第一章 28 見えない答え
前回の幕間とこの28話、改稿して話の流れが少し変わっています。
翌日、朝ご飯を食べ終えたわたしは窓の外を見た。斜めの壁についている窓は、獣人界に繋がっているらしいということを以前リンに聞いた。つまり、あの窓から獣人界の様子が窺えるということだ。
そしてその窓の向こうは、台風並みの嵐だった。
「この雨の中は流石に無理だなあ……」
「昼頃には収まるみたいだから、午後からは行けるけどね。午前中は何をしようか?」
顔をしかめるわたしに、リンが声をかけてくる。午前はここで過ごすってことか。それならやりたいことがあった。
わたしは窓からリンへと視線を移す。
「ところで館長さん。ここの図書館にはどんな本がある?」
「ふふふ。よくぞ聞いてくれたね!」
その途端リンがキラリと目を輝かせた。即座にわたしは今の質問をしたことを後悔する。リンの何らかのスイッチが入ってしまったらしい。今までも何回かこうなったことはあるけど、絶対話が長くなるんだよな……。隣のナオがため息をつき、横目でわたしを睨んだ。
「ここは異空間なんだよ。獣人界、魔法界、人間界、どこを歩き回ってもここに辿りつくことはない。この図書館の管理者が入り口を開けない限りね。ここ、妖精図書館は、不思議で世界から少しはみ出した場所なんだ」
両腕を広げ、少し芝居がかったように語る。わたしはと言えば、また飛び出した聞きなれない単語に首を傾げていた。
「異空間?」
「そう。魔法や能力の干渉を受けた空間のことさ。だからこの図書館も一味違って、全世界の書物を取り寄せることができるんだ」
リンはそう胸を張り、得意げにわたし達を見下ろす。「どう? すごいでしょ?」と言わんばかりのわかりやすい表情だ。
「えっと……全世界、って、誇張とかじゃなくて?」
「もちろん」
自信満々で首を縦に振るリンに、わたしは思わず身を乗り出した。
「それじゃ、人間界の本も!?」
「もちろんあるよ。アヤ君がお望みの本を持ってきてあげようか?」
「うん! じゃあ、わたしの好きな本を……って言いたいところだけど、しばらくそれはお預けかなあ」
わたしは声のトーンを落として椅子に座りなおす。
「まず、人間界のエネルギーに関する本とかって持ってこられる? 『サルでもわかる』みたいなキャッチコピーがついてるやつだと嬉しい」
「サル? わかった、探してみるよ」
「ありがと!」
ぱちんと手を合わせて拝むわたしにまた得意げな顔をしてから、リンは本棚の奥に姿を消した。ナオがテーブルに頬杖をついてわたしを見ている。
「それで、次は何するつもりなの?」
「人間界のエネルギーのこと、勉強しようと思ってさ。石油とか石炭とかそういうのが関わってたりするのは知ってるんだけどそこまでだし、研究所に乗り込むなら専門的知識みたいなのも身につけておいた方がいいかなって」
「考えはいいと思うけど、なんかいろいろぼんやりしてるわね」
「でしょ? だから、その準備だよ。今日はあれ以上あそこで張ってても何も起きなさそうだし。あ、ナオが暇ならあそこ見張っててくれても全然オッケーだからね。喜んであんパンと牛乳を支給するよ。張り込みといったらその二つがマストアイテムでしょ」
「いつもに増して言ってることがわからない……」
ナオは困惑顔を浮かべ、それから食器を重ね始める。
「彩が勉強するなら、私は洗い物してくるわ。研究所をどうにか出来るように頑張って」
「おー、ありがと」
そんな風にナオを見送ったものの……
「全っ然わからん!」
リンが持ってきた本を前に、わたしは頭を抱えた。
確かにタイトルに「サルでもわかる」とは書いてある。でも、こんなの絶対理解不能だ。そもそもこの本は卒業間近の中学三年生向けではない。
リンは絶望的な様子のわたしを見て「もっとわかりやすそうなものを探してくるね」とどこかへ飛んで行ったものの、それから二時間近く経った今も帰ってこない。つまり、これが一番簡単だということだ。
そう結論づけて、わたしは何時間もテーブルで本にかじりついている。窓の向こうの嵐も、もうそろそろ収まるだろう。
「随分と苦労してるわね。彩はサル以下だったの? はい、ココア」
「さんきゅー……。サルってかなり賢かったんだなって感想しかまだないよ。あーココアの甘さが沁みるー」
「そもそもサルの獣人って、結構知能が高くて有名なのよ。研究所もサルの研究員多いんじゃない?」
「なるほどな。この本は獣人界のサル基準ってわけか」
人間界の本だからそんなはずもない。ただただわたしの脳が追いつかないだけだ。もっと基礎的な知識から積み重ねていかないと追いつけないかな……。
ホットココアをちびちび飲んでいると、ナオがわたしの手元の本を覗き込んできた。「うわ」と露骨に嫌そうな顔をする。
「やっぱり言葉が読めないから何もわからない。何これ、ごちゃごちゃしてて本当に文字なの?」
「文字だよ。これは漢字と言ってな、日本人でもかなり苦戦する厄介なやつだ」
そういえば日本語ってひらがなカタカナ漢字とあって、外国の人からしたら難しいってテレビで見た気がする。そりゃジャパニーズのわたしも難しいし。
ナオはふむふむと小さく頷いている。二人で顔を突き合わせて本を覗き込むもそれ以上何かわかるわけでもなし、これはいっそのこと獣人界の鉱産資源を調べた方が有意義なんじゃないかと思うほどだ。
「あーくそ、わからん! こんなの中学校卒業レベルが勉強することじゃないって……」
「彩」
ヤケになって前髪をぐしゃりと掴んだとき、ナオが声をかけてきた。本をパタンと閉じてから立ち上がり、わたしを見下ろす。その表情は、いつもより柔らかに感じた。
「気分転換に、昼ごはんの準備手伝ってくれない?」
「……えー、気分転換になるの、それって?」
「それを読み続けるよりは絶対マシだと思うけど」
なんだかんだ言いつつ、わたしも単純な人間だから「気分転換」というワードにつられて腰を浮かせていた。ナオは歩き出しながら首だけでわたしを振り返る。
「昨日の昼は失敗したから今日取り戻さないといけないの。あれは彩のせいでもあるんだからね」
「んな理不尽な。ソース焦がしたのは完全にナオのミスだよね?」
「そんなこと言う奴にはご飯作ってあげないから」
「ちょ、待ってよナオ! 手伝うから!」
わたしは慌てて立ち上がり、ナオの後を追った。
*************************
昼ご飯を終えたわたしは、また研究区画の前に来ていた。さっきまでの嵐は過ぎ去り、嘘のように晴れ渡っている。台風一過の青空ってやつだ。久しぶりの快晴に、わたしは目を細める。
一方で、そんな天気には目もとめず、リンが研究区画の方を見て嫌そうな声を上げた。
「うわあ、アヤ君の話は本当だったんだね。侵入できそうにないな」
「ちょ、あんまり顔出すな。見つかったらヤバいから!」
カバンの縁に手をかけて顔を覗かせるリンを、わたしはひやひやしながら押し込む。しかしリンも粘りを見せ、結局わたしが根負けした。
「なんか姿変える魔法ってないの? 変化―とか言ってパパッとさ」
「それがあったらとっくに使ってるよ」
「ですよねー」
そりゃそうだ。そんな魔法があったら、こうしてフードで顔をかくす必要もないわけで。
はははと乾いた笑いをもらしていると、やたらとリンの視線を感じた。
「なに?」
「いや、それでも可能性があるとしたらアヤ君かなって思ったからさ」
「わたし? ……って、ああ。コピーの話ね」
「そう。アヤ君のコピーはなかなか興味深い能力だからね」
リンは顎に手を当てて難し気な表情だ。その眉間には少し皺も刻まれていて、妖精には似つかわしくない。妖精ってのは、もっとメルヘンにニコニコ笑ってないといけない気がする。
「アヤ君の能力は、恐ろしいよ。今のレベルだからかわいいものだけど、これを完璧に使いこなす相手が現れたらどうする? 成す術もなく翻弄されて終わるね」
「怖いこと言わないでよ」
でも、裏を返せば、わたしがその立場になれるかもしれないってことだ。今現在使える能力は二種類、しかも使えるときと使えないときがある波のある『コピー』。……リンが言った次元にまでたどり着くのは、ちょっと無理があるなあ……。
「きっと、アヤ君が他人の能力をコピーできるのは君の能力耐性が低いからだね。他人の能力を受け入れて自分のものにする。能力耐性が高かったら不可能だったよ」
リンの能力分析を聞きながら、わたしは研究区画をみつめる。
あの向こうの研究所には、能力者たちが大勢いるんだろう。もしその人たちと関わって使える能力の種類が増やせたなら、わたしももっと役に立てるはず。わたしの能力は「数イコール強さ」で直結するし。
「まずはナオの能力をコピーさせてもらって……って、あれは頼みづらいか。ナオが怪我すること前提だし」
それはわたしとしても避けたいところではある。それに、あの能力はどうあがいてもダメージを受けるし。その能力を使用された状態じゃないとコピーできないのが難点なんだよな。
「にしても、ナオはどこに行ったんだろ」
わたしはここにいない少女のことを思い出し、眉をひそめる。
『私、少し用事があるから先に行ってくれない?』
城下町に着いた直後、ナオはそう言って首を傾げた。用事があるなら引き留める理由もなく、そのままリンと二人でここで研究区画を睨んでいるんだけど。
「まあ、ナオ君もいろいろあるんじゃないかな」
「いろいろ、ね」
「いろいろだよ。そうだアヤ君、ナオ君とはうまくやれてるかい?」
ふと思い出したようにリンは手を打ち、それから少し苦笑いした。
「って、そんなこと聞かなくてもいいか。もうだいぶ打ち解けてるみたいだもんね」
「んー」
歯切れの悪い返事をするわたしに、リンは首を傾げた。
「どうしたんだい?」
「いや、なんかさ」
昨日の昼のナオの言葉を思い出す。
『私には、彩のことを友達って思う資格なんてないのかもしれない』
「友達って、難しいなーと思って」
リンがさらに首を傾げた。
************************
今まで、誰一人越えることが出来なかったと言われる険しい山脈を越えた先に、その宮殿はあった。
上等な黒い鉱石で築かれたそれは、昼間だというのに不気味に黒く輝いている。空には何匹もの竜が飛び交い、しかし、山脈に囲まれたこの場所は誰にも気づかれることはない。
ここは、クロスが拠点としている「竜王殿」だ。
コツコツと早い歩調の靴音が、冷え冷えとした廊下に響く。廊下はいくら歩けど先が見えず、延々と続き、自分が地獄へと誘われているかのように錯覚する。
いや、間違いなく私は地獄への道を歩んでいるのだ。この状況を愚かだと言わずに何と言おう。少女――ナオは口を歪めて笑った。
しばらく進んだところで、ナオは足を止めた。その視線の先にはとてつもなく巨大な扉がある。竜の彫刻が施された扉の片側を押し開け、どうにか体を滑り込ませられるくらいの隙間をつくる。ナオはそこから中に入り、その場に跪いた。
竜王クロスが、薄いベールの向こうで身体を揺らした。
「待っていたぞ。……とは言っても、この間の中間報告でおおよそわかってはいるがな。まさかあいつを倒されるとは思ってもいなかった」
「申し訳ありません」
「気にするな、どうせ作り物だ。この機会にもう少し強化した竜を生み出してみるか」
声の主――クロスは低く這うような声で笑う。
「上手くやっているようだな? こっちの仕事もこれくらい熱を入れてやってほしいものだが。元はと言えばお前の仕事態度でこうなっているのを忘れたか? それはともかく、奴等もお前がまさかこっち側だとは思っていないだろう。クックック……愉快、愉快だな」
「……『生き残り』の報告ですが」
ナオは何かを堪えるように喉を震わせ、それから口を開いた。
「彼女は本当にただの人間です。能力こそ持っていますが、実力はありません。人間界のあれから生き延びたのもただの偶然でしょう。わざわざ……クロス様のお手を煩わせてまで始末するほどの存在ではありません」
「そうか。それが、お前が密偵として潜り込んで出した答えだな?」
「はい」
「そうかそうか。しかしな」
クロスは至って軽い口調で切り返す。ナオは短く息を呑んだ。
「せっかく俺が人間どもを異空間に封じ込めたというのに、その生き残りがこうしてこの世界にいるんだぞ? それは気分が悪い。それにな、俺はあいつが嫌いなんだよ」
「嫌い? クロス様が、彼女を、ですか」
「そうだ。俺の主に似ていて気分が悪くなる。俺の主は唯一無二の存在だ。誰一人として我が主に近づくこともできない。あまりにも崇高なものだから、理解すらできない。悲しいかな、しかし俺はただ一人、主を理解できる」
流暢に主を語るクロスの姿は、世界を脅かす竜王というよりは存在しない神を信仰する狂信者のようだ。ナオは頭を垂れたままじっとクロスの話を聞き続ける。
「だから、俺は主が汚されるようなことを許さない。あの人間の存在を認めない。しかし、お前はわざわざ俺が手を下すまでもないと、そう言うんだな?」
「……はい」
背筋を冷汗が伝う。どうにかしてあの人間が殺される結果は避けなければならない。しかし、ここまであの少女に嫌悪感を露わにしているこの竜王が、簡単に諦めるだろうか。
すぅ、と短く息を吸ったとき、クロスが「こうしよう」と動いたのがわかった。
「お前が殺せ」
風を切る音、それと同時にナオの目の前にナイフが刺さった。柄から刃まで、竜が巻き付くように彫られたナイフ。
「――え」
言葉を失っているナオに、クロスは楽し気に続けた。
「お前の手で殺せ。生き残りの人間――彩だったか? そいつの心臓をそのナイフで貫いて来い。やってくれるな、ナオ?」
その瞬間、ナオの表情が一変した。
恐怖と緊張に強張っていた顔が一瞬で何も浮かばない無表情になり、反論しようと開きかけていた口は縫い止められたかのように引き結ばれる。
ナオは顔を上げると、ゆっくりと手を伸ばしてナイフの柄を掴んだ。絨毯に深く突き刺さったそれを引き抜き、また深く頭を垂れる。
「仰せのままに」
竜王殿に、竜王の低い笑い声が響いていた。




