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第一章 22 憎悪と恐怖と新たな誓いと

「『風魔』!」


 全力で叫び、風が竜を翻弄する様子を鮮明にイメージする。なのに、


「ギェ?」

「え…」


 生まれたのは、辺りの雨粒をはじくだけの弱々しいものだった。竜の眼がギョロリとわたしに向き、背筋を恐怖が這い上がる。

 

「『風魔』! 『風魔』『風魔』『風魔』『風魔』!」


 何度も繰り返し叫ぶも、威力はましにならない。それどころか劣っていくばかりだ。


「彩、落ち着いて!」


 そんなわたしの肩を引いて止めたのはナオだ。わたしはナオに縋りつくようにして叫ぶ。


「ナオ、タケが……! ナオの能力でどうにかならない!?」

「……私の能力じゃ、タケまで巻き込む。それに、まだ条件が揃ってないのよ」

「そんな……って、タケが!」


 わたし達が口論している間に、竜がぐんぐんと高度を上げ始めた。わたしはもう一度『風魔』を使うも、何の力にもならない。

 タケを咥えた竜が山の向こうへ姿を消すのを、ただ茫然と見つめることしかできなかった。


「冷静に、判断してる場合だったの?」


 わたしはナオに問いかける。


「あの時ナオが能力を使ってたら、もしかしたらタケが助かってたかも、しれないじゃん」

「冷静さを欠いたら駄目なの。それに……どのみち、あの時は私は何もできなかった」


 淡々としたナオの口調に、わたしは苛立ちを抑えられなくなった。強く手を握りしめる。


「ナオの能力ってなんなんだよ! 何もしなかったくせに、そうやって冷静に……」

「さっきから言ってるでしょ! 落ち着きなさいよ。周りを、見なさいよ……」


 わたしの八つ当たりに対して、返ってきたのは泣き出しそうな声だった。その声に、わたしは突然に夢から覚めたような、現実に引き戻された感覚を覚える。

 体を強く打つ大雨。ゆっくりと振り向く。

 わたし達は、村人たちに囲まれていた。


「なあ、お前ら、能力者なの……?」


 お母さんにかばわれているミトが、怯えたようにわたしを見ていた。ミトママは対照的に唇を噛んでわたしから目を背けている。まるで、能力者を一時でも信じてしまった自分を恥じるように。


 ――軽率だった。わたしが愚かだった。


 自分が能力者だってばれてしまったら、どうなるかなんてわかっていたつもりだった。それなのに、自分の実力を見誤って無鉄砲に突っ込んで、その結果がこれだ。誰も幸せになんてならず、積み上げた信頼も壊してしまった。

 わたしは、馬鹿だ。


 お母さんの方へ走り出した女の子が転ぶ。ナオと遊んでいた子だ。ナオが一歩近づくと、女の子は顔を引き攣らせて泣き始めた。


「いやだぁぁ。来ないで、来ないで!」

「ノノ!」


 お母さんがその子を抱き上げ、わたし達からすぐに離れる。ナオが踏み出した足と伸ばしかけた手を静かに戻す。


 さらに怒号が飛んできた。


「お前らは、子供たちを守るためにここにおったんじゃろうが! お前らがいなかったから、タケは飛び出した。あんな危険に自ら飛び込む必要なんてまったくなかった!」


 この前のおじいさんがわたし達に向かって怒鳴る。わたしはその怒りを受けて、ただ黙っていた。

 わたし達がいなかったから、タケが。タケなら勇敢なこと、やってしまう。それだけの心構えを持っていた。


「待って。こいつらはさっき村の外から入ってきたのよ! あの竜に手引きしていたに違いないわ! 能力者は……こいつらは、間違いなく『竜の眷属』よ!」


 一人が甲高い声で叫び、それから村全体がざわめきに包まれた。


「どうしてこんな奴らなんかを信じちまったんだ……」

「許せない。子供たちと遊んでいるふりをして、何か危害を加えていたんじゃないの?」

「能力者といってもたかが子供二人だ。俺たち全員で行けば捕獲できるだろう」

「正気か!? 子供だが、能力者なんだぞ! 何をしでかすかわからない!」

「どうして誰も気づけなかったのよ! 私の子が危険にさらされていたっていうのに……」


 ミトはじっとわたしをみつめている。モリは怯えてわたしを見ることすらできないように、目を手で覆ってうずくまっている。ロクはお父さんに何かを必死で伝えている。ナオと一緒にいた女の子グループは、ずっとお母さんに抱き着いて泣きじゃくっていた。


 全部、わたしが招いたことだ。


 能力者。その存在は呪いをもたらす。平穏だった村が悲しみや憎しみに囚われるように。わたし達がいかにこの世界に認められない存在かが、懇切丁寧に目の前に叩きつけられたかのようだった。


 わたしはゆっくりとフードをはずす。カチューシャも取って、人間の吉田彩の姿になって。そうすると、より村人たちに恐怖が宿ったようだった。

 今だけはそれに気づかないふりをして、一番の被害者でありながらも一度もわたし達を糾弾しなかったタケの両親に向かって、頭を下げた。


「ごめんなさい。こんなことになってしまって」

「彩さん……」

「わたしのせいです。だから、絶対にタケ君を助けてきます」


 自分が、まともに声を出せたのかすらもわからない。混乱が頭の中で渦巻いて、どうしたらいいのかも見失って、それでもどうにかこうにか絞り出して。

 その掠れた声を置き去りにするように、わたしは走って村を出た。



「はあ、はあ……っあ!」


 どれだけ走っただろう。竜が姿を消した山に向かって走り続けていたわたしは、大雨でぬかるんだ地面に足を取られて転んだ。

 べしゃりと重い泥が顔にかかり、服を汚す。わたしは地面に手をついて体を起こし、それでもまだ立ち上がれないままぼんやりと呟いた。


「何してるんだかな……」

 

 自分がどうして走り続けていたのか。その理由はもうとっくに見当がついている。

 

 逃げたかった。あの村が恐かった。こわくてこわくて、距離を取りたくて、走っていた。

 それなのに逃げられない。

 どれだけ走っても、向けられた怒り、悲しみ、恐怖の感情が棘のように突き刺さったまま抜けない。村人たちのざわめきが耳の中で反響している。

 あんなこと言って飛び出してきたはいいけど、あの竜が山のどこへ行ったのかも見当がつかない。

 立ち上がる気力がなくて、手をついた体勢のままぼんやりしていると、


「何してるのよ」


 泥がはねた。ナオがわたしの前に立っている。わたしは申し訳なくて、顔を上げることもできなかった。


「ごめん」

「何のこと?」

「能力のこと、わたし、なんにも考えてなかった」


 目先のことしか見えてなくて、ナオまで巻き込んでしまった。


「ごめん。もっとうまくやる方法、あったはずだよね。落ち着いて考えてたら、ナオの忠告聞いてたら、いや……わたしがもっと、頭良くて強かったら」


 いつ、どんな場でも安定して能力を使えたなら。

 考えれば考えるほど、自分の至らなさが突きつけられる。もう何を言ったらいいのかわからなくて、自分に何が出来るのかもわかんなくて、そこから声が出なくなる。


「確かにあの場で隠しもせずに能力使ったのは迂闊だったかもしれないけど」


 でも、と続けるナオの声は、どこか緊張しているようだった。


「私は、私には、出来ないことだった。理屈ばっかり考えて、結局私は動けなかった。だから……私、彩のことすごいなって思った」

「ナオ……?」


 わけがわからなくて顔を上げる。でも、ナオが違う方向を見ていたからその表情を窺うことはできなかった。ナオはそっぽを向いたまま続ける。


「彩は自分だけを責めてるけど、そんなことないでしょ。私達二人とも悪いところがあった。それならその責任も半分にして、二人であの小さいヒーローを助けに行かないと」


 ナオの声が、その一言一言が、耳に残る村人たちの声を押しのけて聞こえてくる。


「だから立って。私を助けに来た吉田彩は、そんな顔しないわよ」


 ナオがくるりと振り返った。その整った顔立ちに、なんだか不器用な笑顔を浮かべて。

 全身を貫かれたような衝撃が走った。

 何度も心を覆い尽くした能力に対する恨み。それが一瞬で晴れて、今までの感情がまったく別のものに変化する。


「――そっか。そう、だよね」


 腕に力をこめて立ち上がった。どこを見ても泥だらけで恰好なんてつかないけど、せめてもと手の甲で顔についていた泥を拭う。


「うん、その通りだよ。情けない姿見せちゃってごめん。タケを探しに行こう」


 村のために小さな体を張って飛び出して行ったヒーロー。わたし達は、その勇敢なヒーローを助けに行かないといけない。


「二人で行こう!」


 わたしは笑った。ナオの中にいる、主人公の「吉田彩」になりきるために、堂々と自信をもって。




「ただ……何も手掛かりがない」


 山に向かって早足で歩きながらわたしは呟いた。目指すのが前方の山だということはわかっていても、そのどこに竜が潜んでいるのかはまったくもって不明だ。それに……こんなこと考えたくないけど、もう既にあの山からも移動している可能性だってある。


 無意識のうちに歩調が速くなっていくわたしに、ナオが声をかけてきた。


「焦らなくても大丈夫。あの山に竜の住処がある。あいつは間違いなくあそこにいるから」

「え」


 わたしは数歩後ろにいるナオを振り返って尋ねる。


「知ってるの? その竜の住処の場所」

「…………知ってる」

「本当に!?」


 突然に差し込んだ希望の光に、わたしはさっきとは別の感情で歩調が速くなった。


「じゃあここからのナビゲートはナオに頼んでいいかな? それで、あとはリンに連絡してこっちに来てもらって……」


 ぶつぶつと独り言をつぶやいて脳内を整理していたわたしは、そこである重大な事実に気がついた。


「そういえば、リンと連絡する手段持ってない……!」

「今更気づいたの?」

「そりゃ、さっきまであんな調子だったし。リンのことを気に掛ける余裕もなかった」


 ごめんリン。

 リンは毎日昼食時に村から少し離れた場所に転移で姿を現していた。しかし、今日のランチタイム兼報告タイムは終わっている。次にリンが時間通りに現れるとするなら早くても五時間後、しかも村付近だろう。


「っだー、せっかくうまくいくかもしれないって思えてきたのに!」


 本当に人生ってうまくいかないなあ!

 頭を抱えるわたし。ナオが「それで?」と平坦に聞いてくる。


「どうするの、戻るの?」

「……いや、絶対にそれだけはしない」


 わたしは首を振った。


「ナオ、行こう。リンはいないけど二人で。ここで止まるわけにはいかない」


 さっき立ち直れたとき、恨みがくるりと半回転したとき、わたしの胸にある気持ちが生まれた。


 能力で、誰かを助けたい。


 ナオが助けてくれたって言った。その言葉を信じるなら、わたしはナオを助けられたってことになる。忌み嫌われている能力だけど、使い方を間違えなければ誰かを助けられる。


『アヤ君は、能力に賛成か反対か、どっちだい?』


 前に受けたリンの問いをふと思い出した。

 あの時は答えられなかった。でも、今なら自信をもって言いたい。


「わたしは、能力に賛成だ」


 わたし達で、能力は間違ってなんていないと証明したい。

 その前に、わたしの持てる全力を振り絞ってタケを助けに行かないと。

 

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