星の雫
夜のテンションで書きました。感想など、良かったら書いていってください。
緋色の髪に、星の瞳。
雪も恥じらう真白の肌に、柔らかな曲線美を描く体。
白亜の離宮に住まう深窓の姫君。
暮れゆく空のような色を持つ私を、人はあわい姫と呼ぶ。
褒め称えるような瞳の奥に、嘲りを見たのはいつの頃だったか。
『まあ、なんて美しい緋でしょう。まるで薔薇のようだわ。』『血のような色ね。娼婦の母と同じ色だわ、穢らわしい。』
『姫の瞳と比べてしまえば、空に輝く数多の星も恥じらうことでしょう。』『あまりにも悲惨なレプリカに、星々も目をそらすに違いない。』
母譲りの自慢の色を、心ない言葉が踏みにじる。言葉に隠れた言葉が、母と私を貶める。あわいが意味するのが『夕焼け』でなく、『王族と下専の血をひく子』だということは、もうとっくの昔に知っていた。
もともと母はあまり身分の高くない人で、私の母になる前は城でメイドをしていた。
そこで一方的に母を見初めた王に処女も、女としてのプライドも踏み荒らされた。
記憶の、一番古い思い出の中の母は、自身の肩に両の手の爪を食い込ませて、ひたすら怨嗟を向けていた。母の色彩を持つ、王に似た顔立ちの私へ。
たった一度きりの母の苦悩は、幼い私には強烈だったのかもしれない。
何度も何度も、擦り切れるくらいに何度も、思い出したそれは鮮やかな花を咲かせ、私の心に根をはっている。
優しくしたたかな母を、立てた爪から血が滴るほど、食いしばった歯から小さな悲鳴が漏れるほど、あれだけ慈しんでくれた私に怨みを向けるほど、追い詰めた王が憎かった。
母は、野に咲く花だった。あまりにも荒れ果てた地で、あまりにも甘く優しい毒で満ちた場所で、花を咲かせるには弱すぎた。
気の病から臥せっていた母は、ただの風邪を拗らせて呆気なく逝ってしまった。
平民に近い身分の母のために、葬儀をしてくれる人などいなかった。
墓穴は一人で掘った。
母の痩せた遺体はこの手で清めた。
母の好んだ紺色のシンプルな意匠のドレスを着せた。
弔いは、時折懐かしそうに口ずさんでいた母の故郷の歌。
母を埋めた土に、たくさん花を植えた。
まだつぼみの花たちは、土に還っていく母の亡骸を糧に咲くのだろう。
後日母と住んでいた離宮に訪れた王に、母の居場所は伝えなかった。
母の死が知らされたはずなのに、平然と執務を続けたあの男に母を悼む権利などない。
王が、母の死は私のせいだと詰った。
男が王という身分を持っていなければ、私は王を殴り殺していたかもしれない。
どの口でそれを言う。お前が母を殺したんだ、という言葉とともに。
私はただ、母の遺言を捏造し、頭を垂れることで漏れ出る殺意を押し隠した。
母の死から五年がたった今、私は何もない荒野で空を見上げていた。
刃のような寒さから身を守るものなど何も持っていなかった。
二年前、心当たりどころか実行すら不可能な罪によって裁かれた私は王城を追われた。
私が邪魔だった正妃とその一派のたくらみであることは明らかだったが、誰一人として私の無実を訴える人はいなかった。
公平に罪を裁くはずの裁判官ですら、理不尽から目を背け、有罪の木槌を打った。
人としてのプライドは、最初の頃に捨ててしまった。
女としての尊厳も、もうドブの中だ。
私には何も残っていない。もともと何も持っていなかったのに、皮膚を剥ぐように、爪をはがすように、世界は私から奪っていった。
病に侵され視力も落ちた私には、肉眼で星を見ることは叶わない。ただ暗く広がる闇は、わずかな光すらも消してしまっていた。
導はなくした。希望もついえた。
優しい思い出すらも、今は牙を剥く。
何にもない。
自慢だった髪は一年の間の苦痛に白く染まり、白かった肌はがさがさに荒れ、体はあちこちから血が噴き出し、ガタがきていた。
このまま終わるのか。
目を閉じたときだった。
懐かしい、母の声が聞こえた。
『あらあら。またこんなに泣いて。綺麗なお星さまが母様に見えないわよ。・・・・・・・・・そう。そんなことを言われたの。・・・・・・・・・いいのよ、母様は強いもの。怒ってくれてありがとう。』
いつのことだったか。・・・そう、貴族の子供に散々いじめられて泣いて帰ったときのことだ。
『これから先、あなたは辛い目に遭うわ。苦しい思いだってきっとたくさんする。でも覚えていて。星は、光は、ここにある。あなたがちゃんと持っている。だってあなたは、母様にそれをくれたのだもの。』
そのとき私を抱きしめた両手の感触もぬくもりも、もう覚えてはいないけれど。
星はあった。光はあった。母が教えてくれていた。与えてくれていた。
何もないと、なくした気になっていただけ。
気づくのが遅すぎた。
私の身体はボロボロで、この空の下、ただ死を待つだけ。
指先すらぴくりとも動かせず、辛うじて息が続いている状態で、一体何ができるだろうか。
できることなど、何一つなかった。ないはずだった。
なのにどうして。
もう何日も食べていない。何日も飲んでいない。最後に口にしたのが何なのか、覚えてすらいない。体中の活力も、水分も全部使い果たしてしまったと思っていたのに。
どうして、涙が流れるのだろう。
救いなど何一つない、ひどい世界だった。これは悲しみの涙だろうか。
優しさなどかき消されてしまうような、毒に満ちた世界だった。これは憤りの涙だろうか。
涙の膜がはられた瞳が、光を映した。
それは、遙か遠くひたすらに己を燃やす、私と同じ色をした星たちの輝きだった。
荒野に一つ、野ざらしの遺体を見つけた。
王は護衛の制止を聞かずに、走り寄り、愕然とした。
緋色の名残が残る白髪、痩せこけた体、柔らかに閉じた瞼が開けば、星の瞳が現れることを知っていた。
娘の面影を残した遺体は、痛ましいほどにあちこちが壊れていた。
娘が一人、いた。無理やり手込めにした、愛する女との間の子だった。
王は愛し方を知らなかった。故に、やり方を間違えた。
女は王を許さず、生まれた子にすら会わせようとはしなかった。
与えた離宮に閉じこもり、死ぬまで、そして死んでもそこを出てはこなかった。
五年前、女が死んだ。それを知ったのは女が死んでからもう何日も経った後だった。
死に物狂いで仕事を終わらせ赴いた離宮では、少女が一人王を睨みつけるようにして立っていた。
女に瓜二つな髪と瞳を持ち、そのルーツを疑うべくもない顔立ちの少女が、まだ十二か十一の姿に似合わない、憎悪に燃える双眸で王を見つめていた。
それは女が王を瞳に映すときと全く同じで。
『母は、陛下に墓の在処を知らせるなと申しました。死の間際の言葉です。私にはとても無下にはできません。お教えできないことを心よりお詫び申し上げます。』
告げられた言葉に、冷や水が差された思いだった。
女は死んでもなお、王の心を捕らえて離さず、そして許すこともなかった。
それから先のことは、記憶が曖昧で、ただ、少女に向かってひどい言葉を口にしたことだけは覚えていた。
二年前、有り得ない罪で裁かれた娘。裁きの場にいた者は、すべて捕らえて処刑した。
言い訳も、命乞いも、何一つ聞かず、ギロチンの刃は等しくその首へと落ちた。
無断で裁かれた娘を、王は探した。
一年探した。手がかりは何一つなかった。無事でいて欲しいと、強く願った。
二年探した。手がかりは何一つなかった。生きていてくれればいいと願った。
そして今、亡骸の娘が目の前で力なく横たわっている。
どこで間違えたかなんて、わからないくらい間違えた。
ただ、唯一確かなのは、王はすべてを間違えていたことだ。
女と出会ってから、変わり果てた娘と再会するまでのすべてを。
王は愚かな自分を嘆いた。気づけなかった自分を責めた。
何一つ変わらないのに、亡骸にすがって涙を流した。
遠い遠い星空には、星が瞬いている。
私の娘へ
そこまで書いて、女はペンを止めた。
膨らんだ腹は、望まない行為の結果なのに、何故だか愛しかった。
いつか生まれ落ちる己の子は、一体どのような姿をしているのだろうか。
どのような子に育つだろうか。
愛し合った親の元に生まれて来られない我が子を思い、衝動的にペンを取ったのはいいものの、何を書こうか迷ってしまい結局はペンを置いた。
窓から見える四角く切り取られた空には、女の瞳と同じ色をした星が輝いている。
瞳は、女が自慢に思う唯一のものだ。
どれだけ手を伸ばしても、ちっぽけな人間程度では触れることはおろか、ほんの少し影響を与えることもできない。
誇り高く美しい、あの星々と同じだということだけで勇気が持てるようだった。
母になる。女の華奢な双肩にのしかかる重圧は計り知れない。
けれど、強くあろうと心に決めた。優しくあろうと決めた。
己の腹で眠る子に、小さく笑いかけた。
「何があっても守るわ、私の愛しい子。」
それは誓いであり祈りだ。
満天の星は、遠く輝き続ける。
星の光よ 私に導を
真っ暗な闇を照らす 光を
誓い 祈り 願い 望み
すべてに 答えをおくれ
星の雫よ 私に導を
新たに歩き出せる 希望を
あなたに 私に すべてのものに
救いを 与えておくれ
優しい夜のゆりかごに
呼ばれて抱かれるその日まで
クライア男爵領 民謡 星の雫より一部抜擢
最後まで読んでくださりありがとうございました!