第三章 37 祝勝会
「ねーえ、クロス。いいの?」
甘ったるい女の声が、「竜王」の名を呼んだ。その声は嘲笑うように、広い部屋のあちこちでぶつかって反響する。
「いいの、とは何のことだ」
「今回の作戦が大失敗に終わったからに決まってるでしょ? 本気で言ってるの?」
クロスの返事に、女の声色が一転して心配そうなものに変わった。ベールの向こうの竜王は、一切身動きをしない。
「結構な竜を消費したじゃない。アナタもしばらくは自由に動けないんでしょ? あのニンゲンちゃんにやられて」
「やられた? 冗談を抜かすんじゃない。あれは完全体には程遠い状態だった。それに、有益な情報を得られた。我が主は今もどこかに生きている。でなければあの人間が空の守護者の力を使うことなど不可能なはずだからな。今はとにかく、あの人間を泳がせる。主はいずれ人間と接触するだろう。それまでは俺は何も手を出さない」
「主の話になるとアナタ饒舌になるわよね。知ってるけど」
女はつまらなさそうに俯き、床を蹴る。ブーツの先が床を叩く固い音。クロスは女の反応など全く気にしていないかのように――いや、自分の主以外など見えていないかのように、話し続ける。
「俺は、主に会えるのならば何だってすると誓っている。別に人間界にも獣人界にも興味などないんだよ。俺の望みは主に会う、それのみだ」
「……ホント、アナタって主様主様よねぇ。千年も傾倒するなんてどうかしてるわ」
女が呆れたように首を振る。そうだ、とベールの向こうの黒い影が揺れた。
「人間とあの女も一緒にいたぞ。お前の大のお気に入りが」
「…………ごめんね、クロス」
女が顔を上げた。その顔には、まるで魔女のような醜悪な笑みが浮かんでいる。
「やっぱりワタシもどうかしてるみたい」
知っているが、とクロスが答えた。
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「んー……」
わたしは、重い瞼をゆっくりと開いた。美味しそうな食べ物の匂い。妖精図書館の大きな天窓から、優しい光が差し込んでいる。どうやら、わたしはソファに寝かせられているようだった。
寝起きでぼんやりとした頭で、ああそうだ、と思い出す。
あれからわたし達は、ライオネル王に会うために城まで戻った。竜の群れを追い払ったこと、研究所のエネルギーを拝借したこと、研究所にいた能力者たちを解放したこと、そして洗脳を解いたであろうことを報告した。
ライオネルはわたし達の話を聞いた後、まずはわたし達の言っていることが本当なのかどうかの確認を取らなければならないと言った。洗脳が解けたばかりで人々は混乱しているだろうから、その対応を急がなければならない、とも。
「また数日後に来てくれ。その時にまた詳しい話をしよう」
ライオネル王にそう言われたわたし達は、フラフラになりながら城を出た。
城を出たわたし達は、城下町で出来合いの料理をいくつか買って妖精図書館に帰った。机に買ってきたものを広げて、飲み物も食べ物もバッチリ、あとは宴を開くだけだー……と思ったところで、意識がぐっと持ってかれたのを覚えている。
耳を澄ますと、周りからすぅすぅと寝息が聞こえてくる。わたしは天井を見上げたまま呟いた。
「寝落ちしたのか、わたし……」
起きたばっかりだというのに、昨日から何も食べていないからかお腹がペコペコだ。まだ食べ物残ってるかな。残ってるなら食べたいな。
そう思って体を起こそうとしたわたしは、ある異変に気が付いた。
体が動かない。
あれだ、初めてユーリと会った時みたいな、あんな感じ。最近なってなかったから完全に油断してたけど、一日のうちにあれだけ能力を使ったらそりゃ動かなくもなるだろう。当然だ。逆にあそこまで持ってくれたのが幸いというべきか。
ぐるるる、とお腹がなった。空腹で吐きそうだ。わたしは叫ぶ。
「誰か、誰かわたしに食べ物をください!!!」
「んー、おいしい!」
唐揚げ(正確には違うんだろうけど)を食べたわたしは、その美味しさに声を上げた。わたしの真正面にいるナオは、「良かった」とトマトを棒にさして、わたしの口元まで持ってきてくれる。わたしのバランスの良い食生活のためだろう。正直余計なお世話だ。
絶叫で、眠っていたみんなを起こすことに成功したわたしは、すぐに状況を説明した。すると驚くべきことに、みんなはわたしを椅子まで運んで座らせてくれて、おまけに食べ物まで食べさせてくれた。嬉しい、美味しい。
「いい待遇だなあ。正直こんなにしてもらえると思ってなかった。すごい嬉しい」
「頑張ってくれたアヤ君一人だけをのけ者にするわけにはいかないよ」
「彩先輩が寝ちゃったあと、すぐにあたしたちも寝ちゃいましたからね。これからが祝勝会みたいなものですよ!」
「もう一日くらい経ってるけどな……」
ユーリが時計を見た。わたし達全員、一日くらい眠っていたらしい。わたしは仕方なしにトマトを一口で飲み込んだ。
「これで獣人界の問題はひと段落って考えていい?」
「いいんじゃないかな。しばらくはライオネル王も警戒を強めるだろうし、クロス側のダメージも少なくはないだろう。クロスも馬鹿じゃないはずだから、すぐに特攻してくることもないと思うよ」
「それに、あの雑魚竜を生み出すのにも制限があるみたいなのよ。一度クロスが竜を大量に消費したことがあったんだけど、その時すごく嫌そうな顔してたから」
ナオがフルーツの皮をむきながら言った。その話を聞いて、クロスって嫌そうな顔とかするんだ、とどこか意外に感じる。研究所で会ったクロスのことを思い出すと、どこか変な気分だった。
「あーっ!!」
クロスのことを考えていたわたしの耳に、突如、セイの大声が飛び込んできた。わたしは耳を塞ぐことも出来ないので、「うるさいよ」とかろうじて動く表情筋を動かして主張する。
「どうしたのよ、セイ」
「気づいちゃったんです気づいちゃったんです! 獣人界の問題は片付いたんですよね!?」
「まあ、今の話の流れだと片付いたってことで問題ないと思うけれど」
リンが首を傾げながら答えた。セイは「ですよね」と大袈裟なしぐさで腕を組む。
「あたし、思い出してみたんですけど」
「うん」
「ユーリが今ここにいるのって、獣人界の洗脳を解くためじゃないですか? 目的果たしちゃいましたよ」
セイの言葉に、わたし達は一斉にユーリの方を向いた。今まで黙って料理をつまんでいたユーリも、料理へ伸ばした手をぴたりと止めた。ゆっくりとわたし達の方を向いて「確かに」と呟く。
「そういえばそうだった気がするな。完全に忘れてたけど」
「わたし達も忘れてたよ。結構長い間一緒にいたしね。セイが言わなかったら気づかなかった」
「ん-……とりあえずこれ食べていい?」
「いいわよ」
「ありがと」
ユーリは手を伸ばしかけていた魚のフライを食べる。ユーリがもぐもぐと口を動かしているのをじっと見つめるわたし達四人。奇妙な光景だ。
特に視線を気にすることなく、フライを飲み込んだユーリは、指で口元を拭った。
「…………ずっと隠れながら生きてたからさ、こうして大勢で料理を囲んで食べるなんて、久しぶりだったんだ」
ユーリはそう笑う。
「正直、この明るさに慣れたら、あんな穴には戻れないよ。もし良ければ、これからもここに置いてくれない? ちゃんと働くからさ」
「わたしはいいよ。ってか、反対の人いないでしょ。賛成の人挙手ー」
声をかけると、わたし以外の全員の手が上がった。わたしは「決定!」と笑顔を浮かべた。
「ユーリ、正式加入ありがとう! 別にだからといって何が変わるとかでもないけど。そうだ、これ祝勝会&新人歓迎会にしよっか」
「一回で二つ祝えるなんてお得ですね! もう一回カンパイしましょう、カンパイ!」
「いいね。ナオ、わたしのコップも持ち上げてくれない? わたしも気分だけカンパイする」
「はいはい」
「え、別にいいよ。何も変わらないだろ。そんなわざわざ……」
「カンパーイ!!」
わたしの声に続いて、みんなが「カンパーイ」とグラスを持ち上げた。ユーリも少し遅れて、控えめにグラスを持ち上げる。
グラスのぶつかる澄んだ音が、広い図書館に響き渡った。