1-9 僕ともう一人のジョニー 2
「奥さんのことなんだ。奥さんがここに来たのって、実は去年なんだよ。知ってた?」
「そうなの? 知らなかった。てっきり、ずっといるのかと」
「違うんだ。奥さんは去年、ある日突然現れたんだよ」
それまで、魔法使いの家は奥さんを除くメンバーで運営されていた。それが去年、ある日突然奥さんが現れたらしい。僕が来た時にはすでに奥さんがいたし、みんなもなじんでいたから、なにも不自然に思っていなかった。
「でも、確か院長先生と奥さんって、ずっとそういう間柄なんじゃなかったっけ?」
「うん、それは間違いないみたい。奥さんが来た時、院長先生は、奥さんのこと、ずっと待ってたって言ってた」
「待ってた?」
僕の質問に、ジョンは神妙にうなずいた。そして、どこか地を這うような声で、言葉を続けた。
「そう。院長先生は、死んだ奥さんが生き返るのを、ずっと待っていたんだよ」
予想外のホラー展開に僕は思わずゾクリとして、泡立った二の腕を抱きしめた。
「え、え、どういうこと?」
「君は、おかしいと思ったことはない? 奥さんが食事しているのを、君は見たことがある?」
言われて思い返すと、奥さんは食事の支度をしたり、給仕をしてはくれるけれど、院長先生たちみたいに、一緒に食事を摂ったことはない。
それを思い出してやっぱりゾクゾクしてきた僕に、ジョンは続ける。
「あの日僕は、ジェシカと一緒に院長先生と話してたんだ。だけど院長先生が隠れろって言って、僕たちはソファの陰に隠された。いきなりなんだろうと思って、僕はソファの陰から見ていたんだ。足音が聞こえた。その足音がどんどん大きくなって、ついにはドアがけ破られて……」
僕は話を聞きながら、ゴクリと生唾を飲み込む。だけど、僕の緊張感に反して、なぜかジョンは徐々に顔を赤くして黙り込んだ。
「ん、あれ、ジョン?」
「……ど、ドアが開いて、入ってきたのは……」
「入ってきたのは?」
「……」
「え、ちょっとまって、そこ大事なところじゃない? なんで言い淀むの?」
ジョンが顔を赤くしてフルフル震えている。これはあんまり追い込まない方がいいかと考えていたら、ドアの外から突然、「ぶわーっはっはっは!」と爆笑する声と、バンバンと何かをたたく音が鳴り響いた。
すぐにドアが開いて、入ってきたのはカストとイアンで、二人とも目じりに涙を浮かべて大笑いしている。
「ピュアか、お前ピュアかよ!」
「かーわいいなーお前!」
そういった二人はジョンをからかって頭を撫で繰り回し、ジョンはギャースカ文句を言って怒っている。
ひとしきりヒーハー笑って気が済んだらしい二人は、イアンがデスクに、カストがチェアに腰かけて、話の続きを教えてくれた。
「俺らも知らなかったんだよな、あの日まで」
「マジで、いきなり現れたから超ビビった」
「え、二人も知らなかったの?」
「おう。知ってたのはたぶん、ジョヴァンニ先生だけだったと思うわ」
みんなには何も言わないで、死んだ奥さんの帰りをずっと待っていた。最初は怖いと思ったけど、でも、そう考えたら、なんだかすごく、院長先生はずっと一人で寂しかったんじゃないかと思った。
イアンが続けた。
「レオさん……あのFBIのチャラいオッサンな。あの人に後から聞いたんだけど、10年くらい前に、奥さん、殺されちまったらしい」
「殺されたの!?」
「そ。で、院長先生はすっげぇ落ち込んでたらしい。そんで、去年までずっと10年間、奥さんが帰ってくるのを待ってたんだと」
「なにそれ! 辛い!」
「辛かったと思うぜ。でもさぁ、そんなの俺らには全然見せないわけ。いっつも俺らのことで四苦八苦してさぁ」
イアンの言葉に、カストも苦笑しながら会話に入った。
「そうそう。いっつも俺ら優先で、あの日まで俺らはなーんにも知らなかった。あんな、泣きそうな顔で笑ってる院長先生見たの、あれが最初で最後かも」
「そーだな。奥さんがいきなり飛び込んできたのには超びっくりしたけど、ホントよかったよな」
「なんか、アレだよな。俺らみたいなんでも、いつか結婚したりして、家族とか作れるんだって、今の院長先生とかジョヴァンニ先生見てると、しみじみ思うわ」
カストの言った「俺らみたいなんでも」っていうのは、超能力者でもって意味なのか。超能力者だと家族を作れないと、彼らは思っていたんだろうか。僕は少し引っ掛かりを覚えながらも、彼らの話を静かに聞いていた。
イアンが続けた。
「最初に奥さんにあった時、俺は正直ブルった」
「あ、俺も。いやマジ怖かった」
「怖かったの? あの奥さんが?」
ロリ顔でいつもニコニコしていて、愛嬌のある、あの奥さんが怖い?
「いやもう、目が血走ってるなんてモンじゃなくて、目ェ真っ赤でさ。髪の毛振り乱して襲い掛かってくるんだぜ。しかもあの院長先生が劣勢っていう」
「えー!」
「今にも院長先生殺されちまうんじゃないかって、俺は小便ちびりそうだった」
「でもあの後の「おかわり!」にはちょっと笑ったよな」
「あはは、あれはちょっと和んだ」
「おかわり?」
いきなり襲ってきた奥さんの「おかわり!」というのが、僕にはイマイチわからない。尋ねた僕に、ジョンが教えてくれた。
「奥さんは、人間じゃないんだよ」
「人間じゃないって、超能力者とかじゃなくて?」
「ううん。そもそも奥さんは人間じゃない。超能力も使えるけど、人間じゃないから、人間を襲うし、あんなに若いんだよ」
「あっ……」
奥さんについての疑問が、この時一気に晴れたような気がして、僕は瞬きもせずにジョンを見た。
「奥さんが院長先生を襲ったのは、院長先生を食べようとしたからだよ。でも、院長先生とジョヴァンニ先生が医療用の血液を飲ませたから、奥さんは正気を取り戻したんだ」
「まぁ生半可な量じゃ足りなかったらしくて、何度もおかわりしてたけどな」
「に、人間を食べるの? そんなに、たくさん?」
やっぱりちょっと怯えた僕に、いやらしくおぞましい表情をしたカストが、ニヤニヤ笑いながら言った。
「そうさ。奥さんはな、この世界で最強って言われる吸血鬼の弟子なんだよ」
カストの言葉を聞いて、僕の心臓はドクンと脈を打った。そして震える手でカストの膝をつかんで、そしてキラキラした瞳で彼を見上げた。
「世界最強の吸血鬼!? なにそれカッコイイ!」
「え、何その反応。予想外なんだけど。ビビれや」
「いやカスト、ジョニーは好奇心の塊だから」
「あー……」
何故か呆れるイアンとカストだけど、そんなのは僕の知ったことじゃない。超能力者どころか、奥さんは人間じゃなかったんだ。こんなファンタジーなことってあるだろうか。
「えー、すごいすごい! 奥さんカッコイイ!」
「いや、あん時一番かっこよかったの院長先生だからな? 襲ってきた奥さんにも優しかったし、テーブルクロス引きとか俺は胸が打ち震えたぞ」
「正直俺は奥さんにはドン引きしたけどな?」
「えーなんでなんで!」
「むしろお前がなんでだよ」
「まぁまぁカスト、ジョニーはまだガキだからわかんねーんだよ。俺らのこともな」
理解してくれないのは不服だったけど、イアンの言葉にちょっと引っ掛かりを覚えた。
「イアン達のことって、どういうこと?」
「まぁ俺らにも色々あんの」
色々とかいう言葉で濁すときは、おそらくステファニーお姉ちゃんが言っていた地雷が隠されている。これは踏み込んだらいけないやつだ。
ちょっと疑問は残るけど、僕は飲み込むことにした。ふと、僕は思い出した。
「ところでさぁ、その話でジョンが恥ずかしがる理由って、なんなの?」
僕の質問に、イアンとカストは笑い出して、ジョンはやっぱり顔を赤くして怒り出した。
「え、なんで怒るの? 院長先生と奥さんの感動の再会の話じゃないの?」
「いやそうなんだけどさぁ、コイツお前よりマセてっからさぁ」
「いや俺らもちょっとドキッとしたけどね。でもさすがに院長先生の奥さんに発情するほど、俺は怖いもの知らずにはなれねぇわ」
「わー! うるさいよ! そんなんじゃないし!」
「え? え? ハツジョウってなに?」
「お前ももうちょっといろんな本を読みなさい」
「ジョンに教えてもらえ」
「もー! うるさいよ! さっさと出てけ!」
なんだか最後はカオスになって、ジョンに部屋を追い出された。結局僕の最後の質問は謎が解けることがなくて、後からイアン達に聞いてみたけど、結局教えてくれなかった。
とりあえずジョヴァンニ先生に「ハツジョウってなに?」って聞いてみたら、「お前には10年早い」ってまた言われた。
言ったのはカストなのに。いつもカストのせいで怒られる。むかつく。
登場人物紹介
ジョニー・リンダーマン
8歳。赤毛でそばかす顔が特徴の白人。5歳のころに引き取られる。
プライドが高く、なおかつマセガキ。文学少年。同じ名前のジョニーに何かと闘志を燃やす、ちょっと面倒くさい少年だが、基本的には友達思いのいい子。
彼がなぜ恥ずかしがっているのか、その理由は拙作「不死王の愛弟子:最終章12-7最終話」にてお察しいただきたい。