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第一章 幕間 祈り

「やー、今日も疲れた!」


 お風呂から上がった彩が、ぐぐぐと背伸びをしながら叫んだ。

 

 吉田彩。クロスが引き起こした人間界の悲劇の生き残り。コピー能力者で、侮っていると危険かもしれない。子供っぽい性格で、子供たちともすぐ仲良くなる。


「慣れない場所はやっぱストレスにくるよ。やっぱり慣れたここが一番! 最高です! ってことで先に部屋に戻るね。おやすみー」

「相変わらず騒がしいわね……」

「仕方ないじゃん。これが性分なんですー」


 彩の背中に向かってぼそりと呟くと、彩はサイドテールを振って振り向いた。そういえば、彩の髪を下ろしている姿を見たことがない。お風呂上りでも朝ご飯のときでも、いつも空色のリボンで髪を横で結んでいる。適当に生きてる癖に、そこだけは律儀だ。

 ――この少女が適当に生きているわけじゃないと知っているけれど。


「そう言ってもらえて何よりだよ。おやすみ、アヤ君」

「リンは優しいなあ……。おやすみー」

 

 彩はいつものようにニコニコ笑いながら、騒がしく部屋に戻っていった。

 手を振り合う彩とリンを眺めていた私は、こうして自分がここにいることに罪悪感を覚え、ふいと顔を背けた。


 ――私は、クロスに命じられ、妖精図書館に潜り込んだ密偵だ。


「それじゃ、私も部屋に――」

「あ、ナオ君は待って。話したいことがあるんだ」


 腰を浮かせたとき、リンに声をかけられた。別に普通。今までにも、リンに呼び止められることは何度もあった。それなのに、


「な、何?」


 直前までそんなことを考えていたからだろうか。声が上ずってしまった。下手すぎる。不自然すぎる。

 でも、リンは特に気にした様子もないまま私の目の前、いつもの席に座った。


 リン。ここ、妖精図書館の館長。何か理由があるのだと思うけど、この図書館には私達以外の人が来ない。彩をこっちの世界に連れてきた張本人で、彩が生き残った一番の理由だ。


「ナオ君に伝えておこうと思ってね。アヤ君のことなんだけど」


 リンは少し悲しそうに微笑む。あまり見ない種類の笑みだった。リンも彩も、いつも朗らかに笑っているから。

 息を詰まらせながら繰り返した。


「彩の、こと?」

「そう。彼女ああやって振る舞ってるけど、やっぱり人間界のことがあってからまだそんなに経っていないんだ。無理してる部分もあると思う。君も知ってるかもしれないけど、アヤ君はやたらと自分のせいだって思いこんで思い詰めていくところもあるから。だから、ナオ君に頼もうと思って」


 ひやりとした。リンは、私に何を頼むって言うの。こんな私に、何を。


「これからも、アヤ君を支えてあげてくれないかな」


 リンが、純粋な笑みを私に向ける。彩の気遣いと私への信頼。何の汚れもないままで、目が眩むほど眩しくて。久しぶりに感じる痛みが、心といわず全身を支配する。


「昨日、アヤ君のことを友達って言ったんだろう? アヤ君から聞いたよ。嬉しそうだったなあ。これからも仲良く、アヤ君のことを支えていってあげてほしい」

「……どう、して、私が」

「え?」


 息を吸う。呼吸を整えてから、私は続きを口にした。


「どうして、私なの? こんなこと言ったらあれなんだけど、彩と付き合いが長いのはリンでしょ? 私はリンより彩のことを理解できてる自信なんてないし、支えるなんて大層なこと出来ないから」


 今度は声を震わせずに言えた。さっきは動揺していたけど、今はだいぶいつも通りの口調で話せたはず。大丈夫。


 リンは私の質問に小さく笑う。どこか芝居めいた笑い方で、私の方へ手のひらを向けた。


「それは、ナオ君が登場人物だからだよ。アヤ君とボクの二人だけだったときはそれはボクが否が応でも進めないといけなかったけど、今は違うだろう? アヤ君とナオ君が中心となって物語を進め、ボクはそれを書き留める記録者に徹する。そんなに上手くはいかないだろうけど、それがボクの、何より彼女の望む道でもあるんだ。君にはそれに協力してほしいんだよ」


 よくわからないけど、そういえば、前に彩から聞いた気がする。彩が妖精図書館に招かれた理由は、彩の物語を書くためだとか。それに関係しているのだろうか。


 何を言っていいのかわからず躊躇ってしまう。それくらいに今のリンの話はわからなかった。リンは「まあ」と腕を下ろす。


「簡単に言えば、アヤ君とナオ君で仲良くやっていってほしいってことだよ。なんか君たちって似てるようで反対でそっくりだし」

「それってどっちなの……?」

「君にならできるよ」


 きっぱりとリンが言い切った。ハッとして顔を上げると、リンがまっすぐな目で私を見ている。何の揺らぎも迷いもない。その瞳に映る私は情けなく歪んでいた。

 リンは自信を込めた笑みを口元に浮かべてから、私の横を通り過ぎた。


「信じてる」


 ボクも疲れちゃったよ、と肩を回しながら、リンは自分の部屋へ戻っていく。小さなドアがパタンと閉まるまで、私は息をすることも忘れて妖精の背中をみつめていた。




 信じてる。


 布団を被っても、リンの声が糾弾するように頭の中で反響していた。何度も寝返りを打って、窓の外を眺めて、それでも眠りが都合よく夢の世界へ誘ってくれるわけもなかった。


 心臓が早く脈打ち続けている。今日の昼、クロスに会った時からずっとだ。私は心臓の辺りをぎゅっと掴んで目を瞑る。


 ――事の発端は、私が任務を十分に果たしていないことが知られてしまったことだった。

 普通なら即刻首を切られていてもおかしくない。でも、普通とは違う理由でクロスに仕えていた私は、最後の機会を与えられた。

 それが、ここ妖精図書館に潜り込み、吉田彩を調査することだった。


「……眠れない」


 時計を見る。暗がりの中で、月明かりに照らされた文字盤がぼんやりと深夜を示していた。

 私は起き上がって床に足をつき、部屋の外に出る。


 何か温まるものを飲もうと思った。昔、眠れない夜は母さんがお茶を淹れてくれた。貧しくて食べるものもろくになかったけど、母さんは植物に詳しかったから、お茶だけは美味しいものが飲めたんだっけ。まだ家族が揃っていた頃の話だ。


 廊下を歩いてキッチンへ向かっていると、明かりが点いているのがわかった。最後にキッチンに入ったのは……ああ、彩だ。大方彩が消し忘れたんだろう。

 そう結論づけてキッチンに足を踏み入れると、


「え」


 誰かが床の上でうずくまっていた。膝を抱え込んでいたそれが顔を上げ、そこで私もようやく誰か理解する。


「なんだ、ナオか……」


 彩だった。髪を下ろし、前髪をとめているピンをはずしたその姿は、いつもの彩とはまるで違っていた。

 でも、目を向けるべきはそこじゃない。


「どうしたの、そんなところで」


 夜中のキッチンでうずくまっている。明らかにただごとではない状況で、そこから外れた思考をするほど自分は馬鹿ではないと思っている。

 

 声をかけると、彩はゆっくりと首を振った。


「なんでもないよ。ナオも用事あるんでしょ。夜遅いし、早く済ませて自分の部屋戻って寝た方がいいって」

「彩がそれ言うの?」

「…………」


 彩が口をつぐみ、それから何も言わなくなった。暗闇の中、ぽっかりと切り取ったように明るいこの場所で、彩と二人沈黙だ。

 それでもこの場を離れたらいけない気がして、私はポットを準備した。牛乳を出して温め、チョコレートを溶かす。こういう時は甘い方がいいかと思って、砂糖もスプーン一杯入れてみた。


「その、はい」


 まだ顔を上げない彩に向かってマグカップを差し出す。彩もここに来たのなら何か飲もうと思っていたはず、という根拠の薄い推論からのホットチョコレートなんだけど、どうだろう。本当に、ここまであまり人と関わらずに生きてきたから、こういう時にどうすればいいのかわからない。


「……夢、見たんだよ」


 彩の手が伸びて、マグカップを受け取った。視線をホットココアに落として続ける。


「人間界の夢。まだ見ちゃうんだよね。それで今日も目が覚めて、怖くなってここに来たんだけど、何か飲もうって気力も湧かなくて。なんでここに来たんだろうね。まさかナオも来るとは思ってなかったよ」

「私も、彩がいると思ってなかった」

「でしょ。隠れ人気スポットなのかもね、ここ」


 彩は短く笑った。まるで別人のような雰囲気で、寂し気に。


「わたしなんにもできてないんだよ。弱いまんま。情けないよね」


 何もできていないのは、私の方だ。この状況で、まだどうしたらいいのかわからなくて動けない自分が情けない。そんな資格はないのかもしれない。それでも、何かをするべきだ。

 ふと、懐かしい記憶が頭をよぎった。


「ん」


 怖い夢を見たと泣きついた時、母さんがこうしてくれた。大丈夫、お母さんがいるからね、って優しく声をかけながら。

 私は彩の頭に手を乗せ、恐る恐る、母さんがしてくれたようにその頭を撫でていた。

 目を丸くした後、彩はおかしそうに笑い声をあげる。


「あはは、ほんとにナオってお母さんみたいなことするよね」


 当たり前だ。母さんの姿を思い浮かべながらやっているんだから。


『アヤ君はやたらと自分のせいだって思い込んで思い詰めていくところがあるから』


 ほんの数時間前に聞いたリンの言葉を思い出し、私は口を開く。


「人間界のことなんて、彩のせいじゃないでしょ。そんなに思い詰める必要なんてないわよ」


 口に出してから、私はなんて身勝手なことをしているんだろうと思った。

 私はクロスについているのに。そんな立場でよくもまあ「思い詰める必要はない」なんて言えたものだ。自分の図太さに嫌気がさす。


「ううん。わたしは生き残ったから。だから、人間界のみんなの分、わたしが背負って立ち向かって行かないといけないんだよ。必要ないとかできるできないとかそういうんじゃなくて、やらないといけないんだよ」


 返って来た彩の声は、さっきよりも落ち着き、はっきりとしていた。その声につられるようにして撫でるのをやめる。彩はホットチョコレートに口をつけ、「甘いな」と呟く。


「――彩は、この世界が滅んでしまえばいいとか、そうやって思ったことはないの?」


 その横顔を見ていたら、つい口をついて出ていた。しまった、と思うのと同時に彩が驚いたように私を見る。


「滅んで……? いや、ないよ」


 彩はマグカップを少し上げて、おどけたように答える。


「だって、こっちの世界に来て、まずリンがいて、ナオにも会えて、タケとかマツさんとかウメさんとか、いろんないい人とも出会えたじゃん。ほんとに、それに救われたんだよ。今はいろいろあって歪んでるけど、その歪みがなくなったこの世界を見てみたい。心の底からそう思えるくらいに、わたしはここが好きだよ。なんかこんなこと言うの恥ずかしいけど」


 ああ、全然違うじゃない。

 的外れなことを言っていたリンに、私は心の中で反論する。

 この子と私が似てるなんて冗談じゃない。全然、まったく違う。正反対だ。

 

 照れ隠しのようにぐいっとホットチョコレートを飲み干した彩に、私は声をかけた。


「彩、人間を異空間に封じ込めたのはクロスよ。奴は、この世界を自分のものにしようと目論んでいる」

「……そっか」


 彩の様子は至って平静だ。何度か咀嚼するように頷いた後、流しにマグカップを置いて私を振り返る。


「ありがと、ナオ。ナオは竜とかに関する情報を持ってるから本当に助かるよ。ナオがいなかったら、タケを助けられなかったと思うし。ありがとね」


 笑顔を私に向けて、手を振って去っていく。


「情けない姿見せて、ごめん」


 彩が廊下の奥に姿を消した。今ここで、見たこと聞いたことすべてが痛みとなって全身を駆け巡る。


「――っ!」


 甘ったるいホットチョコレートを流しにひっくり返した。何も激しい運動をしたわけではないのに息が切れている。

 わけがわからない感情が押し寄せてきて、自分が何を感じて何をしようとしているのかもわからない。あるのは混乱だけだ。……いや、一つだけはっきりとしたものがある。


 吉田彩は、あの人間の少女は、絶対に殺されてはいけない。


 ここで暮らすうちに、彩もリンも、どうしようもないくらい大切だと思うようになってしまった。ここで過ごす時間があまりにも楽しくて、久しぶりに感じたこの感情が幸せなんだと気づいた。それに気づかせてくれた。

 そして、不器用に立ち上がる人間の姿を、もっと見ていたいと望む自分がいることに気付いてしまった。その背中を押してあげたいと願う自分も。

 ――それが叶わないこともわかっている。


 明日、クロスに報告に行こう。

 生き残った人間の少女は、殺されるほどの価値を持っていないと。たまたま生き残ってしまっただけの、幸せで不幸な人間だと伝えなければならない。どうにかして、クロスが彩から興味を失うようにしなければならない。あいつはつまらないことと無駄なことを嫌うから、彩にそんな価値がないと分かれば殺すなんて無駄なことはしないだろう。

 たとえ私の首が飛んだとしても、彩だけは守らないと。それが、私が彩に出来る償い。幸せを思い出させてくれたことへの恩返し。


 こんなこと、私に言う資格がないことはわかっている。それでも、そうわかっているけれど、私は祈りを囁いた。


「このまま彩に何事もなく、また人間界で笑いあえる日が来ますように……」

 

 それだけをただ祈ってる。

 

 

 

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