なんだか落ち着く瞳だ。
やっぱり、と思う。やっぱり操られてたんだ。今のナオが、本物のナオだって。
瞳を揺らがせながら、ナオは掠れた声で問いかけてくる。
「私のこと、信じてくれたの」
そんなの決まっている。わたしは笑って答えた。
「ナオのご飯が美味しかったから。それと、さっきも言ったけど一緒に遊んで楽しかったから。励ましてもらったから」
「そんな理由で……!」
「そんな、じゃないよ。わたしにとっては全部が全部大事な理由。それを無価値なものみたいに言わないでよ」
強い口調で言うと、ナオは言葉を詰まらせた。わたしはゆっくりと俯くナオの手を掴む。
「それに、あんな風に頭を撫でてくれる人が悪者なわけないからさ」
躊躇いがちな優しい力を覚えている。あの不器用な、慣れていないような行動にわたしがどれだけ救われたか。ナオにはきっと伝わっていないだろう。
だから、ちゃんと伝わるように言わないといけない。
「ありがとう、ナオ。それで、これからも妖精図書館の料理人として一緒に来てくれないかな?」
何度か言ってるけど、ナオがいなくなったら本当にわたしとリンは死ぬと思うんだ。
冷たい雨の中で、温かな雨粒が一粒頬の上に落ちた。続けてぱたぱたと何粒も。雨を降らした張本人、ナオは静かに涙をこぼしながらわたしを見ていた。
「ごめん、なさい」
「あー……そっか」
「いや、違うの! その、裏切ってしまったこと。それを謝りたくて」
「ああ!」
てっきり断られたとばかり思っていたわたしは、ナオの続きの言葉にぱっと自分でもわかるほどに顔を輝かせる。
「いや、まずは立とっか。こんな体勢で話しててもなんかあれだ。緊迫感がある」
と、ここに来て今の状況の異質さを思い出した。ナオに手を貸してもらって立ち上がり、わたしはナオと向かい合う。
「あ、言い忘れてたけど、危ないことしてるから時々会ってくれる程度でも全然いいんだよ! まさか仲間になること強制なんてするわけないし、だから」
「ううん、私が彩やリンについていきたいの」
慌てて身振り手振りをつけて補足をするわたしに、ナオがきっぱりと言い切った。
「もちろん彩やリンが許してくれるならのことだけど……」
「ボクは全然構わないよ」
そこに顔を出したのは、今まで待機していたリンだ。リンは汗を拭う仕草をしながらわたしとナオを交互に見る。
「一時はどうなることかと思ったけど、良かったよ。アヤ君の主人公っぽいところをたっぷり見せてもらったから、あとは記録しておかないとね」
「やめて。ほんとにそれだけはやめて」
恥ずかしいセリフをこれでもかというくらいに吐いたから、今それを掘り返されると死ぬ。
リンに懇願していたわたしは、ふと視線を感じて振り返った。
もちろんその視線を送っていたのはナオで、わたしと目が合うと気まずげに俯いた。
「本当にいいの? 私は二人を騙して、こんなにひどいことをしたのに……」
「わたしもめんどくさい性格してるのは自覚してるけど、ナオも相当だな」
たぶんこのまま行っても同じことの繰り返しだ。ちらりとリンを見ると、かわいくウインクしてきた。
よし……。わたしも強制するのは苦手だけど。
「ナオ!」
わたしはビシッとナオを指さして叫ぶ。
「自分がしたことは許されないからとかうだうだ考えてるんならそんなこと気にするな! いつものビシッとクールなナオに戻れ! そんなに気弱なナオとか違和感ありすぎで怖いんだよ!」
「彩……?」
「それでももし、許す許されないとかの考えをやめられないんだったら」
訝し気なナオに構わず、わたしは声を高らかに続けた。
「わたし達についてきて協力しろ! それで全部チャラ! どうだ!」
指さしていた手をぱっと広げて、わたしはナオに手を差しだした。握手待ちの体勢。
口をぽかんと開けて珍しく間抜け面をしていたナオは、しばらくしてようやく表情を変えた。嬉しそうに微笑んで、手を伸ばし、
「うん。本当にありがとう、彩」
わたしの手を、確かに握った。
心の底からほっとして、すごく嬉しくて。この気持ちを表すために握手した手をぶんぶん上下に振ろうとして、そこで気がついた。
「ナオ、その手……」
ナオの手がじわりじわりと黒く染まり始めていることに。




