第一章 16 再び獣人界へ
『風魔』を習得したすぐ後。わたしとリンは、いつものやたら大きいテーブルを挟んで座っていた。
「ほんとに成功してよかった……。ただ、コピーできる条件がめんどくさいな」
漫画とかでよく見る、出会ってすぐにお前らコピー! みたいな状況適応力はないみたいだ。手をグーパーさせながらそう呟くわたしに、リンが「アヤ君」と静かに呼んできた。
いつもとは違うその雰囲気に、わたしは少しびくりとしながら返事をする。
「なに?」
「アヤ君は、どうしてそこまでして能力を増やそうとするんだい? 治癒をコピーしようとした時も、わざわざ自分から傷を作りに行ったじゃないか。どうして?」
「どうして、って……」
それをリンに聞かれるとは思っていなかった。リンは、もうわかってると思ってたから。予想外に、言葉が喉の奥で詰まって出てこない。
口を開閉させるのを何度か繰り返した後、わたしは息を吸って答える。
「人間界を、救うためだよ」
「厳密には違うよね。君が力を欲しているのは、その元凶に立ち向かうためだ。違うかい?」
同じようで少し違う、わたしが目指す先。細く息を吐き出して、わたしは頷いた。
「そうだよ。自分でも馬鹿みたいだとは思ってるけど、でも、今更――」
「それならやっぱり協力者、いや支援者、そういう存在が必要だよね」
「はぇ?」
てっきり夢物語だと否定されると思っていたわたしは、リンの呟きに目を丸くする。リンもわたしのぽかんとした顔に負けないぽかんとした顔を浮かべ、それから少しむくれたように口を曲げた。
「まさかアヤ君、ボクがアヤ君の目標を否定すると思ってた?」
「そりゃ……。あの流れならだれでもそう思うって」
言い訳をすると、なんでか自分が悪かったように感じてしまう。リンは怒ったような表情のままふわりと浮き上がり、わたしを見下ろす。
「確かにボクの聞き方も悪かったけど、ああでもしないとアヤ君の本音を聞き出せなかったからね。でも、アヤ君にまだそう思われていたなんて心外だな。ボクはずっと君を支えるって言ったのに」
それから、にこっといつもの笑顔になるリン。その笑顔を見ながら、わたしはどこかリンを信じ切れていない自分を恥ずかしく思った。
「ん、そうだったね。ありがと」
「ふふ。頑張ろうね、アヤ君!」
リンはふんすと鼻息を荒くする。それからさっきの話を続きに入った。
「やっぱり元凶に立ち向かうのであれば、ボクたち二人の力じゃ到底敵いはしないだろう。だから、協力者とかその辺が必要になってくる」
「ふむ」
「ここでボクたちに与えられているのは、獣人界と魔法界に進出して協力者を探すという手段だ。でも、ここ数年、魔法界の情報は制限されているかのように入ってこない」
「ほお」
「未知の世界に踏み込むのは、今のボクたちにとってリスクが高すぎる。だから必然的に――」
「――獣人界で協力者を探すことになる、と?」
わたしが引き継ぐと、リンは満足げに頷いた。
「その通りだよ。さすがアヤ君」
「小学生でもわかるような文脈だったよ。でも、リン覚えてる? わたし達はこともあろうかライオネル王のおひざもとであの騒動を起こしてしまったんだよ? 能力者は死すべきみたいな思想なんだから、絶対伝わってないわけないって」
わたしが抗議すると、リンはまたもやうんうんと頷く。わたしの主張を全部聞いてから、リンは反論に入った。
「ボクもそこは考慮してるよ。城下町でやらかした。でも、獣人界は城下町だけじゃないよね? まずは城下町から離れたところから攻めていけばいいんじゃないかっていうのがボクの提案だよ」
「でも――」
また文句を言おうとして、思いとどまる。ここでゴネて足踏みしてても何もプラスなことは起きない。やっぱり……気は進まないけど、行くべきなんだろう。
剣先がまだ喉元に突きつけられているかのような恐怖とともに文句を飲み干して、わたしはふうと息を吐いた。
「ごめん。リンの言う通りだね。やっぱり何事もチャレンジが大切だった」
「わかってくれたみたいで嬉しいよ。それじゃあ、いつ出発にしようか。明日、やっぱり明後日、いや、三日後の方がいいかもしれないし、そういえば四日後のボクの運勢最高なんだよ!」
「おい」
立場が完全に逆転した。さっきカッコいいこと言ってたのはどこの誰だよ。
「わたしの国には『思い立ったが吉日』って言葉があります。それはさておき、わたしは五日後が良いと思います」
なんてくだらないことを言い合いながらも、結局出発は明日になった。
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Tシャツジーンズという現代的ファッションの上からファンタジー感あるマントを羽織る。深めのフードを被ると顔がすっぽりと隠れたものの、怪しさは倍増した。
今思い出したんだけど、あの虎の人「通報が~」とか言ってたからあのファッションで既に怪しまれてたんだよね。それが正常だと思う。危機察知能力が抜群で大変よろしいことですよ。
わたしは部屋を出て図書館へ向かい、待ち構えていたリンに声をかけた。
「準備オッケーですっと」
「よし、じゃあ向かおうか」
リンは短く息を吸い、詠唱に入る。詠唱は長ったらしいから割愛だ。
いつものように転移したわたしは、雨が降っていることに気付いた。どんよりとした厚い雲に覆われた空は灰色で、気温も低くて、なんだかやる気も削がれるみたいだ。
「えー、雨だ。幸先悪いな」
ぼやくわたしとは反対に、リンは楽しそうに雨粒を手のひらで受け止めている。
「獣人界には雨季と乾季があるんだけど、今はちょうど雨季なんだ。この時季だと晴れている方が珍しいから、この前は特別だったってことだね」
そっか……ってことは、しばらく雨ばっか見るの? マジか……。
わたしは気が滅入りながら空を仰いだ。雨粒が顔に当たる。
「雨、見たくないんだけどなあ……」
「ん、雨嫌いなの?」
「嫌いってよりは……」
トラウマ、に近いだろうか。
わたしはぶんぶんと頭を振って憂鬱な気分を吹き飛ばすと、敬礼みたいにおでこに手の平を当てて辺りを見回した。
辺りには木が並んでいる。木。木。木。森といっていいのかはわからないけど、それ以外は石が転がっているくらいだ。当然の如く生活の気配はなく、なんでまたリンがここを転移地点にしたのかは不明だ。それくらい何もないし、誰もいない。
「やっぱり警戒してここにしたの? ここなら絶対ばれないだろうけど」
リンの用心深さに呆れ半分で聞くと、あっさりと「いや」と返事が返ってきた。
「転移の魔法って、ボクが行ったことがある場所じゃないと使えないんだ。ほら、能力って『イメージ』が肝心だろう? そんな感じで、行ったことがある場所じゃないとうまくイメージできないじゃないか」
少し歩こうか、とリンは進みだす。歩くと行っても彼女は妖精だから飛ぶの方が表現的には正しいんだけど。わたしはリンを早足で追いながら続きを促した。
「それで?」
「言ったままだよ。ボクは城下町とここにしか来たことがないから、城下町以外だとここしか選択肢がなかった。これから獣人界を開拓していって、転移できる場所を増やしていこう」
なんかゲームみたいだな、なんてぼんやり思う。一回その町に着いたらそれからは呪文だけで飛んでくることが出来るとか、そんな感じ。唯一違うのは明確なポイントがないってことくらいか。
「にしたって、言い方悪いけどここ何もないよ? ついでにやたら寒いし、なんでわざわざここに?」
腕をさすりながら、わたしは宙に向かって息を吐き出す。城下町は暖かかったから薄着で来ちゃったけど、本来もう少し厚着してくるべき気温だと思う。
「ここは北の方で、しかも標高が高いからね。寒いのも仕方ないさ」
「北かー。なんかなるほどだよ」
北って寒いイメージがあるし。
「ボクには敬愛する人がいるんだけどね、その人がこう書き記していたんだ。獣人界の北の山では、とても星がよく見える、と。その人が言うくらいならと思って、ここまでやって来たわけだよ」
「芸能人の追っかけみたいなものかな? それでどうだったの」
わたしの問いに、リンは眩しそうに目を細めて微笑んだ。
「素晴らしく美しかった。ボクの持ち合わせている語彙では到底言い尽くせないほどに美しかった。いや、あれは誰にも言い表すことはできないさ。だからこそ、彼女もシンプルな言葉で綴ったんだと思うし」
熱を帯びた口調に、スイッチの入るところがリンらしいなと思って少し笑う。リンというよりかは、流石妖精図書館の館長だ、って感動かな。フードを深く被って雨をしのぎながら、わたしはリンを見上げた。
「それじゃ、晴れた夜に連れてってよ。今度は厚着してくし、リンがそんなにほめちぎる星空を見てみたいな」
「うん、それがいい。ボクもおすすめだよ」
そんな穏やかな話をしながら山を下っていく。
「――ん?」
異変を感じたのは、それから少し経ってのことだった。
不意に何かが焦げたような匂いが鼻をつき、わたしは足を止める。
何かが燃えてるんだろうか。いや、でもそんなはずはない。だって今は、雨が降っているんだから――。
慌てて辺りを見回して、わたしはその匂いの正体を見つける。向こうの方で黒い煙が立ち上っている。
「リン!」
わたしは大声でリンを呼び止め、煙の方を指さした。その指先は小刻みに震えてしまう。
「あれ。何か、起こってる」
リンはわたしの指さす先をゆっくりと追っていき、そして。
「――――え」
大きく目を見開いた。
山で煙が見える。普通だったら山火事だろうとか、そんな結論に至るだろう。消火してもらうために助けを求めるだろう。
でも、これは違う。
上空には、黒煙の周りを翼を広げて飛ぶ何かがいた。それも一つだけじゃない。遠すぎてシルエットしか見えないけど、それが良くないものだとは直感的にわかってしまう。
ただ息を呑んでその影をみつめるわたしに、リンが呟きの形で答えをもたらした。
「――――竜」
竜が、火を吐いた。